Mr.DIMER Journal
【E233系史上初】千葉エリア車両ドア帯レス仕様へ
<20年間続いた“E233系の伝統”が、房総で変わった!?> 2006年、中央快速線への投入から始まったE233系。 オレンジ、青、緑、黄色――。 投入線区によって色こそ違えど、側面の帯は車体から乗降ドアまで連続して貼られている、というのがE233系共通のデザイン的特徴でした。 2026年10月から千葉エリアへ投入されるE233系では、その“当たり前”に変化が訪れます。 ■ドアに帯が無い? 2026年10月から、総武本線・成田線・外房線・内房線・東金線で営業運転を開始する予定のE233系。 他線区で使用されていた車両を6両編成へ改造し、現在使用されている209系を置き換える車両です。 外観には、房総の海をイメージした明るい青色と、菜の花をイメージした黄色を採用。 2021年3月に房総地区へ投入されたE131系0番台に準じたカラーリングとなりました。 導入されるE233系の側面を見ると、それまでのE233系のラインカラーパターンに違いのある事に気付きます。 青と黄色の帯は、乗降ドア部分で途切れているのです。 つまり、ドアそのものはステンレス地のまま、これまでのE233系には見られなかった、“ドア帯レス”仕様となりました。 ■E131系とデザインを合わせた? なぜドア部分から帯を無くしたのか。 JR東日本から、その理由そのものは公表されていないものの、今回のE233系は、カラーリングだけでなく、ワンマン運転対応や半自動ドアなど、房総地区で活躍するE131系との共通性を強く意識した仕様となっています。 そう考えると、帯の処理についてもE131系のデザインへ合わせたと見るのが自然でしょう。 2006年の登場から20年。 増備されるたび、路線ごと様々な色をまとってきたE233系ですが、 千葉へ渡ったE233系は、誕生から20年を経て、"第2の人生"を歩み始めた第一陣の動向であり、今後、転属等で、様々の形態差が見られるようになる形式、という意味ではこれからの動きが楽しみな車両の一つです。 (Mr.DIMER編集長)
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<20年間続いた“E233系の伝統”が、房総で変わった!?> 2006年、中央快速線への投入から始まったE233系。 オレンジ、青、緑、黄色――。 投入線区によって色こそ違えど、側面の帯は車体から乗降ドアまで連続して貼られている、というのがE233系共通のデザイン的特徴でした。 2026年10月から千葉エリアへ投入されるE233系では、その“当たり前”に変化が訪れます。 ■ドアに帯が無い? 2026年10月から、総武本線・成田線・外房線・内房線・東金線で営業運転を開始する予定のE233系。 他線区で使用されていた車両を6両編成へ改造し、現在使用されている209系を置き換える車両です。 外観には、房総の海をイメージした明るい青色と、菜の花をイメージした黄色を採用。 2021年3月に房総地区へ投入されたE131系0番台に準じたカラーリングとなりました。 導入されるE233系の側面を見ると、それまでのE233系のラインカラーパターンに違いのある事に気付きます。 青と黄色の帯は、乗降ドア部分で途切れているのです。 つまり、ドアそのものはステンレス地のまま、これまでのE233系には見られなかった、“ドア帯レス”仕様となりました。 ■E131系とデザインを合わせた? なぜドア部分から帯を無くしたのか。 JR東日本から、その理由そのものは公表されていないものの、今回のE233系は、カラーリングだけでなく、ワンマン運転対応や半自動ドアなど、房総地区で活躍するE131系との共通性を強く意識した仕様となっています。 そう考えると、帯の処理についてもE131系のデザインへ合わせたと見るのが自然でしょう。 2006年の登場から20年。 増備されるたび、路線ごと様々な色をまとってきたE233系ですが、 千葉へ渡ったE233系は、誕生から20年を経て、"第2の人生"を歩み始めた第一陣の動向であり、今後、転属等で、様々の形態差が見られるようになる形式、という意味ではこれからの動きが楽しみな車両の一つです。 (Mr.DIMER編集長)
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【国鉄が儲かっていたら…】715系は“3扉の713系”になっていた?
<幻に終わった713系量産車。その姿を想像してみます> 1984年。 長崎本線・佐世保線の普通列車電車化に際し、国鉄が投入した715系0番台。 それは、余剰となった581系寝台特急電車を普通列車用へ改造したものでした。 しかし、その前年となる1983年、国鉄はすでに、九州向けの新しい交流近郊形電車を開発していました。それが713系近郊形交流電車です。 ■試作車のみの製造で終わった713系 713系は1983年、2両編成4本のわずか8両が試作車として登場。 ところが国鉄財政の逼迫により、量産には至りません。 そのため、長崎・佐世保線の電車化には、新車713系の導入を試作車の製作のみで中止し、581系を出自とする715系を投入することとなります。 もし国鉄に十分な新車予算があったなら――。 715系は生まれず、713系が量産されていたことでしょう。 ■量産車も「2扉」だった? 713系900番台は、片側2扉の近郊形電車。 そのまま量産されていれば、2扉車が増備された可能性が最も自然でしょう。 しかし南福岡電車区に配置された715系は、長崎・佐世保線だけでなく、鹿児島本線の博多―鳥栖間などでも使用されます。 つまり、715系の役割を713系がすべて担うなら、北部九州の都市圏輸送にも"対応する仕様"でもよかった、と言えます。 ■「3扉713系」はあり得た? 当時の九州には、すでに415系という主力近郊形電車が存在しました。 20m級車体に、片側両開き3扉。 ならば713系も量産時、 「415系に近い3扉車体」+「713系の交流専用システム」 という姿へ発展していた可能性はなかったのでしょうか。 もちろん、 「713系量産車は3扉だった」 という史料が存在するわけではありません。 ここから先は、あくまで“もしも”です。 しかし。 後の歴史を見ると、この想像が面白くはなりませんでしょうか。 ■1990年代、「答え」が現れる 1989年に登場した811系。そして1994年に登場した813系。...
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<幻に終わった713系量産車。その姿を想像してみます> 1984年。 長崎本線・佐世保線の普通列車電車化に際し、国鉄が投入した715系0番台。 それは、余剰となった581系寝台特急電車を普通列車用へ改造したものでした。 しかし、その前年となる1983年、国鉄はすでに、九州向けの新しい交流近郊形電車を開発していました。それが713系近郊形交流電車です。 ■試作車のみの製造で終わった713系 713系は1983年、2両編成4本のわずか8両が試作車として登場。 ところが国鉄財政の逼迫により、量産には至りません。 そのため、長崎・佐世保線の電車化には、新車713系の導入を試作車の製作のみで中止し、581系を出自とする715系を投入することとなります。 もし国鉄に十分な新車予算があったなら――。 715系は生まれず、713系が量産されていたことでしょう。 ■量産車も「2扉」だった? 713系900番台は、片側2扉の近郊形電車。 そのまま量産されていれば、2扉車が増備された可能性が最も自然でしょう。 しかし南福岡電車区に配置された715系は、長崎・佐世保線だけでなく、鹿児島本線の博多―鳥栖間などでも使用されます。 つまり、715系の役割を713系がすべて担うなら、北部九州の都市圏輸送にも"対応する仕様"でもよかった、と言えます。 ■「3扉713系」はあり得た? 当時の九州には、すでに415系という主力近郊形電車が存在しました。 20m級車体に、片側両開き3扉。 ならば713系も量産時、 「415系に近い3扉車体」+「713系の交流専用システム」 という姿へ発展していた可能性はなかったのでしょうか。 もちろん、 「713系量産車は3扉だった」 という史料が存在するわけではありません。 ここから先は、あくまで“もしも”です。 しかし。 後の歴史を見ると、この想像が面白くはなりませんでしょうか。 ■1990年代、「答え」が現れる 1989年に登場した811系。そして1994年に登場した813系。...
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【ついに世代交代】EF65・DD51・DE10の仕事を継ぐ「DEC743形」が走り始めた
2026年。 やはり今年は、国鉄形車両にとってひとつの節目の年になりそうです。 JR西日本の新型事業用車「DEC743形」。 今年6月に姿を現して以降、各地で試運転が続けられています。 そして9月に入ると、DEC743-1とDEC743-2が「SLやまぐち号」で使用される35系客車5両を挟み、 山陽本線で性能試験を行う姿も見られるようになりました。 いよいよ、“試作車が出てきた”という段階から、 実際に機関車の仕事を引き継ぐための試験が進む段階へ入ってきたようです。 DEC743形が担うのは、これまでJR西日本で長年活躍してきた EF65形、DD51形、DE10形などが受け持ってきた仕事。 バラスト輸送。 レール輸送。 回送列車の牽引。 そして車両基地での入換。華やかな特急列車とは違います。 しかし、鉄道を裏側から支えるためには絶対に欠かすことのできない仕事です。 そこにも、 ついに国鉄形から新世代への世代交代の波がやって来ました。 DEC743形は、 ディーゼルエンジンで発電し、その電力でモーターを回して走る電気式気動車。 さらに蓄電池を組み合わせたハイブリッド方式が採用されています。 つまり見た目こそ機関車のようですが、分類上は「機関車」ではありません。 自ら走ることのできる事業用気動車です。 そして、この車両を初めて見たとき、国鉄好きなら少し気になるところがあります。 DEC743-1の車体。 朱色とグレー。 そこに白い帯。 どこか、国鉄時代のDF50形ディーゼル機関車を思わせる配色なのです。 DF50もまた、ディーゼルエンジンで発電し、その電力で主電動機を動かす「電気式ディーゼル機関車」でした。 もちろんDF50とDEC743では、生まれた時代も、技術も、目的もまったく違います。 それでも、半世紀以上の時を越えて、再び“電気式”という方式を持った車両が、国鉄形機関車たちの仕事を引き継ごうとしている。...
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2026年。 やはり今年は、国鉄形車両にとってひとつの節目の年になりそうです。 JR西日本の新型事業用車「DEC743形」。 今年6月に姿を現して以降、各地で試運転が続けられています。 そして9月に入ると、DEC743-1とDEC743-2が「SLやまぐち号」で使用される35系客車5両を挟み、 山陽本線で性能試験を行う姿も見られるようになりました。 いよいよ、“試作車が出てきた”という段階から、 実際に機関車の仕事を引き継ぐための試験が進む段階へ入ってきたようです。 DEC743形が担うのは、これまでJR西日本で長年活躍してきた EF65形、DD51形、DE10形などが受け持ってきた仕事。 バラスト輸送。 レール輸送。 回送列車の牽引。 そして車両基地での入換。華やかな特急列車とは違います。 しかし、鉄道を裏側から支えるためには絶対に欠かすことのできない仕事です。 そこにも、 ついに国鉄形から新世代への世代交代の波がやって来ました。 DEC743形は、 ディーゼルエンジンで発電し、その電力でモーターを回して走る電気式気動車。 さらに蓄電池を組み合わせたハイブリッド方式が採用されています。 つまり見た目こそ機関車のようですが、分類上は「機関車」ではありません。 自ら走ることのできる事業用気動車です。 そして、この車両を初めて見たとき、国鉄好きなら少し気になるところがあります。 DEC743-1の車体。 朱色とグレー。 そこに白い帯。 どこか、国鉄時代のDF50形ディーゼル機関車を思わせる配色なのです。 DF50もまた、ディーゼルエンジンで発電し、その電力で主電動機を動かす「電気式ディーゼル機関車」でした。 もちろんDF50とDEC743では、生まれた時代も、技術も、目的もまったく違います。 それでも、半世紀以上の時を越えて、再び“電気式”という方式を持った車両が、国鉄形機関車たちの仕事を引き継ごうとしている。...
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ATO車に混ざって“手動運転”で切り抜けた103系のお話(後編)
<切り抜けられなかった老朽化> ■地下鉄線内で発生した車両故障 2012年7月、唐人町駅に停車した103系1500番台で車両故障が発生しました。 4号車の床下から火花と煙が出ているとの通報があり、乗客を降ろして営業運転を打ち切りました。 調査の結果、主制御器内のタイマーリレーが誤作動し、減流抵抗器が焦損したことが判明。 JR九州は、103系18両の関係部品を交換する対策を実施しました。 列車を容易に退避させられない地下鉄では、一編成の故障が路線全体へ波及しかねません。 この一件は、地下鉄へ乗り入れる経年車の信頼性という問題を浮き彫りにすることとなりました。 ■305系投入で地下鉄から撤退 その後JR九州は、バリアフリー性や快適性、環境性能の向上を掲げ、新型車両305系の投入を発表します。 305系は2015年に営業運転を開始。 ATOを搭載し、地下鉄線内でのワンマン運転やホームドアとの連動に対応しました。 同年3月までに6両編成6本が揃い、103系1500番台は地下鉄直通運用から撤退しました。 ■103系の現在 ただし、103系1500番台そのものが全廃されたわけではありません。 3両編成は筑前前原―西唐津間に残り、地下鉄へ乗り入れない地域輸送へ活路を移しました。 103系は、ATOを持たないという装備上の見劣りを抱えながらも、およそ30年間にわたり直通運転を続けました。 しかし、東京臨海高速鉄道70-000形の譲受車による置換えが決まり、103系1500番台はいよいよ終幕へ向かいつつあります。 一方、2023年には登場40周年を記念し、デビュー当時の国鉄色を復刻した編成も登場、話題を集めていますが引退は必至。 ときに。実現が“難しいこと”は重々承知していますが。 最後に一度、福岡市地下鉄線内を走る姿を見たいところ。 (Mr.DIMER編集長)
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<切り抜けられなかった老朽化> ■地下鉄線内で発生した車両故障 2012年7月、唐人町駅に停車した103系1500番台で車両故障が発生しました。 4号車の床下から火花と煙が出ているとの通報があり、乗客を降ろして営業運転を打ち切りました。 調査の結果、主制御器内のタイマーリレーが誤作動し、減流抵抗器が焦損したことが判明。 JR九州は、103系18両の関係部品を交換する対策を実施しました。 列車を容易に退避させられない地下鉄では、一編成の故障が路線全体へ波及しかねません。 この一件は、地下鉄へ乗り入れる経年車の信頼性という問題を浮き彫りにすることとなりました。 ■305系投入で地下鉄から撤退 その後JR九州は、バリアフリー性や快適性、環境性能の向上を掲げ、新型車両305系の投入を発表します。 305系は2015年に営業運転を開始。 ATOを搭載し、地下鉄線内でのワンマン運転やホームドアとの連動に対応しました。 同年3月までに6両編成6本が揃い、103系1500番台は地下鉄直通運用から撤退しました。 ■103系の現在 ただし、103系1500番台そのものが全廃されたわけではありません。 3両編成は筑前前原―西唐津間に残り、地下鉄へ乗り入れない地域輸送へ活路を移しました。 103系は、ATOを持たないという装備上の見劣りを抱えながらも、およそ30年間にわたり直通運転を続けました。 しかし、東京臨海高速鉄道70-000形の譲受車による置換えが決まり、103系1500番台はいよいよ終幕へ向かいつつあります。 一方、2023年には登場40周年を記念し、デビュー当時の国鉄色を復刻した編成も登場、話題を集めていますが引退は必至。 ときに。実現が“難しいこと”は重々承知していますが。 最後に一度、福岡市地下鉄線内を走る姿を見たいところ。 (Mr.DIMER編集長)
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ATO車に混ざって“手動運転”で切り抜けた103系のお話(前編)
<最新鋭の地下鉄に現れた“旧世代”の新車> ■“型落ち”だった新製車 1983年、筑肥線は姪浜―唐津間の電化と同時に、福岡市地下鉄との相互直通運転を開始しました。 これに合わせて国鉄が投入したのが、103系1500番台です。 当時はすでに201系が登場し、地下鉄直通用の203系も営業運転を始めていた時代。 それでも国鉄は、実績のある103系を新製しました。 筑肥線では高価な省エネルギー車を投入しても、首都圏ほど大きな効果を得にくかったことに加え、当時の国鉄は深刻な財政難にありました。 1500番台は、車体こそ201系に近い新設計とされたものの、走行機器には従来の103系を踏襲。 抵抗制御やコイルばね台車を採用しました。 また、福岡市1000系とは異なり、ATOも搭載されませんでした。 対する福岡市交通局の1000系は、電機子チョッパ制御、空気ばね台車、ATOを備えた最新鋭車。 同じ直通運転のために用意された両者には、登場時から明確な技術格差があったのです。 ■103系だけが“手動運転” 福岡市地下鉄では、筑肥線との直通開始から約10か月後となる1984年1月20日、ATOを使用したワンマン運転が始まりました。 ところがATOを持たない103系は、地下鉄線内でも運転士が手動で操縦。 さらに車掌も乗務するツーマン運転を続けました。 2000年に登場したJR九州303系もATOを搭載していたため、やがて地下鉄へ乗り入れる車両のなかで、103系だけが手動運転という異質な存在となります。 ■地下鉄側が抱えた“例外” ホームドアの設置後も、103系は車両扉とホームドアの連動に対応できませんでした。 そこで空港線ではホームドアの開口幅を広く取り、手動運転による停止位置の許容範囲を拡大。 103系の列車では、車掌がホームドアを個別に操作しました。 つまり、103系が最新の地下鉄システムへ適応したのではなく、地下鉄側が手動運転、ツーマン乗務、個別のホームドア操作という例外を設け、ATOを持たない103系を受け入れたのです。 こうして103系1500番台は、ATO車に混ざりながら、手動運転のまま地下鉄直通を続けました。 しかし、運転方式の違いは補えても、車両に進行する老朽化までは補い切れませんでした。 <後編>に続きます。 (Mr.DIMER編集長)
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<最新鋭の地下鉄に現れた“旧世代”の新車> ■“型落ち”だった新製車 1983年、筑肥線は姪浜―唐津間の電化と同時に、福岡市地下鉄との相互直通運転を開始しました。 これに合わせて国鉄が投入したのが、103系1500番台です。 当時はすでに201系が登場し、地下鉄直通用の203系も営業運転を始めていた時代。 それでも国鉄は、実績のある103系を新製しました。 筑肥線では高価な省エネルギー車を投入しても、首都圏ほど大きな効果を得にくかったことに加え、当時の国鉄は深刻な財政難にありました。 1500番台は、車体こそ201系に近い新設計とされたものの、走行機器には従来の103系を踏襲。 抵抗制御やコイルばね台車を採用しました。 また、福岡市1000系とは異なり、ATOも搭載されませんでした。 対する福岡市交通局の1000系は、電機子チョッパ制御、空気ばね台車、ATOを備えた最新鋭車。 同じ直通運転のために用意された両者には、登場時から明確な技術格差があったのです。 ■103系だけが“手動運転” 福岡市地下鉄では、筑肥線との直通開始から約10か月後となる1984年1月20日、ATOを使用したワンマン運転が始まりました。 ところがATOを持たない103系は、地下鉄線内でも運転士が手動で操縦。 さらに車掌も乗務するツーマン運転を続けました。 2000年に登場したJR九州303系もATOを搭載していたため、やがて地下鉄へ乗り入れる車両のなかで、103系だけが手動運転という異質な存在となります。 ■地下鉄側が抱えた“例外” ホームドアの設置後も、103系は車両扉とホームドアの連動に対応できませんでした。 そこで空港線ではホームドアの開口幅を広く取り、手動運転による停止位置の許容範囲を拡大。 103系の列車では、車掌がホームドアを個別に操作しました。 つまり、103系が最新の地下鉄システムへ適応したのではなく、地下鉄側が手動運転、ツーマン乗務、個別のホームドア操作という例外を設け、ATOを持たない103系を受け入れたのです。 こうして103系1500番台は、ATO車に混ざりながら、手動運転のまま地下鉄直通を続けました。 しかし、運転方式の違いは補えても、車両に進行する老朽化までは補い切れませんでした。 <後編>に続きます。 (Mr.DIMER編集長)
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2つの"1500番台"引退への足音(103系/415系)
JR九州には現在、国鉄時代に生まれた2つの「1500番台」が残っています。 103系1500番台と、415系1500番台です。 両者の「1500」に直接の関係はありません。 しかし偶然にも、いずれも国鉄末期に登場し、JR九州へ継承され、そして今、相次いで終幕を迎えようとしています。 103系1500番台が製造されたのは1982年。 翌1983年に実施される筑肥線電化と福岡市地下鉄への直通運転に備え、6両編成9本、計54両が新製されました。 「103系」とはいうものの、従来車とは大きく異なる前面形状を持ち、地下鉄直通にも対応。 後年は303系、305系の登場によって地下鉄乗り入れから撤退し、現在は3両編成5本が筑前前原-西唐津間を中心に最後の活躍を続けています。 一方の415系1500番台は1986年に登場。 鋼製車体だった従来の415系から一転、211系に類似したステンレス車体を採用した、いわば415系の最終進化形でした。 九州にも国鉄時代から配置され、鋼製の415系が次々と姿を消していくなか、最後まで生き残ったのが、この1500番台です。 そんな2形式にも、ついに明確な「後継車」が示されました。 103系を置き換えるのは、東京臨海高速鉄道70-000形を改造する「307系」。 2027年春から2両編成5本が筑肥線へ投入され、103系5編成は定期運行を終了します。 そして415系には、JR東日本から譲り受けたE501系を改造した「501系」が登場。 2028年春から下関-小倉間へ投入され、415系を置き換える計画です。 昭和に生まれた2つの「1500番台」を送り出すのは、平成に生まれ、別の土地で一度役目を終えた車両たちです。 103系1500番台は車齢40年を超え、415系1500番台も間もなく40年。 偶然同じ番号を与えられ、国鉄からJR九州へ渡った2つの「1500番台」。 その長い歴史が、わずか1年違いで相次いで閉じられようとしています。 (Mr.DIMER編集長)
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JR九州には現在、国鉄時代に生まれた2つの「1500番台」が残っています。 103系1500番台と、415系1500番台です。 両者の「1500」に直接の関係はありません。 しかし偶然にも、いずれも国鉄末期に登場し、JR九州へ継承され、そして今、相次いで終幕を迎えようとしています。 103系1500番台が製造されたのは1982年。 翌1983年に実施される筑肥線電化と福岡市地下鉄への直通運転に備え、6両編成9本、計54両が新製されました。 「103系」とはいうものの、従来車とは大きく異なる前面形状を持ち、地下鉄直通にも対応。 後年は303系、305系の登場によって地下鉄乗り入れから撤退し、現在は3両編成5本が筑前前原-西唐津間を中心に最後の活躍を続けています。 一方の415系1500番台は1986年に登場。 鋼製車体だった従来の415系から一転、211系に類似したステンレス車体を採用した、いわば415系の最終進化形でした。 九州にも国鉄時代から配置され、鋼製の415系が次々と姿を消していくなか、最後まで生き残ったのが、この1500番台です。 そんな2形式にも、ついに明確な「後継車」が示されました。 103系を置き換えるのは、東京臨海高速鉄道70-000形を改造する「307系」。 2027年春から2両編成5本が筑肥線へ投入され、103系5編成は定期運行を終了します。 そして415系には、JR東日本から譲り受けたE501系を改造した「501系」が登場。 2028年春から下関-小倉間へ投入され、415系を置き換える計画です。 昭和に生まれた2つの「1500番台」を送り出すのは、平成に生まれ、別の土地で一度役目を終えた車両たちです。 103系1500番台は車齢40年を超え、415系1500番台も間もなく40年。 偶然同じ番号を与えられ、国鉄からJR九州へ渡った2つの「1500番台」。 その長い歴史が、わずか1年違いで相次いで閉じられようとしています。 (Mr.DIMER編集長)
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