【鉄道を通す場所じゃない】それでも人々は碓氷峠に線路を敷いた

【鉄道を通す場所じゃない】それでも人々は碓氷峠に線路を敷いた

マイミー

群馬県・横川と長野県・軽井沢。

その間、わずか11.2km。

いま地図だけを見れば、
「そんな短い区間が、なぜ日本の鉄道史にこれほど名を残したのか」
と思うかもしれません。

理由は単純です。
ここは、鉄道を通すにはあまりにも険しかった。

横川と軽井沢の標高差は約553m。
最大勾配は66.7‰。

1000m進む間に66.7m上る。

現在の鉄道でも強烈な数字ですが、
これを明治の鉄道技術で越えようとしたのです。

しかも、
「少し遠回りして緩い坂にしよう」では済まなかった。

東京と信越地方、さらに日本海側を結ぶ幹線を一本につなぐため、
どうしても碓氷峠を越えなければならなかったのです。

1885年、
鉄道は上野から横川まで到達。
一方、長野側からも鉄道建設は進みました。

最後に残った壁が、
横川―軽井沢間でした。

普通の機関車では、
車輪とレールの摩擦だけで66.7‰を安全に上り下りするのは難しい。

そこで採用されたのが「アプト式」。
線路中央に歯形のラックレールを敷き、
機関車側の歯車を噛み合わせ、
文字通り山をよじ登る方式です。

1893年4月1日。

ついに横川―軽井沢間が開通しました。

しかし、
「開通した」の四文字では、この工事の凄まじさは伝わりません。
約11.2kmの山中に、
26か所のトンネルと18基の橋梁。

それまで日本の鉄道建設は、
比較的平坦な場所を中心に進められていました。

碓氷峠は違った。

山を削り、
岩盤を穿ち、
谷を越え、
レンガを積み、
線路が通る場所そのものを新たに造らなければならない。

日本が、
本格的な山岳鉄道建設へ踏み込んだ場所の一つでした。

象徴が、
現在も残る碓氷第三橋梁、通称「めがね橋」です。

高さ約31m。
4連のレンガアーチ。
使用されたレンガは200万個以上ともいわれます。

今では美しい鉄道遺産として眺められるこの橋も、
もともとは観光のための建造物ではありません。
列車を峠の向こうへ通す。

ただそのために、
明治の人々が山の中へ築いた巨大なインフラでした。

そして、
苦労は線路を造ったところで終わりません。
66.7‰では、
登ること以上に「安全に下る」ことも難しい。

列車が加速しすぎれば、止められない。

さらに、
蒸気機関車で長いトンネルを抜ければ、
煤煙が乗務員を苦しめる。

線路だけではなく、
「どう走らせるか」まで考えなければ、
この峠は越えられなかったのです。

そのため碓氷峠では、
機関車、ブレーキ、運転方法、電力設備まで、
峠を越えるための独自の技術が積み重ねられていきます。

1912年には横川―軽井沢間を電化。

幹線鉄道としては日本初の電化であり、
碓氷峠は山岳鉄道であると同時に、
日本の鉄道技術が大きく前進する実験場のような場所にもなりました。

しかし戦後輸送量が増えると、
今度はアプト式そのものが大きな壁になります。

列車は遅い。
輸送力にも限界がある。
日本海側と首都圏を結ぶ幹線として見ると、
たった11.2kmの峠越えが、
信越本線全体のボトルネックになっていきました。

そこで国鉄が次に挑んだのは、
さらに大胆な方法です。

歯車を使わず、
66.7‰を越える。

1963年、
碓氷新線が完成。

新たに開発されたEF63形電気機関車によって、
一般的なレールと車輪の粘着力だけで峠を越える時代が始まります。

9月30日をもってアプト式は廃止。
翌10月1日から新線へ完全移行しました。

それでも、
碓氷峠が「普通の鉄道」になったわけではありません。
峠を越える列車にはEF63を連結する。

一部の電車には、
EF63と力を合わせて走るための協調運転装置まで搭載する。

鉄道が山を征服したのではありません。
時代ごとの最新技術を持ち込みながら、
列車の側が、
最後までこの山に合わせ続けたのです。

そして1997年9月30日。

長野新幹線開業を翌日に控え、
信越本線・横川―軽井沢間はその役目を終えました。

1893年の開業から104年。

アプト式。
電化。
新線。
EF63。
協調運転。

時代が変わるたび、
人々は新しい方法を考え、
それでもこの峠に列車を通し続けました。

なぜ、そこまでして鉄道を通したのか。

なぜ、100年以上もこの難所と戦い続けたのか。

廃止から29年を経て9月30日から始まる新連載
【日本の鉄道難所】
「鉄路をつなげ――自然に挑んだ鉄道マンたち」。

第1章は、
碓氷峠・横軽です。

66.7‰。

たった三文字の数字の裏に、
どれほどの人間の執念と技術が積み重なっていたのか。

鉄道を通す場所じゃない。

それでも、
人々はここに線路を敷いた。

1893年4月1日の開業から、
1997年9月30日の廃止まで。

その104年6か月に及ぶ碓氷峠の鉄路の歴史を、
ここから辿ります。

(マイミー)

【鉄道を通す場所じゃない】それでも人々は碓氷峠に線路を敷いた

【鉄道を通す場所じゃない】それでも人々は碓氷峠に線路を敷いた

ブログに戻る

コメントを残す