【廃車になったはずなのに】5年後、JR紀勢本線を走っていたキハ58 136
マイミー共有
鉄道の話を調べていると、よくこの話題を見かけます。
「国鉄で廃車になり、部品取りとして有田鉄道へ渡ったキハ58 136が、無車籍のまま営業運転に使われ、しかもJR紀勢本線まで走っていた」
実際、136が国鉄で廃車となった後に有田鉄道へ渡り、1992年頃には営業列車としてJR紀勢本線の湯浅まで走っていたことは記録から確認できます。
しかし、「その時も無車籍だった」という部分については、決定的な根拠が確認できません。
つまりこの話、本当に不思議なのは「無車籍の車両がなぜJR線を走れたのか」ではなく、
「そもそも本当に無車籍だったのか」
ということなのです。
国鉄末期の1987年2月10日、分割民営化を目前にキハ58 136は廃車となりました。
1962年に日本車輌で製造され、小郡機関区に新製配置。山口線系統の急行「あきよし」などに使用された後、岩国へ転属して急行「ちどり」などで活躍しました。
1970年度には冷房化され、1983年には亀山へ転属。関西本線や信楽線、片町線、紀勢本線などの普通列車にも使用されます。
しかし国鉄末期にはキハ58系にも余剰が生じ、136はJRへ継承されることなく廃車となりました。
本来なら、ここでこの車両の話は終わるはずでした。
ところが廃車後、キハ58 136は同じく廃車となったキハ58 86とともに、和歌山県の有田鉄道へ渡っています。
当時の有田鉄道には元富士急行のキハ58001などが在籍しており、藤並から国鉄、後のJR紀勢本線へ乗り入れ、湯浅まで走る列車も存在していました。
136と86については、このキハ58001などを維持するための「部品取り車」として譲渡されたとする説明が広く知られています。
ところがキハ58 136には、それだけでは説明しにくい記録が残っています。
1992年。
キハ58001とキハ58 136を組んだ編成が、実際に営業列車として走っているのです。
『旅』1992年9月号には、藤並8時48分発の列車に136が入った記録があります。
さらに当時の映像には、有田鉄道線内だけでなく、JR紀勢本線へ乗り入れ、湯浅まで走る136の姿も残されています。
1987年に国鉄で廃車となったキハ58が、その5年後、今度は有田鉄道の列車としてJR西日本となった紀勢本線を再び走っていたことになります。
では、この時の136はどのような扱いだったのでしょうか。
ここで重要なのが、「国鉄で廃車になった」ことと「有田鉄道でも無車籍だった」ことは同じではないという点です。
国鉄での車籍がなくなった後、譲渡先で営業車として使用するための手続きが行われていたのであれば、国鉄時代の廃車歴とは何も矛盾しません。
しかし現在確認できる資料からは、有田鉄道へ渡った後の136について、どのような手続きが行われ、1992年当時どのような車籍上の扱いだったのかまでは確認できません。
さらに資料によっては、136について「一時期運用された後、部品取りになった」とする記述もあります。
もしこちらが正しければ、話は大きく変わります。
「部品取りの無車籍車を営業運転に使った」のではなく、
「営業に使用されていた車両が、その後部品取りになった」
という可能性が出てくるからです。
そして1992年、有田鉄道のJR紀勢本線への乗り入れは終了しました。
キハ58 136が湯浅まで走った姿は、国鉄時代から続いてきた有田鉄道の本線乗り入れ、その最後期に残された光景でもあります。
「無車籍の部品取り車がJR線を走った」
よく見かけるこの話ですが、現時点でそこまで言い切れる資料は見つかりません。
ただ、それでこの話の面白さが薄れるわけではありません。
1987年、国鉄で廃車。
その5年後の1992年。
キハ58 136は、再び紀勢本線を走っていました。
国鉄時代には自らの所属する鉄道の線路だった場所を、今度は有田鉄道から乗り入れてきた車両として走る。
その間に国鉄はなくなり、線路の名前はJR西日本へ変わっていました。
なぜ136が営業列車に使われたのか。
その時、正式にはどのような扱いだったのか。
まだ分からない部分は残っています。
それでも映像には、キハ58001と編成を組み、乗客を乗せて紀勢本線を走る136の姿が確かに残っている。
車歴表だけを見れば、1987年2月10日で終わった一両。
しかし、その「廃車」の5年後にも、キハ58 136は確かに走っていた。
だからこの車両は、今でも時折語られるのかもしれません。
(マイミー)

