【国鉄型魔改造列車特集Vol.10】14系・「みやび」華々しく生まれ、わずか8か月で消えた和式客車
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国鉄末期。
全国では、12系や14系など既存の客車を大胆に改造した“ジョイフルトレイン”が次々と登場していました。
欧風客車、和式客車、展望車。
単に目的地まで運ぶだけではなく、「列車に乗ることそのもの」を商品にしようとしていた時代です。
そんな中、1986年4月1日に大阪鉄道管理局から登場したのが、14系客車を改造した和式客車「みやび」でした。
ところが、この列車に与えられた時間は、
あまりにも短かったのです。
種車はスハフ14形2両とオハ14形5両。
1986年2月から4月にかけて鷹取工場で改造され、
スロフ14 801・802、オロ14 801〜805の7両編成となりました。
ここで面白いのが、当時の和式客車といえば12系改造車が主流だったことです。
「なごやか」「旅路」「白樺」「江戸」など、
各地で12系を種車にしたお座敷列車が登場していました。
そこへ、特急形客車の14系を持ってきた。
14系改造では初となる和式客車でした。
しかも「みやび」は、
ただ座席を外して畳を敷いただけではありません。
最大の特徴は掘りごたつ式の客室。
従来のお座敷列車とは違い、畳の下へ足を下ろせる構造を採り入れました。
さらに編成には和風サロン、
そして日本庭園まで設けられていました。
特急用客車の車内に、日本庭園。
いま聞いても相当思い切った改造です。
国鉄末期に各地で競うように誕生したジョイフルトレインの中でも、「和」を前面に押し出した編成でした。
その流れを関西で見ると、1983年には同じ14系から欧風客車「サロンカーなにわ」が登場しています。
つまり大阪局にとって14系のジョイフルトレイン化は、
「みやび」が最初ではありませんでした。
ただし今度は欧風ではなく、徹底して“和”へ振った。
同じ14系でも、
片や欧風サロン、片や掘りごたつ付きのお座敷列車。
国鉄末期の改造車が面白いのは、同じ種車からまったく違う列車を作ってしまうところです。
「新車を造る」のではなく、
「いまある車両を使って新しい旅を作る」。
まさに、
このシリーズでいう“魔改造”そのものだったと言えるでしょう。
営業運転開始は1986年4月1日。
国鉄分割民営化まで、ちょうど1年を切った頃です。
普通なら、ここから国鉄最後の時代を走り、JR西日本へ引き継がれ、その後も団体列車として活躍していく。
そんな未来を想像します。
しかし「みやび」は、その未来を見ることができませんでした。
1986年12月28日。
「みやび」は山陰本線を香住から浜坂へ回送中、
余部鉄橋へ差しかかります。
この日は日本海側で強風が吹いていました。
午後1時25分頃、瞬間最大風速33mの突風にあおられ、
客車7両が鉄橋から転落。
その一部が直下の水産加工場を直撃しました。
この事故で、工場で働いていた5人と列車の車掌1人、合わせて6人が亡くなり、6人が重軽傷を負いました。
華々しく登場した「みやび」は、
営業開始からわずか8か月余りで、
あまりにも痛ましい事故により、その生涯を突然絶たれることになります。
事故後、7両は復旧されることなく、1987年2月に全車廃車。
国鉄分割民営化は、そのわずか2か月後でした。
つまり「みやび」は、国鉄最後の年に登場しながら、
JRの車籍を一度も持たなかったジョイフルトレインでもあります。
そして、この事故は鉄道の強風対策にも大きな影響を与えました。
余部鉄橋では列車規制風速が25m/sから20m/sへ強化され、強風警報時の取り扱いや風速計と信号設備の連動など、再発防止策が進められました。
旧余部鉄橋そのものも後に架け替えられ、2010年に現在のコンクリート橋へ役目を譲っています。
一方、「みやび」が目指した列車の思想は消えませんでした。
事故翌年の1987年11月、後継となるジョイフルトレイン「あすか」が登場します。
今度は12系を主体に、一部14系も組み込んだ7両編成。
展望車やイベントカーを備え、「列車そのものを楽しむ旅」という役割を引き継いでいきました。
14系特急形客車から、掘りごたつ、日本庭園を備えた和式客車へ。
これだけでも十分すぎるほどの“魔改造”。
しかし「みやび」が今も語られる理由は、
その大胆な改造だけではありません。
華々しく生まれながら、走れたのはわずか8か月余り。
国鉄最後の一年に登場し、
JRになる直前に姿を消した14系和式客車。
「みやび」は、ジョイフルトレイン全盛期へ向かう国鉄の熱気と、その裏側に刻まれたあまりにも短い生涯を、今に伝える一編成なのです。
(マイミー)

