Mr.DIMER Journal

【時代を生き抜いた鉄道車両特集Vol.3】広島電鉄650形・「あの日を生き抜き、再び広島を走った被爆電車」

【時代を生き抜いた鉄道車両特集Vol.3】広島電鉄650形・「あの日を生き抜き、再び広島を走っ...

昭和17年、1942年。広島の街に、5両の新しい路面電車が登場しました。 その名は・・・ 「広島電鉄650形」 651号から655号までの5両。戦時下の輸送を支えるために生まれたこの電車は、わずか3年後、想像を絶する一日を迎えることになります。 "1945年8月6日午前8時15分" 広島に原子爆弾が投下されました。街は一瞬にして姿を変え、広島電鉄も甚大な被害を受けます。 当時、市内にあった電車108両が被災。 650形もまた、その戦火の中にいました。なかでも653号は江波付近で被爆し、大破。 本来なら、そのまま廃車となっていても不思議ではないほどの被害でした。 しかし、この電車の物語は、ここでは終わりません。 「それでも、電車は走った。」 原爆投下から、わずか3日後。広島電鉄は西天満町―己斐間で運転を再開します。 電気も水道も十分ではない。街には瓦礫が残り、多くの人々が家族を探していた時代です。そんな広島の街を、再び電車が走った。それは単なる交通機関の復旧ではありませんでした。 「街は、まだ生きている。」 電車の姿は、そんなことを人々に伝えていたのかもしれません。そして大破した653号も修復され、 "被爆から約4か月後には復旧"再び広島の街へ戻りました。 「被爆電車が、日常の電車へ。」 650形の特筆すべきは、保存するためだけに残されたことではありません。戦後も、ごく普通の営業車として人々を乗せ続けたことです。 学校へ向かう人。仕事へ向かう人。買い物へ出かける人。 かつて戦火を浴びた電車が、戦後の何気ない日常を運び続けました。現在も650形は3両が残されています。 651号と652号は、主に朝のラッシュ時などに営業運転。653号は2006年に一度引退しましたが、2015年に被爆当時の塗装へ復刻され、特別運行などで再び走るようになりました。そして654号も、現在は広島市交通科学館で保存されています。 「"被爆電車"という言葉の向こう側」 650形を前にすると、どうしても「被爆電車」という言葉が先に来ます。けれど、この車両が歩んだ80余年は、それだけではありません。 戦時中に生まれ、原爆を経験し、焼けた街へ戻り、戦後復興を支え、そして平和な時代の日常まで走り続けた。 一両の電車の時間の中に、戦前、戦争、復興、そして現代までの広島がつながっています。 その歴史を、美談だけにしてはいけないと思います。 ただ、あの日を実際に経験した鉄道車両が、いまも私たちの前に存在している。その事実には、やはり大きな意味があると思います。 "あの日を生き抜き、再び広島を走った被爆電車" 「広島電鉄650形」 戦火から復興へと歩んだ、広島の80余年そのものなのかもしれません。...

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【時代を生き抜いた鉄道車両特集Vol.3】広島電鉄650形・「あの日を生き抜き、再び広島を走っ...

昭和17年、1942年。広島の街に、5両の新しい路面電車が登場しました。 その名は・・・ 「広島電鉄650形」 651号から655号までの5両。戦時下の輸送を支えるために生まれたこの電車は、わずか3年後、想像を絶する一日を迎えることになります。 "1945年8月6日午前8時15分" 広島に原子爆弾が投下されました。街は一瞬にして姿を変え、広島電鉄も甚大な被害を受けます。 当時、市内にあった電車108両が被災。 650形もまた、その戦火の中にいました。なかでも653号は江波付近で被爆し、大破。 本来なら、そのまま廃車となっていても不思議ではないほどの被害でした。 しかし、この電車の物語は、ここでは終わりません。 「それでも、電車は走った。」 原爆投下から、わずか3日後。広島電鉄は西天満町―己斐間で運転を再開します。 電気も水道も十分ではない。街には瓦礫が残り、多くの人々が家族を探していた時代です。そんな広島の街を、再び電車が走った。それは単なる交通機関の復旧ではありませんでした。 「街は、まだ生きている。」 電車の姿は、そんなことを人々に伝えていたのかもしれません。そして大破した653号も修復され、 "被爆から約4か月後には復旧"再び広島の街へ戻りました。 「被爆電車が、日常の電車へ。」 650形の特筆すべきは、保存するためだけに残されたことではありません。戦後も、ごく普通の営業車として人々を乗せ続けたことです。 学校へ向かう人。仕事へ向かう人。買い物へ出かける人。 かつて戦火を浴びた電車が、戦後の何気ない日常を運び続けました。現在も650形は3両が残されています。 651号と652号は、主に朝のラッシュ時などに営業運転。653号は2006年に一度引退しましたが、2015年に被爆当時の塗装へ復刻され、特別運行などで再び走るようになりました。そして654号も、現在は広島市交通科学館で保存されています。 「"被爆電車"という言葉の向こう側」 650形を前にすると、どうしても「被爆電車」という言葉が先に来ます。けれど、この車両が歩んだ80余年は、それだけではありません。 戦時中に生まれ、原爆を経験し、焼けた街へ戻り、戦後復興を支え、そして平和な時代の日常まで走り続けた。 一両の電車の時間の中に、戦前、戦争、復興、そして現代までの広島がつながっています。 その歴史を、美談だけにしてはいけないと思います。 ただ、あの日を実際に経験した鉄道車両が、いまも私たちの前に存在している。その事実には、やはり大きな意味があると思います。 "あの日を生き抜き、再び広島を走った被爆電車" 「広島電鉄650形」 戦火から復興へと歩んだ、広島の80余年そのものなのかもしれません。...

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【時代を生き抜いた鉄道車両特集Vol.2】東急3600形・「戦災国電から生まれ変わった私鉄電車」

【時代を生き抜いた鉄道車両特集Vol.2】東急3600形・「戦災国電から生まれ変わった私鉄電車」

1945年。終戦を迎えた日本には、焼けた街だけでなく、無数の鉄道車両も傷ついた姿で残されていました。 空襲で焼損した国鉄電車。本来なら、そのまま役目を終えていても不思議ではありません。しかし当時の日本には、新しい車両を大量に造る余裕などありませんでした。 資材もない。車両も足りない。それでも、人は動かなければならない。 ならば知恵を振り絞り、残ったものを、もう一度使う。 そんな戦後の鉄道事情から生まれた車両のひとつが、「東急3600形」です。 元を辿れば「戦災国電」 東急3600系は、第二次世界大戦で被災した省線電車、つまり国鉄の前身である鉄道省・運輸省の電車を払い下げてもらい、復旧して誕生した車両群でした。 1948年から1950年代初頭にかけて登場し、デハ3600形16両、クハ3670形9両、クハ3770形12両。合計37両という大所帯になります。 特筆すべきは、その「復旧方法」。すべてが同じように造られたわけではありません。 比較的損傷の少なかった車両は、焼け残った鋼製車体を修復して再利用。一方、損傷が激しかった車両では、使える台枠などを残し、その上に新しい車体を載せる方法も採られました。 37両のうち、14両は戦災車の鋼体を修復して使用し、残る23両は主に台枠を利用して新たな車体を構築したとされています。 つまり同じ「3600系」と呼ばれていても、その生い立ちは一両一両違ったのです。 「大きく被災した国電が、東急の電車になる。」 ここが、この車両の特筆すべきところ。戦争中は国の鉄道を走っていた車両が、戦後は私鉄、東急の電車として再び走り始めました。 現在でも鉄道会社間で車両が譲渡される例はありますが、戦災車の焼け残った車体や台枠まで活用し、別会社の営業車として大量に復旧するという成り立ちは、戦後直後ならではのものでした。 「まだ走れるか」 その一点が特に重要だった時代です。 東急3600形は、東横線や目蒲線、池上線などで使用され、戦後の東京近郊輸送を支えていきました。後年には車体更新を受けた車両もあり、戦災復旧車だった面影を大きく変えながら走り続けます。 そして東急での役目を終えた後、一部はまた新たな会社へ渡り、さらに第二の土地でも活躍しました。 同じ車両」とは、何なのか。焼け残った車体を叩き直した車両。台枠だけを残し、新しい車体を載せた車両。さらに、その後もう一度車体を更新された車両。 ここまでくると、果たしてどこまでが「元の車両」なのか。そんな疑問さえ浮かんできます。 それでも、その台枠や部品の一部には確かに戦前の時間が流れていました。 戦火を受け、捨てるわけにもいかず、別の姿となり、再び人々を運んだ。 東急3600形。それは華やかな名車というより、 「走れるものは、もう一度走らせる」 そんな戦後日本の鉄道が持っていた、凄まじいまでの現実主義から生まれた電車でした。 戦災国電から、私鉄電車へ。姿を変えても、その鉄路は続いた。 東急3600形は、焼け跡から始まった戦後復興を、日々の輸送で支え続けた車両だったのです。 (マイミー)

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【時代を生き抜いた鉄道車両特集Vol.2】東急3600形・「戦災国電から生まれ変わった私鉄電車」

1945年。終戦を迎えた日本には、焼けた街だけでなく、無数の鉄道車両も傷ついた姿で残されていました。 空襲で焼損した国鉄電車。本来なら、そのまま役目を終えていても不思議ではありません。しかし当時の日本には、新しい車両を大量に造る余裕などありませんでした。 資材もない。車両も足りない。それでも、人は動かなければならない。 ならば知恵を振り絞り、残ったものを、もう一度使う。 そんな戦後の鉄道事情から生まれた車両のひとつが、「東急3600形」です。 元を辿れば「戦災国電」 東急3600系は、第二次世界大戦で被災した省線電車、つまり国鉄の前身である鉄道省・運輸省の電車を払い下げてもらい、復旧して誕生した車両群でした。 1948年から1950年代初頭にかけて登場し、デハ3600形16両、クハ3670形9両、クハ3770形12両。合計37両という大所帯になります。 特筆すべきは、その「復旧方法」。すべてが同じように造られたわけではありません。 比較的損傷の少なかった車両は、焼け残った鋼製車体を修復して再利用。一方、損傷が激しかった車両では、使える台枠などを残し、その上に新しい車体を載せる方法も採られました。 37両のうち、14両は戦災車の鋼体を修復して使用し、残る23両は主に台枠を利用して新たな車体を構築したとされています。 つまり同じ「3600系」と呼ばれていても、その生い立ちは一両一両違ったのです。 「大きく被災した国電が、東急の電車になる。」 ここが、この車両の特筆すべきところ。戦争中は国の鉄道を走っていた車両が、戦後は私鉄、東急の電車として再び走り始めました。 現在でも鉄道会社間で車両が譲渡される例はありますが、戦災車の焼け残った車体や台枠まで活用し、別会社の営業車として大量に復旧するという成り立ちは、戦後直後ならではのものでした。 「まだ走れるか」 その一点が特に重要だった時代です。 東急3600形は、東横線や目蒲線、池上線などで使用され、戦後の東京近郊輸送を支えていきました。後年には車体更新を受けた車両もあり、戦災復旧車だった面影を大きく変えながら走り続けます。 そして東急での役目を終えた後、一部はまた新たな会社へ渡り、さらに第二の土地でも活躍しました。 同じ車両」とは、何なのか。焼け残った車体を叩き直した車両。台枠だけを残し、新しい車体を載せた車両。さらに、その後もう一度車体を更新された車両。 ここまでくると、果たしてどこまでが「元の車両」なのか。そんな疑問さえ浮かんできます。 それでも、その台枠や部品の一部には確かに戦前の時間が流れていました。 戦火を受け、捨てるわけにもいかず、別の姿となり、再び人々を運んだ。 東急3600形。それは華やかな名車というより、 「走れるものは、もう一度走らせる」 そんな戦後日本の鉄道が持っていた、凄まじいまでの現実主義から生まれた電車でした。 戦災国電から、私鉄電車へ。姿を変えても、その鉄路は続いた。 東急3600形は、焼け跡から始まった戦後復興を、日々の輸送で支え続けた車両だったのです。 (マイミー)

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【時代を生き抜いた鉄道車両特集Vol.1】EF55形1号機・「戦火の痕跡をその身に残した流線形電気機関車」

【時代を生き抜いた鉄道車両特集Vol.1】EF55形1号機・「戦火の痕跡をその身に残した流線形...

昭和11年、1936年。日本の鉄道に、一際異彩を放つ電気機関車が登場しました。 丸みを帯びた前頭部。継ぎ目を感じさせない流麗な車体。 その名は・・・ 「EF55形電気機関車」 世界的な「流線形ブーム」のなかで誕生した、鉄道省の旅客用電気機関車です。製造されたのは、わずか3両。 その中の1両、EF55 1は、特急「燕」や「富士」など、当時を代表する列車の先頭にも立ちました。華やかな時代を走った流線形機関車。 しかし、その姿にもやがて戦争の影が落ちていきます。 機関車に残された「戦争の記録」 1945年。EF55 1は、沼津機関区に留置されていた際、米軍機による機銃掃射を受けました。その被害は、車体16か所に及んだとされています。 これは単なる逸話では無く、EF55形の「電気機関車履歴簿」には、当時受けた銃撃の被害状況が記録として残されています。 さらに現在保存されているEF55 1の運転室天井には、その時のものとされる銃撃痕が今なお残されています。 鉄道車両は、本来、人や物を運ぶためのものです。けれど戦時下では、鉄道そのものが軍事輸送や国家の物流を担う重要な存在となり、駅や線路、車両もまた戦火と無縁ではいられませんでした。 EF55 1に残された傷は、その時代を実際に走った鉄道車両だからこそ持つ、ひとつの歴史の証でもあります。 「EF55 1の物語は、戦後も続いていく。」 EF55 1は戦火をくぐり抜け、戦後も鉄路に残りました。 小さな改造を重ねながら、連合軍専用列車や特急復活に向けた試運転列車の牽引などにも使用されます。しかし、流線形の車体は美しい反面、前後非対称という特殊な構造を持っていました。 電気機関車でありながら、基本的には流線形側を先頭にして走るため、運用によっては方向転換が必要になるという不便さもありました。 やがて新しい機関車が登場する中で第一線を退き、1964年に廃車。普通なら、ここで一両の機関車の歴史は終わります。 ところがEF55 1は、終わりませんでした。廃車後も高崎で保存され、そして22年後の1986年・・・ "まさかの車籍復帰" 一度「廃車」となった機関車が、再び本線へ帰ってきたのです。旧型客車や12系などを牽きながら、高崎線、上越線、信越本線などを走行。 独特の丸い顔から、鉄道ファンにはいつしか「ムーミン」の愛称で親しまれるようになりました。ただ、この「ムーミン」という愛称が広く使われるようになったのは復帰後のこと。現役当時には、その独特な姿から「ドタ靴」「靴のお化け」「カバ」などとも呼ばれていたといわれます。今の可愛らしい愛称とは、ずいぶん雰囲気が違いますね。 そして2009年。73歳となったEF55...

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【時代を生き抜いた鉄道車両特集Vol.1】EF55形1号機・「戦火の痕跡をその身に残した流線形...

昭和11年、1936年。日本の鉄道に、一際異彩を放つ電気機関車が登場しました。 丸みを帯びた前頭部。継ぎ目を感じさせない流麗な車体。 その名は・・・ 「EF55形電気機関車」 世界的な「流線形ブーム」のなかで誕生した、鉄道省の旅客用電気機関車です。製造されたのは、わずか3両。 その中の1両、EF55 1は、特急「燕」や「富士」など、当時を代表する列車の先頭にも立ちました。華やかな時代を走った流線形機関車。 しかし、その姿にもやがて戦争の影が落ちていきます。 機関車に残された「戦争の記録」 1945年。EF55 1は、沼津機関区に留置されていた際、米軍機による機銃掃射を受けました。その被害は、車体16か所に及んだとされています。 これは単なる逸話では無く、EF55形の「電気機関車履歴簿」には、当時受けた銃撃の被害状況が記録として残されています。 さらに現在保存されているEF55 1の運転室天井には、その時のものとされる銃撃痕が今なお残されています。 鉄道車両は、本来、人や物を運ぶためのものです。けれど戦時下では、鉄道そのものが軍事輸送や国家の物流を担う重要な存在となり、駅や線路、車両もまた戦火と無縁ではいられませんでした。 EF55 1に残された傷は、その時代を実際に走った鉄道車両だからこそ持つ、ひとつの歴史の証でもあります。 「EF55 1の物語は、戦後も続いていく。」 EF55 1は戦火をくぐり抜け、戦後も鉄路に残りました。 小さな改造を重ねながら、連合軍専用列車や特急復活に向けた試運転列車の牽引などにも使用されます。しかし、流線形の車体は美しい反面、前後非対称という特殊な構造を持っていました。 電気機関車でありながら、基本的には流線形側を先頭にして走るため、運用によっては方向転換が必要になるという不便さもありました。 やがて新しい機関車が登場する中で第一線を退き、1964年に廃車。普通なら、ここで一両の機関車の歴史は終わります。 ところがEF55 1は、終わりませんでした。廃車後も高崎で保存され、そして22年後の1986年・・・ "まさかの車籍復帰" 一度「廃車」となった機関車が、再び本線へ帰ってきたのです。旧型客車や12系などを牽きながら、高崎線、上越線、信越本線などを走行。 独特の丸い顔から、鉄道ファンにはいつしか「ムーミン」の愛称で親しまれるようになりました。ただ、この「ムーミン」という愛称が広く使われるようになったのは復帰後のこと。現役当時には、その独特な姿から「ドタ靴」「靴のお化け」「カバ」などとも呼ばれていたといわれます。今の可愛らしい愛称とは、ずいぶん雰囲気が違いますね。 そして2009年。73歳となったEF55...

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【お盆特別連載】時代を生き抜いた鉄道車両

【お盆特別連載】時代を生き抜いた鉄道車両

みなさま、第二次世界大戦の終結から、80余年。 あの戦争では、日本の鉄道にも容赦なく戦火が降り注ぎました。 駅が焼けた。線路が断たれた。そして、毎日のように人々を運んでいた鉄道車両もまた、戦火の中に置かれました。 それでも...生き残った車両があります。 傷を負いながら修復され、再び鉄路へ戻った車両。 焼け残った台枠や部品を利用し、姿を変えながら戦後の輸送を支えた車両。 そして、戦火を生き抜き、80余年を経た現在まで、その歴史を私たちに伝えている車両。 Mr.DIMERでは、このお盆期間。いつもとは少し違った角度から、あの時代の鉄道に目を向けます。マイミーのお盆連載特集。 「時代を生き抜いた鉄道車両」 史実をもとに、一両一両の車両が戦時下で何を経験し、終戦後の混乱と復興の中で、日本の鉄道がどのように姿を変えていったのか。鉄道という視点から、80余年前の日本を3部作で辿っていきます。 本連載の執筆にあたっては、戦災によって被害を受けられた多くの先人の方々に、改めて敬意と感謝を捧げるとともに、犠牲となられた方々へ深い哀悼の意を込めて、筆を進めてまいります。 そして、戦争を賛美することも、特定の思想や立場に寄ることもありません。 残された記録と史実。そして、鉄道車両が辿ったその後の歩み。それらを通して、あの時代に何が起きていたのかを、静かに見つめていきたいと思います。 (マイミー)

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【お盆特別連載】時代を生き抜いた鉄道車両

みなさま、第二次世界大戦の終結から、80余年。 あの戦争では、日本の鉄道にも容赦なく戦火が降り注ぎました。 駅が焼けた。線路が断たれた。そして、毎日のように人々を運んでいた鉄道車両もまた、戦火の中に置かれました。 それでも...生き残った車両があります。 傷を負いながら修復され、再び鉄路へ戻った車両。 焼け残った台枠や部品を利用し、姿を変えながら戦後の輸送を支えた車両。 そして、戦火を生き抜き、80余年を経た現在まで、その歴史を私たちに伝えている車両。 Mr.DIMERでは、このお盆期間。いつもとは少し違った角度から、あの時代の鉄道に目を向けます。マイミーのお盆連載特集。 「時代を生き抜いた鉄道車両」 史実をもとに、一両一両の車両が戦時下で何を経験し、終戦後の混乱と復興の中で、日本の鉄道がどのように姿を変えていったのか。鉄道という視点から、80余年前の日本を3部作で辿っていきます。 本連載の執筆にあたっては、戦災によって被害を受けられた多くの先人の方々に、改めて敬意と感謝を捧げるとともに、犠牲となられた方々へ深い哀悼の意を込めて、筆を進めてまいります。 そして、戦争を賛美することも、特定の思想や立場に寄ることもありません。 残された記録と史実。そして、鉄道車両が辿ったその後の歩み。それらを通して、あの時代に何が起きていたのかを、静かに見つめていきたいと思います。 (マイミー)

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