【国鉄型魔改造列車特集Vol.11】「これがキハ65?」ゴールデンエクスプレスアストルの大胆改造
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これ、本当にキハ65?と思いませんか。
大きく回り込んだ前面窓。
運転台より前方へ張り出した展望室。
そして、原形をほとんど想像できない流線形の顔。
1988年、JR西日本・金沢支社に登場した
「ゴールデンエクスプレスアストル」。
国鉄形急行用気動車を、
ここまで変えてしまったジョイフルトレインでした。
アストルの先頭車となったのは、
キハ65 78とキハ65 514。
改造後はそれぞれ
キロ65 551・キロ65 1551となります。
中間にはキハ28 2049を改造した
キロ29 552を連結。
厳密にはキハ65形はキハ58形そのものではありませんが、
キハ58系急行形気動車と編成を組んで活躍した、
同世代の急行用気動車です。
では、なぜここまで大胆な改造が行われたのでしょうか。
背景には、北陸で活躍していた
「ゆぅトピア」がありました。
ゆぅトピアは気動車でありながら、
485系特急「雷鳥」と併結して大阪方面から走り、
電化区間では485系に牽かれ、
非電化区間では自ら走るという離れ業をこなしていました。
しかし、編成は1本だけ。
検査時の代走や、
増えつつあった団体列車需要に応える車両が必要になります。
そこで誕生したのがアストルでした。
最大の見せ場は、やはり先頭部。
キハ65本来の貫通型前面は姿を消し、
前頭部には大型曲面ガラスを使った展望室を新設。
客室から前方風景を楽しめる、
当時のジョイフルトレインらしい豪華な構造となりました。
しかも単なる“観光用の改造車”ではありません。
先頭のキロ65形2両は、
「ゆぅトピア」の代走として485系と併結できるよう、
電車側との協調を考慮した設備を持っていました。
つまり、
「顔だけ派手に変えたキハ65」
ではなかったのです。
気動車でありながら電車特急と手を組み、
必要になれば自力で非電化区間へ入っていく。
アストルの魔改造ぶりは、
外観よりむしろ“中身”にありました。
一方、3両で団体列車として走るときは、
中間のキロ29も連結。
車内にはサロンルームを備え、
ソファやテーブルを配置。
イベントスペースや座敷として使うこともできました。
全車グリーン車扱い。
国鉄時代なら急行列車の一員だった車両が、
JR発足直後の観光需要の中で、
豪華な欧風ジョイフルトレインへ転身したのです。
登場時の塗装も強烈でした。
白を基調にゴールド、
さらにブルーとピンクを組み合わせた配色。
後年にはクリーム色とオレンジを基調とした姿へ変更され、
印象は大きく変わりましたが、
巨大な展望窓を持つ独特のスタイルは最後まで健在でした。
特に面白いのが、
485系と併結するときの編成です。
アストル3両が、そのまま「雷鳥」の後ろに
ぶら下がったわけではありません。
中間のキロ29 552は最高速度95km/hのまま。
そのため485系との併結運転時には外され、
120km/h対応とされたキロ65形2両で運転されました。
見た目だけなら、
3両で完成された豪華列車。
しかし運用上は、
必要に応じて編成そのものを組み替える。
このあたりにも、
既存車を徹底的に使い倒そうとした時代らしさが見えます。
1997年末には延命工事も行われました。
このとき塗装を変更し、
中間車もキロ29 552からキロ29 554へ交代。
登場して終わりではなく、
時代に合わせながら手を入れ、
さらに走り続けました。
いま振り返ると、
「新車を造る」のとはまったく違う発想です。
使える走行機器と車体を土台にしながら、
必要な性能、設備、顔つきまで作り替えてしまう。
そしてアストルは、
団体臨時列車だけでなく、
「ゆぅトピア和倉」の代走などでも活躍。
北陸を中心に走り続けました。
しかし、種車は1960~70年代生まれの国鉄形気動車。
改造で姿を変えても、
老朽化から逃れることはできません。
2006年11月、
金沢―猪谷間で「ありがとうアストル」が運転され、
約18年にわたる活躍に幕を下ろしました。
そして2007年、廃車。
展望車。
サロン。
485系との併結。
そして非電化区間では自力走行。
国鉄形車両を「まだ使えるから残す」のではなく、
時代に合わせてまったく別の役割へ作り替える。
ゴールデンエクスプレスアストルは、
ジョイフルトレイン全盛期だからこそ生まれた、
国鉄形“魔改造”を象徴する一編成だったのかもしれません。
(マイミー)

