【憧れのブルトレ Vol.3】日本列島縦断、黄金期を駆けた24系客車
編集長共有
<分散電源の14系を経て24系へ。ブルートレインの決定版、24系25形>
かつて日本全国を駆け巡った、「ブルートレイン」。
それは「動くホテル」の
異名を持つほど、快適な旅路を提供する列車でした。
前々回(憧れのブルトレ Vol.1)ご紹介した分散電源方式の14系客車を経て、
真打ちが登場します。
国鉄寝台客車の完成形とも言える24系客車、そしてその決定版である24系25形です。
■【おさらい】14系は分割運転に利。しかし分散電源方式による課題はいくつも…
1971年、14系客車の登場は、"多層建て列車"(運行中の分割・併合運転)の運転に不向きであった、
20系客車の抱える課題を解決、分散電源方式を採用しました。
20系客車では、集中電源方式を採用、つまり、客車列車の営業・サービス提供に必要な電力を、
編成中、1両の発電車両に集中することで列車全体の静粛性を確保したもの。
都市部から地方へと運行される寝台列車においては、
地方末端部まで長大編成で運転することは経済的でないことから、
途中拠点で分割、編成両数を減らし、行き先の分散を図ることで
経済的な運転形態を採ることを目的としました。
ゆえに、分散電源方式の採用は、編成ごとに電源車を用意せず、
それぞれの車両が床下に発電用エンジンを持つことで、容易に分割・併合運転ができるようになりました。
しかし、その効率性の裏には課題もありました。
客室の真下で稼働するエンジンの騒音と振動による居住性の悪化。
そして、1972年に発生した北陸トンネル火災事故を機に、車両の難燃化と安全性について
検討されることになります。
「客室の直下に火種(燃料とエンジン)を置く」という構造に対し、国鉄は方針転換を
執らざるを得ない状況となり、
14系寝台車の製造は一旦中止となりました。
■24系の誕生
14系の「分割の自由度」を必要としながらも、
安全性の確保に最重点を置き、1973年に誕生したのが24系です。
編成の端に巨大な発電機を積んだ電源車(カニ24など)を繋ぎ、編成全体に電力を供給する
「集中電源方式」へ20系ぶりに回帰しました。
この際、分割併合運転の容易さを必要としていた国鉄が
14系を改良せず、過去に戻るかのように集中電源方式の24系を製造したのは、
床下ディーゼル発電の難燃性技術を確立させることが短期間でできなかった、ということと推察します。
集中電源方式は、安全性は当然ながら、静粛性も取り戻したわけですから「走るホテル」の正常進化とも申せましょう。
24系は当初、
14系と同じく「3段式寝台」で登場。
そして、より快適なアコモデーション改良を施した、24系25形への製造へと移行するのです。
アコモ改善車である、24系の2段寝台車が登場してからは、車両タイプを区分するため、
3段寝台の24系を、24系24形客車と称するようになりました。
■寝台客車の決定版、24系25形へ移行
1974年、ブルートレインの完成形とも言える24系24形のマイナーチェンジ車、24系25形が登場。
25形新製当時、山陽新幹線博多延伸、空路の整備により、
今後、寝台列車の需要減少が見込まれる中にあって、
B寝台車では、3段寝台を2段寝台へ改める居住空間の改善を図ります。
外観では、14系に引き続き「青20号」の車体に、
白帯がステンレス製の銀帯に変化。
より、高級感のある見た目へと進化したと同時に、塗り直しの手間がなくなり、
整備性も向上しました。
24系24形、25形と共に、14系よりも
最多となる536両(新製車のみ)が製造。
長距離輸送の主力として、
関東-九州方面への富士、はやぶさ、
日本海・関西方面への出雲などの列車として広く活躍しました。
<毎度、鉄道メディア Mr.DIMER にお越し頂きありがとうございます>