Mr.DIMER Journal
【国鉄名車列伝】国鉄屈指の魔改造車・クモハ123形
カネはない。新車を造る余裕もない。しかし、ローカル線を走らせる車両は必要だった。 そんな国鉄末期に誕生したのが、クモハ123形です。その正体は、最初から旅客輸送のために造られた電車ではありません。 荷物を運んでいたクモニ143形。郵便物と荷物を運んでいたクモユニ147形。そして、車両基地で電車を牽引していたクモヤ145形。 本来なら、その役目を終えた時点で廃車になっていても不思議ではなかった事業用電車たちでした。ところが国鉄は、彼らを簡単には捨てませんでした。 「荷物を運ばなくなったのなら、人を乗せればいい。」 1986年11月、国鉄の鉄道荷物輸送が大幅に廃止されると、それまで全国を走っていた荷物電車が一気に余剰となりました。 一方で、利用者の少ない電化ローカル線では、長い編成を走らせるほどの需要はない。かといって、電車を走らせなければ路線そのものが成り立たない。そこで国鉄が目を付けたのが、1両だけで走ることのできる荷物電車でした。 荷物室を撤去する。窓を開ける。乗降用の扉を取り付ける。座席、つり革、荷棚、照明を設置する。そして形式名の「クモニ」や「クモユニ」から、旅客車を示す「クモハ」へ。 こうして、昨日まで荷物を運んでいた電車は、突然ローカル線の普通列車として走り始めたのです。クモハ123形は、1986年から1988年にかけて13両が改造されました。 ■同じ形式なのに、顔も扉も窓も違うクモハ123形のおもしろさは、単なる改造車で終わらないところにあります。同じ「クモハ123形」を名乗りながら、種車が統一されていないのです。 クモニ143形から生まれた車両。クモユニ147形から生まれた車両。クモヤ145形から生まれた車両。 当然、元の車体構造も性能も異なります。そのため、前面が貫通形の車両もあれば、非貫通形の車両もある。片開き扉もあれば、両開き扉もある。窓の大きさも、扉の位置も、冷房装置も違う。もはや一つの形式というより、 「1両で走れる余剰車両を、旅客車に改造してまとめた集団」 と表現したほうが近いかもしれません。国鉄の標準化思想はどこへ行ったのか。そんな疑問さえ吹き飛ばすほど、クモハ123形は個性の塊でした。しかし、そのバラバラさこそが、この車両最大の魅力なのです。 ■元荷物電車の面影側面を眺めると、どこか普通の電車とは違う。窓が妙に少ない。扉の配置が不自然。車体の一部が埋められ、後から切り開いたような跡が残る。 旅客車として美しく整えられたというより、荷物電車の骨格を残したまま、必要な設備だけを取り付けた姿。それはまるで、作業着の上から無理やり制服を着せられた電車。けれども、決して粗末な車両だったわけではありません。 単行運転が可能な電動車であることを生かし、輸送量の少ない路線を1両で走る。必要に応じて連結し、ラッシュ時には乗客を運ぶ。 余剰車両を活用しながら、新車を投入するよりも少ない費用でローカル線の近代化を進める。見た目は強引ですが、一方で、その発想は極めて合理的でした。 ■103系のクハまで引き連れた異端児なかでも異彩を放ったのが、阪和線の羽衣支線に投入されたクモハ123-5・6です。 この2両はクモニ143形から改造され、ラッシュ時には103系の制御車を連結して運転するという、極めて珍しい運用にも対応していました。そのため、103系との連結に必要なジャンパ連結器を装備し、相手となる制御車へ冷房用電源を供給する機能まで備えていました。元荷物電車が旅客車へ改造され、さらに通勤電車の先頭車を引き連れて走る。 ここまで来ると、もはや魔改造という言葉だけでは足りません。 使えるものは、何でも使う。つなげられるものは、つないで走らせる。国鉄末期の技術者たちの執念が、そこには詰まっていました。 クモハ123形は、特急列車のように脚光を浴びた車両ではありません。 最高速度を競ったわけでもない。豪華な座席があるわけでもない。華やかな愛称もない。ただ、1両で淡々とローカル線を走り続けました。 中央本線の辰野支線。身延線。羽衣支線。可部線。宇野線。そして、宇部線・小野田線。配置された線区も、塗装も、改造内容も異なりながら、それぞれの土地で日常の足を支えてきました。2026年現在も、JR西日本に継承された車両が宇部線・小野田線で運用されています。 国鉄が消滅してから、すでに長い年月が過ぎました。それでも、かつて荷物を運んだ車体は、今も人を乗せて走っています。 ■国鉄一の魔改造車国鉄には、とんでもない経歴を持つ車両が数多く存在しました。しかし、クモハ123形ほど国鉄末期の事情を、その車体すべてで語っている車両はないのではないでしょうか。 種車はバラバラ。外観もバラバラ。扉も窓もバラバラ。けれど、その目的だけは共通していました。 ■余った車両を、もう一度走らせること昨日まで荷物を運んでいた電車に座席を置き、「今日から君は普通列車だ」と、再び本線へ送り出す。 そこにあるのは、優雅な設計思想ではありません。あるのは、カネのない国鉄が生き残るために絞り出した知恵と、車両を簡単には捨てなかった技術者たちの意地です。...
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カネはない。新車を造る余裕もない。しかし、ローカル線を走らせる車両は必要だった。 そんな国鉄末期に誕生したのが、クモハ123形です。その正体は、最初から旅客輸送のために造られた電車ではありません。 荷物を運んでいたクモニ143形。郵便物と荷物を運んでいたクモユニ147形。そして、車両基地で電車を牽引していたクモヤ145形。 本来なら、その役目を終えた時点で廃車になっていても不思議ではなかった事業用電車たちでした。ところが国鉄は、彼らを簡単には捨てませんでした。 「荷物を運ばなくなったのなら、人を乗せればいい。」 1986年11月、国鉄の鉄道荷物輸送が大幅に廃止されると、それまで全国を走っていた荷物電車が一気に余剰となりました。 一方で、利用者の少ない電化ローカル線では、長い編成を走らせるほどの需要はない。かといって、電車を走らせなければ路線そのものが成り立たない。そこで国鉄が目を付けたのが、1両だけで走ることのできる荷物電車でした。 荷物室を撤去する。窓を開ける。乗降用の扉を取り付ける。座席、つり革、荷棚、照明を設置する。そして形式名の「クモニ」や「クモユニ」から、旅客車を示す「クモハ」へ。 こうして、昨日まで荷物を運んでいた電車は、突然ローカル線の普通列車として走り始めたのです。クモハ123形は、1986年から1988年にかけて13両が改造されました。 ■同じ形式なのに、顔も扉も窓も違うクモハ123形のおもしろさは、単なる改造車で終わらないところにあります。同じ「クモハ123形」を名乗りながら、種車が統一されていないのです。 クモニ143形から生まれた車両。クモユニ147形から生まれた車両。クモヤ145形から生まれた車両。 当然、元の車体構造も性能も異なります。そのため、前面が貫通形の車両もあれば、非貫通形の車両もある。片開き扉もあれば、両開き扉もある。窓の大きさも、扉の位置も、冷房装置も違う。もはや一つの形式というより、 「1両で走れる余剰車両を、旅客車に改造してまとめた集団」 と表現したほうが近いかもしれません。国鉄の標準化思想はどこへ行ったのか。そんな疑問さえ吹き飛ばすほど、クモハ123形は個性の塊でした。しかし、そのバラバラさこそが、この車両最大の魅力なのです。 ■元荷物電車の面影側面を眺めると、どこか普通の電車とは違う。窓が妙に少ない。扉の配置が不自然。車体の一部が埋められ、後から切り開いたような跡が残る。 旅客車として美しく整えられたというより、荷物電車の骨格を残したまま、必要な設備だけを取り付けた姿。それはまるで、作業着の上から無理やり制服を着せられた電車。けれども、決して粗末な車両だったわけではありません。 単行運転が可能な電動車であることを生かし、輸送量の少ない路線を1両で走る。必要に応じて連結し、ラッシュ時には乗客を運ぶ。 余剰車両を活用しながら、新車を投入するよりも少ない費用でローカル線の近代化を進める。見た目は強引ですが、一方で、その発想は極めて合理的でした。 ■103系のクハまで引き連れた異端児なかでも異彩を放ったのが、阪和線の羽衣支線に投入されたクモハ123-5・6です。 この2両はクモニ143形から改造され、ラッシュ時には103系の制御車を連結して運転するという、極めて珍しい運用にも対応していました。そのため、103系との連結に必要なジャンパ連結器を装備し、相手となる制御車へ冷房用電源を供給する機能まで備えていました。元荷物電車が旅客車へ改造され、さらに通勤電車の先頭車を引き連れて走る。 ここまで来ると、もはや魔改造という言葉だけでは足りません。 使えるものは、何でも使う。つなげられるものは、つないで走らせる。国鉄末期の技術者たちの執念が、そこには詰まっていました。 クモハ123形は、特急列車のように脚光を浴びた車両ではありません。 最高速度を競ったわけでもない。豪華な座席があるわけでもない。華やかな愛称もない。ただ、1両で淡々とローカル線を走り続けました。 中央本線の辰野支線。身延線。羽衣支線。可部線。宇野線。そして、宇部線・小野田線。配置された線区も、塗装も、改造内容も異なりながら、それぞれの土地で日常の足を支えてきました。2026年現在も、JR西日本に継承された車両が宇部線・小野田線で運用されています。 国鉄が消滅してから、すでに長い年月が過ぎました。それでも、かつて荷物を運んだ車体は、今も人を乗せて走っています。 ■国鉄一の魔改造車国鉄には、とんでもない経歴を持つ車両が数多く存在しました。しかし、クモハ123形ほど国鉄末期の事情を、その車体すべてで語っている車両はないのではないでしょうか。 種車はバラバラ。外観もバラバラ。扉も窓もバラバラ。けれど、その目的だけは共通していました。 ■余った車両を、もう一度走らせること昨日まで荷物を運んでいた電車に座席を置き、「今日から君は普通列車だ」と、再び本線へ送り出す。 そこにあるのは、優雅な設計思想ではありません。あるのは、カネのない国鉄が生き残るために絞り出した知恵と、車両を簡単には捨てなかった技術者たちの意地です。...
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【名脇役】キハ17
急行でもない。特急でもない。それでも、日本中のローカル線には、いつもこの気動車がいました。 "国鉄キハ17形" 1953年、国鉄初の本格的な液体式気動車「キハ10系」の一員として誕生したこの車両は、華々しいデビューを飾ったスターではありません。 しかし、その功績は計り知れないものがあります。それまで非電化路線の主役だった蒸気機関車を少しずつ置き換え、全国各地で無煙化を推し進めた立役者と言えるのではないでしょうか。 朝は学生を学校へ送り、昼は買い物客を町へ運び、夕方には仕事を終えた人々を家へと帰す。観光列車ではなく、毎日の「当たり前」を支え続けた列車でした。 細身の車体に170馬力のDMH17エンジン。 決して力持ちではありません。 勾配では懸命にエンジンを唸らせ、夏は窓を全開にして風を受けながら走る。全国どこへ行っても朱色のキハ17が走っていた時代がありました。 液体変速機の採用、総括制御の実用化。 後に登場するキハ20系、キハ58系、そしてキハ80系へと受け継がれていく技術の礎を築いたのも、このキハ17形でした。 言ってみれば、後の名車たちが活躍できたのは、この車両が道を切り開いたから。 スターではない。記念列車として脚光を浴びる機会も少ない。保存車も決して多くありません。 だからこそ、忘れてはいけない車両だと思うのです。 国鉄には、華やかな名車が数多く存在します。 しかし、その陰で日本中の暮らしを支え、地方の鉄道を変えた車両がいました。誰よりも働き、誰よりも人々の日常に寄り添った気動車。 "気動車の名脇役" この言葉ほど、キハ17形に似合う称号はないのではないでしょうか。 (マイミー)
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急行でもない。特急でもない。それでも、日本中のローカル線には、いつもこの気動車がいました。 "国鉄キハ17形" 1953年、国鉄初の本格的な液体式気動車「キハ10系」の一員として誕生したこの車両は、華々しいデビューを飾ったスターではありません。 しかし、その功績は計り知れないものがあります。それまで非電化路線の主役だった蒸気機関車を少しずつ置き換え、全国各地で無煙化を推し進めた立役者と言えるのではないでしょうか。 朝は学生を学校へ送り、昼は買い物客を町へ運び、夕方には仕事を終えた人々を家へと帰す。観光列車ではなく、毎日の「当たり前」を支え続けた列車でした。 細身の車体に170馬力のDMH17エンジン。 決して力持ちではありません。 勾配では懸命にエンジンを唸らせ、夏は窓を全開にして風を受けながら走る。全国どこへ行っても朱色のキハ17が走っていた時代がありました。 液体変速機の採用、総括制御の実用化。 後に登場するキハ20系、キハ58系、そしてキハ80系へと受け継がれていく技術の礎を築いたのも、このキハ17形でした。 言ってみれば、後の名車たちが活躍できたのは、この車両が道を切り開いたから。 スターではない。記念列車として脚光を浴びる機会も少ない。保存車も決して多くありません。 だからこそ、忘れてはいけない車両だと思うのです。 国鉄には、華やかな名車が数多く存在します。 しかし、その陰で日本中の暮らしを支え、地方の鉄道を変えた車両がいました。誰よりも働き、誰よりも人々の日常に寄り添った気動車。 "気動車の名脇役" この言葉ほど、キハ17形に似合う称号はないのではないでしょうか。 (マイミー)
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