【特集・お召列車Vol.7】賢所乗御車・「神を乗せるために造られた、番号なき皇室用客車」
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大正4年、1915年。
鉄道院大井工場で、一両の特別な客車が誕生しました。
”形式も、記号も、番号もない”
「1号御料車」「2号御料車」のような番号すら付与されない。
その名は、「賢所乗御車(かしこどころじょうぎょしゃ)」
天皇陛下がお乗りになるための御料車ではありません。
この車両が運ぶものは、宮中三殿のひとつ「賢所」に奉安される、八咫鏡の形代である御神鏡でした。
いわば、「神を乗せるための客車」。
日本の鉄道史を見渡しても、これほど特殊な使命を与えられた一両は、ほかにほとんど例を見ません。
「大正天皇の御大礼のために」
賢所乗御車が造られた目的は、
大正天皇の即位に伴う御大礼でした。
即位礼は京都で執り行われます。
そのため、天皇陛下の御移動だけでなく、宮中に奉安されている御神鏡も東京から京都へ移御する必要がありました。
そこで鉄道院が用意したのが、
御神鏡だけを奉安して輸送する専用車
「賢所乗御車」だったのです。
宮内庁には現在も、大正大礼に際して作成された「賢所乗御車」の図面類が史料として残されています。
「天皇の御料車とも違う一両」
ここが、この車両最大の特徴です。
皇室用客車でありながら・・・
”「御料車」ではありません。”
形式、記号、番号はいずれも持たず、
「賢所乗御車」という名称そのものによって存在していました。
車体は当時の鉄道院らしい木造車体。
全長は約20m。
三軸ボギー台車を履き、中央には御神鏡を奉安するための
”奉安室”が設けられていました。
人を快適に運ぶことが第一ではない。
豪華な展望を楽しむためでもない。
ただひとつ、
”御神鏡を、最大限の敬意をもってお運びする。”
その使命のためだけに設計された鉄道車両でした。
「昭和の御大礼でも再び走る」
賢所乗御車の使命は、大正の御大礼だけでは終わりません。
昭和3年、1928年。
昭和天皇の御大礼に際しても再び使用され、御神鏡の移御という大役を担ったとされています。
蒸気機関車に牽かれた列車の中に、
番号さえ持たない一両が静かに連結されている。
その車内に奉安されているものを考えれば、
当時その列車を扱った鉄道員たちが背負った緊張感は、
通常のお召列車とはまた違ったものだったことでしょう。
「番号すら必要としなかった車両」
鉄道車両とは本来、形式と番号によって管理されるものです。
「C57 1」
「EF58 61」
「DD51 842」
「1号御料車」
「2号御料車」
お召列車の歴史を彩った名機や御料車にも、
必ずその名を示す番号があります。
しかし、
賢所乗御車には、それがありませんでした。
天皇陛下をお乗せする御料車でもない。
一般の旅客を運ぶ客車でもない。
御神鏡を奉安し、
ただその御移動のためだけに線路を走った一両。
形式なし。
番号なし。
そして用途は、ただひとつ。
日本の鉄道史にはかつて「神をお乗せするため」に造られた、
あまりにも特別な客車が存在していたのです。
(マイミー)
※この度この記事の執筆にあたり、
画像データは宮内庁図書寮文庫に許可を頂いております。

