Mr.DIMER Journal

【国鉄名車列伝】183系・房総生まれが国鉄特急の顔になった理由

【国鉄名車列伝】183系・房総生まれが国鉄特急の顔になった理由

1972年。東京駅地下ホームから、新しい国鉄特急が房総半島へ走り始めました。 183系。 「わかしお」「さざなみ」。 後には「しおさい」「あやめ」、そして「あずさ」「とき」など、首都圏を代表する特急の数々で活躍した車両です。 しかし183系は、最初から中央本線や上越線を走るために生まれたわけではありません。 その出発点は、“房総特急”でした。 「東京地下駅から房総へ」 1972年7月。総武快速線の東京~錦糸町間開業と、内房線・外房線の電化に合わせ、183系0番台が登場します。 幕張電車区へ配置され、「わかしお」「さざなみ」などで運転を開始。地下区間への乗入れを前提に、防火対策なども考慮された直流特急形電車でした。 151系・181系の流麗なボンネット形とは違う、高運転台の角張った前面。 この顔は後の189系などにもつながり、昭和後期の“国鉄特急の顔”になっていきます。 0番台の先頭車には、増解結を考慮した前面貫通扉も設けられました。 それまでの特急形とは明らかに違う顔。いわゆる“電気釜”スタイルは、華麗なボンネット形とは違う無骨さを持ちながら、やがて国鉄末期を象徴する特急形電車の姿になっていきます。 「房総生まれが、雪国へ」 1974年には、耐寒・耐雪設備を強化した183系1000番台が登場。 上越線特急「とき」の181系や、伊豆方面の「あまぎ」で活躍した157系を置き換えました。房総半島の海沿いを走るために生まれた形式が、わずか2年後には、雪深い上越国境へ。 「とき」といえば、151系から161系、181系へと続いた国鉄特急電車の系譜を代表する列車。 183系は、ボンネット形から次の時代へと“特急の顔”を引き継いでいったのです。 「そして”あずさ”へ」 183系は中央本線にも進出します。「あずさ」では1973年から0番台が使われ、1982年の上越新幹線開業後には、「とき」で使われていた1000番台も中央本線へ活躍の場を広げました。 房総の海から、上越の雪国へ。そして中央本線の山岳路線へ。同じ183系が、まったく違う景色の中を走ったのです。 「似ているけれど、189系とは違う」 183系とよく似た189系。しかし189系は、信越本線・横川~軽井沢間、いわゆる“横軽”を越えるため、EF63との協調運転に対応して誕生した系列です。183系を基本としながら、碓氷峠という特殊な条件へ対応した兄弟分。後年は183系と189系が入り交じって使われ、外見だけでは判別に迷う編成もありました。 「西日本にもいた”183系”」 そして183系の名前は、東日本だけのものではありません。 JR西日本にも、183系700・800番台が存在しました。ただし東日本の183系が、そのまま西へ渡ったわけではありません。 その正体は、 “485系から生まれた183系”。 「北近畿」で使われていた485系から交流機器を撤去し、直流専用車として183系へ編入した車両です。 元485系だけに、東日本の183系とは顔つきも経歴も違う。...

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【国鉄名車列伝】183系・房総生まれが国鉄特急の顔になった理由

1972年。東京駅地下ホームから、新しい国鉄特急が房総半島へ走り始めました。 183系。 「わかしお」「さざなみ」。 後には「しおさい」「あやめ」、そして「あずさ」「とき」など、首都圏を代表する特急の数々で活躍した車両です。 しかし183系は、最初から中央本線や上越線を走るために生まれたわけではありません。 その出発点は、“房総特急”でした。 「東京地下駅から房総へ」 1972年7月。総武快速線の東京~錦糸町間開業と、内房線・外房線の電化に合わせ、183系0番台が登場します。 幕張電車区へ配置され、「わかしお」「さざなみ」などで運転を開始。地下区間への乗入れを前提に、防火対策なども考慮された直流特急形電車でした。 151系・181系の流麗なボンネット形とは違う、高運転台の角張った前面。 この顔は後の189系などにもつながり、昭和後期の“国鉄特急の顔”になっていきます。 0番台の先頭車には、増解結を考慮した前面貫通扉も設けられました。 それまでの特急形とは明らかに違う顔。いわゆる“電気釜”スタイルは、華麗なボンネット形とは違う無骨さを持ちながら、やがて国鉄末期を象徴する特急形電車の姿になっていきます。 「房総生まれが、雪国へ」 1974年には、耐寒・耐雪設備を強化した183系1000番台が登場。 上越線特急「とき」の181系や、伊豆方面の「あまぎ」で活躍した157系を置き換えました。房総半島の海沿いを走るために生まれた形式が、わずか2年後には、雪深い上越国境へ。 「とき」といえば、151系から161系、181系へと続いた国鉄特急電車の系譜を代表する列車。 183系は、ボンネット形から次の時代へと“特急の顔”を引き継いでいったのです。 「そして”あずさ”へ」 183系は中央本線にも進出します。「あずさ」では1973年から0番台が使われ、1982年の上越新幹線開業後には、「とき」で使われていた1000番台も中央本線へ活躍の場を広げました。 房総の海から、上越の雪国へ。そして中央本線の山岳路線へ。同じ183系が、まったく違う景色の中を走ったのです。 「似ているけれど、189系とは違う」 183系とよく似た189系。しかし189系は、信越本線・横川~軽井沢間、いわゆる“横軽”を越えるため、EF63との協調運転に対応して誕生した系列です。183系を基本としながら、碓氷峠という特殊な条件へ対応した兄弟分。後年は183系と189系が入り交じって使われ、外見だけでは判別に迷う編成もありました。 「西日本にもいた”183系”」 そして183系の名前は、東日本だけのものではありません。 JR西日本にも、183系700・800番台が存在しました。ただし東日本の183系が、そのまま西へ渡ったわけではありません。 その正体は、 “485系から生まれた183系”。 「北近畿」で使われていた485系から交流機器を撤去し、直流専用車として183系へ編入した車両です。 元485系だけに、東日本の183系とは顔つきも経歴も違う。...

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【鉄道界の寝ない王】乗客は寝ても、581・583系は寝なかった

【鉄道界の寝ない王】乗客は寝ても、581・583系は寝なかった

<昼は特急、夜は寝台特急。休む間もなく酷使された国鉄の名車> 人間が睡眠をとって英気を養うように、鉄道車両にも、当然、「お休み」の時間があります。 いえ、ただ出番がないからお休みしているだけです。(整備などを除く) 雑談はさておき、朝から晩まで走ったあと、夜は車両基地へ。 点検や整備を受け、翌朝の出番を待つ。 およそ一般的な鉄道車両の仕業は上述の通り。 ところが国鉄時代、そんな常識を覆すような車両が存在していました。ご存じ、581・583系交直両用特急形寝台電車です。 いわば、鉄道界の「寝ない王」。横文字を用いるなら、「ショートスリーパー」とも申せましょう。 昼も夜も働くことを前提として造られた車両です。 ■昼は座席、夜は寝台 581系が登場したのは1967年。 最大の特徴は、昼間は座席特急、夜間は寝台特急として使用できること。 昼間は、頭上へ寝台を収納。 向かい合わせの座席を備えた特急電車として走ります。 そして夜になれば、座席を寝台へ転換。 三段式の寝台を組み立て、今度は寝台特急として走り出す。 乗客は寝る。 しかし、581系は寝ません。 ■昼行、夜行を兼用した実用車 登場時の581系は、新大阪-博多間の寝台特急「月光」と、新大阪-大分間の昼行特急「みどり」に投入。 博多から「月光」として夜通し走り、翌朝、新大阪へ到着。 寝台を座席へ戻すと、今度は「みどり」として大分へ向かう。 実際に、昼夜を跨いだ運用が組まれていました。 ■なぜ、そこまで働かせる? 当該系列の誕生背景には、高度経済成長期の急激な輸送需要増加があります。 昼行列車には昼行用の車両。寝台列車には寝台用の車両。 これでは必要な車両数が増えるだけでなく、昼間、寝台車を留置しておく場所(車庫)が必要になってくる、そうならば、 「同じ車両を、昼も夜も使えばいい」。 当時の国鉄として導き出した、合理化の回答でした。 昼夜兼用とすることで、車両基地の逼迫を緩和すると同時に、車両そのものの稼働率も高めることができたのです。...

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【鉄道界の寝ない王】乗客は寝ても、581・583系は寝なかった

<昼は特急、夜は寝台特急。休む間もなく酷使された国鉄の名車> 人間が睡眠をとって英気を養うように、鉄道車両にも、当然、「お休み」の時間があります。 いえ、ただ出番がないからお休みしているだけです。(整備などを除く) 雑談はさておき、朝から晩まで走ったあと、夜は車両基地へ。 点検や整備を受け、翌朝の出番を待つ。 およそ一般的な鉄道車両の仕業は上述の通り。 ところが国鉄時代、そんな常識を覆すような車両が存在していました。ご存じ、581・583系交直両用特急形寝台電車です。 いわば、鉄道界の「寝ない王」。横文字を用いるなら、「ショートスリーパー」とも申せましょう。 昼も夜も働くことを前提として造られた車両です。 ■昼は座席、夜は寝台 581系が登場したのは1967年。 最大の特徴は、昼間は座席特急、夜間は寝台特急として使用できること。 昼間は、頭上へ寝台を収納。 向かい合わせの座席を備えた特急電車として走ります。 そして夜になれば、座席を寝台へ転換。 三段式の寝台を組み立て、今度は寝台特急として走り出す。 乗客は寝る。 しかし、581系は寝ません。 ■昼行、夜行を兼用した実用車 登場時の581系は、新大阪-博多間の寝台特急「月光」と、新大阪-大分間の昼行特急「みどり」に投入。 博多から「月光」として夜通し走り、翌朝、新大阪へ到着。 寝台を座席へ戻すと、今度は「みどり」として大分へ向かう。 実際に、昼夜を跨いだ運用が組まれていました。 ■なぜ、そこまで働かせる? 当該系列の誕生背景には、高度経済成長期の急激な輸送需要増加があります。 昼行列車には昼行用の車両。寝台列車には寝台用の車両。 これでは必要な車両数が増えるだけでなく、昼間、寝台車を留置しておく場所(車庫)が必要になってくる、そうならば、 「同じ車両を、昼も夜も使えばいい」。 当時の国鉄として導き出した、合理化の回答でした。 昼夜兼用とすることで、車両基地の逼迫を緩和すると同時に、車両そのものの稼働率も高めることができたのです。...

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【国鉄名車列伝】181系・「こだま形」は山へ挑んだ。国鉄特急黄金時代を駆けた名車

【国鉄名車列伝】181系・「こだま形」は山へ挑んだ。国鉄特急黄金時代を駆けた名車

”国鉄特急電車の原点” そう言ってまず名前が挙がるのは、1958(昭和33)年に登場した151系「こだま」でしょう。 ボンネット形の先頭部。クリームに赤帯の国鉄特急色。食堂車、そして一等展望車クロ151形「パーラーカー」。 それまで客車列車が主役だった長距離特急の世界に、「電車特急」という新しい時代を持ち込んだ151系は、まさに国鉄黄金時代の象徴でした。 しかし、その華やかな“こだま形”には弱点がありました。 山です。 東海道本線のような比較的平坦な幹線で高速運転するために生まれた151系を、そのまま上越国境へ持っていくには無理がある。 そこで1962(昭和37)年、上越線特急「とき」用として登場したのが161系でした。 見た目は151系とほぼ同じ。 しかし中身は山岳線区向け。主電動機や歯車比を見直し、低速域での牽引力を高めることで、勾配の続く上越線へ対応しました。 つまり、華やかな東海道の“こだま形”が、雪と山へ挑み始めたのです。 そして1965(昭和40)年。 151系・161系をベースに、より強力なMT54系主電動機を採用した181系が誕生します。従来車も順次181系へ改造・編入され、「こだま形」の一族は181系へと整理されていきました。 主電動機出力は120kW。153系などに使われたMT46系100kWから一段強力になり、勾配線区で求められる性能を手に入れました。 ここから181系は、直流特急形電車の完成形として各地へ活躍の場を広げます。 代表格は、やはり上越線の「とき」。 上野を出て高崎へ。水上から上越国境へ入り、長いトンネルを抜けて雪国・新潟へ。 雪の中を国鉄特急色のボンネット車が駆け抜ける。これはもう、181系を代表する光景でした。さらに信越本線の「あさま」、中央本線の「あずさ」にも進出します。 ここが面白い。 そもそもの祖先である151系は、東京―大阪間を結ぶ東海道のスターでした。 それが181系になると、上越、信越、中央へ。気がつけば山岳線区を走る特急の顔になっていたのです。 特に「あさま」が走る信越本線には、横川―軽井沢間の碓氷峠があります。 最大66.7‰。 通常の鉄道なら「ちょっとした勾配」どころの話ではありません。ここではEF63形電気機関車の力を借りて峠を越える。流麗なボンネットを持つ特急電車が、専用機関車と組んで山を越える。 151系「こだま」時代から考えれば、ずいぶん遠いところまで来たものです。 一方、東海道新幹線が1964年に開業すると、東海道本線で活躍していた一族は山陽方面へ活躍の場を移しました。 「しおじ」など山陽本線の特急でも181系は活躍します。 つまり181系には、東京―大阪を走った「こだま」の時代から、山陽、上越、信越、中央へと転戦した車両がいた。一つの系列の中に、国鉄特急電車の歴史そのものが詰まっているのです。 ただし、国鉄の技術は止まりません。1960年代には交直流特急形481系、そして485系が登場。 直流区間しか走れない181系に対して、交流区間にもそのまま乗り入れられる485系は圧倒的に使い勝手がいい。...

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【国鉄名車列伝】181系・「こだま形」は山へ挑んだ。国鉄特急黄金時代を駆けた名車

”国鉄特急電車の原点” そう言ってまず名前が挙がるのは、1958(昭和33)年に登場した151系「こだま」でしょう。 ボンネット形の先頭部。クリームに赤帯の国鉄特急色。食堂車、そして一等展望車クロ151形「パーラーカー」。 それまで客車列車が主役だった長距離特急の世界に、「電車特急」という新しい時代を持ち込んだ151系は、まさに国鉄黄金時代の象徴でした。 しかし、その華やかな“こだま形”には弱点がありました。 山です。 東海道本線のような比較的平坦な幹線で高速運転するために生まれた151系を、そのまま上越国境へ持っていくには無理がある。 そこで1962(昭和37)年、上越線特急「とき」用として登場したのが161系でした。 見た目は151系とほぼ同じ。 しかし中身は山岳線区向け。主電動機や歯車比を見直し、低速域での牽引力を高めることで、勾配の続く上越線へ対応しました。 つまり、華やかな東海道の“こだま形”が、雪と山へ挑み始めたのです。 そして1965(昭和40)年。 151系・161系をベースに、より強力なMT54系主電動機を採用した181系が誕生します。従来車も順次181系へ改造・編入され、「こだま形」の一族は181系へと整理されていきました。 主電動機出力は120kW。153系などに使われたMT46系100kWから一段強力になり、勾配線区で求められる性能を手に入れました。 ここから181系は、直流特急形電車の完成形として各地へ活躍の場を広げます。 代表格は、やはり上越線の「とき」。 上野を出て高崎へ。水上から上越国境へ入り、長いトンネルを抜けて雪国・新潟へ。 雪の中を国鉄特急色のボンネット車が駆け抜ける。これはもう、181系を代表する光景でした。さらに信越本線の「あさま」、中央本線の「あずさ」にも進出します。 ここが面白い。 そもそもの祖先である151系は、東京―大阪間を結ぶ東海道のスターでした。 それが181系になると、上越、信越、中央へ。気がつけば山岳線区を走る特急の顔になっていたのです。 特に「あさま」が走る信越本線には、横川―軽井沢間の碓氷峠があります。 最大66.7‰。 通常の鉄道なら「ちょっとした勾配」どころの話ではありません。ここではEF63形電気機関車の力を借りて峠を越える。流麗なボンネットを持つ特急電車が、専用機関車と組んで山を越える。 151系「こだま」時代から考えれば、ずいぶん遠いところまで来たものです。 一方、東海道新幹線が1964年に開業すると、東海道本線で活躍していた一族は山陽方面へ活躍の場を移しました。 「しおじ」など山陽本線の特急でも181系は活躍します。 つまり181系には、東京―大阪を走った「こだま」の時代から、山陽、上越、信越、中央へと転戦した車両がいた。一つの系列の中に、国鉄特急電車の歴史そのものが詰まっているのです。 ただし、国鉄の技術は止まりません。1960年代には交直流特急形481系、そして485系が登場。 直流区間しか走れない181系に対して、交流区間にもそのまま乗り入れられる485系は圧倒的に使い勝手がいい。...

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【国鉄名車列伝】121系・国鉄最後の春、ディーゼル王国に現れた“四国初の電車”

【国鉄名車列伝】121系・国鉄最後の春、ディーゼル王国に現れた“四国初の電車”

「四国に、電車を走らせる。」今では当たり前ですが、国鉄時代の四国は筋金入りの“ディーゼル王国”でした。 キハ20系。キハ47形。急行のキハ58系・キハ65形。特急のキハ181系。そして国鉄末期には、キハ32形、キハ54形、キハ185系まで登場。 普通から急行、特急まで。架線のない四国では、何から何まで気動車でした。そんな世界を一変させたのが、 121系です。 「国鉄がなくなる9日前」1987年3月23日。 予讃本線の高松―坂出、多度津―観音寺、土讃本線の多度津―琴平が電化開業。ここで営業運転を始めたのが、四国総局初の電車・121系でした。 そして国鉄分割民営化は、1987年4月1日。つまり国鉄の121系として走った期間は、わずか9日。まさに国鉄が最後の最後に四国へ残した新車でした。製造されたのは、クモハ121+クハ120の2両編成19本、計38両。地方都市圏では2両。必要なら連結して4両、6両。四国の輸送量に合わせやすい、実に合理的な編成でした。 「見た目は最新。でも走りは103系?」 121系の外観は、当時としてはかなり新鮮でした。軽量ステンレス車体。黒い前面窓。中央の貫通扉。片側3扉。車内はセミクロスシート。 205系や211系と同じ“国鉄末期の新世代車”に見えます。 ところが、床下を見ると話が変わります。制御方式は抵抗制御。主電動機はMT55A・110kW。 そう。103系後期車でおなじみのモーターです。 さらに電動台車はDT33系、付随台車にも廃車発生品を活用。補助電源装置などにも流用品が使われました。車体は新品なのに、足回りには国電の部品。財政難に苦しんでいた国鉄末期らしい、徹底した節約設計だったのです。 「新車なのに、とことん割り切る」 121系にはトイレがありません。側面の行先表示器も省略。車体も211系のような裾絞りをやめ、直線的な形状としました。 「必要なものは付ける。でも不要なものには金を掛けない。」 その一方で冷房は装備し、座席はセミクロス。通勤・通学だけではなく、中距離利用にも対応しています。豪華ではない。でも、四国で使う普通電車として必要なものは揃っている。これが121系でした。 「瀬戸大橋を目前に生まれた電車」 121系が登場した翌1988年。瀬戸大橋が開通します。本州と四国が、ついに線路でつながりました。しかし瀬戸大橋を華々しく駆け抜けた主役は、213系「マリンライナー」。121系はその陰で、高松近郊を中心に普通列車として走り続けます。 派手な仕事ではありません。でも、毎朝学生を乗せる。会社員を運ぶ。夕方にはまた家へ連れて帰る。“ディーゼル王国”だった四国に、電車のある日常を根付かせたのは121系でした。 「30年後、まさかの大改造」 普通なら、ここで老朽廃車です。ところが121系は終わりませんでした。2016年から大規模リニューアルを開始。 抵抗制御を捨て、VVVFインバータ制御化。走行機器や台車も更新され、7000系との併結にも対応。そして形式まで、7200系へ変更されました。 見た目の基本は国鉄生まれ。でも中身はVVVF車。103系譲りのMT55Aで走っていた電車が、約30年後には交流モーターで走る。 なかなか凄い人生です。 121系。 国鉄として活躍したのは、たった9日。けれど、その車体はJR四国へ受け継がれ、さらに7200系へ姿を変えて生き続けました。 気動車しか知らなかった四国へ、初めて“電車の日常”を連れてきた車両。 それが、国鉄最後の春に生まれた121系だったのです。 (マイミー)...

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【国鉄名車列伝】121系・国鉄最後の春、ディーゼル王国に現れた“四国初の電車”

「四国に、電車を走らせる。」今では当たり前ですが、国鉄時代の四国は筋金入りの“ディーゼル王国”でした。 キハ20系。キハ47形。急行のキハ58系・キハ65形。特急のキハ181系。そして国鉄末期には、キハ32形、キハ54形、キハ185系まで登場。 普通から急行、特急まで。架線のない四国では、何から何まで気動車でした。そんな世界を一変させたのが、 121系です。 「国鉄がなくなる9日前」1987年3月23日。 予讃本線の高松―坂出、多度津―観音寺、土讃本線の多度津―琴平が電化開業。ここで営業運転を始めたのが、四国総局初の電車・121系でした。 そして国鉄分割民営化は、1987年4月1日。つまり国鉄の121系として走った期間は、わずか9日。まさに国鉄が最後の最後に四国へ残した新車でした。製造されたのは、クモハ121+クハ120の2両編成19本、計38両。地方都市圏では2両。必要なら連結して4両、6両。四国の輸送量に合わせやすい、実に合理的な編成でした。 「見た目は最新。でも走りは103系?」 121系の外観は、当時としてはかなり新鮮でした。軽量ステンレス車体。黒い前面窓。中央の貫通扉。片側3扉。車内はセミクロスシート。 205系や211系と同じ“国鉄末期の新世代車”に見えます。 ところが、床下を見ると話が変わります。制御方式は抵抗制御。主電動機はMT55A・110kW。 そう。103系後期車でおなじみのモーターです。 さらに電動台車はDT33系、付随台車にも廃車発生品を活用。補助電源装置などにも流用品が使われました。車体は新品なのに、足回りには国電の部品。財政難に苦しんでいた国鉄末期らしい、徹底した節約設計だったのです。 「新車なのに、とことん割り切る」 121系にはトイレがありません。側面の行先表示器も省略。車体も211系のような裾絞りをやめ、直線的な形状としました。 「必要なものは付ける。でも不要なものには金を掛けない。」 その一方で冷房は装備し、座席はセミクロス。通勤・通学だけではなく、中距離利用にも対応しています。豪華ではない。でも、四国で使う普通電車として必要なものは揃っている。これが121系でした。 「瀬戸大橋を目前に生まれた電車」 121系が登場した翌1988年。瀬戸大橋が開通します。本州と四国が、ついに線路でつながりました。しかし瀬戸大橋を華々しく駆け抜けた主役は、213系「マリンライナー」。121系はその陰で、高松近郊を中心に普通列車として走り続けます。 派手な仕事ではありません。でも、毎朝学生を乗せる。会社員を運ぶ。夕方にはまた家へ連れて帰る。“ディーゼル王国”だった四国に、電車のある日常を根付かせたのは121系でした。 「30年後、まさかの大改造」 普通なら、ここで老朽廃車です。ところが121系は終わりませんでした。2016年から大規模リニューアルを開始。 抵抗制御を捨て、VVVFインバータ制御化。走行機器や台車も更新され、7000系との併結にも対応。そして形式まで、7200系へ変更されました。 見た目の基本は国鉄生まれ。でも中身はVVVF車。103系譲りのMT55Aで走っていた電車が、約30年後には交流モーターで走る。 なかなか凄い人生です。 121系。 国鉄として活躍したのは、たった9日。けれど、その車体はJR四国へ受け継がれ、さらに7200系へ姿を変えて生き続けました。 気動車しか知らなかった四国へ、初めて“電車の日常”を連れてきた車両。 それが、国鉄最後の春に生まれた121系だったのです。 (マイミー)...

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【国鉄名車列伝】119系・飯田線のために生まれた、“最後の旧形国電キラー”

【国鉄名車列伝】119系・飯田線のために生まれた、“最後の旧形国電キラー”

「飯田線の旧形国電を、まとめて置き換える。」                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        119系の物語は、そこから始まりました。 豊橋から辰野までを結ぶ飯田線。全長は約195km。山あいを縫うように走り、駅の数は90を超える。急勾配や急曲線が連続し、駅間も短い。一方で、区間によって利用者数には大きな差があります。 そんな飯田線を長年支えていたのが、クモハ52形やクモハ54形、クモハ60形などに代表される旧形国電でした。 戦前生まれの車両まで現役で走る姿は、後年には飯田線の名物にもなります。 しかし1980年代に入ると、さすがに老朽化は限界に近づいていました。 そこで国鉄が送り込んだ新型車両。それが”119系”です。 「飯田線専用として誕生」 119系が登場したのは1982年。最大の特徴は、最初から飯田線での使用を強く意識して設計されたことでした。 基本編成は、クモハ119+クハ118の2両編成。 輸送量の少ない区間でも扱いやすく、必要に応じて編成を組み合わせることもできます。 車体は片側3扉。室内はロングシートを基本とし、頻繁な乗り降りにも対応しました。華やかな設備はありません。しかし、その割り切りこそ119系の個性でした。 「なぜ飯田線には専用車が必要だったのか」 飯田線は、ただの地方ローカル線ではありません。山岳区間が長く、勾配が続く。駅が多いため、発車しては停まり、また発車する。 さらに長距離路線でありながら、実際の利用は区間利用が中心です。つまり、「高速性能よりも、短い編成で確実に走れること」の方が重要でした。 119系では、低速域で十分な牽引力を得るため、主電動機に”MT55A形”を採用。 通勤形電車103系などで使われたMT55系列ですが、119系では飯田線向けの走行条件に合わせた性能設定が行われています。 さらに急勾配の下りに備えて、”抑速ブレーキ”も装備。見た目は地味でも、中身はかなり明確に「飯田線仕様」だったのです。 「旧形国電の楽園を終わらせた電車」鉄道ファンの目線で見ると、119系の登場には少し複雑なものがあります。 なぜなら119系が投入されたことで、飯田線に残っていた旧形国電が一気に姿を消していったからです。 戦前形。戦後直後の車両。流電と呼ばれたクモハ52形。 長い年月を生き抜いてきた電車たちが、新車の119系に置き換えられていく。 合理化という意味では当然の世代交代でした。しかし結果として119系は、 「旧形国電の楽園・飯田線に終止符を打った車両」でもありました。 登場当時の鉄道ファンからすれば、少々憎まれ役だったかもしれません。 ところが面白いことに、その119系自身も年月を重ねるにつれ、今度は「国鉄型」として惜しまれる存在になっていきます。 「国鉄からJR東海へ」 1987年。国鉄が分割民営化されると、119系は全車がJR東海へ継承されました。 登場時は青地に灰色帯という、独特の塗装。その後は白地にオレンジと緑のJR東海色へ姿を変えていきます。 さらに一部の車両はワンマン運転に対応。 クモハ119を両運転台化したクモハ119形5100番台も登場し、より少ない輸送量にも対応できる車両へ変化しました。飯田線の環境に合わせながら、119系は少しずつ姿を変えていったのです。...

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【国鉄名車列伝】119系・飯田線のために生まれた、“最後の旧形国電キラー”

「飯田線の旧形国電を、まとめて置き換える。」                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        119系の物語は、そこから始まりました。 豊橋から辰野までを結ぶ飯田線。全長は約195km。山あいを縫うように走り、駅の数は90を超える。急勾配や急曲線が連続し、駅間も短い。一方で、区間によって利用者数には大きな差があります。 そんな飯田線を長年支えていたのが、クモハ52形やクモハ54形、クモハ60形などに代表される旧形国電でした。 戦前生まれの車両まで現役で走る姿は、後年には飯田線の名物にもなります。 しかし1980年代に入ると、さすがに老朽化は限界に近づいていました。 そこで国鉄が送り込んだ新型車両。それが”119系”です。 「飯田線専用として誕生」 119系が登場したのは1982年。最大の特徴は、最初から飯田線での使用を強く意識して設計されたことでした。 基本編成は、クモハ119+クハ118の2両編成。 輸送量の少ない区間でも扱いやすく、必要に応じて編成を組み合わせることもできます。 車体は片側3扉。室内はロングシートを基本とし、頻繁な乗り降りにも対応しました。華やかな設備はありません。しかし、その割り切りこそ119系の個性でした。 「なぜ飯田線には専用車が必要だったのか」 飯田線は、ただの地方ローカル線ではありません。山岳区間が長く、勾配が続く。駅が多いため、発車しては停まり、また発車する。 さらに長距離路線でありながら、実際の利用は区間利用が中心です。つまり、「高速性能よりも、短い編成で確実に走れること」の方が重要でした。 119系では、低速域で十分な牽引力を得るため、主電動機に”MT55A形”を採用。 通勤形電車103系などで使われたMT55系列ですが、119系では飯田線向けの走行条件に合わせた性能設定が行われています。 さらに急勾配の下りに備えて、”抑速ブレーキ”も装備。見た目は地味でも、中身はかなり明確に「飯田線仕様」だったのです。 「旧形国電の楽園を終わらせた電車」鉄道ファンの目線で見ると、119系の登場には少し複雑なものがあります。 なぜなら119系が投入されたことで、飯田線に残っていた旧形国電が一気に姿を消していったからです。 戦前形。戦後直後の車両。流電と呼ばれたクモハ52形。 長い年月を生き抜いてきた電車たちが、新車の119系に置き換えられていく。 合理化という意味では当然の世代交代でした。しかし結果として119系は、 「旧形国電の楽園・飯田線に終止符を打った車両」でもありました。 登場当時の鉄道ファンからすれば、少々憎まれ役だったかもしれません。 ところが面白いことに、その119系自身も年月を重ねるにつれ、今度は「国鉄型」として惜しまれる存在になっていきます。 「国鉄からJR東海へ」 1987年。国鉄が分割民営化されると、119系は全車がJR東海へ継承されました。 登場時は青地に灰色帯という、独特の塗装。その後は白地にオレンジと緑のJR東海色へ姿を変えていきます。 さらに一部の車両はワンマン運転に対応。 クモハ119を両運転台化したクモハ119形5100番台も登場し、より少ない輸送量にも対応できる車両へ変化しました。飯田線の環境に合わせながら、119系は少しずつ姿を変えていったのです。...

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【国鉄名車列伝】キハ12・北海道の冬に挑んだ、小さなパイオニア

【国鉄名車列伝】キハ12・北海道の冬に挑んだ、小さなパイオニア

【国鉄名車列伝】キハ12・北海道の冬に挑んだ、小さなパイオニア 「北海道で気動車を走らせる。」今では当たり前の話ですが、1950年代の国鉄にとって、それは決して簡単なことではありませんでした。本州向けの車両を、そのまま北海道へ持っていけばいい。そんな甘い環境ではありません。 猛烈な寒さ。吹雪。凍結。そして、容赦なく車内へ入り込む冷気。 そんな北海道の冬に、本気で立ち向かうために生まれたのが、 ”キハ12形”です。 始まりは「キハ48200形」 キハ12形が誕生したのは1956年。 当初はキハ48200形を名乗り、のちの称号改正でキハ12形となりました。製造されたのは、わずか22両。 ベースとなったのは、戦後の国鉄気動車を一気に近代化させたキハ10系です。しかし北海道には、すでにキハ11形100番台が投入されていました。 ところが実際に使ってみると… 「まだ寒い。」北海道の冬は、そう簡単には許してくれませんでした。そこで耐寒性能をさらに強化して登場したのがキハ12だったのです。 「二重窓を採用」 キハ12を語るうえで欠かせないのが、”側窓の二重化”。 外側の窓に加えて、車内側にも内窓を設置。外気との間に空気層を作ることで、客室の保温性能を高めました。 さらに乗降口と客室の間にも仕切りを設け、扉を開けた瞬間に冷気が客室へ流れ込むことを抑える。 後のキハ22などへつながっていく、 “北海道仕様”の基本思想がここにあります。 「運転士も寒かった」 興味深いのは、客室だけではありません。先に投入されていた寒地向け車両では、乗務員室の暖房にも課題がありました。そこでキハ12では暖房設備にも改良が加えられ、北海道で実際に働く乗務員の環境改善が図られていきます。 カタログスペックだけではなく、 「現場で使って分かった不具合を、次の車両に反映する。」こういう積み重ねこそ、国鉄車両らしいところです。 でも、”小さい” ただしキハ12は、あくまでキハ10系。後のキハ20系などと比べると、車体は細く小さい。搭載するDMH17系エンジンの出力にも余裕はなく、軽量な車体で性能を稼いでいました。 後年のキハ40形などと並べれば、 「こんなに小さかったのか」と思うほどです。しかし、その華奢な車体で北海道各地のローカル線を走り続けました。やがてキハ22形など、より本格的な北海道向け気動車が登場すると主役の座を譲り、1980年までに国鉄線上から姿を消します。 「そして、約20年後に“復活”する」 ところがキハ12という形式名は、それから約20年後思わぬ形で再び全国区になります。 1999年公開の映画、「鉄道員(ぽっぽや)」 高倉健さん演じる駅長・佐藤乙松が守り続ける終着駅「幌舞駅」 そこへ雪をかき分けるように現れる一両の気動車。劇中でその車両に与えられた番号が、「キハ12...

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【国鉄名車列伝】キハ12・北海道の冬に挑んだ、小さなパイオニア

【国鉄名車列伝】キハ12・北海道の冬に挑んだ、小さなパイオニア 「北海道で気動車を走らせる。」今では当たり前の話ですが、1950年代の国鉄にとって、それは決して簡単なことではありませんでした。本州向けの車両を、そのまま北海道へ持っていけばいい。そんな甘い環境ではありません。 猛烈な寒さ。吹雪。凍結。そして、容赦なく車内へ入り込む冷気。 そんな北海道の冬に、本気で立ち向かうために生まれたのが、 ”キハ12形”です。 始まりは「キハ48200形」 キハ12形が誕生したのは1956年。 当初はキハ48200形を名乗り、のちの称号改正でキハ12形となりました。製造されたのは、わずか22両。 ベースとなったのは、戦後の国鉄気動車を一気に近代化させたキハ10系です。しかし北海道には、すでにキハ11形100番台が投入されていました。 ところが実際に使ってみると… 「まだ寒い。」北海道の冬は、そう簡単には許してくれませんでした。そこで耐寒性能をさらに強化して登場したのがキハ12だったのです。 「二重窓を採用」 キハ12を語るうえで欠かせないのが、”側窓の二重化”。 外側の窓に加えて、車内側にも内窓を設置。外気との間に空気層を作ることで、客室の保温性能を高めました。 さらに乗降口と客室の間にも仕切りを設け、扉を開けた瞬間に冷気が客室へ流れ込むことを抑える。 後のキハ22などへつながっていく、 “北海道仕様”の基本思想がここにあります。 「運転士も寒かった」 興味深いのは、客室だけではありません。先に投入されていた寒地向け車両では、乗務員室の暖房にも課題がありました。そこでキハ12では暖房設備にも改良が加えられ、北海道で実際に働く乗務員の環境改善が図られていきます。 カタログスペックだけではなく、 「現場で使って分かった不具合を、次の車両に反映する。」こういう積み重ねこそ、国鉄車両らしいところです。 でも、”小さい” ただしキハ12は、あくまでキハ10系。後のキハ20系などと比べると、車体は細く小さい。搭載するDMH17系エンジンの出力にも余裕はなく、軽量な車体で性能を稼いでいました。 後年のキハ40形などと並べれば、 「こんなに小さかったのか」と思うほどです。しかし、その華奢な車体で北海道各地のローカル線を走り続けました。やがてキハ22形など、より本格的な北海道向け気動車が登場すると主役の座を譲り、1980年までに国鉄線上から姿を消します。 「そして、約20年後に“復活”する」 ところがキハ12という形式名は、それから約20年後思わぬ形で再び全国区になります。 1999年公開の映画、「鉄道員(ぽっぽや)」 高倉健さん演じる駅長・佐藤乙松が守り続ける終着駅「幌舞駅」 そこへ雪をかき分けるように現れる一両の気動車。劇中でその車両に与えられた番号が、「キハ12...

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