Mr.DIMER Journal
【インスタ Thanks 2000 follow】 2000系特集「JR四国2000系気動車」...
Instagramにおけるフォロワー様が2,000名を突破した記念に、 「2000」という数字縛りで特集を書いておりますが、いよいよ2,500名を超えるところまで来ており、 この連載もまもなく集結という所でございます。また、たくさんフォロー頂き、感謝感激でございます。 3,000名を突破するまでに、2000系(形)特集をアップして参りますので、ぜひ御付き合い下さい。 ----------------Mr.DIMER <常識を塗り替えた、世界初、制御付自然振り子式"高速気動車"。四国山地を駆け巡る> JR四国 2000系気動車は、1989年に登場した、世界初の「制御付自然振り子式」を採用した高速気動車です。 四国島内の高速道路網の拡充に対抗すべく、四国山地を縦断し急勾配・急カーブが続く 土讃線(香川県多度津駅~高知県高知駅)"特急列車の速度向上"を目的として導入されました。 それまで「電車に比べて遅い、重い」と言われていた気動車の常識を覆し、四国の鉄道高速化を牽引した名車と申せましょう。 ■揺り戻しによる"乗り物酔い"の軽減へ 従来の「自然振り子(381系など)」は、遠心力に任せて車体を傾けていたため、 カーブ進入時に傾斜が遅れ、「揺り戻し」による乗り物酔いを引き起こしていました。 2000系では、路線データをあらかじめコンピュータに登録することで、 走行地点を検知しながら、カーブ進入のタイミングに合わせてシリンダーで車体を傾斜させる技術を搭載。 これにより、半径600mのカーブでも「制限速度+30km/h」という異次元の高速通過を可能としました。 なお、線形データが入っていない線区では傾斜制御は使用できません。 ■2000系は更なる高速化へ 1995年には出力を強化した改良型の「N2000系」が登場。 2000系気動車が、最高速度120km/hであったのに対し、N2000系では、130km/h運転を実現し、 高徳線の特急「うずしお」などで活躍しました。 ■形式名も斬新な4桁 基本的に国鉄及び、それを継承したJR各社では、従来通りの車両形式基準に基づいて附番をしています。 JR四国では、この2000系気動車から、独自で4桁の車両形式の附番ルールを採用。 ちなみに、2000系命名の由来は、西暦2000年を目前に開発されたことから来ており、 2000年の劈頭(へきとう)を飾る意味合いがあったと言えます。 <毎度、鉄道メディア Mr.DIMER にお越し頂きありがとうございます>...
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Instagramにおけるフォロワー様が2,000名を突破した記念に、 「2000」という数字縛りで特集を書いておりますが、いよいよ2,500名を超えるところまで来ており、 この連載もまもなく集結という所でございます。また、たくさんフォロー頂き、感謝感激でございます。 3,000名を突破するまでに、2000系(形)特集をアップして参りますので、ぜひ御付き合い下さい。 ----------------Mr.DIMER <常識を塗り替えた、世界初、制御付自然振り子式"高速気動車"。四国山地を駆け巡る> JR四国 2000系気動車は、1989年に登場した、世界初の「制御付自然振り子式」を採用した高速気動車です。 四国島内の高速道路網の拡充に対抗すべく、四国山地を縦断し急勾配・急カーブが続く 土讃線(香川県多度津駅~高知県高知駅)"特急列車の速度向上"を目的として導入されました。 それまで「電車に比べて遅い、重い」と言われていた気動車の常識を覆し、四国の鉄道高速化を牽引した名車と申せましょう。 ■揺り戻しによる"乗り物酔い"の軽減へ 従来の「自然振り子(381系など)」は、遠心力に任せて車体を傾けていたため、 カーブ進入時に傾斜が遅れ、「揺り戻し」による乗り物酔いを引き起こしていました。 2000系では、路線データをあらかじめコンピュータに登録することで、 走行地点を検知しながら、カーブ進入のタイミングに合わせてシリンダーで車体を傾斜させる技術を搭載。 これにより、半径600mのカーブでも「制限速度+30km/h」という異次元の高速通過を可能としました。 なお、線形データが入っていない線区では傾斜制御は使用できません。 ■2000系は更なる高速化へ 1995年には出力を強化した改良型の「N2000系」が登場。 2000系気動車が、最高速度120km/hであったのに対し、N2000系では、130km/h運転を実現し、 高徳線の特急「うずしお」などで活躍しました。 ■形式名も斬新な4桁 基本的に国鉄及び、それを継承したJR各社では、従来通りの車両形式基準に基づいて附番をしています。 JR四国では、この2000系気動車から、独自で4桁の車両形式の附番ルールを採用。 ちなみに、2000系命名の由来は、西暦2000年を目前に開発されたことから来ており、 2000年の劈頭(へきとう)を飾る意味合いがあったと言えます。 <毎度、鉄道メディア Mr.DIMER にお越し頂きありがとうございます>...
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【心なき不届き者の成敗の話】
事例持ちと言われる発端となった事件。 マイミーです。 時は遡る事、駅務掛時代。 宿直勤務でさぁ仮眠をの時間。 30分寝たかな… けたたましい警報音で飛び起きる事になりました。 なんと側線に何者かが侵入したと。 そうそういるんですよたまにそう言う輩が。 部品窃盗団若しくは、なんらかの不届き者。 その時の当直助役がなにやらアタフタしてるんです。 誰か入ったぞー! 誰かいるぞー! そりゃおるがな。 警報鳴ってんだから。 警察!警察! 110番! 僕は騒いでないではよ通報しなさいよと思いながら、 見回りする準備をしていました。 その日の助役はパニック助役とあだ名される程、 テンパったら終了の助役。 マイミー!側◯番の◯◯番転轍あたり! ちょっ、ちょっと確認してきて! センサーが検知したあたりを見回りして来いとの指令。 あんたが行けよ… 何があるかわからないしなんか襲われたら嫌やなーと思い、 固い物固い物… ジスコン棒を両手に持ち、 ヘッドライトを付けて走ってその転轍機に向かいました。 そこにはもちろん留置車両があり、 猫とか猪とかだったらいいけどなーと思って確認すると、...
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事例持ちと言われる発端となった事件。 マイミーです。 時は遡る事、駅務掛時代。 宿直勤務でさぁ仮眠をの時間。 30分寝たかな… けたたましい警報音で飛び起きる事になりました。 なんと側線に何者かが侵入したと。 そうそういるんですよたまにそう言う輩が。 部品窃盗団若しくは、なんらかの不届き者。 その時の当直助役がなにやらアタフタしてるんです。 誰か入ったぞー! 誰かいるぞー! そりゃおるがな。 警報鳴ってんだから。 警察!警察! 110番! 僕は騒いでないではよ通報しなさいよと思いながら、 見回りする準備をしていました。 その日の助役はパニック助役とあだ名される程、 テンパったら終了の助役。 マイミー!側◯番の◯◯番転轍あたり! ちょっ、ちょっと確認してきて! センサーが検知したあたりを見回りして来いとの指令。 あんたが行けよ… 何があるかわからないしなんか襲われたら嫌やなーと思い、 固い物固い物… ジスコン棒を両手に持ち、 ヘッドライトを付けて走ってその転轍機に向かいました。 そこにはもちろん留置車両があり、 猫とか猪とかだったらいいけどなーと思って確認すると、...
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【憧れの懐中時計に"落とし穴"】
鉄道マンの携行品で必ず必要な物は、 時計です。 当時僕がいた会社のシェアNo.1はG-SHOCKでした。 デジタルやし、合わせるの楽やし、少々狂わんし。 でもね、そうなんです。 憧れるんですよ懐中時計。 ミーハーな私は特に。 カッコいいんだもん。 若かりし私は特に並々ならぬ憧れを持ってました。 乗務にとって時計は命。 15秒単位で運行する列車に狂いは禁物です。 私が一番初めに持った懐中時計は、 ヤフオクかなんかで買った、国鉄払い下げ品! みたいな懐中時計だったのを覚えてます。 毎日点呼で時計の清正を必ず行い秒針も合わせます。 でも僕が持ってた時計は、どこぞのお古。 買った時はウキウキで持っていきますよね。 肝心な事も考えずに。 そうです。 オーバーホールもしてないから、 狂う狂う。 乗務一本目でもう30秒狂ってるんですよ。 目が点になりました。 なんで気付いたかって、 その当時超怖い先輩とペア乗務だった時に 発車は00分15秒 45秒前にベルを鳴らし、 15秒前にドアを閉め、 05秒前に発射ブザー 秒単位の早発は許されるんですけど、(お客さんに見えない)...
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鉄道マンの携行品で必ず必要な物は、 時計です。 当時僕がいた会社のシェアNo.1はG-SHOCKでした。 デジタルやし、合わせるの楽やし、少々狂わんし。 でもね、そうなんです。 憧れるんですよ懐中時計。 ミーハーな私は特に。 カッコいいんだもん。 若かりし私は特に並々ならぬ憧れを持ってました。 乗務にとって時計は命。 15秒単位で運行する列車に狂いは禁物です。 私が一番初めに持った懐中時計は、 ヤフオクかなんかで買った、国鉄払い下げ品! みたいな懐中時計だったのを覚えてます。 毎日点呼で時計の清正を必ず行い秒針も合わせます。 でも僕が持ってた時計は、どこぞのお古。 買った時はウキウキで持っていきますよね。 肝心な事も考えずに。 そうです。 オーバーホールもしてないから、 狂う狂う。 乗務一本目でもう30秒狂ってるんですよ。 目が点になりました。 なんで気付いたかって、 その当時超怖い先輩とペア乗務だった時に 発車は00分15秒 45秒前にベルを鳴らし、 15秒前にドアを閉め、 05秒前に発射ブザー 秒単位の早発は許されるんですけど、(お客さんに見えない)...
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【人間ていいな】
日々色んな乗務をこなしていくと、 毎日毎日色んな乗客を乗せます。 マイミーさんですか!読んでるよ!って 言っていただいて上機嫌のマイミーです。笑(単純) とある日の記憶で、 発車時刻ギリギリ。構内踏切は鳴動中。 杖をついて買い物袋を下げながら小走りで急ぐ おばあちゃん。 走らんでええよー!待ってるからー! レチの私はドア扱いをせず乗車を待っていました。 田舎ならではの光景です。 ウテシにはごめんなさいなんですけどね。 するとおばあちゃんが乗る前に、 ありがとうねーと一言。 それだけでもほっこりするんですが、 時間は通学時間帯、 学生が多く乗り座席は空いていない。 すると地元の高校生(田舎のギャル)が、 すかさずどーぞと譲ろうと立ち上がる。 なんとそこにサラリーマンの男が堂々たるや 高校生のあけた座席に座る。 僕も臨戦体制で注意しようと、 乗務員室を出ようとしました。 そしたらなんとその高校生が、、、 「おう、おっさんダサいで?どきや あんたの為に譲ったんちゃうんよ このお婆ちゃんのために空けたんよ そこ退かなドツくで。」 つええええ。 それよりも見た目とは裏腹に、...
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日々色んな乗務をこなしていくと、 毎日毎日色んな乗客を乗せます。 マイミーさんですか!読んでるよ!って 言っていただいて上機嫌のマイミーです。笑(単純) とある日の記憶で、 発車時刻ギリギリ。構内踏切は鳴動中。 杖をついて買い物袋を下げながら小走りで急ぐ おばあちゃん。 走らんでええよー!待ってるからー! レチの私はドア扱いをせず乗車を待っていました。 田舎ならではの光景です。 ウテシにはごめんなさいなんですけどね。 するとおばあちゃんが乗る前に、 ありがとうねーと一言。 それだけでもほっこりするんですが、 時間は通学時間帯、 学生が多く乗り座席は空いていない。 すると地元の高校生(田舎のギャル)が、 すかさずどーぞと譲ろうと立ち上がる。 なんとそこにサラリーマンの男が堂々たるや 高校生のあけた座席に座る。 僕も臨戦体制で注意しようと、 乗務員室を出ようとしました。 そしたらなんとその高校生が、、、 「おう、おっさんダサいで?どきや あんたの為に譲ったんちゃうんよ このお婆ちゃんのために空けたんよ そこ退かなドツくで。」 つええええ。 それよりも見た目とは裏腹に、...
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【幻の581系】JR北海道に渡った"サハネ581形"(アーカイブ・リライト)
2017年4月8日、ほぼ半世紀にわたって活躍した世界初昼行夜行兼用583系特急型寝台電車の”さようなら”運転。 最後の生き残りであったJR東日本秋田支社所属のN1N2編成の引退により、583系は廃形式となりました。 さて、本日は北は青森から南は西鹿児島まで、文字通り”日本全国津々浦々”、電化されている路線すべてを走ることのできた583系(581系)にあって、それまで足を踏み入れることのなかった北海道へと渡りつつ、一度も営業運転されることなく廃車となった幻の”サハネ581″のお話。 ■JR北海道に7両継承、サハネ581形 1987年の国鉄分割民営化を控えた1986年ダイヤ改正では、青森運転所に所属していた581・583系のうち中間付随車であるサハネ581形が7両札幌運転所へと転出しました。 国鉄時代、南福岡電車区(のちに向日町運転所に配置)・青森運転所に所属した同系列ですが、それまで青森~西鹿児島を運用の範囲としていた経緯からは、札幌への転出は意外ともいえます。 また、札幌運転所に転出した車両は、581・583系単体で運転できる”編成単位”の移動ではなく、中間車の、さらに付随車のみの7両ですから、これは581・583系電車としての運用を念頭に置かない、何らかの車両へと改造することを目的としたものだったのでしょう。 結局、国鉄当時、JRの区分で言う東日本地区・東海地区・西日本地区・九州地区で活躍した581・583系は、国鉄分割民営化により、JR東日本・JR西日本、そして一度も運行した実績のないJR北海道の3社へと継承されています。 こののち、JR北海道では種車の経年劣化が著しかったことや、改造計画の見直しを実施するに至り結局営業運転には復帰することなく、廃車されてしまいました。 ■かろうじて台車のみ流用 7両ともすべて廃車となったJR北海道所属、7両の”幻のサハネ581形”。 残念な結果に終わったとはいえ、この後、台車のみがキハ183系”クリスタルエクスプレス トマム & サホロ号”用・キサロハ182-5101に流用されており、2019年9月まで活躍しました。 ■581系・583系電車概略 動力分散式の昼夜兼用特急型電車として、直流・交流60Hz対応の581系が1967年。直流・交流50/60Hz対応の583系が1968年に登場。 世界的に見ても本系列の最大の特徴である”本格的な寝台電車”の出現は、581系・583系が世界初となります。 581・583系の登場は、当時の日本の鉄道が抱える諸問題に対して、その打開策を得るべく開発されます。 1960年代になると、昼行列車においては加速・減速に優れ、上り勾配でも高速化の期待できる電車および気動車による”動力分散方式”を広く採用するようになりました。 これは、日本の抱える鉄道事情によるものが大きいのですが、島国である我が国は地形が複雑で、こう配・曲線の多用されている路線を走行するには、動力を集中式にするよりもそれぞれの車両の床下に機器類を”分散”させることでより大きな動力が得られるから、だったのです。 その一方で、夜行列車については夜間走行時の静粛性が求められる点から動力の分散方式は採用されず、在来方式の機関車による客車けん引、”動力集中方式”が未だに主流でした。 しかし、これが夜行列車を総じて、高速化の妨げ・車両運用の非効率に繋がっていたわけです。 また、当時好景気による輸送需要の拡大に対して、優等列車の増発は容量のひっ迫する車両基地のキャパシティを越えるようになり、いくつかの機能や運用用途を集約した高効率な車両の開発へと目が向けられました。 これら、「動力の分散化」による高速化の実現で長距離列車の増発、「昼夜兼用」車輌とすることで、昼も夜も運行可能な車両とし、待機時間・待機場所の削減を実現するための要素を兼ね備えて登場したのでした。 昼間は座席、夜間は寝台へと変化できる仕組みは、車両運用の効率化に大きく貢献しました。 <毎度、鉄道メディア Mr.DIMER にお越し頂きありがとうございます>
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2017年4月8日、ほぼ半世紀にわたって活躍した世界初昼行夜行兼用583系特急型寝台電車の”さようなら”運転。 最後の生き残りであったJR東日本秋田支社所属のN1N2編成の引退により、583系は廃形式となりました。 さて、本日は北は青森から南は西鹿児島まで、文字通り”日本全国津々浦々”、電化されている路線すべてを走ることのできた583系(581系)にあって、それまで足を踏み入れることのなかった北海道へと渡りつつ、一度も営業運転されることなく廃車となった幻の”サハネ581″のお話。 ■JR北海道に7両継承、サハネ581形 1987年の国鉄分割民営化を控えた1986年ダイヤ改正では、青森運転所に所属していた581・583系のうち中間付随車であるサハネ581形が7両札幌運転所へと転出しました。 国鉄時代、南福岡電車区(のちに向日町運転所に配置)・青森運転所に所属した同系列ですが、それまで青森~西鹿児島を運用の範囲としていた経緯からは、札幌への転出は意外ともいえます。 また、札幌運転所に転出した車両は、581・583系単体で運転できる”編成単位”の移動ではなく、中間車の、さらに付随車のみの7両ですから、これは581・583系電車としての運用を念頭に置かない、何らかの車両へと改造することを目的としたものだったのでしょう。 結局、国鉄当時、JRの区分で言う東日本地区・東海地区・西日本地区・九州地区で活躍した581・583系は、国鉄分割民営化により、JR東日本・JR西日本、そして一度も運行した実績のないJR北海道の3社へと継承されています。 こののち、JR北海道では種車の経年劣化が著しかったことや、改造計画の見直しを実施するに至り結局営業運転には復帰することなく、廃車されてしまいました。 ■かろうじて台車のみ流用 7両ともすべて廃車となったJR北海道所属、7両の”幻のサハネ581形”。 残念な結果に終わったとはいえ、この後、台車のみがキハ183系”クリスタルエクスプレス トマム & サホロ号”用・キサロハ182-5101に流用されており、2019年9月まで活躍しました。 ■581系・583系電車概略 動力分散式の昼夜兼用特急型電車として、直流・交流60Hz対応の581系が1967年。直流・交流50/60Hz対応の583系が1968年に登場。 世界的に見ても本系列の最大の特徴である”本格的な寝台電車”の出現は、581系・583系が世界初となります。 581・583系の登場は、当時の日本の鉄道が抱える諸問題に対して、その打開策を得るべく開発されます。 1960年代になると、昼行列車においては加速・減速に優れ、上り勾配でも高速化の期待できる電車および気動車による”動力分散方式”を広く採用するようになりました。 これは、日本の抱える鉄道事情によるものが大きいのですが、島国である我が国は地形が複雑で、こう配・曲線の多用されている路線を走行するには、動力を集中式にするよりもそれぞれの車両の床下に機器類を”分散”させることでより大きな動力が得られるから、だったのです。 その一方で、夜行列車については夜間走行時の静粛性が求められる点から動力の分散方式は採用されず、在来方式の機関車による客車けん引、”動力集中方式”が未だに主流でした。 しかし、これが夜行列車を総じて、高速化の妨げ・車両運用の非効率に繋がっていたわけです。 また、当時好景気による輸送需要の拡大に対して、優等列車の増発は容量のひっ迫する車両基地のキャパシティを越えるようになり、いくつかの機能や運用用途を集約した高効率な車両の開発へと目が向けられました。 これら、「動力の分散化」による高速化の実現で長距離列車の増発、「昼夜兼用」車輌とすることで、昼も夜も運行可能な車両とし、待機時間・待機場所の削減を実現するための要素を兼ね備えて登場したのでした。 昼間は座席、夜間は寝台へと変化できる仕組みは、車両運用の効率化に大きく貢献しました。 <毎度、鉄道メディア Mr.DIMER にお越し頂きありがとうございます>
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【インスタ Thanks 2000 follow】 2000系特集「小田急2000形」(Vol.3)
<輸送力増強、各駅停車8両化の立役者。"丁度よい"ワイドドア車> 1995年から2001年にかけて製造された小田急2000形電車は、新宿を発着する"各駅停車"の8両編成化による輸送力増強と、 その後は、在来の2600形8両編成を置き換えるために、登場・増備されました。 およそ100両以上が製造される小田急通勤車群と比較すると、総勢72両の2000形は、少数派の部類に入ります。 ■座席定員と乗降時間短縮の両立を図る 時は、1990年、小田急では乗降時間の短縮を狙って、 1000形電車の一部において、客用扉を2mに拡大した「ワイドドア車」を運用していました。 乗降時間の短縮には、効果を発揮したものの、 2mの扉幅により座席数が犠牲となります。 そこで、検証ののち、扉幅を40cm短縮し160cm(1,600mm)幅へと調整されたのが、 2000形ということになります。 ■小田急通勤型の決定版となるはずだった? 小田急において、混雑緩和に向けた従来車両の長編成化、輸送力増強を目的として導入された2000形ですが、 2600形の8連固定編成化の中止による需要の変化で、製造は少数で終了。 その後、環境負荷低減やコスト削減に主軸を置いて開発された、3000形に後進を譲ることとなります。 ■"小田急顔"正統進化の「最終形」 小田急通勤型の決定版として満を持して登場した2000形ですが、わずか72両の製造で終了、 運用も各駅停車を中心とするなど、地味な存在です。 とはいえ、斬新なデザインで人気を博した9000形のブラックフェイスデザイン、流麗な裾絞り車体を、 8000形を経てステンレス車として順当に継承した姿は、"小田急顔正統進化の最終形"と申しても、過言ではないでしょう。 <毎度、鉄道メディア Mr.DIMER にお越し頂きありがとうございます>
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<輸送力増強、各駅停車8両化の立役者。"丁度よい"ワイドドア車> 1995年から2001年にかけて製造された小田急2000形電車は、新宿を発着する"各駅停車"の8両編成化による輸送力増強と、 その後は、在来の2600形8両編成を置き換えるために、登場・増備されました。 およそ100両以上が製造される小田急通勤車群と比較すると、総勢72両の2000形は、少数派の部類に入ります。 ■座席定員と乗降時間短縮の両立を図る 時は、1990年、小田急では乗降時間の短縮を狙って、 1000形電車の一部において、客用扉を2mに拡大した「ワイドドア車」を運用していました。 乗降時間の短縮には、効果を発揮したものの、 2mの扉幅により座席数が犠牲となります。 そこで、検証ののち、扉幅を40cm短縮し160cm(1,600mm)幅へと調整されたのが、 2000形ということになります。 ■小田急通勤型の決定版となるはずだった? 小田急において、混雑緩和に向けた従来車両の長編成化、輸送力増強を目的として導入された2000形ですが、 2600形の8連固定編成化の中止による需要の変化で、製造は少数で終了。 その後、環境負荷低減やコスト削減に主軸を置いて開発された、3000形に後進を譲ることとなります。 ■"小田急顔"正統進化の「最終形」 小田急通勤型の決定版として満を持して登場した2000形ですが、わずか72両の製造で終了、 運用も各駅停車を中心とするなど、地味な存在です。 とはいえ、斬新なデザインで人気を博した9000形のブラックフェイスデザイン、流麗な裾絞り車体を、 8000形を経てステンレス車として順当に継承した姿は、"小田急顔正統進化の最終形"と申しても、過言ではないでしょう。 <毎度、鉄道メディア Mr.DIMER にお越し頂きありがとうございます>
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