【考察】"首都圏色"にはなぜ"朱色"が選ばれたのか
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国鉄の一般形気動車を象徴する、朱色5号一色の塗装。
通称「首都圏色」、
その外観から「タラコ色」とも呼ばれ、
1970年代後半から全国の非電化線区へ広がりました。
この塗装は、
国鉄の経営悪化を背景に、
塗装工程を簡略化するために採用されたものです。
しかし、
それは「なぜ一色になったのか」の答えであって、
「なぜ朱色だったのか」の答えではありません。
合理化が目的なら、何色でもよかったはず。
さて本回は、首都圏色に朱色が選ばれた理由を考察してみましょう。
■気動車の標準色が変わった
それまで一般形気動車の標準色は、
クリーム4号と朱色4号の二色塗りでした。
ところが、二色を塗り分けるには、
境界部分のマスキングをはじめとする作業が必要となります。
そこで1975年、
相模線のキハ10 61に
朱色5号一色の塗装が試行され、
のちに首都圏、さらに全国へと広がることとなります。
ここで注目したいのは、
従来の気動車にも、すでに朱色が用いられていたことです。
つまり首都圏色は、
従来の塗装からまったく異なる色を選んだのではなく、
クリーム色との塗り分けを廃し、
気動車を象徴していた朱色系統だけを残したものと見ることができます。
■なぜ"朱色"が選ばれたのか?
もっとも、
従来の朱色4号をそのまま全面へ広げたわけではありません。
採用された朱色5号は、
朱色4号よりも明るい色調です。
車体全体を一色で覆っても暗い印象になりにくく、
草木の多い非電化線区でも周囲に埋没しにくい色といえます。
単色化による省力化と、鉄道車両としての視認性。
その双方を成立させるため、
従来の気動車色を基礎としながら、
より明るい朱色5号が選ばれたのではないでしょうか。
気動車標準色改め、
首都圏色が単なるイメージチェンジではなく、
従来の一般形気動車色を受け継ぎながら、
塗装工程を合理化した色であったこと。
その朱色一色の姿は、
首都圏から全国へ広がり、いつしか国鉄末期の非電化線区を象徴する装いとなりました。
ちなみに、なぜこの色合いを"首都圏色"と通称するかと言うと、
上述の通り、首都圏を始まりに展開された塗色であったことから。
ところで、
考察はほどほどに、
首都圏色をまとったキハ40系が山間を駆ける姿を見れば、
なるほど、朱色が選ばれた理由も理解できようというものです。
(Mr.DIMER編集長)


