【新幹線を作った昭和日本の心意気 Vol.4】安全という思想
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新幹線を語るとき、
私たちはつい"速さ"に着目しがちです。
されど、この鉄道の本質は、
むしろ"安全"の側にあるのではないか。
第4回は、その設計思想について
お届けします。
■戦前からの、遺産
まず前提として、
新幹線は、
ゼロから生まれたわけではありません。
1939年、鉄道省が発案した「弾丸列車計画」。
東京から下関まで、
在来の東海道・山陽本線とは別に
広軌1,435mmの新線を建設し、
最高速度200km/h、
東京-大阪間を4時間で結ぶ。
翌1940年9月に承認され、
日本坂トンネル、新丹那トンネル、
東山トンネルの工事が着工されますが、
戦況悪化により中断します。
そして戦後。
この時に掘られたトンネルと、
半ば強制的に買収されていた用地が、
そのまま東海道新幹線に活用されました。
わずか5年で完成し得た理由の一端は、
ここにあると申せましょう。
ちなみに「新幹線」という"言葉"も、
この計画の関係者が
既に用いていたものです。
■踏切を、一切設けない
安全思想の中核、
新幹線は、
全線にわたって踏切を一切設けていません。
全線立体交差、
線路内に人が立ち入れぬ構造。
自動車との衝突という、
鉄道最大の事故要因を、
設計段階で排除してしまったわけです。
加えて、
曲線半径は東海道新幹線で最小2,500m、
山陽新幹線以降は4,000m。
勾配も原則15‰まで。
速く走るための線形が、
同時に安全のための線形でもある。
■三重系のATC
高速で走る列車から
地上の信号機を目視確認することは、
気象条件によっては困難となる。
故に新幹線は、
運転台に許容速度を表示し、
超過すれば自動的にブレーキが作動する
ATC(自動列車制御装置)を採用しました。
しかも、同じ機能を持つ系統を三つ備え、
一つが故障しても、
残る二つの多数決によって
運転を継続できる構造としています。
"壊れないもの"を作るのではなく、
"壊れても走れるもの"を作る。
この発想の転換こそが、
60年の安全を支えてきた、と
考えます。
■それでも、盲点はあった
1962年、神奈川県綾瀬付近から小田原付近に
モデル線が先行整備され、
試作電車1000形による試験が
繰り返されます。
1963年3月30日には、
256km/hの国内最高速度を記録。
されど、この鴨宮の地は、
相模湾に近く、冬でも比較的温暖。
降雪時の高速運転データが、
十分に得られなかったのです。
結果、開業後初めての冬。
関ヶ原周辺の激しい降雪により、
着雪による車両故障が頻発することとなります。
前人未到とは、
そういうことなのでしょう。
想定し得たものは潰し、
想定し得なかったものに叩かれ、
そこからまた学ぶ。
次回、最終回Vol.5は、
「昭和が遺したもの」。
新幹線が変えたものと、
現代の私たちについて。
(Mr.DIMER編集長)

