【時代を生き抜いた鉄道車両特集Vol.1】EF55形1号機・「戦火の痕跡をその身に残した流線形電気機関車」

【時代を生き抜いた鉄道車両特集Vol.1】EF55形1号機・「戦火の痕跡をその身に残した流線形電気機関車」

マイミー

昭和11年、1936年。
日本の鉄道に、一際異彩を放つ電気機関車が登場しました。

丸みを帯びた前頭部。
継ぎ目を感じさせない流麗な車体。

その名は・・・

「EF55形電気機関車」

世界的な「流線形ブーム」のなかで誕生した、鉄道省の旅客用電気機関車です。
製造されたのは、わずか3両。

その中の1両、EF55 1は、特急「燕」や「富士」など、当時を代表する列車の先頭にも立ちました。
華やかな時代を走った流線形機関車。

しかし、その姿にもやがて戦争の影が落ちていきます。

機関車に残された「戦争の記録」

1945年。
EF55 1は、沼津機関区に留置されていた際、米軍機による機銃掃射を受けました。
その被害は、車体16か所に及んだとされています。

これは単なる逸話では無く、
EF55形の「電気機関車履歴簿」には、当時受けた銃撃の被害状況が記録として残されています。

さらに現在保存されているEF55 1の運転室天井には、
その時のものとされる銃撃痕が今なお残されています。

鉄道車両は、本来、人や物を運ぶためのものです。
けれど戦時下では、鉄道そのものが軍事輸送や国家の物流を担う重要な存在となり、駅や線路、車両もまた戦火と無縁ではいられませんでした。

EF55 1に残された傷は、その時代を実際に走った鉄道車両だからこそ持つ、ひとつの歴史の証でもあります。

「EF55 1の物語は、戦後も続いていく。」

EF55 1は戦火をくぐり抜け、戦後も鉄路に残りました。

小さな改造を重ねながら、連合軍専用列車や特急復活に向けた試運転列車の牽引などにも使用されます。
しかし、流線形の車体は美しい反面、前後非対称という特殊な構造を持っていました。

電気機関車でありながら、基本的には流線形側を先頭にして走るため、運用によっては方向転換が必要になるという不便さもありました。

やがて新しい機関車が登場する中で第一線を退き、
1964年に廃車。
普通なら、ここで一両の機関車の歴史は終わります。

ところがEF55 1は、終わりませんでした。
廃車後も高崎で保存され、そして22年後の1986年・・・

"まさかの車籍復帰"

一度「廃車」となった機関車が、再び本線へ帰ってきたのです。
旧型客車や12系などを牽きながら、高崎線、上越線、信越本線などを走行。

独特の丸い顔から、鉄道ファンにはいつしか「ムーミン」の愛称で親しまれるようになりました。
ただ、この「ムーミン」という愛称が広く使われるようになったのは復帰後のこと。
現役当時には、その独特な姿から「ドタ靴」「靴のお化け」「カバ」などとも呼ばれていたといわれます。
今の可愛らしい愛称とは、ずいぶん雰囲気が違いますね。

そして2009年。
73歳となったEF55 1は、ついに現役を退きます。
その後も解体されることなく保存され、2015年からは鉄道博物館で展示されています。

「一両の機関車が、語れること。」

1936年に生まれ、
戦前の華やかな特急列車を牽き、
戦争では銃撃を受け、
戦後の混乱を走り、
一度は廃車となり、
そして再び鉄路へ戻ったEF55 1。

その車体に残る傷を、格好いいとも、美しいとも言えません。
ただその傷が、80余年前に鉄道もまた戦火の中にあったことを、
現代の私たちへ静かに伝えています。

戦火を越え、廃車を越え、それでも残った流線形機関車。

EF55形1号機。

いま鉄道博物館に佇むその姿は、一両の保存車両であると同時に、

”激動の昭和を生き抜いた、鉄道史の証人"

とも言えるのではないでしょうか。

(マイミー)

【時代を生き抜いた鉄道車両特集Vol.1】EF55形1号機・「戦火の痕跡をその身に残した流線形電気機関車」

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