【考察】103系1500番代の"顔"が国鉄設計局の集大成と思う理由

編集長

<103系であって103系にあらず。一地方配属車で片付けられないと思うワケ>

■103系1500番台とは
1983年の筑肥線・福岡市営地下鉄相互直通運転に合わせて、
その前年となる1982年に登場した、国鉄の通勤型電車です。
従来の103系とは異なり、東海顔の要素と、小田急9000系風のブラックフェイスを組み合わせた
105系以来の斬新フェイスで登場しました。
2015年以降は地下鉄直通を終え、3両編成が筑前前原~西唐津間で活躍中です。(2026年3月現在)

■JR九州線で活躍中の直流電車103系
そのほとんどが交流電化である国鉄九州地区、後のJR九州にあって、
福岡市営地下鉄との直通を見据え、筑肥線は直流方式での電化となりました。
これゆえに、交流車ではなく直流電車の導入が必要となり、103系1500番台が充てられました。
(1981年には後継の新鋭車201系が登場しており、順当に考えれば、201系の番台区分なりの導入可能性もありましたが、
その理由、経緯など、それはまた別途特集したいと思います)

■1500番台の顔が国鉄設計局の集大成と思う、その理由
文献や史実を別として、編集長としての考察であることをご了解いただいた上で…。
また、ぜひ当時の詳細をご存じの方がいらっしゃいましたら、
是非コメント欄でご指摘いただけたらと思います。
その上でお読みいただけたらと存じますが。

ここ最近、153系以来の東海顔について執筆を進めている中で気づいたこと。

前照灯の大概の進化の経緯を車両の登場順に追っていきますと、
80系や、それより前の旧型国電、キハ10系や20系などの車両は、
頭上白熱灯1灯の、いわゆる「目玉おやじ」顔がそれまでの基本形となっていました。

その後、
電車においては、東海顔の始祖である153系で、白熱灯2灯の左右対称配置、
そして、気動車においては、
キハ20系の「豚鼻シールドビーム」、キハ58系やキハ40系のような
前面窓上部にシールドビーム左右対称配置が基本的な前照灯配置となっているかと思います。

ここで気づいたのが、
電車は、前面窓より下。
気動車は、前面窓より上。
に前照灯が配置されていること。

もちろん、形式により必ずしもそうとは限らないものの、
数多く製造された、国鉄形の完成形と言われる車両は、おおよそこのような配置です。

その理由を調べたところ、
気動車は、閑散、山岳地域など、険しい線形の路線を走る、
故にかなり遠距離の前方を照らし出す必要がある。

そして電車の場合は、
乗客の多い路線を中心に走る。
ゆえに、駅ホームで列車待ちをするお客様がまぶしくないように、
上から照らすのではなく、乗客の目線より下を照らす。

こういうことでした。

そうなってくると、
急行・近郊型電車が80系の「目玉おやじ」から153系に進化した際、
前照灯が下方に付いたにもかかわらず、

より、多くの乗客の目線に触れる通勤型電車の103系の前照灯が、
正面窓より"上"に設置されたのには、違和感を覚えるわけです。

それは、103系が登場したのが1963年、
153系が登場したのが1958年ですから、
「前照灯の在り方」について、国鉄設計局なりの考え方が固まった後として
捉えるならば、やはり103系の前照灯が"正面窓より上"ということに対する
違和感はあってもよいものと考えます。

と言いつつ、
そうなった理由を考察すると、
103系が101系の後継量産車であったということ、
当時、国鉄の財政事情が1960年代半ばから悪化し始めたこと。

こういう理由を鑑みると、101系の設計を大幅に変更するより、
設計を引き継いで量産化した方が良かった。
という国鉄の懐事情が見えてきます。

前段がかなり長くなりましたが、
こういう事情を抱えて量産、運用されてきた103系にあって、
本日ご紹介した103系1500番台は、
国鉄設計局の「前照灯の配置に関する考え方」がしっかりと反映された、
最後の103系だった。と言えなくもないかな。と。

JR九州で最後の活躍を続ける、103系1500番台。
ほとんどの103系が首都圏で活躍した中で、
一地方配属車と言う「目立たぬ存在」となった1500番台ですが、
一方で、「国鉄設計局の集大成」と言える、
歴史に名を刻む車両ではないか、と思い取り上げました。

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