Mr.DIMER Journal
【電車のDX化】
どうもセンチメンタルマイミーです。 編集長のせいでセンチメンタルです。 気がつけば東海顔も消滅寸前。。。 古き良きあの渋さが見れなくなる。。 時代の流れと言うのは寂しいですね。 最近ふと電車に乗った時に感じたんですが、 随分と音で楽しめなくなりました。 ブロワの音、緩解音、断流機のカコッ!って音、 五月蝿いコンプレッサーの音、定尺ジョイント音、 全く聞かなくなりましたね。 ファン目線で見ると、 やはり寂しさを禁じ得ません。 線路はロングレール化、車両はVVVF。 方向幕はフルカラーのLEDに変わり、 車掌の案内放送は、自動放送。 国鉄型の天国と言われたJR西日本でさえ、 車両の老朽化など、 様々な理由により国鉄型車両も、 数を減らしています。 最近ニュースで見ましたが、 ジャカルタのKAIでも、 205系の廃車が始まったそうです。 時代の変化とは無慈悲なものだと感じています。 便利だけど、快適だけど、 ファン目線で言う味みたいな物が無く、 虚無感ですら感じています。 乗務員目線で言うと、 変えるならとっとと全部変えてくれ。 多車種なんて冗談じゃないって思うのも本音です。 「業務で言うとです。」...
続きを読む【電車のDX化】
どうもセンチメンタルマイミーです。 編集長のせいでセンチメンタルです。 気がつけば東海顔も消滅寸前。。。 古き良きあの渋さが見れなくなる。。 時代の流れと言うのは寂しいですね。 最近ふと電車に乗った時に感じたんですが、 随分と音で楽しめなくなりました。 ブロワの音、緩解音、断流機のカコッ!って音、 五月蝿いコンプレッサーの音、定尺ジョイント音、 全く聞かなくなりましたね。 ファン目線で見ると、 やはり寂しさを禁じ得ません。 線路はロングレール化、車両はVVVF。 方向幕はフルカラーのLEDに変わり、 車掌の案内放送は、自動放送。 国鉄型の天国と言われたJR西日本でさえ、 車両の老朽化など、 様々な理由により国鉄型車両も、 数を減らしています。 最近ニュースで見ましたが、 ジャカルタのKAIでも、 205系の廃車が始まったそうです。 時代の変化とは無慈悲なものだと感じています。 便利だけど、快適だけど、 ファン目線で言う味みたいな物が無く、 虚無感ですら感じています。 乗務員目線で言うと、 変えるならとっとと全部変えてくれ。 多車種なんて冗談じゃないって思うのも本音です。 「業務で言うとです。」...
続きを読む
【教えて下さい】113系にシールドビーム車が登場した"そのとき"
<東海顔の印象を変えた「シールドビーム車」の出現、当時は戸惑いアリ!?> ■東海顔のトレードマーク、前照灯とタイフォン "湘南顔"スタイルの出自である80系を経て、 1958年に登場した国鉄153系の"顔"は、 その後、昭和、平成、令和と3元号を跨いで、今現在も活躍する「東海顔」の元祖です。 全盛期と比較して大幅に数を減らしつつも、 柔らかみのある曲面を用いながら折妻を基調に、 前面窓が側面にまで回り込む「パノラミックウィンドウ」、 前照灯とタイフォンを一体的に配置し、種別・行き先表示器を中央頭上に配置した姿は、 "国鉄近郊・急行形電車顔"の決定版、完成された造形と申せましょう。 ■デカ目がシールドビームに変わった"とき" 1963年に登場、1982年までの19年に渡り、総勢2,984両の製造された、 113系直流近郊型電車。 当初は、サムネイル写真"右"のように、びっくりしたような表情の、「原型ライト」、 いわゆるデカ目を装備していました。 これは、従来の車両に搭載されていたものと同じ、白熱球によるもの。 そして、1972年以降に製造された、1000番台以降の車両は シールドビーム、サムネイル写真"左"のような、小さな前照灯へと意匠を変更しています。 これは、デザイン目線での変更ではなく、 より明るく先を照らし出す為に採用しています。 とは言え、原型のデカ目ライト車とシールドビーム車が並ぶと、 その見た目の変化に驚きます。 なお、このシールドビームへの変更は、この後に製造される700番台も採用、 そののち、デカ目で登場した車両群も、0番台までさかのぼって改造、シールドビーム化されています。 なお、JR東日本では、1992年の成田線大菅踏切事故を受けて、 前面強化改造工事を実施。その際、白熱電球(デカ目)装備車は、この改造と共に、 シールドビーム化改造工事を実施したため、 1990年代に、"デカ目"車は消滅しています。 (なおJR西日本における"幾多"のシールドビーム改造工事については、いろいろ話さないといけないことが増えるので、 本執筆ではあえて触れないことにします)...
続きを読む【教えて下さい】113系にシールドビーム車が登場した"そのとき"
<東海顔の印象を変えた「シールドビーム車」の出現、当時は戸惑いアリ!?> ■東海顔のトレードマーク、前照灯とタイフォン "湘南顔"スタイルの出自である80系を経て、 1958年に登場した国鉄153系の"顔"は、 その後、昭和、平成、令和と3元号を跨いで、今現在も活躍する「東海顔」の元祖です。 全盛期と比較して大幅に数を減らしつつも、 柔らかみのある曲面を用いながら折妻を基調に、 前面窓が側面にまで回り込む「パノラミックウィンドウ」、 前照灯とタイフォンを一体的に配置し、種別・行き先表示器を中央頭上に配置した姿は、 "国鉄近郊・急行形電車顔"の決定版、完成された造形と申せましょう。 ■デカ目がシールドビームに変わった"とき" 1963年に登場、1982年までの19年に渡り、総勢2,984両の製造された、 113系直流近郊型電車。 当初は、サムネイル写真"右"のように、びっくりしたような表情の、「原型ライト」、 いわゆるデカ目を装備していました。 これは、従来の車両に搭載されていたものと同じ、白熱球によるもの。 そして、1972年以降に製造された、1000番台以降の車両は シールドビーム、サムネイル写真"左"のような、小さな前照灯へと意匠を変更しています。 これは、デザイン目線での変更ではなく、 より明るく先を照らし出す為に採用しています。 とは言え、原型のデカ目ライト車とシールドビーム車が並ぶと、 その見た目の変化に驚きます。 なお、このシールドビームへの変更は、この後に製造される700番台も採用、 そののち、デカ目で登場した車両群も、0番台までさかのぼって改造、シールドビーム化されています。 なお、JR東日本では、1992年の成田線大菅踏切事故を受けて、 前面強化改造工事を実施。その際、白熱電球(デカ目)装備車は、この改造と共に、 シールドビーム化改造工事を実施したため、 1990年代に、"デカ目"車は消滅しています。 (なおJR西日本における"幾多"のシールドビーム改造工事については、いろいろ話さないといけないことが増えるので、 本執筆ではあえて触れないことにします)...
続きを読む
【遅延との闘い】
鉄道員が命懸けで守る物。 それは安全と、時間です。 マイミーです。 たまたま、チラッと拝見した記事に、 昨今の鉄道の遅延について書かれていた記事がありました。 その内容は割愛しますが、 私の乗務員時代から思っていた事を、 本日は書いてみようと思います。 遅延の原因は大きく分けて3種類存在します。 ①列車や設備など、鉄道会社起因による遅延 ②天災 ③旅客起因による遅延 ①に関しては、 昨今JR東日本などが立て続けに騒がれていて、 メンテナンス体制が抜本的に見直されています。 ②に関しては、 天災大国日本は、抗っても抗いきれないですよね。 壊されては直して、壊されては直して。 それが山間部などの過疎地域に当たると、 莫大な復旧費用によりそのまま廃線と言うのも、 珍しくないですね。 ③旅客起因による遅延… これってね、僕ダントツだと思ってます。 旅客の起因。 いっぱいあります。 普通の人からしたらえ?そんなことが? みたいな事も、 場合によっては数十秒の遅延が、 数時間に波及します。 私が乗務員の時、特に多いと感じていたのが、...
続きを読む【遅延との闘い】
鉄道員が命懸けで守る物。 それは安全と、時間です。 マイミーです。 たまたま、チラッと拝見した記事に、 昨今の鉄道の遅延について書かれていた記事がありました。 その内容は割愛しますが、 私の乗務員時代から思っていた事を、 本日は書いてみようと思います。 遅延の原因は大きく分けて3種類存在します。 ①列車や設備など、鉄道会社起因による遅延 ②天災 ③旅客起因による遅延 ①に関しては、 昨今JR東日本などが立て続けに騒がれていて、 メンテナンス体制が抜本的に見直されています。 ②に関しては、 天災大国日本は、抗っても抗いきれないですよね。 壊されては直して、壊されては直して。 それが山間部などの過疎地域に当たると、 莫大な復旧費用によりそのまま廃線と言うのも、 珍しくないですね。 ③旅客起因による遅延… これってね、僕ダントツだと思ってます。 旅客の起因。 いっぱいあります。 普通の人からしたらえ?そんなことが? みたいな事も、 場合によっては数十秒の遅延が、 数時間に波及します。 私が乗務員の時、特に多いと感じていたのが、...
続きを読む
【急行形も顔負け】V12大出力エンジンの咆哮響く、キハ66系気動車
<特急形気動車キハ181系に採用されたV12気筒エンジン搭載!ハイパワーが逆に仇?> ■キハ40系の始祖にあたる試作的要素の強い車両 1975年の山陽新幹線博多開業にあたって、 筑豊・北九州地区の新幹線連絡・輸送改善を目的として開発されたキハ66系気動車は、 1974年から75年までの1年間で、2両編成×15本、合計30両が製造された、 「近郊形に分類される車両」です。 ここで、「近郊形」と断言しないのは、 車内設備面では、 デッキこそ省略されたものの、 当時の国鉄車両としては先鋭的な採用となった転換クロスシートを装備。 性能面では、 キハ65形やキハ181系特急形気動車で採用された、大出力エンジンの改良型である、 ハイパワーなV12気筒エンジン(DML30HSH)を搭載。 それは、従来の急行形気動車である、 キハ58系を凌ぐ水準の客室設備・動力性能を有していたこと、 また、新製から5年となる1980年まで、急行列車にも使用されていた歴史に敬意を表しました。 国鉄の"意欲作"とも言える車両ですが、 僅か30両の製造に終わったのは、 当時の国鉄の財政事情と、 エンジンの整備性の悪さなどから敬遠されたもの。 エンジンは1993年に、整備性の高い、 新潟鐵工所製DMF13HZA型(直列6気筒) の現代的なものに取り換えられています。 ■塗装に現れた、"折衷形"の意欲作 国鉄内部でも、このキハ66系気動車開発にあたっては、 新しい取り組みとした位置付けだったのか、 「急行列車にも使える」という意味合いも込めてか、 新製当時は、一般形気動車の規定色、朱色4号とクリーム4号を用いつつ、 急行形の塗分けで登場。 その後、1978年の「車両塗色及び表記基準規定」改正によって、...
続きを読む【急行形も顔負け】V12大出力エンジンの咆哮響く、キハ66系気動車
<特急形気動車キハ181系に採用されたV12気筒エンジン搭載!ハイパワーが逆に仇?> ■キハ40系の始祖にあたる試作的要素の強い車両 1975年の山陽新幹線博多開業にあたって、 筑豊・北九州地区の新幹線連絡・輸送改善を目的として開発されたキハ66系気動車は、 1974年から75年までの1年間で、2両編成×15本、合計30両が製造された、 「近郊形に分類される車両」です。 ここで、「近郊形」と断言しないのは、 車内設備面では、 デッキこそ省略されたものの、 当時の国鉄車両としては先鋭的な採用となった転換クロスシートを装備。 性能面では、 キハ65形やキハ181系特急形気動車で採用された、大出力エンジンの改良型である、 ハイパワーなV12気筒エンジン(DML30HSH)を搭載。 それは、従来の急行形気動車である、 キハ58系を凌ぐ水準の客室設備・動力性能を有していたこと、 また、新製から5年となる1980年まで、急行列車にも使用されていた歴史に敬意を表しました。 国鉄の"意欲作"とも言える車両ですが、 僅か30両の製造に終わったのは、 当時の国鉄の財政事情と、 エンジンの整備性の悪さなどから敬遠されたもの。 エンジンは1993年に、整備性の高い、 新潟鐵工所製DMF13HZA型(直列6気筒) の現代的なものに取り換えられています。 ■塗装に現れた、"折衷形"の意欲作 国鉄内部でも、このキハ66系気動車開発にあたっては、 新しい取り組みとした位置付けだったのか、 「急行列車にも使える」という意味合いも込めてか、 新製当時は、一般形気動車の規定色、朱色4号とクリーム4号を用いつつ、 急行形の塗分けで登場。 その後、1978年の「車両塗色及び表記基準規定」改正によって、...
続きを読む