【新幹線を作った昭和日本の心意気 Vol.1】「当たり前」の正体

【新幹線を作った昭和日本の心意気 Vol.1】「当たり前」の正体

編集長

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暑い日々が続きますが、
みなさまいかがお過ごしでしょうか。
さて、短い"大人の夏休み"企画として、
"新幹線を作った昭和日本の心意気"を
5連載することと致しました。
激動の昭和が生み出した"新幹線"の話。
ぜひご期待下さい。
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出張で、旅行で、帰省で。

私たちは新幹線に乗ります。

改札を通り、ホームに上がり、
定刻通りに滑り込んできた列車に乗る。

そして、ほぼ定刻通りに目的地へ着く。

あまりに当たり前の光景。

さて、本連載では全5回にわたり、
この"当たり前"がいかにして生まれたのかを、
辿ってみたいと思います。

■世界初、という事実
1964年(昭和39年)10月1日、
東海道新幹線、東京~新大阪間開業。

営業最高速度210km/h。

これが、世界初の高速鉄道でした。

当時、欧州の主要幹線における
最高速度はおおむね160km/h前後。

つまり新幹線は、
既存の常識を一段飛ばしで
超えてしまったことになります。

"高速鉄道"という概念そのものを
世界に広めたのは、
この東海道新幹線であったと申せましょう。

■数字が語るもの
開業から60年余。

東海道新幹線では、
1日に最大400本近い列車が運転されながら、
年間平均遅延時分は、わずか12秒(2019年)。

車両や設備の異常、
運行側の不手際に起因する乗客の死亡事故は、
一度も起きておりません。

2011年には、
"最も安全な高速鉄道ネットワーク"として
ギネス世界記録に認定されています。

年間利用者数、約3億6000万人。

日本の総人口の、およそ3倍。

これらの数字を前にすると、
私たちの言う"当たり前"が、
いかに異常な水準の上に
成り立っているかが分かります。

■もっとも、一番列車は
1964年10月1日、
東京駅を発った記念すべき一番列車、
ひかり1号。

定員987名に対し、
乗客は730名ほどであったと伝わります。

満席では、なかったのです。

世界初の高速鉄道の門出としては、
いささか静かな船出。

もっともこれは、
無理からぬ話でもあります。

なにせ、
誰も乗ったことのない乗り物。
誰も見たことのない速度。

当時の人々にとって新幹線は、
"当たり前"どころか、
得体の知れない挑戦だったわけです。

■そして、忘れられていること
この計画、
当初は決して歓迎されたものではありませんでした。

時代は自動車と航空機の全盛。
鉄道は斜陽である、と語られた時代。

作家の阿川弘之氏曰く、
莫大な投資をして新幹線を造れば
"第2の戦艦大和"となり、
世界の物笑いの種になる、と
批判したと伝わります。

四面楚歌、とまでは言わずとも。
決して順風ではなかった。

にもかかわらず、
昭和の日本は、これを造った。

そして60年後の私たちは、
それを"当たり前"として
使っているのです。

次回Vol.2は、
「鉄道は斜陽である、と言われた時代」。

新幹線が置かれていた逆風の実像を、
覗いてみたいと思います。

(Mr.DIMER編集長)

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