Mr.DIMER Journal
【憧れのブルトレ Vol.8】JR発足後唯一の24系「夢空間」。次世代寝台列車の模索(1989年)
<"車両の形をした建築物"として生まれた、3両の夢> 前回(Vol.7)は、寝台列車の"カジュアル化"の先駆けたる、レガートシート車をご紹介しました。 今回はその対極、"豪華"の極みを模索した3両の客車、「夢空間」を取り上げます。 ■博覧会でデビューした異色の経歴夢空間が誕生したのは、1989年(平成元年)。 次世代寝台車両の方向性を探るため、JR東日本が製造した、わずか3両の豪華客車です。 特筆すべきは、そのデビューの舞台が、"線路の上"ではなかったこと。 同年開催の横浜博覧会(YES'89)の最寄り駅桜木町駅前の自社展示ブース「夢空間'89」にて、"車両の形をした建築物"として展示されたのが、夢空間のお披露目でした。 誕生前年の1988年に来日した、「オリエント・エクスプレス '88」の設計思想を参考に、内装・外部塗色とも、1両ごとに独自の意匠が凝らされています。 ■百貨店がデザインした客車夢空間を語る上で外せないのが、その異色のデザイン、製造体制。 ・デラックススリーパー(オロネ25 901) 製造:日本車輌製造/内装:髙島屋 2人用個室「エクセレントスイート」1室、 「スーペリアツイン」2室。 全室にバスルーム付き。定員はわずか6名。 ・ラウンジカー(オハフ25 901) 製造:富士重工業/内装:松屋 バーラウンジに、自動演奏装置付きピアノを設備。 ・ダイニングカー(オシ25 901) 製造:東急車輛製造/内装:東急百貨店 最後尾に連結される展望室付きの食堂車。 車両メーカーと百貨店がタッグを組み、1両ずつ異なる世界観を作り込む。"走るホテル"ならぬ、"走るおもてなし空間"の創造に業界の垣根を越えて手を携えた歴史です。 ■JR発足後、最初で最後の24系夢空間は自車に電源装置を持たないため、単独では走れず、24系や14系客車と併結して運行されました。 このため、車体構造・台車・サービス電源などの仕様は24系客車に合わせられており、形式もまた、24系。 つまり1989年に登場した夢空間の3両は、"JR発足後かつ、平成時代に新造された最初で最後の24系客車"ということになります。 他方、3両それぞれに"900番台"が区分されたのは、"24系"と言いつつ中身はまったくの別モノ、"新世代の車両であることへの意欲"を示した証左でしょう。 ■夢空間が遺したもの展示終了後は、「夢空間北斗星」をはじめとする団体専用列車や臨時列車で活躍。 1992年の年末には、テレビ番組の企画で九州へ乗り入れた実績も。 2008年3月をもって営業運転を終了しましたが、その設計手法は、後の「カシオペア」ことE26系客車へと確かに受け継がれました。 ■そして2026年、夢空間は今も現役 引退から18年。夢空間は現在、3両すべてが解体を免れ、今なお"現役"で活躍しています。 デラックススリーパーは、東京・木場のレストラン「アタゴール」として、長らく親しまれています。 そしてラウンジカーとダイニングカーの2両にも、つい先日、新たな動きがありました。 埼玉・ららぽーと新三郷での展示を経て、今年(2026年)、東京都清瀬市の清瀬市立中央公園へと移設。 この4月末より、レストランとして営業を開始したばかりです。...
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<"車両の形をした建築物"として生まれた、3両の夢> 前回(Vol.7)は、寝台列車の"カジュアル化"の先駆けたる、レガートシート車をご紹介しました。 今回はその対極、"豪華"の極みを模索した3両の客車、「夢空間」を取り上げます。 ■博覧会でデビューした異色の経歴夢空間が誕生したのは、1989年(平成元年)。 次世代寝台車両の方向性を探るため、JR東日本が製造した、わずか3両の豪華客車です。 特筆すべきは、そのデビューの舞台が、"線路の上"ではなかったこと。 同年開催の横浜博覧会(YES'89)の最寄り駅桜木町駅前の自社展示ブース「夢空間'89」にて、"車両の形をした建築物"として展示されたのが、夢空間のお披露目でした。 誕生前年の1988年に来日した、「オリエント・エクスプレス '88」の設計思想を参考に、内装・外部塗色とも、1両ごとに独自の意匠が凝らされています。 ■百貨店がデザインした客車夢空間を語る上で外せないのが、その異色のデザイン、製造体制。 ・デラックススリーパー(オロネ25 901) 製造:日本車輌製造/内装:髙島屋 2人用個室「エクセレントスイート」1室、 「スーペリアツイン」2室。 全室にバスルーム付き。定員はわずか6名。 ・ラウンジカー(オハフ25 901) 製造:富士重工業/内装:松屋 バーラウンジに、自動演奏装置付きピアノを設備。 ・ダイニングカー(オシ25 901) 製造:東急車輛製造/内装:東急百貨店 最後尾に連結される展望室付きの食堂車。 車両メーカーと百貨店がタッグを組み、1両ずつ異なる世界観を作り込む。"走るホテル"ならぬ、"走るおもてなし空間"の創造に業界の垣根を越えて手を携えた歴史です。 ■JR発足後、最初で最後の24系夢空間は自車に電源装置を持たないため、単独では走れず、24系や14系客車と併結して運行されました。 このため、車体構造・台車・サービス電源などの仕様は24系客車に合わせられており、形式もまた、24系。 つまり1989年に登場した夢空間の3両は、"JR発足後かつ、平成時代に新造された最初で最後の24系客車"ということになります。 他方、3両それぞれに"900番台"が区分されたのは、"24系"と言いつつ中身はまったくの別モノ、"新世代の車両であることへの意欲"を示した証左でしょう。 ■夢空間が遺したもの展示終了後は、「夢空間北斗星」をはじめとする団体専用列車や臨時列車で活躍。 1992年の年末には、テレビ番組の企画で九州へ乗り入れた実績も。 2008年3月をもって営業運転を終了しましたが、その設計手法は、後の「カシオペア」ことE26系客車へと確かに受け継がれました。 ■そして2026年、夢空間は今も現役 引退から18年。夢空間は現在、3両すべてが解体を免れ、今なお"現役"で活躍しています。 デラックススリーパーは、東京・木場のレストラン「アタゴール」として、長らく親しまれています。 そしてラウンジカーとダイニングカーの2両にも、つい先日、新たな動きがありました。 埼玉・ららぽーと新三郷での展示を経て、今年(2026年)、東京都清瀬市の清瀬市立中央公園へと移設。 この4月末より、レストランとして営業を開始したばかりです。...
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【憧れのブルトレ Vol.7】工夫が光る、レガートシート車の登場(1990年)
<各社、寝台列車に対する考え方が多様化していった時期> レガートシート車と言えば、寝台特急「あかつき」に組み込まれた普通車指定席の、それ単体で見れば、ブルートレインと言うより、"ムーンライト"、または夜行バス的な要素を持った"寝台列車カジュアル化"の先駆けとも言えますが。 1988年の北斗星や、その後のトワイライトエクスプレスと言ったいわゆる"豪華寝台列車"は1989年に登場、他方、"あかつき"においてレガートシート車を組み込んで運行開始したのが1990年ということを鑑みると、"寝台列車そのものの在り方"について議論が交わされていた年代にあって、一方的に"高付加価値を提供する寝台列車"へとトレンドが集約されていったのではなく一移動手段として、"寝台特急"に持たせる役割に"多様性"が、言い換えるならば"工夫"がなされていった年代と申せましょう。 京阪神~九州間夜行特急の祖にして、最後まで残ったブルートレイン、"あかつき"。 伝統や歴史を頑なに守り続ける"こだわり"より、時代の変化に合わせて、進化し続ける姿勢が"あかつき"の寿命を全うさせたのかもしれません。 最も、国鉄(それを継承するJR)にあって、"寝台特急"は、歴代優等列車群の中でも、格式高く伝統的な列車とも言え、そういった狭間にあって伝統と革新を調和させつつ未来への足掛かりとして"その一歩"を踏み出したのは。 "国鉄からJRに変わったこと"そのものを象徴する出来事の"ひとつ"だったと捉えています。 (Mr.DIMER編集長)
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<各社、寝台列車に対する考え方が多様化していった時期> レガートシート車と言えば、寝台特急「あかつき」に組み込まれた普通車指定席の、それ単体で見れば、ブルートレインと言うより、"ムーンライト"、または夜行バス的な要素を持った"寝台列車カジュアル化"の先駆けとも言えますが。 1988年の北斗星や、その後のトワイライトエクスプレスと言ったいわゆる"豪華寝台列車"は1989年に登場、他方、"あかつき"においてレガートシート車を組み込んで運行開始したのが1990年ということを鑑みると、"寝台列車そのものの在り方"について議論が交わされていた年代にあって、一方的に"高付加価値を提供する寝台列車"へとトレンドが集約されていったのではなく一移動手段として、"寝台特急"に持たせる役割に"多様性"が、言い換えるならば"工夫"がなされていった年代と申せましょう。 京阪神~九州間夜行特急の祖にして、最後まで残ったブルートレイン、"あかつき"。 伝統や歴史を頑なに守り続ける"こだわり"より、時代の変化に合わせて、進化し続ける姿勢が"あかつき"の寿命を全うさせたのかもしれません。 最も、国鉄(それを継承するJR)にあって、"寝台特急"は、歴代優等列車群の中でも、格式高く伝統的な列車とも言え、そういった狭間にあって伝統と革新を調和させつつ未来への足掛かりとして"その一歩"を踏み出したのは。 "国鉄からJRに変わったこと"そのものを象徴する出来事の"ひとつ"だったと捉えています。 (Mr.DIMER編集長)
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【憧れのブルトレ Vol.6】"ブルーじゃない!ブルートレイン"、TwilightExpres...
<ブルーでなくなった、濃緑の豪華寝台特急現る> トワイライトエクスプレス(TwilightExpress)と聞けば、 "瑞風"の方を思い浮かべる方が多数派になってしまったかもしれません。 今(2026年)からおよそ10年前、 2016年に完全引退した"トワイライトエクスプレス"は、 24系25形客車を種車とした、列車専用の装備・外装を備え、 文字通り"豪華寝台列車"の一翼を担った客車特急です。 ■北斗星を越えた?西日本の"ブルートレイン" 始まりは、旅行会社によるツアー商品に組み込まれる形態で、 団体専用列車として誕生した、"トワイライトエクスプレス"。 旅行商品の一種であったため、 一般に向けた特急券や寝台券が発売されることはありませんでしたが、 1989年7月の登場、その僅か5か月後には、 臨時列車として一般販売を開始しています。 全行程1,495.7km。(下り行程、上り行程は1,508.5km) 国鉄分割民営化後の、 JRとしては、日本一の営業キロ、 大阪~札幌間をおよそ22時間で結ぶ "JR史上最長距離を走る列車"でもありました。 ■惜しまれつつ引退 豪華寝台特急の一つとして、人気を博したトワイライトエクスプレス。 しかし、種車となった24系25形客車自体の老朽化ほか、 北海道新幹線開業に伴う青函トンネルの電圧変更で事実上通行不可、 また、新幹線並行在来線の第三セクター化により、 要設備改修、様々の手続き事項が複雑化したことも 廃止の理由に挙げられ、 遂に2015年春の3月12日、最終列車の運行をもって運転を終了しました。 ■「特別なトワイライトエクスプレス」 臨時列車として2015年3月まで運転された "トワイライトエクスプレス"ですが、...
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【憧れのブルトレ Vol.5】豪華寝台「北斗星」、グランシャリオが真骨頂(1988年)
<日本初の豪華寝台特急の冠、機関車も北斗星専用色> 青函トンネルの開業で、 北海道と本州が一つの線路で結ばれ、 東京(上野)~北海道(札幌)間を、乗り換えなしで結ぶようになった 寝台特急「北斗星」は、 1988年3月13日に登場しました。 移動手段としての寝台列車(夜行列車)というより、 ブルートレイン本来のコンセプト"走るホテル"をまさに体現した、 "ブルートレイン北斗星そのもの"を楽しむ目的の利用客も多く、 東北新幹線や航空路線が整備された中でも、 25年以上に亘って需要が衰えぬ人気列車だったと申せましょう。 ■豪華客車のオンパレード 牽引機すら、北斗星マークを付けた専用のEF81形(運行開始当初)からして、 その気合の入りように、北斗星に向けた期待を感じますが、 12両(1両は電源車)で組成される客車編成は、 辛うじて開放式B寝台車を備えるものの、編成中僅か3両。 その他は、 A寝台1人用個室「ロイヤル」、 A寝台2人用個室「ツインデラックス」、 B寝台1人用個室「ソロ」、 B寝台2人用個室「デュエット」、 ロビーカー、 食堂車「グランシャリオ」 と言った個性的かつ豪華な客車で構成され、 まさに冒頭の"走るホテル"もとい、"走るグランドホテル"と言っても 過言ではない陣容の編成でした。 大変な人気を誇った"北斗星"でしたが、 北海道新幹線開通に向けての青函トンネル等工事や試験走行の開始、 そしてなにより、北斗星客車、24系25形の老朽化を鑑みて、 2015年3月14日のダイヤ改正をもって廃止する方針が報道、...
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<日本初の豪華寝台特急の冠、機関車も北斗星専用色> 青函トンネルの開業で、 北海道と本州が一つの線路で結ばれ、 東京(上野)~北海道(札幌)間を、乗り換えなしで結ぶようになった 寝台特急「北斗星」は、 1988年3月13日に登場しました。 移動手段としての寝台列車(夜行列車)というより、 ブルートレイン本来のコンセプト"走るホテル"をまさに体現した、 "ブルートレイン北斗星そのもの"を楽しむ目的の利用客も多く、 東北新幹線や航空路線が整備された中でも、 25年以上に亘って需要が衰えぬ人気列車だったと申せましょう。 ■豪華客車のオンパレード 牽引機すら、北斗星マークを付けた専用のEF81形(運行開始当初)からして、 その気合の入りように、北斗星に向けた期待を感じますが、 12両(1両は電源車)で組成される客車編成は、 辛うじて開放式B寝台車を備えるものの、編成中僅か3両。 その他は、 A寝台1人用個室「ロイヤル」、 A寝台2人用個室「ツインデラックス」、 B寝台1人用個室「ソロ」、 B寝台2人用個室「デュエット」、 ロビーカー、 食堂車「グランシャリオ」 と言った個性的かつ豪華な客車で構成され、 まさに冒頭の"走るホテル"もとい、"走るグランドホテル"と言っても 過言ではない陣容の編成でした。 大変な人気を誇った"北斗星"でしたが、 北海道新幹線開通に向けての青函トンネル等工事や試験走行の開始、 そしてなにより、北斗星客車、24系25形の老朽化を鑑みて、 2015年3月14日のダイヤ改正をもって廃止する方針が報道、...
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【憧れのブルトレ Vol.4】グレードアップあさかぜ、金帯車の登場(1986年)
特集シリーズを増やしていくうちに期間の空いてしまった、 【憧れのブルトレ】シリーズ。 【特集、去り行く東海顔】と並行してお届けできればと思います。 <白帯、銀(ステンレス)帯、そして金帯へ。ブルトレの転換期> ブルートレインの始祖にして名門、「あさかぜ」号は、1956年に登場。 現在までに"ブルートレイン"として広く親しまれることになる姿になったのは、 1958年のこと。 当時最新鋭の20系寝台客車を用いた列車は、「走るホテル」との異名を持つほど、 画期的で先鋭的な長距離寝台特急として、その地位を不動のものとしました。 山陽新幹線全通(1975年8月)以降は、 本日のお題である、20系の後継車にしてブルートレイン車両の決定版とも言える "24系25形客車"が充てられるなど、ブルートレイン進化の先頭を走る存在でもありました。 ■金帯24系の登場 新幹線開業、高速道路網の未発達、航空機の利用が一般的でなかった時代において "都市間長距離輸送"と言うブルートレインの担う役割は大きく、 ダイヤが存在することそのものに利用価値が存在しましたが、 時代の進化によって、ブルートレインと競合する他の交通網が発達してきたことに対しては、 ブルートレインそのものの在り方を見直していく契機となります。 また、当時最新だった24系25形も、導入から10余年が経過していることもあり、 時代の変化、利用客のニーズに適合したアコモデーション改善が必要となります。 ■金帯の24系とはどんな車両だったか "あさかぜ"において、金帯化されたのは1・4号。 1986年11月に登場しています。 「グレードアップあさかぜ」の別名で通称されるのは、 ただ単に外見が金帯化したこと、に対してではなく、 国鉄初の意欲的な取り組みによるものです。 特筆されるべきは、 初の2人用B個室寝台「デュエット」の誕生。(オハネ25形100番台→スハネ25形700番台へ改造) シャワールームの設置、 ソファと丸テーブルを配したミニロビーなどの新要素は、...
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特集シリーズを増やしていくうちに期間の空いてしまった、 【憧れのブルトレ】シリーズ。 【特集、去り行く東海顔】と並行してお届けできればと思います。 <白帯、銀(ステンレス)帯、そして金帯へ。ブルトレの転換期> ブルートレインの始祖にして名門、「あさかぜ」号は、1956年に登場。 現在までに"ブルートレイン"として広く親しまれることになる姿になったのは、 1958年のこと。 当時最新鋭の20系寝台客車を用いた列車は、「走るホテル」との異名を持つほど、 画期的で先鋭的な長距離寝台特急として、その地位を不動のものとしました。 山陽新幹線全通(1975年8月)以降は、 本日のお題である、20系の後継車にしてブルートレイン車両の決定版とも言える "24系25形客車"が充てられるなど、ブルートレイン進化の先頭を走る存在でもありました。 ■金帯24系の登場 新幹線開業、高速道路網の未発達、航空機の利用が一般的でなかった時代において "都市間長距離輸送"と言うブルートレインの担う役割は大きく、 ダイヤが存在することそのものに利用価値が存在しましたが、 時代の進化によって、ブルートレインと競合する他の交通網が発達してきたことに対しては、 ブルートレインそのものの在り方を見直していく契機となります。 また、当時最新だった24系25形も、導入から10余年が経過していることもあり、 時代の変化、利用客のニーズに適合したアコモデーション改善が必要となります。 ■金帯の24系とはどんな車両だったか "あさかぜ"において、金帯化されたのは1・4号。 1986年11月に登場しています。 「グレードアップあさかぜ」の別名で通称されるのは、 ただ単に外見が金帯化したこと、に対してではなく、 国鉄初の意欲的な取り組みによるものです。 特筆されるべきは、 初の2人用B個室寝台「デュエット」の誕生。(オハネ25形100番台→スハネ25形700番台へ改造) シャワールームの設置、 ソファと丸テーブルを配したミニロビーなどの新要素は、...
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【憧れのブルトレ Vol.3】日本列島縦断、黄金期を駆けた24系客車
<分散電源の14系を経て24系へ。ブルートレインの決定版、24系25形> かつて日本全国を駆け巡った、「ブルートレイン」。 それは「動くホテル」の 異名を持つほど、快適な旅路を提供する列車でした。 前々回(憧れのブルトレ Vol.1)ご紹介した分散電源方式の14系客車を経て、 真打ちが登場します。 国鉄寝台客車の完成形とも言える24系客車、そしてその決定版である24系25形です。 ■【おさらい】14系は分割運転に利。しかし分散電源方式による課題はいくつも… 1971年、14系客車の登場は、"多層建て列車"(運行中の分割・併合運転)の運転に不向きであった、 20系客車の抱える課題を解決、分散電源方式を採用しました。 20系客車では、集中電源方式を採用、つまり、客車列車の営業・サービス提供に必要な電力を、 編成中、1両の発電車両に集中することで列車全体の静粛性を確保したもの。 都市部から地方へと運行される寝台列車においては、 地方末端部まで長大編成で運転することは経済的でないことから、 途中拠点で分割、編成両数を減らし、行き先の分散を図ることで 経済的な運転形態を採ることを目的としました。 ゆえに、分散電源方式の採用は、編成ごとに電源車を用意せず、 それぞれの車両が床下に発電用エンジンを持つことで、容易に分割・併合運転ができるようになりました。 しかし、その効率性の裏には課題もありました。 客室の真下で稼働するエンジンの騒音と振動による居住性の悪化。 そして、1972年に発生した北陸トンネル火災事故を機に、車両の難燃化と安全性について 検討されることになります。 「客室の直下に火種(燃料とエンジン)を置く」という構造に対し、国鉄は方針転換を 執らざるを得ない状況となり、 14系寝台車の製造は一旦中止となりました。 ■24系の誕生 14系の「分割の自由度」を必要としながらも、 安全性の確保に最重点を置き、1973年に誕生したのが24系です。 編成の端に巨大な発電機を積んだ電源車(カニ24など)を繋ぎ、編成全体に電力を供給する...
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<分散電源の14系を経て24系へ。ブルートレインの決定版、24系25形> かつて日本全国を駆け巡った、「ブルートレイン」。 それは「動くホテル」の 異名を持つほど、快適な旅路を提供する列車でした。 前々回(憧れのブルトレ Vol.1)ご紹介した分散電源方式の14系客車を経て、 真打ちが登場します。 国鉄寝台客車の完成形とも言える24系客車、そしてその決定版である24系25形です。 ■【おさらい】14系は分割運転に利。しかし分散電源方式による課題はいくつも… 1971年、14系客車の登場は、"多層建て列車"(運行中の分割・併合運転)の運転に不向きであった、 20系客車の抱える課題を解決、分散電源方式を採用しました。 20系客車では、集中電源方式を採用、つまり、客車列車の営業・サービス提供に必要な電力を、 編成中、1両の発電車両に集中することで列車全体の静粛性を確保したもの。 都市部から地方へと運行される寝台列車においては、 地方末端部まで長大編成で運転することは経済的でないことから、 途中拠点で分割、編成両数を減らし、行き先の分散を図ることで 経済的な運転形態を採ることを目的としました。 ゆえに、分散電源方式の採用は、編成ごとに電源車を用意せず、 それぞれの車両が床下に発電用エンジンを持つことで、容易に分割・併合運転ができるようになりました。 しかし、その効率性の裏には課題もありました。 客室の真下で稼働するエンジンの騒音と振動による居住性の悪化。 そして、1972年に発生した北陸トンネル火災事故を機に、車両の難燃化と安全性について 検討されることになります。 「客室の直下に火種(燃料とエンジン)を置く」という構造に対し、国鉄は方針転換を 執らざるを得ない状況となり、 14系寝台車の製造は一旦中止となりました。 ■24系の誕生 14系の「分割の自由度」を必要としながらも、 安全性の確保に最重点を置き、1973年に誕生したのが24系です。 編成の端に巨大な発電機を積んだ電源車(カニ24など)を繋ぎ、編成全体に電力を供給する...
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