【なぜここに鉄道を通した】最大66.7‰、碓氷峠「横軽」104年の闘い

【なぜここに鉄道を通した】最大66.7‰、碓氷峠「横軽」104年の闘い

マイミー

横川から軽井沢まで、わずか11kmあまり。
地図だけ見れば短い距離です。

でも、実際に碓氷峠へ行くと、
「よくここに鉄道を通したな」と思います。

山は深く、谷は急。
横川と軽井沢の標高差は500mを超え、
最大勾配は66.7‰。

鉄道にとっては、あまりにも急です。
それでも1893年、
横川と軽井沢の間に線路がつながりました。

ここを越えなければ、
東京側から延びてきた鉄道と、
長野、直江津方面へ続く鉄道が一本につながらない。

避けて通れない。
なら、越えるしかない。

そのために採用されたのがアプト式でした。
線路の中央に歯形のラックレールを置き、
機関車側の歯車を噛ませて登る。

今見れば特殊な仕組みですが、
当時はそこまでしなければ、
この峠を越えることができませんでした。

26本のトンネル。
18の橋梁。

今も残る「めがね橋」も、
最初から観光名所として造られたわけではありません。
列車を通すために必要だった。
ただ、それだけです。

ところが、
線路ができても苦労は終わりませんでした。
蒸気機関車で峠を登れば、
連続するトンネルの中に煙と煤がこもる。
時間もかかる。
輸送力にも限界がある。

そこで1912年には電化。
さらに戦後、
列車が増えれば、
今度はアプト式そのものが輸送の壁になっていきました。

そして1963年。

国鉄はアプト式をやめ、
新線による粘着運転へ切り替えます。

ここで登場したのがEF63でした。
碓氷峠専用。
ただ列車を押すための機関車ではありません。

66.7‰を登らせ、
そして下り坂では、
何があっても列車を止める。

横川側に連結されたEF63は、
この峠を越える列車の命を預かりました。

「あさま」が横川に着く。
EF63が近づいてくる。
連結する。
確認する。
そして、峠へ向かう。

特急も、急行も、普通列車も、
ここを越える列車は、
横川でひと手間かけなければ先へ進めませんでした。
今の感覚なら、非効率です。
でも、それが横軽でした。

ホームではEF63の連結を待ち、
釜めしを買う乗客がいて、
やがて列車は軽井沢へ向けて動き出す。

そんな光景が、
何十年も当たり前のように続いていました。

そして1997年9月30日。
その日常が終わります。

最後の日も、
横川ではいつものようにEF63が連結され、
列車は峠へ向かいました。
昨日までと同じ動き。
昨日までと同じ音。

でも、その一つひとつが最後でした。

多くの人が横川に集まり、
見慣れたはずの連結作業を見つめ、
峠へ消えていく列車を見送りました。

翌日には長野新幹線が開業。
信越本線・横川―軽井沢間は廃止されました。

1893年から104年。

最初は歯車で山に食らいつき、
次に電気の力を使い、
最後はEF63が列車を押し上げた。
方式は何度も変わりました。

でも、
横軽がやってきたことは最初から最後まで同じです。
横川と軽井沢の間にある、
この険しい山を越える。
そのためだけに、
鉄道は何度も姿を変えました。

普通なら、
廃線になれば痕跡は少しずつ消えていきます。
線路が剥がされ、建物がなくなり、
車両も姿を消していく。
でも横川は違いました。

めがね橋。
旧丸山変電所。
残された線路。
そしてEF63。

さらに旧横川運転区の跡地には、
碓氷峠鉄道文化むらが残りました。

横軽の歴史は、
車両だけ残しても伝わりません。

なぜEF63が必要だったのか。
なぜ横川で連結したのか。
なぜこの町にこれほど大きな鉄道施設があったのか。

その理由まで含めて残っている。
ただ昔の車両を並べただけではない。

横軽で実際に使われたEF63を、
今も動かしている。
講習を受ければ、
本物のEF63を自分で運転することもできる。

廃止から長い時間が経った今も、
横川へ行けば、
あの峠を越えた機関車の音がする。
横軽はもうありません。

列車が横川から軽井沢へ登っていくこともありません。
それでも、
橋も、変電所も、線路も、機関車も残った。

だから今でも、
104年間ここで何が行われていたのかを、
現物を見ながら知ることができます。

1997年9月30日。

あの日、
横川から軽井沢へ向かう列車は止まりました。

けれど、
104年間この峠と向き合ってきた鉄道の記憶まで、
一緒に消えたわけではありません。

最大66.7‰。
なぜ、そこまでしてこの峠を越えなければならなかったのか。
なぜ、専用の機関車まで造ったのか。

そして、
なぜ横軽は104年間も走り続けることができたのか。

9月30日。

横軽が止まったこの日に、
その答えをもう一度辿ります。

次回の記事は、
66.7‰。

碓氷峠は、
なぜこれほどまでの急勾配になったのか。
104年間の歴史を少しずつ辿ってみましょう。

(マイミー)

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