Mr.DIMER Journal
【登場20周年】北陸の“標準車”となった521系の数奇な歩み
交直両用の近郊型電車と言えば、401・421系に始まり、そこから続く403・423系、そして、これら形式の決定版たる415系など、国鉄の香り漂う車両群が思い浮かぶところ。 一方、JR西日本発足後初の交直両用近郊型電車として誕生した521系は、今年(2026年)で登場から20周年を迎えます。 "国鉄車が長生きした"、と言うのもありますが、時代の主役はとうの昔に置き換わっていることを実感します。 さて本回は、521系電車のおはなし。 ■始まりは“敦賀直流化” 521系が営業運転を開始したのは、2006年11月30日。 同年10月に実施された北陸本線・長浜―敦賀間、湖西線・永原―近江塩津間の直流化に合わせて誕生しました。 JR西日本では初となる近郊型交直流電車です。 その姿を見れば分かる通り、当時、京阪神地区で主力となっていた223系の流れを色濃く汲む車両で、2両編成という小単位を基本としながら、最高速度は120km/h。 それまでの北陸本線には、413系、419系、475系など、国鉄時代に生まれた車両が数多く残っていましたが、521系は増備を重ねながら、これらを徐々に置き換えてゆくこととなります。 2012年頃には、521系と国鉄型が当たり前のように並んでいた北陸本線。 今となっては、これも懐かしい光景です。 ■ところが、北陸本線そのものが変わってゆく 521系にとって大きな転機となったのが、2015年3月の北陸新幹線・長野―金沢間開業でした。 これに伴い、北陸本線の金沢以東はJR西日本から経営分離。 石川県内はIRいしかわ鉄道、富山県内はあいの風とやま鉄道へと引き継がれます。 当然、この地を走っていた521系の一部も、新たに誕生した両社へと移籍しました。 ここから521系は、単なる「JR西日本の車両」ではなくなってゆきます。 あいの風とやま鉄道では、JR西日本から譲り受けた車両とは別に自社で新たな521系を増備。 当然と言えば当然ですが、JR西日本という会社の枠を越え、521系そのものが北陸地方におけるひとつの“標準規格”のような存在となっていったのです。 ■JR西日本でも、まだまだ増える 一方で本家であるJR西日本においても、521系の増備は終わりませんでした。 2020年には、七尾線向けとして100番台が登場。 それまで同線で使用されていた413系、415系800番台を置き換え、ここでも国鉄型車両から521系への世代交代が進みました。 登場時から2次、3次と改良を重ね、同じ521系を名乗りつつも、前面デザインや内装は20年という時代の中で世代差が生まれています。 ■そして、ついに“4社の521系”へ さらに2024年。 北陸新幹線が金沢から敦賀まで延伸したことで、北陸本線の金沢―敦賀間もJR西日本から経営分離されました。 石川県内はIRいしかわ鉄道へ、福井県内は新たに開業したハピラインふくいへ。 ここでもまた、521系が引き継がれます。...
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交直両用の近郊型電車と言えば、401・421系に始まり、そこから続く403・423系、そして、これら形式の決定版たる415系など、国鉄の香り漂う車両群が思い浮かぶところ。 一方、JR西日本発足後初の交直両用近郊型電車として誕生した521系は、今年(2026年)で登場から20周年を迎えます。 "国鉄車が長生きした"、と言うのもありますが、時代の主役はとうの昔に置き換わっていることを実感します。 さて本回は、521系電車のおはなし。 ■始まりは“敦賀直流化” 521系が営業運転を開始したのは、2006年11月30日。 同年10月に実施された北陸本線・長浜―敦賀間、湖西線・永原―近江塩津間の直流化に合わせて誕生しました。 JR西日本では初となる近郊型交直流電車です。 その姿を見れば分かる通り、当時、京阪神地区で主力となっていた223系の流れを色濃く汲む車両で、2両編成という小単位を基本としながら、最高速度は120km/h。 それまでの北陸本線には、413系、419系、475系など、国鉄時代に生まれた車両が数多く残っていましたが、521系は増備を重ねながら、これらを徐々に置き換えてゆくこととなります。 2012年頃には、521系と国鉄型が当たり前のように並んでいた北陸本線。 今となっては、これも懐かしい光景です。 ■ところが、北陸本線そのものが変わってゆく 521系にとって大きな転機となったのが、2015年3月の北陸新幹線・長野―金沢間開業でした。 これに伴い、北陸本線の金沢以東はJR西日本から経営分離。 石川県内はIRいしかわ鉄道、富山県内はあいの風とやま鉄道へと引き継がれます。 当然、この地を走っていた521系の一部も、新たに誕生した両社へと移籍しました。 ここから521系は、単なる「JR西日本の車両」ではなくなってゆきます。 あいの風とやま鉄道では、JR西日本から譲り受けた車両とは別に自社で新たな521系を増備。 当然と言えば当然ですが、JR西日本という会社の枠を越え、521系そのものが北陸地方におけるひとつの“標準規格”のような存在となっていったのです。 ■JR西日本でも、まだまだ増える 一方で本家であるJR西日本においても、521系の増備は終わりませんでした。 2020年には、七尾線向けとして100番台が登場。 それまで同線で使用されていた413系、415系800番台を置き換え、ここでも国鉄型車両から521系への世代交代が進みました。 登場時から2次、3次と改良を重ね、同じ521系を名乗りつつも、前面デザインや内装は20年という時代の中で世代差が生まれています。 ■そして、ついに“4社の521系”へ さらに2024年。 北陸新幹線が金沢から敦賀まで延伸したことで、北陸本線の金沢―敦賀間もJR西日本から経営分離されました。 石川県内はIRいしかわ鉄道へ、福井県内は新たに開業したハピラインふくいへ。 ここでもまた、521系が引き継がれます。...
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【同じ警笛じゃダメなの?】タイフォン・電笛・汽笛、3種類を積む理由
「ファーン!」 踏切やホームで、突然鳴らされる列車の警笛。 ところが運転台に立つ側からすると、警笛は単純に「危ないから鳴らす音」だけではありません。 車両によっては、タイフォン。電笛・メロディーホーン。そして、いわゆる汽笛(ホイッスル系)の空気笛。 性格の違う警笛を複数搭載し、状況によって鳴らし分けています。 でも、ちょっと待ってください。 危険を知らせるだけなら、一番大きな警笛を一つ積めば済みそうです。 なぜ、わざわざ何種類も必要なのでしょうか。 まず大前提として、鉄道車両の警笛は安全設備です。踏切や駅で列車の接近を知らせたり、危険を警告したり、鉄道従事員同士の合図として使われます。 国鉄型車両でおなじみなのが「タイフォン」。 代表的なAW-5形は、圧縮空気で振動板を鳴らす空気笛です。 「プァーン」という、太く存在感のある音。 103系や113系など、国鉄型電車の警笛として耳にした人も多いでしょう。 一方、機関車などで聞く、 「ピーッ!」 という鋭い音。 代表的なのがAW-2形のホイッスルです。これも圧縮空気で鳴らすため、広い意味では同じ「気笛」。 鉄道ファンの会話では、AW-5を「タイフォン」、AW-2を「汽笛」「ホイッスル」と呼び分けることがありますが、どちらも空気を使った警笛です。 では、なぜ二種類あるのか。 鍵になるのが、 「音の性格」です。 太いタイフォンと、鋭いホイッスルでは、周囲での聞こえ方が違います。 車両によっては、性格の違う空気笛を複数備えることで、状況に応じた警告が可能になります。 そして現在、よく使われるようになったのが「電笛」「電子警笛」です。 こちらは圧縮空気ではなく、電気的に音を発生させる警笛。 空気笛より柔らかな音色にできるため、沿線環境への配慮という意味でも普及してきました。 ホーム上の利用客へ「列車が来ますよ」と知らせたいだけなのに、 毎回、 「ファァァァン!」 では強烈すぎる。...
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「ファーン!」 踏切やホームで、突然鳴らされる列車の警笛。 ところが運転台に立つ側からすると、警笛は単純に「危ないから鳴らす音」だけではありません。 車両によっては、タイフォン。電笛・メロディーホーン。そして、いわゆる汽笛(ホイッスル系)の空気笛。 性格の違う警笛を複数搭載し、状況によって鳴らし分けています。 でも、ちょっと待ってください。 危険を知らせるだけなら、一番大きな警笛を一つ積めば済みそうです。 なぜ、わざわざ何種類も必要なのでしょうか。 まず大前提として、鉄道車両の警笛は安全設備です。踏切や駅で列車の接近を知らせたり、危険を警告したり、鉄道従事員同士の合図として使われます。 国鉄型車両でおなじみなのが「タイフォン」。 代表的なAW-5形は、圧縮空気で振動板を鳴らす空気笛です。 「プァーン」という、太く存在感のある音。 103系や113系など、国鉄型電車の警笛として耳にした人も多いでしょう。 一方、機関車などで聞く、 「ピーッ!」 という鋭い音。 代表的なのがAW-2形のホイッスルです。これも圧縮空気で鳴らすため、広い意味では同じ「気笛」。 鉄道ファンの会話では、AW-5を「タイフォン」、AW-2を「汽笛」「ホイッスル」と呼び分けることがありますが、どちらも空気を使った警笛です。 では、なぜ二種類あるのか。 鍵になるのが、 「音の性格」です。 太いタイフォンと、鋭いホイッスルでは、周囲での聞こえ方が違います。 車両によっては、性格の違う空気笛を複数備えることで、状況に応じた警告が可能になります。 そして現在、よく使われるようになったのが「電笛」「電子警笛」です。 こちらは圧縮空気ではなく、電気的に音を発生させる警笛。 空気笛より柔らかな音色にできるため、沿線環境への配慮という意味でも普及してきました。 ホーム上の利用客へ「列車が来ますよ」と知らせたいだけなのに、 毎回、 「ファァァァン!」 では強烈すぎる。...
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【京王線、詰め込みすぎ?】名物“団子運転”はなぜ生まれるのか
京王線を眺めていると、時々不思議な光景に出会います。一本の電車が通過したと思ったら、すぐ後ろからまた一本。そして、その後ろにも次の電車が見えている。 「ちょっと、詰め込みすぎじゃない?」 そんな京王線の光景を、鉄道ファンは俗に“団子運転”と呼びます。勿論公式の故障ではありません。ですが面白いことに、「列車が先行列車へ接近して速度が低下する」という現象自体は、京王も公式に説明しています。 では、なぜ京王線では電車が“団子”になるほど詰まるのでしょうか。 その答えを辿っていくと、京王線が戦後ずっと抱えてきた「限られた線路で、どうやって大量の乗客を運ぶか」という歴史に行き着きます。京王線の沿線人口が増え続けた高度成長期。京王は輸送力増強を迫られました。 1963年には新宿駅付近を地下化し、架線電圧も600Vから1500Vへ昇圧。同年には5000系を投入し、10月から新宿―東八王子間で特急運転を開始します。しかし、速くしただけでは増え続ける乗客は運べません。1963年には6両編成、1968年には7両編成、1975年には8両編成へ。さらに1972年には京王初の20m4扉車となる6000系を投入し、1982年には一部の急行系列車で10両運転まで始まりました。 つまり京王は、車両を大きくし、編成を長くし、それでも足りなければ列車本数を増やす。 徹底して一本の線路から輸送力を絞り出してきたのです。ここで京王線ならではの難しさが出てきます。ただ電車を等間隔に並べればいいわけではありません。 現在の京王線には、ライナー、特急、急行、区間急行、快速、各駅停車という6種類の列車種別があります。当然、停車駅も所要時間も違います。各駅停車の後ろから特急が追いかけてくる。途中駅では待避や接続を行う。さらに調布では京王線と相模原線の列車が合流し、笹塚側では都営新宿線への直通系統も絡みます。 速い列車と遅い列車、行先の違う列車を、限られた線路へ次々と流し込んでいかなければならない。しかも新宿―笹塚間を除けば、京王線の大部分は複線です。 これがポイントです。京王も何もしてこなかったわけではありません。 1978年には新宿―笹塚間の複々線化を完成させ、1980年には都営新宿線との相互直通運転を開始しました。それでも、その先の本線まで長い複々線が続くわけではない。 郊外から集まってくる列車を、最終的には限られた線路の中で順序よく捌かなければならない。ここに京王線の難しさがあります。 複々線なら、速達列車と各駅停車を別々の線路へ振り分けることができます。しかし複線では、基本的に同じ線路の上で列車の順番を組み立てなければなりません。 一本が少し遅れる。駅での乗降に時間がかかる。すると後続が追いつく。その後ろの列車も追いつく。 こうして列車と列車の間隔が縮まり、“団子”が出来上がるわけです。 そして、ここは誤解しやすいところです。“団子運転”という名前から、京王が最初から何本もの列車を固めて走らせているようにも聞こえますが、そういう意味ではありません。 高密度に組まれたダイヤの中で、一つの遅れや乗降時間の増加が後ろへ波及し、結果として列車間隔が縮まる。その姿が「団子」に見える、という話です。 しかもこれは、単なるファンの印象ではありません。京王電鉄は、朝ラッシュ時間帯などに列車が先行列車へ接近すると速度が低下し、踏切の遮断時間が長くなるため、調布以東の踏切に「定時間警報装置」を整備していると説明しています。 つまり京王自身も、「前の列車に接近して後続列車の速度が落ちる」ことを前提に設備を作っているのです。 そして、この高密度な運転を安全面から支えているのがATCです。京王線では2011年10月に従来のATSからATCへの切り替えを完了しました。 先行列車との間隔だけでなく、曲線、分岐、下り勾配、停車駅などの条件から、その列車が走れる適正速度を細かく制御する。前が詰まれば、後続列車もそれに合わせて速度を落とす。 ホームから見れば「また電車が来た!」という光景ですが、その裏側では、列車同士の間隔を守るための制御が絶えず働いているわけです。 こうして見ると、“団子運転”は単なるダイヤの乱れではありません。 もちろん遅延によって団子が強くなることはあります。しかし、その土台にあるのは、限られた線路へ大量の列車を走らせてきた京王線の歴史です。 編成を長くする。車両を大きくする。速達列車を走らせる。それでも足りなければ、本数を詰める。 戦後から続いた輸送力増強の積み重ねが、今の京王線につながっています。 一本通ったと思ったら、また一本。そしてその後ろにも、もう次の電車がいる。 京王線の“団子”は、ある意味では「複線をここまで使うか」という京王の執念が生んだ光景なのかもしれません。 (マイミー)...
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京王線を眺めていると、時々不思議な光景に出会います。一本の電車が通過したと思ったら、すぐ後ろからまた一本。そして、その後ろにも次の電車が見えている。 「ちょっと、詰め込みすぎじゃない?」 そんな京王線の光景を、鉄道ファンは俗に“団子運転”と呼びます。勿論公式の故障ではありません。ですが面白いことに、「列車が先行列車へ接近して速度が低下する」という現象自体は、京王も公式に説明しています。 では、なぜ京王線では電車が“団子”になるほど詰まるのでしょうか。 その答えを辿っていくと、京王線が戦後ずっと抱えてきた「限られた線路で、どうやって大量の乗客を運ぶか」という歴史に行き着きます。京王線の沿線人口が増え続けた高度成長期。京王は輸送力増強を迫られました。 1963年には新宿駅付近を地下化し、架線電圧も600Vから1500Vへ昇圧。同年には5000系を投入し、10月から新宿―東八王子間で特急運転を開始します。しかし、速くしただけでは増え続ける乗客は運べません。1963年には6両編成、1968年には7両編成、1975年には8両編成へ。さらに1972年には京王初の20m4扉車となる6000系を投入し、1982年には一部の急行系列車で10両運転まで始まりました。 つまり京王は、車両を大きくし、編成を長くし、それでも足りなければ列車本数を増やす。 徹底して一本の線路から輸送力を絞り出してきたのです。ここで京王線ならではの難しさが出てきます。ただ電車を等間隔に並べればいいわけではありません。 現在の京王線には、ライナー、特急、急行、区間急行、快速、各駅停車という6種類の列車種別があります。当然、停車駅も所要時間も違います。各駅停車の後ろから特急が追いかけてくる。途中駅では待避や接続を行う。さらに調布では京王線と相模原線の列車が合流し、笹塚側では都営新宿線への直通系統も絡みます。 速い列車と遅い列車、行先の違う列車を、限られた線路へ次々と流し込んでいかなければならない。しかも新宿―笹塚間を除けば、京王線の大部分は複線です。 これがポイントです。京王も何もしてこなかったわけではありません。 1978年には新宿―笹塚間の複々線化を完成させ、1980年には都営新宿線との相互直通運転を開始しました。それでも、その先の本線まで長い複々線が続くわけではない。 郊外から集まってくる列車を、最終的には限られた線路の中で順序よく捌かなければならない。ここに京王線の難しさがあります。 複々線なら、速達列車と各駅停車を別々の線路へ振り分けることができます。しかし複線では、基本的に同じ線路の上で列車の順番を組み立てなければなりません。 一本が少し遅れる。駅での乗降に時間がかかる。すると後続が追いつく。その後ろの列車も追いつく。 こうして列車と列車の間隔が縮まり、“団子”が出来上がるわけです。 そして、ここは誤解しやすいところです。“団子運転”という名前から、京王が最初から何本もの列車を固めて走らせているようにも聞こえますが、そういう意味ではありません。 高密度に組まれたダイヤの中で、一つの遅れや乗降時間の増加が後ろへ波及し、結果として列車間隔が縮まる。その姿が「団子」に見える、という話です。 しかもこれは、単なるファンの印象ではありません。京王電鉄は、朝ラッシュ時間帯などに列車が先行列車へ接近すると速度が低下し、踏切の遮断時間が長くなるため、調布以東の踏切に「定時間警報装置」を整備していると説明しています。 つまり京王自身も、「前の列車に接近して後続列車の速度が落ちる」ことを前提に設備を作っているのです。 そして、この高密度な運転を安全面から支えているのがATCです。京王線では2011年10月に従来のATSからATCへの切り替えを完了しました。 先行列車との間隔だけでなく、曲線、分岐、下り勾配、停車駅などの条件から、その列車が走れる適正速度を細かく制御する。前が詰まれば、後続列車もそれに合わせて速度を落とす。 ホームから見れば「また電車が来た!」という光景ですが、その裏側では、列車同士の間隔を守るための制御が絶えず働いているわけです。 こうして見ると、“団子運転”は単なるダイヤの乱れではありません。 もちろん遅延によって団子が強くなることはあります。しかし、その土台にあるのは、限られた線路へ大量の列車を走らせてきた京王線の歴史です。 編成を長くする。車両を大きくする。速達列車を走らせる。それでも足りなければ、本数を詰める。 戦後から続いた輸送力増強の積み重ねが、今の京王線につながっています。 一本通ったと思ったら、また一本。そしてその後ろにも、もう次の電車がいる。 京王線の“団子”は、ある意味では「複線をここまで使うか」という京王の執念が生んだ光景なのかもしれません。 (マイミー)...
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【国鉄型魔改造列車特集Vol.11】「これがキハ65?」ゴールデンエクスプレスアストルの大胆改造
これ、本当にキハ65?と思いませんか。 大きく回り込んだ前面窓。運転台より前方へ張り出した展望室。そして、原形をほとんど想像できない流線形の顔。 1988年、JR西日本・金沢支社に登場した「ゴールデンエクスプレスアストル」。 国鉄形急行用気動車を、ここまで変えてしまったジョイフルトレインでした。アストルの先頭車となったのは、キハ65 78とキハ65 514。 改造後はそれぞれキロ65 551・キロ65 1551となります。中間にはキハ28 2049を改造したキロ29 552を連結。 厳密にはキハ65形はキハ58形そのものではありませんが、キハ58系急行形気動車と編成を組んで活躍した、同世代の急行用気動車です。 では、なぜここまで大胆な改造が行われたのでしょうか。背景には、北陸で活躍していた「ゆぅトピア」がありました。 ゆぅトピアは気動車でありながら、485系特急「雷鳥」と併結して大阪方面から走り、電化区間では485系に牽かれ、非電化区間では自ら走るという離れ業をこなしていました。 しかし、編成は1本だけ。 検査時の代走や、増えつつあった団体列車需要に応える車両が必要になります。 そこで誕生したのがアストルでした。最大の見せ場は、やはり先頭部。 キハ65本来の貫通型前面は姿を消し、前頭部には大型曲面ガラスを使った展望室を新設。 客室から前方風景を楽しめる、当時のジョイフルトレインらしい豪華な構造となりました。 しかも単なる“観光用の改造車”ではありません。 先頭のキロ65形2両は、「ゆぅトピア」の代走として485系と併結できるよう、電車側との協調を考慮した設備を持っていました。 つまり、 「顔だけ派手に変えたキハ65」ではなかったのです。 気動車でありながら電車特急と手を組み、必要になれば自力で非電化区間へ入っていく。 アストルの魔改造ぶりは、外観よりむしろ“中身”にありました。一方、3両で団体列車として走るときは、中間のキロ29も連結。 車内にはサロンルームを備え、ソファやテーブルを配置。イベントスペースや座敷として使うこともできました。 全車グリーン車扱い。国鉄時代なら急行列車の一員だった車両が、JR発足直後の観光需要の中で、豪華な欧風ジョイフルトレインへ転身したのです。 登場時の塗装も強烈でした。白を基調にゴールド、さらにブルーとピンクを組み合わせた配色。 後年にはクリーム色とオレンジを基調とした姿へ変更され、印象は大きく変わりましたが、巨大な展望窓を持つ独特のスタイルは最後まで健在でした。 特に面白いのが、485系と併結するときの編成です。...
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これ、本当にキハ65?と思いませんか。 大きく回り込んだ前面窓。運転台より前方へ張り出した展望室。そして、原形をほとんど想像できない流線形の顔。 1988年、JR西日本・金沢支社に登場した「ゴールデンエクスプレスアストル」。 国鉄形急行用気動車を、ここまで変えてしまったジョイフルトレインでした。アストルの先頭車となったのは、キハ65 78とキハ65 514。 改造後はそれぞれキロ65 551・キロ65 1551となります。中間にはキハ28 2049を改造したキロ29 552を連結。 厳密にはキハ65形はキハ58形そのものではありませんが、キハ58系急行形気動車と編成を組んで活躍した、同世代の急行用気動車です。 では、なぜここまで大胆な改造が行われたのでしょうか。背景には、北陸で活躍していた「ゆぅトピア」がありました。 ゆぅトピアは気動車でありながら、485系特急「雷鳥」と併結して大阪方面から走り、電化区間では485系に牽かれ、非電化区間では自ら走るという離れ業をこなしていました。 しかし、編成は1本だけ。 検査時の代走や、増えつつあった団体列車需要に応える車両が必要になります。 そこで誕生したのがアストルでした。最大の見せ場は、やはり先頭部。 キハ65本来の貫通型前面は姿を消し、前頭部には大型曲面ガラスを使った展望室を新設。 客室から前方風景を楽しめる、当時のジョイフルトレインらしい豪華な構造となりました。 しかも単なる“観光用の改造車”ではありません。 先頭のキロ65形2両は、「ゆぅトピア」の代走として485系と併結できるよう、電車側との協調を考慮した設備を持っていました。 つまり、 「顔だけ派手に変えたキハ65」ではなかったのです。 気動車でありながら電車特急と手を組み、必要になれば自力で非電化区間へ入っていく。 アストルの魔改造ぶりは、外観よりむしろ“中身”にありました。一方、3両で団体列車として走るときは、中間のキロ29も連結。 車内にはサロンルームを備え、ソファやテーブルを配置。イベントスペースや座敷として使うこともできました。 全車グリーン車扱い。国鉄時代なら急行列車の一員だった車両が、JR発足直後の観光需要の中で、豪華な欧風ジョイフルトレインへ転身したのです。 登場時の塗装も強烈でした。白を基調にゴールド、さらにブルーとピンクを組み合わせた配色。 後年にはクリーム色とオレンジを基調とした姿へ変更され、印象は大きく変わりましたが、巨大な展望窓を持つ独特のスタイルは最後まで健在でした。 特に面白いのが、485系と併結するときの編成です。...
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【Insta Thanks 8000 follow】「東武8000系」(Vol.1)
<私鉄史に残る“大所帯”> Instagramアカウントのフォロワー数が8,000名を越えました。皆様の支えあってのことです。いつもありがとうございます。 さて、8,000の劈頭を飾るにふさわしい車両はなんであるか、これを考えた時、やはり一番最初に思い浮かんだのがこの車両。 "私鉄の103系"たる異名を持った名車。 1963年登場。東武8000系でスタートします。 総勢712両。 1963年から1983年まで、約20年間にわたって増備され、東武鉄道の広大な路線網を支えました。 さらに1980年代以降は、内装のリニューアルとともに前面形状を変更する更新工事も実施。 登場時の原形前面と、リニューアル後の前面が混在する期間もあり、バラエティに富んだ車両です。 製造初年から、すでに60年以上。 その数を大きく減らしながらも、今なお現役で走り続けています。 <車両データ>運用開始:1963年運用終了:―(現役)製造両数:712両 *************************************************Instagramのフォロワー数が8,000名を超えました。ありがとうございます。今後ともよろしくお願い致します。Mr.DIMER*************************************************
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<私鉄史に残る“大所帯”> Instagramアカウントのフォロワー数が8,000名を越えました。皆様の支えあってのことです。いつもありがとうございます。 さて、8,000の劈頭を飾るにふさわしい車両はなんであるか、これを考えた時、やはり一番最初に思い浮かんだのがこの車両。 "私鉄の103系"たる異名を持った名車。 1963年登場。東武8000系でスタートします。 総勢712両。 1963年から1983年まで、約20年間にわたって増備され、東武鉄道の広大な路線網を支えました。 さらに1980年代以降は、内装のリニューアルとともに前面形状を変更する更新工事も実施。 登場時の原形前面と、リニューアル後の前面が混在する期間もあり、バラエティに富んだ車両です。 製造初年から、すでに60年以上。 その数を大きく減らしながらも、今なお現役で走り続けています。 <車両データ>運用開始:1963年運用終了:―(現役)製造両数:712両 *************************************************Instagramのフォロワー数が8,000名を超えました。ありがとうございます。今後ともよろしくお願い致します。Mr.DIMER*************************************************
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【E233系史上初】千葉エリア車両ドア帯レス仕様へ
<20年間続いた“E233系の伝統”が、房総で変わった!?> 2006年、中央快速線への投入から始まったE233系。 オレンジ、青、緑、黄色――。 投入線区によって色こそ違えど、側面の帯は車体から乗降ドアまで連続して貼られている、というのがE233系共通のデザイン的特徴でした。 2026年10月から千葉エリアへ投入されるE233系では、その“当たり前”に変化が訪れます。 ■ドアに帯が無い? 2026年10月から、総武本線・成田線・外房線・内房線・東金線で営業運転を開始する予定のE233系。 他線区で使用されていた車両を6両編成へ改造し、現在使用されている209系を置き換える車両です。 外観には、房総の海をイメージした明るい青色と、菜の花をイメージした黄色を採用。 2021年3月に房総地区へ投入されたE131系0番台に準じたカラーリングとなりました。 導入されるE233系の側面を見ると、それまでのE233系のラインカラーパターンに違いのある事に気付きます。 青と黄色の帯は、乗降ドア部分で途切れているのです。 つまり、ドアそのものはステンレス地のまま、これまでのE233系には見られなかった、“ドア帯レス”仕様となりました。 ■E131系とデザインを合わせた? なぜドア部分から帯を無くしたのか。 JR東日本から、その理由そのものは公表されていないものの、今回のE233系は、カラーリングだけでなく、ワンマン運転対応や半自動ドアなど、房総地区で活躍するE131系との共通性を強く意識した仕様となっています。 そう考えると、帯の処理についてもE131系のデザインへ合わせたと見るのが自然でしょう。 2006年の登場から20年。 増備されるたび、路線ごと様々な色をまとってきたE233系ですが、 千葉へ渡ったE233系は、誕生から20年を経て、"第2の人生"を歩み始めた第一陣の動向であり、今後、転属等で、様々の形態差が見られるようになる形式、という意味ではこれからの動きが楽しみな車両の一つです。 (Mr.DIMER編集長)
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<20年間続いた“E233系の伝統”が、房総で変わった!?> 2006年、中央快速線への投入から始まったE233系。 オレンジ、青、緑、黄色――。 投入線区によって色こそ違えど、側面の帯は車体から乗降ドアまで連続して貼られている、というのがE233系共通のデザイン的特徴でした。 2026年10月から千葉エリアへ投入されるE233系では、その“当たり前”に変化が訪れます。 ■ドアに帯が無い? 2026年10月から、総武本線・成田線・外房線・内房線・東金線で営業運転を開始する予定のE233系。 他線区で使用されていた車両を6両編成へ改造し、現在使用されている209系を置き換える車両です。 外観には、房総の海をイメージした明るい青色と、菜の花をイメージした黄色を採用。 2021年3月に房総地区へ投入されたE131系0番台に準じたカラーリングとなりました。 導入されるE233系の側面を見ると、それまでのE233系のラインカラーパターンに違いのある事に気付きます。 青と黄色の帯は、乗降ドア部分で途切れているのです。 つまり、ドアそのものはステンレス地のまま、これまでのE233系には見られなかった、“ドア帯レス”仕様となりました。 ■E131系とデザインを合わせた? なぜドア部分から帯を無くしたのか。 JR東日本から、その理由そのものは公表されていないものの、今回のE233系は、カラーリングだけでなく、ワンマン運転対応や半自動ドアなど、房総地区で活躍するE131系との共通性を強く意識した仕様となっています。 そう考えると、帯の処理についてもE131系のデザインへ合わせたと見るのが自然でしょう。 2006年の登場から20年。 増備されるたび、路線ごと様々な色をまとってきたE233系ですが、 千葉へ渡ったE233系は、誕生から20年を経て、"第2の人生"を歩み始めた第一陣の動向であり、今後、転属等で、様々の形態差が見られるようになる形式、という意味ではこれからの動きが楽しみな車両の一つです。 (Mr.DIMER編集長)
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