宇野線の栄華と衰退
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<かつては本四の大動脈。瀬戸大橋が、その使命を変えた>
岡山駅から瀬戸内海に面する宇野駅へ。
現在では「宇野みなと線」の愛称を持ち、
地域輸送を担う宇野線ですが、
かつて、この路線には
現在からは想像しにくいほどの重要な役割が与えられていました。
本州と四国を結ぶ、大動脈です。
宇野線が開業したのは1910年6月12日。
同日、宇野―高松間には
国鉄の「宇高連絡船」が就航しました。
岡山から宇野まで列車で南下し、
宇野から船で瀬戸内海を渡り、
高松から再び列車へ。
こうして宇野線は、
本州と四国を結ぶ鉄道ネットワークの一部を担うことになります。
その地位は戦後、さらに高まることとなります。
関西方面からは
四国連絡急行「鷲羽」が宇野まで乗り入れ、
最盛期には定期・臨時を合わせて
実に11往復を数えています。
さらに東京からも、
寝台特急「瀬戸」が宇野へ。
地方都市へ向かう一ローカル線ではありません。
宇野駅は「終着駅」でありながら、
その先に四国全土を控えた
巨大な乗換駅でもあったのです。
しかし、その栄華には
二度の転機が訪れます。
まずは1972年。
山陽新幹線が岡山まで開業すると、
関西方面から宇野まで直通する列車の意義が薄れ、
急行「鷲羽」は大幅に縮小。
長距離輸送の主役は
「大阪から宇野へ直通」する形から、
「新幹線で岡山へ向かい、宇野線へ乗り換える」形へと変化しました。
そして決定打となったのが、
1988年4月10日の瀬戸大橋開業です。
岡山から茶屋町を経て、
児島、瀬戸大橋、坂出へ。
本州と四国は、
ついに一本のレールで結ばれました。
同時に宇高連絡船はその役目を終え、
東京―宇野間を走っていた寝台特急「瀬戸」も、
瀬戸大橋を渡って高松へ直通。
四国へ向かう列車は
茶屋町から宇野へ向かわず、
児島方面へ進むようになります。
昨日まで四国への大動脈だった
茶屋町―宇野間は、
一夜にして本四連絡の主役から退きました。
これは、
"宇野線"そのものが廃れたというよりも、
「より便利な鉄道ができた結果、
鉄道の役割が失われた」という、
"進化の過程で生まれた"、
「衰退」でもあります。
現在の宇野駅に、
かつてのような、
東京から寝台特急が到着することはありません。
しかし宇野線は消えず、
2016年には「宇野みなと線」の愛称が与えられ、
瀬戸内観光へのアクセス路線として
新たな役割を担っています。
四国への玄関口から、
瀬戸内の港町へ向かう路線へ。
宇野線ほど、
交通網の変化によって
その立場を劇的に変えた路線も、
そう多くはないでしょう。
(Mr.DIMER編集長)


