Mr.DIMER Journal

【国鉄型魔改造列車特集Vol.6】キハ56形・アルファコンチネンタルエクスプレス

【国鉄型魔改造列車特集Vol.6】キハ56形・アルファコンチネンタルエクスプレス

まだまだあるよ魔改造。 「北海道の急行形気動車を、リゾートホテルの送迎列車にしてしまえ。」 そんな発想から生まれたのが、1985年12月に登場したアルファコンチネンタルエクスプレス。通称「アルコン」です。 今回の種車は、新車ではありません。北海道で長年、急行列車を支えてきたキハ56系。 あの無骨な急行形気動車を、原形がほとんど分からなくなるまで作り替えてしまいました。 「ホテルと国鉄が作ったリゾート列車」石勝線開業後、トマムやサホロでは本格的なリゾート開発が進みます。そこでホテルアルファトマム、狩勝コンチネンタルホテルと国鉄が手を組み、リゾート客輸送のための専用列車を企画。 「アルファコンチネンタル」という名称も、両ホテルの名前を組み合わせたものでした。 当時の国鉄といえば、赤字、合理化、そして分割民営化を目前に控えた時代。そんな最中に、「古い急行形を豪華リゾート列車にして、新しい需要を掘り起こす。」かなり攻めています。 「キハ56の顔を切り落とす」 種車となったのはキハ56-201・209とキロ26-201。改造後は、キハ59-1+キハ29-1+キハ59-2という3両編成になりました。 しかし先頭車を見ると、もはやキハ56の面影はほぼありません。運転台周辺を大改造し、ハイデッカー構造の展望室と巨大な前面窓を設置。 あの北海道仕様の急行形が、一気に欧風リゾート列車へ変貌しました。 側面や床下をよく見れば確かにキハ56系の血統を感じますが、正面だけ見て種車を当てろと言われたら、かなり難しい。 これぞ"魔改造"です。 車内まで完全に別世界内装も従来のキハ56とは別物。展望性を重視した客室にリクライニングシートを備え、中間車キハ29-1には供食用カウンターまで設置。さらに先頭車にも冷房を供給するため、中間車の冷房電源装置まで強化されました。外見だけ派手にしたのではなく、サービス設備や電源設備まで手を入れている。 ”人気が出すぎて「普通のキハ56」を混ぜる” ところがアルコンは人気を集めます。すると3両では足りない。そこで増結用としてキロ26-202やキハ56-213をアルコンカラーに塗装して連結しました。 ただし基本的には”原形に近い車両”。外はアルコンなのに、中へ入れば見慣れた急行形。しかもキハ56-213はボックスシートを残したまま。豪華な展望車を期待して乗ったら、そこだけいつものキハ56。 これはこれで今なら乗ってみたいですが、当時のリゾート客からすれば「思うてたんと違う」となったでしょう。さらに1エンジンのキロ26を増結すると編成出力にも影響するため、運用面でも扱いやすいとは言えませんでした。 「だったら、やります。おかわりもう1両。」 そして1986年。国鉄が出した答えは、 「だったら、もう1両ちゃんと改造しよう。」 キハ56-212を種車に、キハ59-101を製作。運転台まで撤去して完全な中間車とし、アルコンは本格的な4両編成となります。足りなければ原形車を塗って繋ぐ。それで具合が悪ければ、さらに1両魔改造する。この力技こそ、国鉄末期のジョイフルトレインらしさではないでしょうか。 「北海道リゾート列車の先駆者」 その後の北海道には、フラノエクスプレス、トマムサホロエクスプレス、ニセコエクスプレス、クリスタルエクスプレスなど、個性的なリゾート列車が次々と登場します。アルコンは、そんな北海道のリゾート列車文化を切り拓いた先駆者の一つでした。新車を造る余裕がなくても、今ある車両と技術で新しい価値を作る。 キハ56という北海道の働き者を、観光客が憧れるリゾート列車へ変えてしまった国鉄マンたち。合理化の時代だからこそ生まれた、逆転の発想。 「キハ56形・アルファコンチネンタルエクスプレス」”元キハ56です”。 (マイミー)

続きを読む

【国鉄型魔改造列車特集Vol.6】キハ56形・アルファコンチネンタルエクスプレス

まだまだあるよ魔改造。 「北海道の急行形気動車を、リゾートホテルの送迎列車にしてしまえ。」 そんな発想から生まれたのが、1985年12月に登場したアルファコンチネンタルエクスプレス。通称「アルコン」です。 今回の種車は、新車ではありません。北海道で長年、急行列車を支えてきたキハ56系。 あの無骨な急行形気動車を、原形がほとんど分からなくなるまで作り替えてしまいました。 「ホテルと国鉄が作ったリゾート列車」石勝線開業後、トマムやサホロでは本格的なリゾート開発が進みます。そこでホテルアルファトマム、狩勝コンチネンタルホテルと国鉄が手を組み、リゾート客輸送のための専用列車を企画。 「アルファコンチネンタル」という名称も、両ホテルの名前を組み合わせたものでした。 当時の国鉄といえば、赤字、合理化、そして分割民営化を目前に控えた時代。そんな最中に、「古い急行形を豪華リゾート列車にして、新しい需要を掘り起こす。」かなり攻めています。 「キハ56の顔を切り落とす」 種車となったのはキハ56-201・209とキロ26-201。改造後は、キハ59-1+キハ29-1+キハ59-2という3両編成になりました。 しかし先頭車を見ると、もはやキハ56の面影はほぼありません。運転台周辺を大改造し、ハイデッカー構造の展望室と巨大な前面窓を設置。 あの北海道仕様の急行形が、一気に欧風リゾート列車へ変貌しました。 側面や床下をよく見れば確かにキハ56系の血統を感じますが、正面だけ見て種車を当てろと言われたら、かなり難しい。 これぞ"魔改造"です。 車内まで完全に別世界内装も従来のキハ56とは別物。展望性を重視した客室にリクライニングシートを備え、中間車キハ29-1には供食用カウンターまで設置。さらに先頭車にも冷房を供給するため、中間車の冷房電源装置まで強化されました。外見だけ派手にしたのではなく、サービス設備や電源設備まで手を入れている。 ”人気が出すぎて「普通のキハ56」を混ぜる” ところがアルコンは人気を集めます。すると3両では足りない。そこで増結用としてキロ26-202やキハ56-213をアルコンカラーに塗装して連結しました。 ただし基本的には”原形に近い車両”。外はアルコンなのに、中へ入れば見慣れた急行形。しかもキハ56-213はボックスシートを残したまま。豪華な展望車を期待して乗ったら、そこだけいつものキハ56。 これはこれで今なら乗ってみたいですが、当時のリゾート客からすれば「思うてたんと違う」となったでしょう。さらに1エンジンのキロ26を増結すると編成出力にも影響するため、運用面でも扱いやすいとは言えませんでした。 「だったら、やります。おかわりもう1両。」 そして1986年。国鉄が出した答えは、 「だったら、もう1両ちゃんと改造しよう。」 キハ56-212を種車に、キハ59-101を製作。運転台まで撤去して完全な中間車とし、アルコンは本格的な4両編成となります。足りなければ原形車を塗って繋ぐ。それで具合が悪ければ、さらに1両魔改造する。この力技こそ、国鉄末期のジョイフルトレインらしさではないでしょうか。 「北海道リゾート列車の先駆者」 その後の北海道には、フラノエクスプレス、トマムサホロエクスプレス、ニセコエクスプレス、クリスタルエクスプレスなど、個性的なリゾート列車が次々と登場します。アルコンは、そんな北海道のリゾート列車文化を切り拓いた先駆者の一つでした。新車を造る余裕がなくても、今ある車両と技術で新しい価値を作る。 キハ56という北海道の働き者を、観光客が憧れるリゾート列車へ変えてしまった国鉄マンたち。合理化の時代だからこそ生まれた、逆転の発想。 「キハ56形・アルファコンチネンタルエクスプレス」”元キハ56です”。 (マイミー)

続きを読む
【国鉄型魔改造列車特集Vol.5】485系・「リゾートエクスプレスゆう」

【国鉄型魔改造列車特集Vol.5】485系・「リゾートエクスプレスゆう」

車籍は国鉄型、中身はほぼ別物。常磐線を駆けた究極のジョイフルトレイン 国鉄型車両というものは、本当に面白いですね。古くなったから廃車ではなく、「使えるものは、まだ使う。」台車、床下機器、電装品、そして時には車籍まで利用して、全く別の車両へ生まれ変わらせてしまう。 今回紹介する「リゾートエクスプレスゆう」は、そんな国鉄型魔改造文化がJR時代にまで受け継がれた、とんでもない一編成です。 その姿を見て、「これは485系です」と言われても、おそらく大半の人が首を傾げるでしょう。 しかし、形式上は485系。しかも、その成り立ちは想像以上に複雑でした。 「お座敷客車『ふれあい』の後継として誕生」 リゾートエクスプレスゆうが登場したのは1991年。JR東日本水戸支社が使用していたお座敷客車「ふれあい」の後継として製作された、6両編成のジョイフルトレインです。 ただし、「余った485系を改造しました」という単純な話ではありません。 種車となったのはサロ183形、サロ189形などの特急形グリーン車で、485系だったのは4号車となったサロ485-1。そこへ485系用機器などを組み合わせ、交直流電車として再構成されました。 しかも車体は“ほぼ新製”。 つまり国鉄型車両の戸籍と機器を使って、新しい列車を造ってしまった。そんな車両なのです。 「485系の面影は、ほぼありません」 外観は強烈でした。大きく傾斜した前面。センターピラー部分の愛称表示器。丸みを帯びた車体に大型の側窓。 485系といえばボンネット形や、いわゆる「電気釜」の顔を思い浮かべますが、「ゆう」にはその面影がほとんどありません。 しかし床下へ目を向ければ、そこには国鉄特急形電車から受け継がれた機器類が並ぶ。「外見は平成。中身は国鉄。」このアンバランスさこそ、「ゆう」の最大の魅力だったのではないでしょうか。 「実は最初から“お座敷列車”ではない」 後年の「ゆう」といえば、畳敷きのお座敷列車という印象が強いと思います。ところが登場時は、いわゆる“欧風ジョイフルトレイン”でした。 車内には豪華な座席やラウンジ、イベントスペースなどを備え、団体旅行向けの豪華列車として誕生しています。 その後、旅行需要の変化に合わせて1998年に改装。客室の多くが畳敷きとなり、皆さんがよく知る「お座敷ゆう」へ変身しました。 一度大改造されて誕生した列車を、さらに時代に合わせて魔改造する。実に国鉄型らしい人生です。 「非電化区間?なら機関車で引っ張ればいい」 そして「ゆう」を語るうえで外せないのが、「マニ50 2186」通称「ゆうマニ」です。485系は電車ですから、本来なら架線のない非電化区間には入れません。 ならばどうするか。専用の電源車を連結し、ディーゼル機関車などに牽引させてしまえばいい。 「ゆう」は実際に、水郡線などの非電化区間へ乗り入れていました。 例えば2015年には、常陸大子から水戸までの水郡線区間をDE10 1697が牽引。そのDE10と「ゆう」の間には、サービス電源を供給する「ゆうマニ」が連結されていました。「お前、どこまで行く気なんだ。」思わずそう言いたくなるほど、「ゆう」は実にさまざまな線区へ顔を出しています。 水郡線、中央本線、東海道方面、私鉄の富士急行線まで。まるで、「線路さえつながってりゃ、とりあえず行ってみる。」と言わんばかりの行動範囲。 しかも耐寒耐雪対策、横軽対策、低屋根化など、広域運用を見据えた装備もしっかり盛り込まれていました。交流も直流もお構いなし。必要なら非電化区間は機関車に引っ張ってもらう。 まさに「行ける場所には全部行く」。そんな恐るべき万能ジョイフルトレインだったのです。...

続きを読む

【国鉄型魔改造列車特集Vol.5】485系・「リゾートエクスプレスゆう」

車籍は国鉄型、中身はほぼ別物。常磐線を駆けた究極のジョイフルトレイン 国鉄型車両というものは、本当に面白いですね。古くなったから廃車ではなく、「使えるものは、まだ使う。」台車、床下機器、電装品、そして時には車籍まで利用して、全く別の車両へ生まれ変わらせてしまう。 今回紹介する「リゾートエクスプレスゆう」は、そんな国鉄型魔改造文化がJR時代にまで受け継がれた、とんでもない一編成です。 その姿を見て、「これは485系です」と言われても、おそらく大半の人が首を傾げるでしょう。 しかし、形式上は485系。しかも、その成り立ちは想像以上に複雑でした。 「お座敷客車『ふれあい』の後継として誕生」 リゾートエクスプレスゆうが登場したのは1991年。JR東日本水戸支社が使用していたお座敷客車「ふれあい」の後継として製作された、6両編成のジョイフルトレインです。 ただし、「余った485系を改造しました」という単純な話ではありません。 種車となったのはサロ183形、サロ189形などの特急形グリーン車で、485系だったのは4号車となったサロ485-1。そこへ485系用機器などを組み合わせ、交直流電車として再構成されました。 しかも車体は“ほぼ新製”。 つまり国鉄型車両の戸籍と機器を使って、新しい列車を造ってしまった。そんな車両なのです。 「485系の面影は、ほぼありません」 外観は強烈でした。大きく傾斜した前面。センターピラー部分の愛称表示器。丸みを帯びた車体に大型の側窓。 485系といえばボンネット形や、いわゆる「電気釜」の顔を思い浮かべますが、「ゆう」にはその面影がほとんどありません。 しかし床下へ目を向ければ、そこには国鉄特急形電車から受け継がれた機器類が並ぶ。「外見は平成。中身は国鉄。」このアンバランスさこそ、「ゆう」の最大の魅力だったのではないでしょうか。 「実は最初から“お座敷列車”ではない」 後年の「ゆう」といえば、畳敷きのお座敷列車という印象が強いと思います。ところが登場時は、いわゆる“欧風ジョイフルトレイン”でした。 車内には豪華な座席やラウンジ、イベントスペースなどを備え、団体旅行向けの豪華列車として誕生しています。 その後、旅行需要の変化に合わせて1998年に改装。客室の多くが畳敷きとなり、皆さんがよく知る「お座敷ゆう」へ変身しました。 一度大改造されて誕生した列車を、さらに時代に合わせて魔改造する。実に国鉄型らしい人生です。 「非電化区間?なら機関車で引っ張ればいい」 そして「ゆう」を語るうえで外せないのが、「マニ50 2186」通称「ゆうマニ」です。485系は電車ですから、本来なら架線のない非電化区間には入れません。 ならばどうするか。専用の電源車を連結し、ディーゼル機関車などに牽引させてしまえばいい。 「ゆう」は実際に、水郡線などの非電化区間へ乗り入れていました。 例えば2015年には、常陸大子から水戸までの水郡線区間をDE10 1697が牽引。そのDE10と「ゆう」の間には、サービス電源を供給する「ゆうマニ」が連結されていました。「お前、どこまで行く気なんだ。」思わずそう言いたくなるほど、「ゆう」は実にさまざまな線区へ顔を出しています。 水郡線、中央本線、東海道方面、私鉄の富士急行線まで。まるで、「線路さえつながってりゃ、とりあえず行ってみる。」と言わんばかりの行動範囲。 しかも耐寒耐雪対策、横軽対策、低屋根化など、広域運用を見据えた装備もしっかり盛り込まれていました。交流も直流もお構いなし。必要なら非電化区間は機関車に引っ張ってもらう。 まさに「行ける場所には全部行く」。そんな恐るべき万能ジョイフルトレインだったのです。...

続きを読む
【国鉄型魔改造列車特集Vol.4】14系・スーパーエクスプレスレインボー

【国鉄型魔改造列車特集Vol.4】14系・スーパーエクスプレスレインボー

国鉄最後の春に生まれた、真紅の欧風客車今回取り上げるのは、国鉄分割民営化直前の1987年3月に登場した、14系700番台「スーパーエクスプレスレインボー」です。 当時の国鉄では、余剰となった12系・14系客車などを改造し、団体旅行向けのジョイフルトレインを各地で誕生させていました。東京北鉄道管理局でも、従来のお座敷列車とは異なる若者層を意識した欧風客車を企画。そこで種車に選ばれたのが14系座席客車でした。 改造は大宮工場と東急車輛で行われ、営業運転開始は1987年3月20日。 国鉄が消滅する、わずか11日前のことでした。 編成は7両。スロフ14 705オロ14 714オロ14 713オロ12 715オロ14 712オロ14 711スロフ14 706ここで面白いのが4号車です。 イベントカーのオロ12 715だけは14系ではなく、12系のオハ12 371から改造されました。 つまりレインボーは、14系6両の中央に12系1両を組み込んだ混成編成だったのです。しかも改造後の形式を見ると、すべて「ロ」。普通車だったオハ14・オハ12・スハフ14から改造されながら、完成後は7両すべてがグリーン車扱いという、かなり贅沢な編成になりました。 両端のスロフ14 705・706は、スハフ14 55・56が種車。車端部を大幅に作り替え、大型の曲面ガラスを備えた展望室を設置した「パノラマグリーンカー」とされました。中間のオロ14 711・714はグリーンカー。 オロ14 712・713には6人用コンパートメントを設け、グループ客が個室感覚で利用できる構造としました。そして中央のオロ12 715はイベントカー。 ステージなどを備え、移動中の車内そのものを団体旅行の宴会や催しの会場として使えるようにしていました。展望席、一般座席、個室、イベントスペース。 単に14系の内装を豪華にしたのではなく、7両それぞれに異なる役割を持たせたことこそ、レインボーの改造の面白さです。 外観も原形の14系から大きく変化。パールグレーとチェリーレッドを基調とし、中央のイベントカーには、 「SUPER EXPRESS RAINBOW」 の巨大なレタリングが描かれました。さらに国鉄は客車だけでは終わりません。...

続きを読む

【国鉄型魔改造列車特集Vol.4】14系・スーパーエクスプレスレインボー

国鉄最後の春に生まれた、真紅の欧風客車今回取り上げるのは、国鉄分割民営化直前の1987年3月に登場した、14系700番台「スーパーエクスプレスレインボー」です。 当時の国鉄では、余剰となった12系・14系客車などを改造し、団体旅行向けのジョイフルトレインを各地で誕生させていました。東京北鉄道管理局でも、従来のお座敷列車とは異なる若者層を意識した欧風客車を企画。そこで種車に選ばれたのが14系座席客車でした。 改造は大宮工場と東急車輛で行われ、営業運転開始は1987年3月20日。 国鉄が消滅する、わずか11日前のことでした。 編成は7両。スロフ14 705オロ14 714オロ14 713オロ12 715オロ14 712オロ14 711スロフ14 706ここで面白いのが4号車です。 イベントカーのオロ12 715だけは14系ではなく、12系のオハ12 371から改造されました。 つまりレインボーは、14系6両の中央に12系1両を組み込んだ混成編成だったのです。しかも改造後の形式を見ると、すべて「ロ」。普通車だったオハ14・オハ12・スハフ14から改造されながら、完成後は7両すべてがグリーン車扱いという、かなり贅沢な編成になりました。 両端のスロフ14 705・706は、スハフ14 55・56が種車。車端部を大幅に作り替え、大型の曲面ガラスを備えた展望室を設置した「パノラマグリーンカー」とされました。中間のオロ14 711・714はグリーンカー。 オロ14 712・713には6人用コンパートメントを設け、グループ客が個室感覚で利用できる構造としました。そして中央のオロ12 715はイベントカー。 ステージなどを備え、移動中の車内そのものを団体旅行の宴会や催しの会場として使えるようにしていました。展望席、一般座席、個室、イベントスペース。 単に14系の内装を豪華にしたのではなく、7両それぞれに異なる役割を持たせたことこそ、レインボーの改造の面白さです。 外観も原形の14系から大きく変化。パールグレーとチェリーレッドを基調とし、中央のイベントカーには、 「SUPER EXPRESS RAINBOW」 の巨大なレタリングが描かれました。さらに国鉄は客車だけでは終わりません。...

続きを読む
【国鉄型魔改造列車特集Vol.3】165系・パノラマエクスプレスアルプス

【国鉄型魔改造列車特集Vol.3】165系・パノラマエクスプレスアルプス

<急行形165系を切り刻み、“前面展望電車”へ。国鉄末期に生まれ、最後は富士山の麓まで走り抜いた魔改造車> 国鉄分割民営化を目前に控えた1987年3月。東京西鉄道管理局から、とんでもない165系が姿を現します。 その名は、「パノラマエクスプレスアルプス」 中央本線や大糸線を走るなら、雄大な山岳風景そのものを列車の魅力にしてしまおう。そんな発想から生まれた、国鉄最後期を代表するジョイフルトレインです。 種車は、急行形電車165系。しかし完成した姿を見れば、「165系はどこへ行った?」と言いたくなるほどの大改造でした。 最大の特徴は、両端のクロ165形。 クハ165形の前頭部を大胆に作り替え、運転台を客室より後方の高い位置へ移設。その前に展望室を設けるという、小田急ロマンスカーや名鉄パノラマカーを思わせる構造となりました。 これは国鉄の電車として初めて本格的な前面展望構造を採用した車両でした。 編成は、クロ165+モロ164+クモロ165+クモロ165+モロ164+クロ165の6両。 3両単位でも使用できる構成で、6両編成時には両端に展望車が来るよう組まれていました。そして車内も、もはや急行形165系ではありません。展望室、ラウンジ、大型窓、リクライニングシート。 さらにモロ164形のパンタグラフ下には「6人用個室」まで用意されました。 形式記号も「ハ」ではなく「ロ」。 つまり全車グリーン車。 外観も湘南色とは似ても似つかない、白を基調に赤と青を配した大胆なデザインとなりました。それでも床下では、MT54形主電動機を搭載する165系の足回りが生きています。 豪華な展望車の姿でありながら、走れば聞こえてくるのは国鉄急行形の音。まさに“魔改造”です。 しかも改造されたのは、まだ国鉄が存在していた最後の時期。新車を一から造るのではなく、長年酷使されてきた急行形電車を徹底的に造り替え、新しい観光需要へ対応させる。 そこには、限られた予算と車両を最大限に活用しようとした、国鉄末期ならではの発想が色濃く表れていました。そんなパノラマエクスプレスアルプスには、珍しい逸話も残されています。 1987年8月25日。テレビ番組の収録で、なんと”山手線を一周”しました。 ところが当時の山手線はATC区間。パノラマエクスプレスアルプス自身は対応していません。そこで先頭にATC対応のクモヤ143形を連結して走行。 つまりせっかくの展望室なのに、”真正面にはクモヤ143”。 「パノラマなのに前が見えない」という、なんとも国鉄末期らしい豪快な運転となりました。 民営化後はJR東日本へ継承。中央本線を中心に団体・臨時列車として活躍し、1990年代には同系統の塗装を施した167系4両を挟み、臨時急行「しんせん・やまなし」で10両編成を組んだことさえありました。 そして2001年、JR東日本での運用を終了。しかし、この165系の物語はここでは終わりません。 6両すべてが富士急行へ譲渡され、3両編成2本の2000系へ。 2002年2月から、「フジサン特急」として第二の人生を始めます。パノラマエクスプレス時代の展望室やラウンジ、個室を活かし、富士山を眺めながら走る観光特急へ転身。車体には富士山をキャラクター化した大量の「フジサン君」が描かれました。 国鉄時代の上品な欧風デザインから一転、かなりポップな姿。ところが中身は、紛れもなく165系です。しかもこの2000系は、やがて「営業運転を続ける最後の国鉄165系一族」となりました。 そして2013年には、引退を控えた2002号編成が、なんと往年のパノラマエクスプレスアルプス時代を思わせる塗装へ復刻。富士山の麓に、かつて中央本線を駆けた白・赤・青の姿が帰ってきました。 「フジサン特急」として生まれ変わった車両が、最後にもう一度“パノラマエクスプレスアルプス”へ戻る。長年この車両を追い続けたファンにとっては、まさに粋な餞別でした。老朽化のため順次引退が進み、最後まで残った2001号編成も、”2016年2月7日”にラストラン。直前には車両故障で約3週間運休するという出来事もありました。満身創痍の中、懸命な復旧作業によって再び営業運転へ復帰。そして予定通り雪の降る中多くのファンに見守られながら、最後の日を迎えています。 1960年代に急行形電車として生まれ、国鉄末期に展望ジョイフルトレインへ魔改造され、最後は富士山の麓を走る観光特急へ。 約半世紀にわたり、姿も役目も変えながら走り続けた165系。...

続きを読む

【国鉄型魔改造列車特集Vol.3】165系・パノラマエクスプレスアルプス

<急行形165系を切り刻み、“前面展望電車”へ。国鉄末期に生まれ、最後は富士山の麓まで走り抜いた魔改造車> 国鉄分割民営化を目前に控えた1987年3月。東京西鉄道管理局から、とんでもない165系が姿を現します。 その名は、「パノラマエクスプレスアルプス」 中央本線や大糸線を走るなら、雄大な山岳風景そのものを列車の魅力にしてしまおう。そんな発想から生まれた、国鉄最後期を代表するジョイフルトレインです。 種車は、急行形電車165系。しかし完成した姿を見れば、「165系はどこへ行った?」と言いたくなるほどの大改造でした。 最大の特徴は、両端のクロ165形。 クハ165形の前頭部を大胆に作り替え、運転台を客室より後方の高い位置へ移設。その前に展望室を設けるという、小田急ロマンスカーや名鉄パノラマカーを思わせる構造となりました。 これは国鉄の電車として初めて本格的な前面展望構造を採用した車両でした。 編成は、クロ165+モロ164+クモロ165+クモロ165+モロ164+クロ165の6両。 3両単位でも使用できる構成で、6両編成時には両端に展望車が来るよう組まれていました。そして車内も、もはや急行形165系ではありません。展望室、ラウンジ、大型窓、リクライニングシート。 さらにモロ164形のパンタグラフ下には「6人用個室」まで用意されました。 形式記号も「ハ」ではなく「ロ」。 つまり全車グリーン車。 外観も湘南色とは似ても似つかない、白を基調に赤と青を配した大胆なデザインとなりました。それでも床下では、MT54形主電動機を搭載する165系の足回りが生きています。 豪華な展望車の姿でありながら、走れば聞こえてくるのは国鉄急行形の音。まさに“魔改造”です。 しかも改造されたのは、まだ国鉄が存在していた最後の時期。新車を一から造るのではなく、長年酷使されてきた急行形電車を徹底的に造り替え、新しい観光需要へ対応させる。 そこには、限られた予算と車両を最大限に活用しようとした、国鉄末期ならではの発想が色濃く表れていました。そんなパノラマエクスプレスアルプスには、珍しい逸話も残されています。 1987年8月25日。テレビ番組の収録で、なんと”山手線を一周”しました。 ところが当時の山手線はATC区間。パノラマエクスプレスアルプス自身は対応していません。そこで先頭にATC対応のクモヤ143形を連結して走行。 つまりせっかくの展望室なのに、”真正面にはクモヤ143”。 「パノラマなのに前が見えない」という、なんとも国鉄末期らしい豪快な運転となりました。 民営化後はJR東日本へ継承。中央本線を中心に団体・臨時列車として活躍し、1990年代には同系統の塗装を施した167系4両を挟み、臨時急行「しんせん・やまなし」で10両編成を組んだことさえありました。 そして2001年、JR東日本での運用を終了。しかし、この165系の物語はここでは終わりません。 6両すべてが富士急行へ譲渡され、3両編成2本の2000系へ。 2002年2月から、「フジサン特急」として第二の人生を始めます。パノラマエクスプレス時代の展望室やラウンジ、個室を活かし、富士山を眺めながら走る観光特急へ転身。車体には富士山をキャラクター化した大量の「フジサン君」が描かれました。 国鉄時代の上品な欧風デザインから一転、かなりポップな姿。ところが中身は、紛れもなく165系です。しかもこの2000系は、やがて「営業運転を続ける最後の国鉄165系一族」となりました。 そして2013年には、引退を控えた2002号編成が、なんと往年のパノラマエクスプレスアルプス時代を思わせる塗装へ復刻。富士山の麓に、かつて中央本線を駆けた白・赤・青の姿が帰ってきました。 「フジサン特急」として生まれ変わった車両が、最後にもう一度“パノラマエクスプレスアルプス”へ戻る。長年この車両を追い続けたファンにとっては、まさに粋な餞別でした。老朽化のため順次引退が進み、最後まで残った2001号編成も、”2016年2月7日”にラストラン。直前には車両故障で約3週間運休するという出来事もありました。満身創痍の中、懸命な復旧作業によって再び営業運転へ復帰。そして予定通り雪の降る中多くのファンに見守られながら、最後の日を迎えています。 1960年代に急行形電車として生まれ、国鉄末期に展望ジョイフルトレインへ魔改造され、最後は富士山の麓を走る観光特急へ。 約半世紀にわたり、姿も役目も変えながら走り続けた165系。...

続きを読む
【国鉄型魔改造列車特集Vol.2】165系・なのはな

【国鉄型魔改造列車特集Vol.2】165系・なのはな

1986年。国鉄千葉鉄道管理局に、それまでのお座敷列車とは少し違う車両が誕生しました。 その名は、「なのはな」 種車となったのは、かつて急行列車として活躍した「165系電車」 全国では客車を改造したお座敷列車が主流だった時代に、国鉄は165系を大胆に改造し、国鉄初の本格的な「お座敷電車」を誕生させました。 最大の特徴は、客車ではなく”電車”であること。 機関車を必要とせず、自ら走ることができるため、団体列車として機動的な運用が可能でした。 編成は3両編成を2本用意し、基本的には6両で運転。全車がお座敷仕様となり、形式も普通車のクハ・モハ・クモハから、グリーン車を示すクロ165・モロ164・クモロ165へ変更されました。 外観には165系らしい“東海顔”を残しながら、房総半島と千葉県の県花「菜の花」をイメージした鮮やかな塗装へ変身。 つまり「なのはな」は、見た目を完全に作り替えた魔改造ではありません。しかし中身は、 急行形電車↓全車グリーン車↓畳敷きのお座敷電車 という大胆な転身でした。さらに各車には「すみれ」「あやめ」「きんせんか」「すいせん」「あじさい」「ゆり」と、花にちなんだ愛称まで与えられています。 「なのはな」の登場以降、電車をベースとしたジョイフルトレインはさらに進化。 翌1987年には同じ165系から、原形をほとんど感じさせない「パノラマエクスプレスアルプス」も登場します。 客車中心だったジョイフルトレインの世界に、「電車を丸ごと観光列車にする」 という新しい道を開いた165系「なのはな」。 国鉄型車両の第二の人生は、ここからさらに大胆になっていきます。 (マイミー)

続きを読む

【国鉄型魔改造列車特集Vol.2】165系・なのはな

1986年。国鉄千葉鉄道管理局に、それまでのお座敷列車とは少し違う車両が誕生しました。 その名は、「なのはな」 種車となったのは、かつて急行列車として活躍した「165系電車」 全国では客車を改造したお座敷列車が主流だった時代に、国鉄は165系を大胆に改造し、国鉄初の本格的な「お座敷電車」を誕生させました。 最大の特徴は、客車ではなく”電車”であること。 機関車を必要とせず、自ら走ることができるため、団体列車として機動的な運用が可能でした。 編成は3両編成を2本用意し、基本的には6両で運転。全車がお座敷仕様となり、形式も普通車のクハ・モハ・クモハから、グリーン車を示すクロ165・モロ164・クモロ165へ変更されました。 外観には165系らしい“東海顔”を残しながら、房総半島と千葉県の県花「菜の花」をイメージした鮮やかな塗装へ変身。 つまり「なのはな」は、見た目を完全に作り替えた魔改造ではありません。しかし中身は、 急行形電車↓全車グリーン車↓畳敷きのお座敷電車 という大胆な転身でした。さらに各車には「すみれ」「あやめ」「きんせんか」「すいせん」「あじさい」「ゆり」と、花にちなんだ愛称まで与えられています。 「なのはな」の登場以降、電車をベースとしたジョイフルトレインはさらに進化。 翌1987年には同じ165系から、原形をほとんど感じさせない「パノラマエクスプレスアルプス」も登場します。 客車中心だったジョイフルトレインの世界に、「電車を丸ごと観光列車にする」 という新しい道を開いた165系「なのはな」。 国鉄型車両の第二の人生は、ここからさらに大胆になっていきます。 (マイミー)

続きを読む
【国鉄型魔改造列車特集Vol.1】14系・サロンエクスプレス東京

【国鉄型魔改造列車特集Vol.1】14系・サロンエクスプレス東京

1983年。国鉄の14系客車から、それまでの「団体列車」の常識を大きく変える車両が誕生しました。 その名は、「サロンエクスプレス東京」 東京南鉄道管理局が14系座席客車を改造して登場させた、7両編成の欧風客車です。 最大の特徴は、その姿。両端のスハフ14を改造した展望車には、大きな窓に囲まれた展望室を設置。 中間車も一般的な座席車とは大きく異なり、個室を主体とした豪華な客室へと改造されました。 「目的地へ運ぶための客車」だった14系が、「列車に乗ることそのものを楽しむ車両」へ生まれ変わったのです。 それまで国鉄の団体用車両といえば、お座敷客車が代表的な存在でした。そこへ登場したサロンエクスプレス東京は、「展望室」・「個室」・「ラウンジ」といった欧風の設備を前面に押し出し、後に全国へ広がっていく「ジョイフルトレイン」の先駆けとなりました。 そして、この列車の物語は一度では終わりません。 JR東日本へ継承された後の1997年、サロンエクスプレス東京は再び大改造。欧風客車だった車内はお座敷主体へ変更され、列車名も「ゆとり」へ。 14系座席客車↓欧風ジョイフルトレイン↓お座敷ジョイフルトレイン 実に二度の大変身を遂げることになります。国鉄型車両を活用し、新しい鉄道旅行を作り出す。その後、日本各地に現れる個性豊かなジョイフルトレインたち。 サロンエクスプレス東京は、ジョイフルトレイン時代の幕を開けた一編成でした。 (マイミー)

続きを読む

【国鉄型魔改造列車特集Vol.1】14系・サロンエクスプレス東京

1983年。国鉄の14系客車から、それまでの「団体列車」の常識を大きく変える車両が誕生しました。 その名は、「サロンエクスプレス東京」 東京南鉄道管理局が14系座席客車を改造して登場させた、7両編成の欧風客車です。 最大の特徴は、その姿。両端のスハフ14を改造した展望車には、大きな窓に囲まれた展望室を設置。 中間車も一般的な座席車とは大きく異なり、個室を主体とした豪華な客室へと改造されました。 「目的地へ運ぶための客車」だった14系が、「列車に乗ることそのものを楽しむ車両」へ生まれ変わったのです。 それまで国鉄の団体用車両といえば、お座敷客車が代表的な存在でした。そこへ登場したサロンエクスプレス東京は、「展望室」・「個室」・「ラウンジ」といった欧風の設備を前面に押し出し、後に全国へ広がっていく「ジョイフルトレイン」の先駆けとなりました。 そして、この列車の物語は一度では終わりません。 JR東日本へ継承された後の1997年、サロンエクスプレス東京は再び大改造。欧風客車だった車内はお座敷主体へ変更され、列車名も「ゆとり」へ。 14系座席客車↓欧風ジョイフルトレイン↓お座敷ジョイフルトレイン 実に二度の大変身を遂げることになります。国鉄型車両を活用し、新しい鉄道旅行を作り出す。その後、日本各地に現れる個性豊かなジョイフルトレインたち。 サロンエクスプレス東京は、ジョイフルトレイン時代の幕を開けた一編成でした。 (マイミー)

続きを読む