【JRが発足した"その時"】100系はなぜJR西日本に継承されなかったのか(前編)
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1987(昭和62)年4月1日。
国鉄分割民営化によりJR各社が発足し、
東海道・山陽新幹線も新大阪を境に、
JR東海とJR西日本へと分割されます。
この際、
車両はどのように分配されたのでしょうか。
当時の最新鋭車両は、
1985(昭和60)年に営業運転を開始した100系。
東京~博多間の「ひかり」に充当され、
東海道のみならず、山陽新幹線においても日常的にその姿を見ることができました。
ところがJR発足時、国鉄が製造した100系は全車がJR東海へ。
JR西日本が承継した100系は、1両もありません。
対して同社へ渡ったのは、
製造から相当年数を経た0系だけ、でした。
最新型は東海へ。
旧型は西日本へ。
一見すれば、いささか偏った分配にも映ります。
しかし、その背景を辿ると、
単なる車両配置の都合ではなく、
国鉄分割民営化そのものが抱えていた
「会社間の収益力の差」が見えてくるのです。
■東海と西日本では、出発点が違った
JR東海が受け持つこととなった東海道新幹線は、
東京・名古屋・大阪という三大都市圏を結ぶ、
日本有数の高収益路線です。
対してJR西日本は、
山陽新幹線を有する一方、
京阪神の都市圏輸送に加え、
中国地方をはじめとする広大な在来線網も抱えることとなりました。
したがって、分割民営化の時点から、
JR東海とJR西日本とでは将来的な収益力に差が生じることが見込まれていたのです。
国鉄分割民営化に際しては、
各社が独立した企業として成り立つよう、
長期債務や新幹線施設に係る費用など、さまざまな調整が行われました。
しかし、それでもJR西日本の収支は、
JR東海ほど余裕のあるものではないと考えられていました。
そこで、さらに焦点となったのが、
「減価償却費」です。
■100系を持つということ
新製間もない100系は、
当然ながら帳簿上の資産価値も高く、保有すれば毎期計上される減価償却費も大きくなります。
もっとも、
減価償却費とは、車両を保有することで毎年その金額だけ現金が流出する、というものではありません。
車両などの高額な資産について、
その取得価額を使用期間に応じて各年度の費用として配分していく、会計上の経費です。
したがって、
100系を多く承継すれば直ちに現金が失われるわけではありません。
しかし、毎期の費用計上額は大きくなり、
会社の帳簿上の損益を圧迫します。
分割民営化に際しては、
JR西日本の発足後の収支を成立させるため、
この減価償却費についても調整が図られました。
そこで、
新製間もない100系はJR東海へ。
既に減価償却の進んでいた0系はJR西日本へ。
新幹線車両についても、
こうした整理が行われることとなったのです。
■新型車を持つことが、必ずしも有利とは限らない
鉄道趣味の目線では、
「新型車を多く持つ会社ほど恵まれている」
と捉えがちです。
しかし、会社経営の観点から眺めれば、
新しい車両は同時に「高価な資産」でもあります。
JR東海は、
東海道新幹線という極めて強力な収益基盤を有する会社として発足しました。
一方のJR西日本は、それよりも厳しい収支環境が想定されていた。
その差を少しでも縮めるため、
車両の資産価値にまで踏み込んだ調整が行われた、というわけです。
もっとも、
償却の進んだ旧型車を多く承継すれば、
それで万事都合が良いというわけでもありません。
0系は既に相応の車齢を重ねており、
JR西日本は発足後、早い段階から新幹線車両の更新を迫られることとなりました。
すなわち、
発足時の損益という一点では有利に働いても、
今度は車両更新という別の課題を抱えることになります。
100系がJR西日本へ継承されなかった背景には、
東海道新幹線を抱えるJR東海と、
相対的に厳しい経営環境が見込まれたJR西日本。
その両社の収益力の違いを見据えた、
国鉄分割民営化時の極めて現実的な調整があったのでした。
もっとも、ここで話は終わりません。
国鉄から100系を1両も受け継がなかったJR西日本は、
その僅か2年後、自らの手で100系を新製することとなります。
しかも、それは国鉄時代の100系を凌駕する、
JR西日本の威信を賭けた車両。
100N系――「グランドひかり」。
後編では、JR西日本が造り上げた“自社仕様の100系”について見て参ります。
(Mr.DIMER編集長)
