【特集、お召し列車 Vol.4】貨物機からお召し牽引機へ<異例の出世を遂げたDD51形842号機>
マイミー共有
1971年、日立製作所で落成したDD51形842号機。
誕生時の姿は、お召し列車とはまったく無縁でした。
842号機は暖房用蒸気発生装置(SG)を搭載しない800番台として製造され、
貨物列車牽引用を目的としたグループの1両です。
SG関連機器やボイラーを省略したことで
約6トンの軽量化が図られ、
重量配分の見直しに合わせて
中間台車やブレーキ装置も専用仕様となるなど、
旅客用とは異なる設計が施されました。
つまり、生まれながらの"貨物機"。
本来であれば、お召し列車を牽引する存在ではありません。
しかし、その運命は1973年の千葉国体で大きく変わります。
この年、お召し列車の牽引機に抜擢された842号機は、
お召し列車専用の整備を受け、
一躍”特別なDD51”となりました。
最大の特徴となったのが、
ランボード側面に取り付けられたステンレスの飾り帯です。
さらにデッキ手すりや煙突カバーにもステンレス化が施され、
一般機とは一線を画す風格をまといます。
その後はJR東日本高崎第一機関区(後のぐんま車両センター)に所属し、
DD51形895号機とともにイベント列車や団体列車などでも活躍。
鉄道ファンには”お召し仕様のDD51”として広く知られる存在となりました。
しかし、842号機の真価は、その美しい姿だけではありません。
一度きりで終わると思われた栄誉が、
平成になって再び巡ってきたのです。
1997年、岩手県で開催された全国豊かな海づくり大会。
山田線・釜石線で運転されたお召し列車の牽引機に選ばれたのは、
地元配置機ではなく、高崎から送り込まれたDD51形842号機でした。
さらに2001年の宮城国体では東北本線・石巻線・気仙沼線で。
2002年の全国植樹祭では陸羽西線・羽越本線で。
いずれのお召し列車でも、
その大役を任されたのは842号機でした。
一般貨物機として誕生しながら、
昭和と平成を通じて4度ものお召し列車を牽引。
これはDD51形の中でも極めて異例の経歴であり、
まさに”一般機からお召し機へ出世した機関車”と言っても過言ではありません。
その歩みは、単なる幸運ではなく、
長年積み重ねてきた信頼と実績があったからこそ築かれたものだったのでしょう。
そして、そんな842号機にも終焉の時が訪れます。
2025年10月。
長年活躍した高崎を離れ、多くの名機が最後を迎えてきた
”終焉の地・長野総合車両センター(通称NN)”
へと旅立ちました。
お召し列車牽引機の証でもあったランボードのステンレス飾り帯や、デッキ手すり・煙突カバーなどの特別装飾は最後まで取り外されることなく、その誇りをまとったまま廃車となりました。
貨物機として誕生し、お召し列車という鉄道最高峰の任務を幾度となく務め上げたDD51形842号機。
華やかな専用機ではない。
生まれは一介の貨物機。
それでも、その走りでお召し列車牽引機へと上り詰めたDD51形842号機。
まさに、「生まれ持った運命を変えた機関車」。
DD51形842号機は、今なお多くの鉄道ファンの記憶の中で、誇り高き”お召し機”として生き続けています。
(マイミー)

