【鉄路を敷いた男たちVol.2】丹那――山の下に鉄路を通せ
マイミー共有
今の東海道本線は、
熱海から丹那トンネルを抜けて三島へ向かいます。
でも昔は、皆さんご存知の方も多いと思いますが、
ここに東海道本線はありませんでした。
東京方面から来た列車は国府津から御殿場へ。
箱根外輪山を越えて沼津へ下りていたのです。
これが、なかなか厄介でした。
急勾配が続くため、
列車によっては補助機関車の力を借りて峠を越える。
東海道本線の輸送量が増えるにつれ、
御殿場越えが大きなネックになっていきます。
だったら、山を越えなければいい。
熱海へ回り、
山の下をトンネルで抜いて三島へ出る。
言葉にすれば簡単です。
計画された丹那トンネルは、
全長7,804m。
1918年に工事が始まりました。
完成予定は1925年。
ところが実際に開通したのは、
1934年です。
なぜ9年も遅れたのか。
掘ってみたら、
とんでもない山だったのです。
まず、地下水。
掘削面から大量の水が噴き出し、
工事を止める。
排水して掘る。
また水が出る。
しかも地盤は軟弱で、
強い地圧によって坑道が変形する場所までありました。
普通に掘っていては先へ進めない。
そこで本坑とは別に、
地下水を逃がすための「水抜坑」を掘ります。
7.8kmのトンネルを造るために、
掘った水抜坑は最終的に本坑の約2倍。
トンネルを一本通すため、
その倍近い「水を抜くための穴」まで掘ったのです。
それでも水が止まらない。
地盤にセメントを注入する。
圧縮空気で地下水を押さえながら掘る
「圧気工法」も使う。
掘れない。
なら、別の方法を試す。
それでも駄目なら、また方法を変える。
丹那トンネルでは、
後に「丹那方式」と呼ばれるほど、
難しい地盤を突破するための工法が試されていきました。
そして1923年。
関東大震災が発生します。
工事中の坑内も被害を受けました。
それでも工事は続きます。
ところが1930年11月26日。
今度は北伊豆地震が発生。
しかも、
丹那トンネルは震源域を走っていました。
丹那断層が動き、
掘っていた坑道そのものが
約2.5m横へずれてしまったのです。
山の両側から、
何年もかけて掘ってきたトンネル。
それが途中で、文字通り「合わなくなった」。
それでも諦めませんでした。
中心線を測り直し、
ずれた部分を曲線でつなぎ、
再び掘り進めます。
湧水。
軟弱地盤。
地圧。
崩落。
そして二度の大地震。
工事では、
67人もの命が失われました。
それでも掘削は続けられます。
そして1934年。
着工から16年。
丹那トンネルは、
ようやく一本につながりました。
同年12月1日。
東海道本線は、
熱海―丹那トンネル―三島経由へ変更。
それまで東海道本線だった御殿場経由は、
現在の「御殿場線」となります。
つまり丹那トンネルは、
単に山に穴を開けただけではありません。
一本のトンネルによって、
日本最大の幹線のルートそのものを変えたのです。
今なら熱海から三島へ向かえば、
丹那トンネルを通る時間はほんの数分。
車窓もありません。
ただ暗いトンネルを走っているだけです。
でも、その7.8kmを通すために、
16年という時間がかかりました。
そして67人が、
完成を見ることなく命を落としています。
次に丹那トンネルを通る機会があれば、
ほんの少しだけ、
この山の中で起きたことを思い出してみてください。
さて。
山の下を掘り抜いた人々の次なる舞台は、
さらに途方もない場所です。
本州と北海道の間に横たわる、津軽海峡。
北海道と本州を、
船ではなく一本のレールでつなぐ。
【鉄路を敷いた男たちVol.3】
次の舞台は…
青函トンネルです。
(マイミー)

