【国鉄名車列伝】121系・国鉄最後の春、ディーゼル王国に現れた“四国初の電車”

【国鉄名車列伝】121系・国鉄最後の春、ディーゼル王国に現れた“四国初の電車”

マイミー

「四国に、電車を走らせる。」
今では当たり前ですが、
国鉄時代の四国は筋金入りの“ディーゼル王国”でした。

キハ20系。
キハ47形。
急行のキハ58系・キハ65形。
特急のキハ181系。
そして国鉄末期には、キハ32形、キハ54形、キハ185系まで登場。

普通から急行、特急まで。
架線のない四国では、何から何まで気動車でした。
そんな世界を一変させたのが、

121系です。

「国鉄がなくなる9日前」
1987年3月23日。

予讃本線の高松―坂出、多度津―観音寺、土讃本線の多度津―琴平が電化開業。
ここで営業運転を始めたのが、四国総局初の電車・121系でした。

そして国鉄分割民営化は、
1987年4月1日。
つまり国鉄の121系として走った期間は、わずか9日。
まさに国鉄が最後の最後に四国へ残した新車でした。
製造されたのは、
クモハ121+クハ120の2両編成19本、計38両。
地方都市圏では2両。
必要なら連結して4両、6両。
四国の輸送量に合わせやすい、実に合理的な編成でした。

「見た目は最新。でも走りは103系?」

121系の外観は、当時としてはかなり新鮮でした。
軽量ステンレス車体。
黒い前面窓。
中央の貫通扉。
片側3扉。
車内はセミクロスシート。

205系や211系と同じ“国鉄末期の新世代車”に見えます。

ところが、床下を見ると話が変わります。
制御方式は抵抗制御。
主電動機はMT55A・110kW。

そう。103系後期車でおなじみのモーターです。

さらに電動台車はDT33系、
付随台車にも廃車発生品を活用。
補助電源装置などにも流用品が使われました。
車体は新品なのに、足回りには国電の部品。
財政難に苦しんでいた国鉄末期らしい、徹底した節約設計だったのです。

「新車なのに、とことん割り切る」

121系にはトイレがありません。
側面の行先表示器も省略。
車体も211系のような裾絞りをやめ、直線的な形状としました。

「必要なものは付ける。でも不要なものには金を掛けない。」

その一方で冷房は装備し、座席はセミクロス。
通勤・通学だけではなく、中距離利用にも対応しています。
豪華ではない。
でも、四国で使う普通電車として必要なものは揃っている。
これが121系でした。

「瀬戸大橋を目前に生まれた電車」

121系が登場した翌1988年。
瀬戸大橋が開通します。
本州と四国が、ついに線路でつながりました。
しかし瀬戸大橋を華々しく駆け抜けた主役は、
213系「マリンライナー」。
121系はその陰で、高松近郊を中心に普通列車として走り続けます。

派手な仕事ではありません。
でも、毎朝学生を乗せる。
会社員を運ぶ。
夕方にはまた家へ連れて帰る。
“ディーゼル王国”だった四国に、電車のある日常を根付かせたのは121系でした。

「30年後、まさかの大改造」

普通なら、ここで老朽廃車です。
ところが121系は終わりませんでした。
2016年から大規模リニューアルを開始。

抵抗制御を捨て、
VVVFインバータ制御化。
走行機器や台車も更新され、7000系との併結にも対応。
そして形式まで、7200系へ変更されました。

見た目の基本は国鉄生まれ。
でも中身はVVVF車。
103系譲りのMT55Aで走っていた電車が、約30年後には交流モーターで走る。

なかなか凄い人生です。

121系。

国鉄として活躍したのは、たった9日。
けれど、その車体はJR四国へ受け継がれ、
さらに7200系へ姿を変えて生き続けました。

気動車しか知らなかった四国へ、初めて“電車の日常”を連れてきた車両。

それが、国鉄最後の春に生まれた121系だったのです。

(マイミー)

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