ATO車に混ざって“手動運転”で切り抜けた103系のお話(前編)
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<最新鋭の地下鉄に現れた“旧世代”の新車>
■“型落ち”だった新製車
1983年、筑肥線は姪浜―唐津間の電化と同時に、
福岡市地下鉄との相互直通運転を開始しました。
これに合わせて国鉄が投入したのが、
103系1500番台です。
当時はすでに201系が登場し、
地下鉄直通用の203系も営業運転を始めていた時代。
それでも国鉄は、
実績のある103系を新製しました。
筑肥線では高価な省エネルギー車を投入しても、
首都圏ほど大きな効果を得にくかったことに加え、
当時の国鉄は深刻な財政難にありました。
1500番台は、
車体こそ201系に近い新設計とされたものの、
走行機器には従来の103系を踏襲。
抵抗制御やコイルばね台車を採用しました。
また、福岡市1000系とは異なり、
ATOも搭載されませんでした。
対する福岡市交通局の1000系は、
電機子チョッパ制御、空気ばね台車、ATOを備えた最新鋭車。
同じ直通運転のために用意された両者には、
登場時から明確な技術格差があったのです。
■103系だけが“手動運転”
福岡市地下鉄では、
筑肥線との直通開始から約10か月後となる
1984年1月20日、
ATOを使用したワンマン運転が始まりました。
ところがATOを持たない103系は、
地下鉄線内でも運転士が手動で操縦。
さらに車掌も乗務する
ツーマン運転を続けました。
2000年に登場したJR九州303系も
ATOを搭載していたため、
やがて地下鉄へ乗り入れる車両のなかで、
103系だけが手動運転という異質な存在となります。
■地下鉄側が抱えた“例外”
ホームドアの設置後も、
103系は車両扉とホームドアの連動に対応できませんでした。
そこで空港線では
ホームドアの開口幅を広く取り、
手動運転による停止位置の許容範囲を拡大。
103系の列車では、
車掌がホームドアを個別に操作しました。
つまり、
103系が最新の地下鉄システムへ適応したのではなく、
地下鉄側が手動運転、ツーマン乗務、
個別のホームドア操作という例外を設け、
ATOを持たない103系を受け入れたのです。
こうして103系1500番台は、
ATO車に混ざりながら、
手動運転のまま地下鉄直通を続けました。
しかし、運転方式の違いは補えても、
車両に進行する老朽化までは補い切れませんでした。
<後編>に続きます。
(Mr.DIMER編集長)

