【鉄路を敷いた男たちVol.4】黒部――「一般客が知らないもう一本の鉄道」

【鉄路を敷いた男たちVol.4】黒部――「一般客が知らないもう一本の鉄道」

マイミー

黒部峡谷鉄道。

宇奈月からトロッコ電車に揺られ、
黒部川を遡っていく。
終点は「欅平」。

普通なら、
鉄道はここで終わりです。

ところが、まだ先があります。

欅平から約200m上。
巨大な竪坑エレベーターで上がった山の中に、
関西電力の専用鉄道「上部軌道」があります。

なぜ、こんな場所に鉄道があるのか。
始まりは観光ではなく、
発電所を造るための資材輸送でした。

黒部川は水量が多く、落差も大きい。
水力発電には恵まれた川です。
その一方で、黒部峡谷はとにかく険しい。

1923年、日本電力は黒部川の電源開発のため、
宇奈月―猫又間の資材運搬用鉄道に着工。

1926年に運転を開始し、
1937年には欅平まで到達しました。
これが現在の黒部峡谷鉄道につながっています。

しかし、黒部川第三発電所を造るには、
欅平よりさらに奥へ入らなければならない。
そこで欅平に約200mの竪坑を掘りました。

人も資材も、
そして小さな鉄道車両までエレベーターで上へ運ぶ。
標高約800mまで一気に上げ、
そこから再び軌道を延ばす。
これが「上部軌道」です。

ところが1936年。

阿曽原から仙人谷へ向けてトンネルを掘り始めると、
岩盤の温度が上がり始めます。

50℃。

100℃。

そして最高165℃。

温泉地帯をまともに貫いてしまったのです。
人間がそのまま作業できる温度ではありません。
そこで黒部川の水を坑内へ引き、
岩盤へ注水して冷却。

さらにアンモニア式冷却機まで持ち込み、
切羽へ冷風を送りながら掘りました。

しかも熱に苦しめられたのは、
作業員だけではありません。
掘削に使うダイナマイトです。

高温の岩盤に装填すれば、
火薬そのものが危険になる。
高熱による自然発火事故も起きました。

冷やす。
掘る。
火薬を扱う。
発破する。

そしてまた冷やす。

今では吉村昭の記録文学でも知られる
「高熱隧道」です。

ただ、
黒部で人を襲ったのは熱だけではありません。
冬になると今度は雪です。

1938年12月27日、志合谷。
午前2時、
大規模な表層雪崩が発生しました。

雪崩は旋風を伴いながら谷を走り、
労務宿舎を直撃。
鉄筋コンクリートで外壁を固めていたにもかかわらず、
内部が破壊され、84人が死亡しました。

当時の事故経験者による記録には、
周囲の樹木が「鋸で切断したように」倒れていたとあります。
山の経験者に聞き、
過去に雪崩がない場所を選んで建てた宿舎でした。

それでも防げなかった。

さらに1940年1月には、
阿曽原谷でも大規模な雪崩事故が起きています。

坑内へ入れば最高165℃。
外へ出れば豪雪と雪崩。

そもそも現場へたどり着くだけでも、
黒部の断崖を越えなければならない。

黒部の電源開発では、
調査のために絶壁を削って造られた
幅わずか50cmほどの「日電歩道」を、
測量隊が大きな荷物を背負って歩いていました。

現在のように、
道路から重機を持ち込める現場ではなかったのです。

だから鉄道を造った。

欅平まで線路を延ばし、
そこで終われば竪坑を掘る。

エレベーターで約200m上げ、
その先に、また線路を敷く。

そして165℃の岩盤が出ても、
冷却設備を持ち込んで掘り続ける。

1940年11月。

黒部川第三発電所は完成しました。

そして、この話には続きがあります。
発電所建設のために敷いた鉄道は、
工事が終わっても消えませんでした。

宇奈月―欅平間は1953年、
正式な旅客営業を開始。

現在の黒部峡谷鉄道へつながります。

一方、
欅平から先の上部軌道も残りました。
現在も関西電力の専用鉄道として、
発電施設の保守などを支えています。

つまり欅平は、
観光客にとっては終点。

でも鉄路そのものは、
そこで終わっていません。

駅から約200m上。

山の中には、
一般の旅客列車とはまったく違う
「もう一本の鉄道」が今も続いている。

そしてその列車が通るのが、
かつて最高165℃の岩盤と格闘しながら掘った高熱隧道です。

黒部峡谷鉄道に乗る機会があれば、
終点・欅平で少しだけ上を見てみてください。

その山の中に今も、鉄路は続いています。

(マイミー)

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