Mr.DIMER Journal
【国鉄型魔改造列車特集Vol.12】「これが14系?」国鉄の魔改造が令和まで生き残った「サロン...
1983年。 国鉄末期の関西に、一編成の“異様に豪華な14系”が誕生しました。その名は、「サロンカーなにわ」。 種車は、特急形客車として全国を走っていた14系。ところが完成した姿は、もはや普通の14系とは別物でした。 両端には展望室。 車内にはラウンジ。 座席はグリーン車仕様。 そして編成全体を、深みのある塗装と金色系の帯でまとめた欧風デザイン。国鉄が本気で、「団体列車そのものを旅の目的にしよう」と考えた時代の象徴でした。 「“お座敷”ではなく、欧風へ」 当時の国鉄には、旧型客車などを改造したお座敷列車が各地に存在しました。しかし1980年代に入ると、団体旅行にも「豪華さ」や「非日常」を求める流れが強くなります。 1983年には東京側で「サロンエクスプレス東京」が登場。ほぼ同じ時期、関西で生まれた欧風客車が「サロンカーなにわ」でした。 国鉄の団体列車が、“畳敷きの宴会列車”からホテルのラウンジを思わせる空間へ変わっていく。その転換点の一つです。 「なぜ14系だったのか」 14系客車は、サービス電源を床下のディーゼル発電機から供給する「分散電源方式」を採用していました。20系のように、編成端に独立した電源車を必要としません。 編成を組み替えやすく、団体列車や臨時列車にも使いやすい。 この性格は、ジョイフルトレインへの改造とも相性がよかったのです。大阪鉄道管理局は、スハフ14とオハ14を種車に、7両編成の欧風客車を製作。形式も、スロフ14 703・704、オロ14 706〜710へと変わりました。普通車だった14系が、全車グリーン車の豪華編成へ。 これだけでも、かなり思い切った改造です。 「最大の魔改造は“両端”」 特に目を引くのが、編成両端のスロフ14。元の14系らしい切妻形の表情は大きく変えられ、車端部には展望室が設けられました。大きな窓越しに流れる線路を眺める。機関車に牽かれる客車列車でありながら、列車そのものに“展望する楽しさ”を持たせたわけです。 中間車も、ただ豪華な座席を並べただけではありません。ゆったりした車内空間をつくり、団体旅行そのものを楽しませる。 「目的地へ運ぶ14系」から、「乗っている時間が目的になる14系」へ。 車体を再利用しただけの改造ではなく、列車の役割そのものを変えた。ここが、サロンカーなにわの“魔改造”たる部分です。 「お召列車にも選ばれた」 そして、この車両にはもう一つ特別な経歴があります。 サロンカーなにわは、お召列車として使用された実績を持っています。団体用ジョイフルトレインとして生まれながら、皇室輸送にも使われる存在になった。国鉄型ジョイフルトレインの中でも、かなり特殊な経歴でしょう。 「客車だからこそ、行き先を選ばない」 サロンカーなにわには、専用の動力車がありません。 電化区間では電気機関車、非電化区間ではディーゼル機関車。牽引機を付け替えることで、さまざまな線区へ乗り入れられる。 電車型のジョイフルトレインとは違い、機関車と客車を組み合わせる昔ながらの方式が、逆に団体列車としての自由度を生みました。...
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1983年。 国鉄末期の関西に、一編成の“異様に豪華な14系”が誕生しました。その名は、「サロンカーなにわ」。 種車は、特急形客車として全国を走っていた14系。ところが完成した姿は、もはや普通の14系とは別物でした。 両端には展望室。 車内にはラウンジ。 座席はグリーン車仕様。 そして編成全体を、深みのある塗装と金色系の帯でまとめた欧風デザイン。国鉄が本気で、「団体列車そのものを旅の目的にしよう」と考えた時代の象徴でした。 「“お座敷”ではなく、欧風へ」 当時の国鉄には、旧型客車などを改造したお座敷列車が各地に存在しました。しかし1980年代に入ると、団体旅行にも「豪華さ」や「非日常」を求める流れが強くなります。 1983年には東京側で「サロンエクスプレス東京」が登場。ほぼ同じ時期、関西で生まれた欧風客車が「サロンカーなにわ」でした。 国鉄の団体列車が、“畳敷きの宴会列車”からホテルのラウンジを思わせる空間へ変わっていく。その転換点の一つです。 「なぜ14系だったのか」 14系客車は、サービス電源を床下のディーゼル発電機から供給する「分散電源方式」を採用していました。20系のように、編成端に独立した電源車を必要としません。 編成を組み替えやすく、団体列車や臨時列車にも使いやすい。 この性格は、ジョイフルトレインへの改造とも相性がよかったのです。大阪鉄道管理局は、スハフ14とオハ14を種車に、7両編成の欧風客車を製作。形式も、スロフ14 703・704、オロ14 706〜710へと変わりました。普通車だった14系が、全車グリーン車の豪華編成へ。 これだけでも、かなり思い切った改造です。 「最大の魔改造は“両端”」 特に目を引くのが、編成両端のスロフ14。元の14系らしい切妻形の表情は大きく変えられ、車端部には展望室が設けられました。大きな窓越しに流れる線路を眺める。機関車に牽かれる客車列車でありながら、列車そのものに“展望する楽しさ”を持たせたわけです。 中間車も、ただ豪華な座席を並べただけではありません。ゆったりした車内空間をつくり、団体旅行そのものを楽しませる。 「目的地へ運ぶ14系」から、「乗っている時間が目的になる14系」へ。 車体を再利用しただけの改造ではなく、列車の役割そのものを変えた。ここが、サロンカーなにわの“魔改造”たる部分です。 「お召列車にも選ばれた」 そして、この車両にはもう一つ特別な経歴があります。 サロンカーなにわは、お召列車として使用された実績を持っています。団体用ジョイフルトレインとして生まれながら、皇室輸送にも使われる存在になった。国鉄型ジョイフルトレインの中でも、かなり特殊な経歴でしょう。 「客車だからこそ、行き先を選ばない」 サロンカーなにわには、専用の動力車がありません。 電化区間では電気機関車、非電化区間ではディーゼル機関車。牽引機を付け替えることで、さまざまな線区へ乗り入れられる。 電車型のジョイフルトレインとは違い、機関車と客車を組み合わせる昔ながらの方式が、逆に団体列車としての自由度を生みました。...
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【国鉄型魔改造列車特集Vol.11】「これがキハ65?」ゴールデンエクスプレスアストルの大胆改造
これ、本当にキハ65?と思いませんか。 大きく回り込んだ前面窓。運転台より前方へ張り出した展望室。そして、原形をほとんど想像できない流線形の顔。 1988年、JR西日本・金沢支社に登場した「ゴールデンエクスプレスアストル」。 国鉄形急行用気動車を、ここまで変えてしまったジョイフルトレインでした。アストルの先頭車となったのは、キハ65 78とキハ65 514。 改造後はそれぞれキロ65 551・キロ65 1551となります。中間にはキハ28 2049を改造したキロ29 552を連結。 厳密にはキハ65形はキハ58形そのものではありませんが、キハ58系急行形気動車と編成を組んで活躍した、同世代の急行用気動車です。 では、なぜここまで大胆な改造が行われたのでしょうか。背景には、北陸で活躍していた「ゆぅトピア」がありました。 ゆぅトピアは気動車でありながら、485系特急「雷鳥」と併結して大阪方面から走り、電化区間では485系に牽かれ、非電化区間では自ら走るという離れ業をこなしていました。 しかし、編成は1本だけ。 検査時の代走や、増えつつあった団体列車需要に応える車両が必要になります。 そこで誕生したのがアストルでした。最大の見せ場は、やはり先頭部。 キハ65本来の貫通型前面は姿を消し、前頭部には大型曲面ガラスを使った展望室を新設。 客室から前方風景を楽しめる、当時のジョイフルトレインらしい豪華な構造となりました。 しかも単なる“観光用の改造車”ではありません。 先頭のキロ65形2両は、「ゆぅトピア」の代走として485系と併結できるよう、電車側との協調を考慮した設備を持っていました。 つまり、 「顔だけ派手に変えたキハ65」ではなかったのです。 気動車でありながら電車特急と手を組み、必要になれば自力で非電化区間へ入っていく。 アストルの魔改造ぶりは、外観よりむしろ“中身”にありました。一方、3両で団体列車として走るときは、中間のキロ29も連結。 車内にはサロンルームを備え、ソファやテーブルを配置。イベントスペースや座敷として使うこともできました。 全車グリーン車扱い。国鉄時代なら急行列車の一員だった車両が、JR発足直後の観光需要の中で、豪華な欧風ジョイフルトレインへ転身したのです。 登場時の塗装も強烈でした。白を基調にゴールド、さらにブルーとピンクを組み合わせた配色。 後年にはクリーム色とオレンジを基調とした姿へ変更され、印象は大きく変わりましたが、巨大な展望窓を持つ独特のスタイルは最後まで健在でした。 特に面白いのが、485系と併結するときの編成です。...
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これ、本当にキハ65?と思いませんか。 大きく回り込んだ前面窓。運転台より前方へ張り出した展望室。そして、原形をほとんど想像できない流線形の顔。 1988年、JR西日本・金沢支社に登場した「ゴールデンエクスプレスアストル」。 国鉄形急行用気動車を、ここまで変えてしまったジョイフルトレインでした。アストルの先頭車となったのは、キハ65 78とキハ65 514。 改造後はそれぞれキロ65 551・キロ65 1551となります。中間にはキハ28 2049を改造したキロ29 552を連結。 厳密にはキハ65形はキハ58形そのものではありませんが、キハ58系急行形気動車と編成を組んで活躍した、同世代の急行用気動車です。 では、なぜここまで大胆な改造が行われたのでしょうか。背景には、北陸で活躍していた「ゆぅトピア」がありました。 ゆぅトピアは気動車でありながら、485系特急「雷鳥」と併結して大阪方面から走り、電化区間では485系に牽かれ、非電化区間では自ら走るという離れ業をこなしていました。 しかし、編成は1本だけ。 検査時の代走や、増えつつあった団体列車需要に応える車両が必要になります。 そこで誕生したのがアストルでした。最大の見せ場は、やはり先頭部。 キハ65本来の貫通型前面は姿を消し、前頭部には大型曲面ガラスを使った展望室を新設。 客室から前方風景を楽しめる、当時のジョイフルトレインらしい豪華な構造となりました。 しかも単なる“観光用の改造車”ではありません。 先頭のキロ65形2両は、「ゆぅトピア」の代走として485系と併結できるよう、電車側との協調を考慮した設備を持っていました。 つまり、 「顔だけ派手に変えたキハ65」ではなかったのです。 気動車でありながら電車特急と手を組み、必要になれば自力で非電化区間へ入っていく。 アストルの魔改造ぶりは、外観よりむしろ“中身”にありました。一方、3両で団体列車として走るときは、中間のキロ29も連結。 車内にはサロンルームを備え、ソファやテーブルを配置。イベントスペースや座敷として使うこともできました。 全車グリーン車扱い。国鉄時代なら急行列車の一員だった車両が、JR発足直後の観光需要の中で、豪華な欧風ジョイフルトレインへ転身したのです。 登場時の塗装も強烈でした。白を基調にゴールド、さらにブルーとピンクを組み合わせた配色。 後年にはクリーム色とオレンジを基調とした姿へ変更され、印象は大きく変わりましたが、巨大な展望窓を持つ独特のスタイルは最後まで健在でした。 特に面白いのが、485系と併結するときの編成です。...
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【国鉄型魔改造列車特集Vol.10】14系・「みやび」華々しく生まれ、わずか8か月で消えた和式客車
国鉄末期。全国では、12系や14系など既存の客車を大胆に改造した“ジョイフルトレイン”が次々と登場していました。 欧風客車、和式客車、展望車。単に目的地まで運ぶだけではなく、「列車に乗ることそのもの」を商品にしようとしていた時代です。 そんな中、1986年4月1日に大阪鉄道管理局から登場したのが、14系客車を改造した和式客車「みやび」でした。 ところが、この列車に与えられた時間は、あまりにも短かったのです。 種車はスハフ14形2両とオハ14形5両。1986年2月から4月にかけて鷹取工場で改造され、スロフ14 801・802、オロ14 801〜805の7両編成となりました。 ここで面白いのが、当時の和式客車といえば12系改造車が主流だったことです。 「なごやか」「旅路」「白樺」「江戸」など、各地で12系を種車にしたお座敷列車が登場していました。そこへ、特急形客車の14系を持ってきた。14系改造では初となる和式客車でした。 しかも「みやび」は、ただ座席を外して畳を敷いただけではありません。 最大の特徴は掘りごたつ式の客室。従来のお座敷列車とは違い、畳の下へ足を下ろせる構造を採り入れました。 さらに編成には和風サロン、そして日本庭園まで設けられていました。 特急用客車の車内に、日本庭園。いま聞いても相当思い切った改造です。 国鉄末期に各地で競うように誕生したジョイフルトレインの中でも、「和」を前面に押し出した編成でした。 その流れを関西で見ると、1983年には同じ14系から欧風客車「サロンカーなにわ」が登場しています。 つまり大阪局にとって14系のジョイフルトレイン化は、「みやび」が最初ではありませんでした。ただし今度は欧風ではなく、徹底して“和”へ振った。 同じ14系でも、片や欧風サロン、片や掘りごたつ付きのお座敷列車。 国鉄末期の改造車が面白いのは、同じ種車からまったく違う列車を作ってしまうところです。 「新車を造る」のではなく、「いまある車両を使って新しい旅を作る」。 まさに、このシリーズでいう“魔改造”そのものだったと言えるでしょう。 営業運転開始は1986年4月1日。国鉄分割民営化まで、ちょうど1年を切った頃です。 普通なら、ここから国鉄最後の時代を走り、JR西日本へ引き継がれ、その後も団体列車として活躍していく。そんな未来を想像します。 しかし「みやび」は、その未来を見ることができませんでした。1986年12月28日。 「みやび」は山陰本線を香住から浜坂へ回送中、余部鉄橋へ差しかかります。この日は日本海側で強風が吹いていました。 午後1時25分頃、瞬間最大風速33mの突風にあおられ、客車7両が鉄橋から転落。その一部が直下の水産加工場を直撃しました。 この事故で、工場で働いていた5人と列車の車掌1人、合わせて6人が亡くなり、6人が重軽傷を負いました。華々しく登場した「みやび」は、営業開始からわずか8か月余りで、あまりにも痛ましい事故により、その生涯を突然絶たれることになります。 事故後、7両は復旧されることなく、1987年2月に全車廃車。国鉄分割民営化は、そのわずか2か月後でした。 つまり「みやび」は、国鉄最後の年に登場しながら、JRの車籍を一度も持たなかったジョイフルトレインでもあります。 そして、この事故は鉄道の強風対策にも大きな影響を与えました。 余部鉄橋では列車規制風速が25m/sから20m/sへ強化され、強風警報時の取り扱いや風速計と信号設備の連動など、再発防止策が進められました。...
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国鉄末期。全国では、12系や14系など既存の客車を大胆に改造した“ジョイフルトレイン”が次々と登場していました。 欧風客車、和式客車、展望車。単に目的地まで運ぶだけではなく、「列車に乗ることそのもの」を商品にしようとしていた時代です。 そんな中、1986年4月1日に大阪鉄道管理局から登場したのが、14系客車を改造した和式客車「みやび」でした。 ところが、この列車に与えられた時間は、あまりにも短かったのです。 種車はスハフ14形2両とオハ14形5両。1986年2月から4月にかけて鷹取工場で改造され、スロフ14 801・802、オロ14 801〜805の7両編成となりました。 ここで面白いのが、当時の和式客車といえば12系改造車が主流だったことです。 「なごやか」「旅路」「白樺」「江戸」など、各地で12系を種車にしたお座敷列車が登場していました。そこへ、特急形客車の14系を持ってきた。14系改造では初となる和式客車でした。 しかも「みやび」は、ただ座席を外して畳を敷いただけではありません。 最大の特徴は掘りごたつ式の客室。従来のお座敷列車とは違い、畳の下へ足を下ろせる構造を採り入れました。 さらに編成には和風サロン、そして日本庭園まで設けられていました。 特急用客車の車内に、日本庭園。いま聞いても相当思い切った改造です。 国鉄末期に各地で競うように誕生したジョイフルトレインの中でも、「和」を前面に押し出した編成でした。 その流れを関西で見ると、1983年には同じ14系から欧風客車「サロンカーなにわ」が登場しています。 つまり大阪局にとって14系のジョイフルトレイン化は、「みやび」が最初ではありませんでした。ただし今度は欧風ではなく、徹底して“和”へ振った。 同じ14系でも、片や欧風サロン、片や掘りごたつ付きのお座敷列車。 国鉄末期の改造車が面白いのは、同じ種車からまったく違う列車を作ってしまうところです。 「新車を造る」のではなく、「いまある車両を使って新しい旅を作る」。 まさに、このシリーズでいう“魔改造”そのものだったと言えるでしょう。 営業運転開始は1986年4月1日。国鉄分割民営化まで、ちょうど1年を切った頃です。 普通なら、ここから国鉄最後の時代を走り、JR西日本へ引き継がれ、その後も団体列車として活躍していく。そんな未来を想像します。 しかし「みやび」は、その未来を見ることができませんでした。1986年12月28日。 「みやび」は山陰本線を香住から浜坂へ回送中、余部鉄橋へ差しかかります。この日は日本海側で強風が吹いていました。 午後1時25分頃、瞬間最大風速33mの突風にあおられ、客車7両が鉄橋から転落。その一部が直下の水産加工場を直撃しました。 この事故で、工場で働いていた5人と列車の車掌1人、合わせて6人が亡くなり、6人が重軽傷を負いました。華々しく登場した「みやび」は、営業開始からわずか8か月余りで、あまりにも痛ましい事故により、その生涯を突然絶たれることになります。 事故後、7両は復旧されることなく、1987年2月に全車廃車。国鉄分割民営化は、そのわずか2か月後でした。 つまり「みやび」は、国鉄最後の年に登場しながら、JRの車籍を一度も持たなかったジョイフルトレインでもあります。 そして、この事故は鉄道の強風対策にも大きな影響を与えました。 余部鉄橋では列車規制風速が25m/sから20m/sへ強化され、強風警報時の取り扱いや風速計と信号設備の連動など、再発防止策が進められました。...
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【国鉄型魔改造列車特集Vol.9】72系・“中身は昭和、顔は新型”72系が歩んだ異色のシンデレ...
72系というと、どんな姿を思い浮かべるでしょうか。茶色い車体に切妻の前面。吊り掛け駆動の音を響かせながら、首都圏の通勤輸送を支えた、いわゆる「ゲタ電」。 ところが、その72系の中には「これ、本当に72系?」と言いたくなる車両がいました。 話は戦後まで遡ります。 72系の源流は、戦時設計で大量に製造された63系です。20m級4扉の大型車体で、とにかく大量の乗客を運ぶことを優先した電車でした。 戦後も輸送力不足を補うため使われましたが、1951年の桜木町事故をきっかけに安全対策が進められ、63系は改造のうえ72系グループへと整理されていきます。 その後、1952年からはモハ72形・クハ79形の新製車も登場。 そして1956年、72系は大きく姿を変えます。登場したのがモハ72形・クハ79形920番台です。 全金属製の軽量車体となり、従来の72系に見られたシル・ヘッダーもなくなりました。アルミサッシの窓を備えた外観は、それまでの旧形国電とは明らかに雰囲気が違います。1956年度の量産先行車9両に続き、翌年度には68両が製造され、72系の中でもひときわ近代的な一群となりました。 ただし、走行機器は従来の72系。吊り掛け駆動、抵抗制御です。 ここから72系の「見た目と中身が合わない」歴史が始まります。 さらに強烈だったのが1974年から仙石線へ投入されたアコモデーション改良車です。 古い72系の台枠や走行機器を生かしながら、車体を当時の103系に近いものへ更新。モハ72形970番台とクハ79形600番台が誕生しました。 高運転台の前面、ユニットサッシの側窓。車内も当時の新性能電車に近いものへ改められ、仙石線の寒冷地事情に合わせて半自動扉も備えました。 見た目だけなら、もう103系です。ところが床下は72系のまま。 MT40系主電動機による吊り掛け駆動を残していました。つまり「中身は昭和、顔は新型」。 4両編成5本、計20両が仙石線で使用されます。普通なら、この時点でかなりの魔改造です。 ところが72系の物語は、ここでは終わりません。 1985年、仙石線への103系投入で役目を失った970番台・600番台に、今度は川越線電化という新しい仕事が回ってきました。 川越―高麗川間は輸送量の関係から3両編成が必要でした。一方、仙石線を離れた車両は車体更新からまだ10年ほど。車体そのものは十分使える状態です。 ならば、この車体をもう一度使おう。 国鉄らしい判断でした。 そこで国鉄は、今度は足回りまで新性能化します。 103系の予備品や101系の廃車発生品などを活用し、主電動機や台車などを交換。旧性能電車だった72系は、ついに新性能電車へ生まれ変わります。 こうして誕生したのが103系3000番台です。 クモハ102・モハ103・クハ103の3両編成5本、計15両が1985年の川越線電化に合わせて登場しました。 72系なのに103系のような車体だった車両が、ついに本当に103系になったわけです。 しかも同じ1985年、山手線では新型の205系がデビューしています。片や軽量ステンレス車体の新世代通勤電車。その一方で川越線では、1950年代の車両をルーツに持つ72系改造車を103系へ仕立て直して使う。 この対比も、国鉄末期らしいところでしょう。 そして残ったモハ72形970番台5両も、1986年に電装解除されてサハ103形3000番台へ改造。青梅線で使用されたのち、1996年の八高線八王子―高麗川間電化に合わせて川越へ戻り、103系3000番台に組み込まれて4両編成となりました。 JR東日本へ継承後にはAU712形による冷房化も実施され、72系時代から受け継いだ半自動扉も引き続き活用されました。...
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72系というと、どんな姿を思い浮かべるでしょうか。茶色い車体に切妻の前面。吊り掛け駆動の音を響かせながら、首都圏の通勤輸送を支えた、いわゆる「ゲタ電」。 ところが、その72系の中には「これ、本当に72系?」と言いたくなる車両がいました。 話は戦後まで遡ります。 72系の源流は、戦時設計で大量に製造された63系です。20m級4扉の大型車体で、とにかく大量の乗客を運ぶことを優先した電車でした。 戦後も輸送力不足を補うため使われましたが、1951年の桜木町事故をきっかけに安全対策が進められ、63系は改造のうえ72系グループへと整理されていきます。 その後、1952年からはモハ72形・クハ79形の新製車も登場。 そして1956年、72系は大きく姿を変えます。登場したのがモハ72形・クハ79形920番台です。 全金属製の軽量車体となり、従来の72系に見られたシル・ヘッダーもなくなりました。アルミサッシの窓を備えた外観は、それまでの旧形国電とは明らかに雰囲気が違います。1956年度の量産先行車9両に続き、翌年度には68両が製造され、72系の中でもひときわ近代的な一群となりました。 ただし、走行機器は従来の72系。吊り掛け駆動、抵抗制御です。 ここから72系の「見た目と中身が合わない」歴史が始まります。 さらに強烈だったのが1974年から仙石線へ投入されたアコモデーション改良車です。 古い72系の台枠や走行機器を生かしながら、車体を当時の103系に近いものへ更新。モハ72形970番台とクハ79形600番台が誕生しました。 高運転台の前面、ユニットサッシの側窓。車内も当時の新性能電車に近いものへ改められ、仙石線の寒冷地事情に合わせて半自動扉も備えました。 見た目だけなら、もう103系です。ところが床下は72系のまま。 MT40系主電動機による吊り掛け駆動を残していました。つまり「中身は昭和、顔は新型」。 4両編成5本、計20両が仙石線で使用されます。普通なら、この時点でかなりの魔改造です。 ところが72系の物語は、ここでは終わりません。 1985年、仙石線への103系投入で役目を失った970番台・600番台に、今度は川越線電化という新しい仕事が回ってきました。 川越―高麗川間は輸送量の関係から3両編成が必要でした。一方、仙石線を離れた車両は車体更新からまだ10年ほど。車体そのものは十分使える状態です。 ならば、この車体をもう一度使おう。 国鉄らしい判断でした。 そこで国鉄は、今度は足回りまで新性能化します。 103系の予備品や101系の廃車発生品などを活用し、主電動機や台車などを交換。旧性能電車だった72系は、ついに新性能電車へ生まれ変わります。 こうして誕生したのが103系3000番台です。 クモハ102・モハ103・クハ103の3両編成5本、計15両が1985年の川越線電化に合わせて登場しました。 72系なのに103系のような車体だった車両が、ついに本当に103系になったわけです。 しかも同じ1985年、山手線では新型の205系がデビューしています。片や軽量ステンレス車体の新世代通勤電車。その一方で川越線では、1950年代の車両をルーツに持つ72系改造車を103系へ仕立て直して使う。 この対比も、国鉄末期らしいところでしょう。 そして残ったモハ72形970番台5両も、1986年に電装解除されてサハ103形3000番台へ改造。青梅線で使用されたのち、1996年の八高線八王子―高麗川間電化に合わせて川越へ戻り、103系3000番台に組み込まれて4両編成となりました。 JR東日本へ継承後にはAU712形による冷房化も実施され、72系時代から受け継いだ半自動扉も引き続き活用されました。...
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【国鉄型魔改造列車特集Vol.8】419系・715系 寝台特急を“普通列車”にしてしまった国鉄...
「寝台特急を、普通列車にしてしまえ。」そんな、今ではまず考えられない改造から生まれた電車がありました。 419系と715系。種車は、あの581系・583系です。昼は特急。夜は寝台特急。 一日中走ることを前提に生まれた万能特急電車が、最後には地方の駅を一駅ずつ停まる普通列車になりました。今回は、国鉄末期を象徴する“究極の再利用車”です。 「余り始めた581系・583系」 581系・583系は、昼行特急と夜行寝台特急の両方に使える「昼夜兼用電車」として登場しました。 昼は座席。夜は寝台。 車両を休ませず使うという、いかにも国鉄らしい発想です。しかし1980年代に入ると、新幹線網の拡大や夜行列車の縮小によって余剰車が発生。 一方、地方都市圏では普通列車を短編成化し、その代わり本数を増やす“シティ電車”化が進められていました。 増発するなら車両が必要。そこで国鉄が目を付けたのが、余っていた581系・583系でした。「特急車が余っているなら、普通列車に使えばいい。」理屈だけなら、確かにそうです。 「まず生まれた715系」 1984年。九州地区に715系0番台が登場します。581系を中心に改造された交流専用の4両編成です。翌1985年には東北地区向けの715系1000番台も登場。 とはいえ、元は寝台特急。そのままでは普通列車として使いにくいため、客用扉の増設、車端部のロングシート化、一部窓の開閉化などが行われました。 ただし、いくら手を加えても“特急車の身体”そのものは変えられません。扉は普通列車としては少なく、しかも幅も狭い。 ラッシュ時には乗り降りに時間がかかり、普通列車としては決して使いやすい車両ではありませんでした。 高い屋根。大柄な車体。独特の窓配置。 さらに車内にも、寝台特急だった頃の面影が残ります。改造後も座席配置や天井まわりには、どこか581系・583系らしい雰囲気が漂っていました。 普通列車なのに、どう見ても“元寝台特急”。それが715系でした。 「そして北陸には419系」 1985年。北陸本線向けに登場したのが419系です。こちらも583系を中心とした改造車ですが、北陸では交流区間だけでなく直流区間も走る必要がありました。そこで583系の交直流機器を活かし、交直流電車の419系となったのです。 編成は3両。 ところが短編成を増やすには、先頭車が足りません。ならばどうするか。 「中間車に運転台を付けてしまえばいい。」 ここで誕生したのが、あの顔です。 「食パン、誕生」 寝台電車特有の高い屋根を残したまま、中間車の端を切り落としたような前面に運転台を新設。 四角い車体。広大なおでこ。平らな前面。 鉄道ファンから、“食パン”と呼ばれる独特のスタイルが生まれました。クモハ419形はこの顔。さらにサハネ581形から改造されたクハ418形も食パン顔となります。 一方、クハネ581形から改造されたクハ419形には、寝台特急時代の顔が残りました。そのため419系には、「片方は583系顔、片方は食パン。」 さらには、「両方とも食パン。」という編成まで存在しました。同じ形式とは思えない姿です。 「普通列車なのに、寝台特急の癖が抜けない」...
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「寝台特急を、普通列車にしてしまえ。」そんな、今ではまず考えられない改造から生まれた電車がありました。 419系と715系。種車は、あの581系・583系です。昼は特急。夜は寝台特急。 一日中走ることを前提に生まれた万能特急電車が、最後には地方の駅を一駅ずつ停まる普通列車になりました。今回は、国鉄末期を象徴する“究極の再利用車”です。 「余り始めた581系・583系」 581系・583系は、昼行特急と夜行寝台特急の両方に使える「昼夜兼用電車」として登場しました。 昼は座席。夜は寝台。 車両を休ませず使うという、いかにも国鉄らしい発想です。しかし1980年代に入ると、新幹線網の拡大や夜行列車の縮小によって余剰車が発生。 一方、地方都市圏では普通列車を短編成化し、その代わり本数を増やす“シティ電車”化が進められていました。 増発するなら車両が必要。そこで国鉄が目を付けたのが、余っていた581系・583系でした。「特急車が余っているなら、普通列車に使えばいい。」理屈だけなら、確かにそうです。 「まず生まれた715系」 1984年。九州地区に715系0番台が登場します。581系を中心に改造された交流専用の4両編成です。翌1985年には東北地区向けの715系1000番台も登場。 とはいえ、元は寝台特急。そのままでは普通列車として使いにくいため、客用扉の増設、車端部のロングシート化、一部窓の開閉化などが行われました。 ただし、いくら手を加えても“特急車の身体”そのものは変えられません。扉は普通列車としては少なく、しかも幅も狭い。 ラッシュ時には乗り降りに時間がかかり、普通列車としては決して使いやすい車両ではありませんでした。 高い屋根。大柄な車体。独特の窓配置。 さらに車内にも、寝台特急だった頃の面影が残ります。改造後も座席配置や天井まわりには、どこか581系・583系らしい雰囲気が漂っていました。 普通列車なのに、どう見ても“元寝台特急”。それが715系でした。 「そして北陸には419系」 1985年。北陸本線向けに登場したのが419系です。こちらも583系を中心とした改造車ですが、北陸では交流区間だけでなく直流区間も走る必要がありました。そこで583系の交直流機器を活かし、交直流電車の419系となったのです。 編成は3両。 ところが短編成を増やすには、先頭車が足りません。ならばどうするか。 「中間車に運転台を付けてしまえばいい。」 ここで誕生したのが、あの顔です。 「食パン、誕生」 寝台電車特有の高い屋根を残したまま、中間車の端を切り落としたような前面に運転台を新設。 四角い車体。広大なおでこ。平らな前面。 鉄道ファンから、“食パン”と呼ばれる独特のスタイルが生まれました。クモハ419形はこの顔。さらにサハネ581形から改造されたクハ418形も食パン顔となります。 一方、クハネ581形から改造されたクハ419形には、寝台特急時代の顔が残りました。そのため419系には、「片方は583系顔、片方は食パン。」 さらには、「両方とも食パン。」という編成まで存在しました。同じ形式とは思えない姿です。 「普通列車なのに、寝台特急の癖が抜けない」...
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【国鉄型魔改造列車特集Vol.7】485系・宴/華/ニューなのはな
<古い国鉄特急を“豪華宴会列車”に仕立てた大胆すぎる再利用>「これを485系と呼んでいいのか?」そう言いたくなる車両が、JR東日本には存在しました。 国鉄特急色は消滅。あの485系らしい顔もない。車内には畳、掘りごたつ、カラオケ。しかし、その床下には紛れもなく国鉄型485系の機器が残っている。 今回の国鉄型魔改造列車は、 「宴」「華」「ニューなのはな」1990年代、JR東日本が次々と生み出した485系ジョイフルトレインです。 「新品なのか中古なのか分からない電車」この3編成。単純に古い485系の内装を豪華にしたわけではありません。種車から台車や主電動機、制御機器などを流用しながら、車体は”新しく”造り直した。 言ってしまえば、「古い485系を改造した」というより、“485系の足回りに新しい電車を載せた”に近い存在です。 ここが面白い。外から見れば当時の新型ジョイフルトレイン。しかし走行機器のルーツは国鉄時代。新品と中古の境界線が、妙に曖昧なのです。 1994年。「宴」485系が旅館になった。 まず登場したのが「宴」。485系0番台を種車とした6両編成で、全車グリーン車。ワインレッド系の車体に、大型の曲面ガラス。車内は畳敷きを基本とし、多くの車両には掘りごたつを設置先頭車には展望スペースまで用意されました。ただしパンタグラフを搭載するモロ484形2両は、低屋根部分の関係から掘りごたつ式ではありません。 それでも、国鉄特急の床下機器の上で宴会をする。冷静に考えるとなかなか凄い電車です。 1997年。「華」宴会電車をさらに完成させる。 次に登場したのが「華」。老朽化した12系お座敷客車「なごやか」の後継として、485系0・200番台から改造されました。 こちらも車体を新製。紫を基調とした姿は、もはや485系の面影など皆無です。 しかも「華」では全車の客室を掘りごたつ化。電動式の床を使い、必要なら全面をフラットな畳敷きにもできる。展望室、ミーティングルーム、カラオケまで備え、 もはや、「特急電車をお座敷列車にした」というより、“宴会施設を485系で走らせた”と言った方が近いかもしれません。 そして一番変態だった「ニューなのはな」1997年末に完成し、1998年に営業を開始した「ニューなのはな」。 165系「なのはな」の後継として登場しました。コイツは「宴」「華」とも少し違います。 なんと、”座席車にも、お座敷車にもなる” 普段は固定クロスシート。ところが座席を転換すると畳面が現れ、中央通路にテーブルを設置すれば掘りごたつへ変身。 荷物棚まで、お座敷使用時には折り畳めます。 さらに面白いのが、形式上はグリーン車なのに、座席車として一般向け臨時列車に使用する場合は普通車扱いになったこと。 つまり、車体だけでなく営業上の扱いまで変身する485系。ここまで万能にする必要があったのかと思うほどです。 「そこまで造るなら新車でよくない?」 そしてこの3編成には、どうしても一つの疑問が浮かびます。車体を丸ごと造り直し、内装も新しくする。ならば、最初から新車を造ればよかったのではないか? しかも宴の種車には、当時すでに車齢の高い485系が含まれていました。 外見は最新。しかし床下では、国鉄時代から使われてきた抵抗制御の485系が走っている。 今なら「そこまでして再利用する?」と感じる人もいるでしょう。しかし当時は話が違います。485系は直流1500Vだけでなく、交流50Hz・60Hzにも対応。機関車を必要とせず、広範囲へ自力で乗り入れられる。目的地が毎回変わる団体列車にとって、これほど都合のいい素材はなかなかありませんでした。 新車を一から設計するより、使える走行機器を再利用する。華やかな姿とは裏腹に、その発想は意外なほど合理的だったとも言えます。 結果的には「使い倒した側」が勝った。 ニューなのはなは2016年に引退。宴は2019年。そして華は2022年まで走りました。...
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<古い国鉄特急を“豪華宴会列車”に仕立てた大胆すぎる再利用>「これを485系と呼んでいいのか?」そう言いたくなる車両が、JR東日本には存在しました。 国鉄特急色は消滅。あの485系らしい顔もない。車内には畳、掘りごたつ、カラオケ。しかし、その床下には紛れもなく国鉄型485系の機器が残っている。 今回の国鉄型魔改造列車は、 「宴」「華」「ニューなのはな」1990年代、JR東日本が次々と生み出した485系ジョイフルトレインです。 「新品なのか中古なのか分からない電車」この3編成。単純に古い485系の内装を豪華にしたわけではありません。種車から台車や主電動機、制御機器などを流用しながら、車体は”新しく”造り直した。 言ってしまえば、「古い485系を改造した」というより、“485系の足回りに新しい電車を載せた”に近い存在です。 ここが面白い。外から見れば当時の新型ジョイフルトレイン。しかし走行機器のルーツは国鉄時代。新品と中古の境界線が、妙に曖昧なのです。 1994年。「宴」485系が旅館になった。 まず登場したのが「宴」。485系0番台を種車とした6両編成で、全車グリーン車。ワインレッド系の車体に、大型の曲面ガラス。車内は畳敷きを基本とし、多くの車両には掘りごたつを設置先頭車には展望スペースまで用意されました。ただしパンタグラフを搭載するモロ484形2両は、低屋根部分の関係から掘りごたつ式ではありません。 それでも、国鉄特急の床下機器の上で宴会をする。冷静に考えるとなかなか凄い電車です。 1997年。「華」宴会電車をさらに完成させる。 次に登場したのが「華」。老朽化した12系お座敷客車「なごやか」の後継として、485系0・200番台から改造されました。 こちらも車体を新製。紫を基調とした姿は、もはや485系の面影など皆無です。 しかも「華」では全車の客室を掘りごたつ化。電動式の床を使い、必要なら全面をフラットな畳敷きにもできる。展望室、ミーティングルーム、カラオケまで備え、 もはや、「特急電車をお座敷列車にした」というより、“宴会施設を485系で走らせた”と言った方が近いかもしれません。 そして一番変態だった「ニューなのはな」1997年末に完成し、1998年に営業を開始した「ニューなのはな」。 165系「なのはな」の後継として登場しました。コイツは「宴」「華」とも少し違います。 なんと、”座席車にも、お座敷車にもなる” 普段は固定クロスシート。ところが座席を転換すると畳面が現れ、中央通路にテーブルを設置すれば掘りごたつへ変身。 荷物棚まで、お座敷使用時には折り畳めます。 さらに面白いのが、形式上はグリーン車なのに、座席車として一般向け臨時列車に使用する場合は普通車扱いになったこと。 つまり、車体だけでなく営業上の扱いまで変身する485系。ここまで万能にする必要があったのかと思うほどです。 「そこまで造るなら新車でよくない?」 そしてこの3編成には、どうしても一つの疑問が浮かびます。車体を丸ごと造り直し、内装も新しくする。ならば、最初から新車を造ればよかったのではないか? しかも宴の種車には、当時すでに車齢の高い485系が含まれていました。 外見は最新。しかし床下では、国鉄時代から使われてきた抵抗制御の485系が走っている。 今なら「そこまでして再利用する?」と感じる人もいるでしょう。しかし当時は話が違います。485系は直流1500Vだけでなく、交流50Hz・60Hzにも対応。機関車を必要とせず、広範囲へ自力で乗り入れられる。目的地が毎回変わる団体列車にとって、これほど都合のいい素材はなかなかありませんでした。 新車を一から設計するより、使える走行機器を再利用する。華やかな姿とは裏腹に、その発想は意外なほど合理的だったとも言えます。 結果的には「使い倒した側」が勝った。 ニューなのはなは2016年に引退。宴は2019年。そして華は2022年まで走りました。...
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