【門サキさんの鉄道員としての生き方】
マイミー共有
こんばんはマイミーです。
今日は三部作の一部目「門サキ」さんについて
門サキさんに記事を書いて頂きました。
「
私は九州で生まれ育ちました。中でも端島(軍艦島)を含めた長崎に住んでいた期間がもっとも長く、鉄道を身近に感じたのもその時期でした。
ということで、門鉄、長崎駅周辺現業機関の電略で門サキにしてみました。
高校は工業高校の電子工学科で、もともとエンジニア志望でしたが、国鉄に入りたくなり高3のときに進路を決めました。門鉄では運転系統は機械科限定だったため、やむなく東京三局を受験しました。
国鉄でなければ、先生にも勧められた電電公社に入っていたかもしれません。
国鉄分割民営化がもうすぐそこまできた1985年。
国鉄では、派遣・一時帰休・広域異動などの、
所謂三本柱が実施されました。
まずは役員が率先して行くべきだし、戻ってこれることを証明すべきだと思ったことから、私はIT関連の会社への派遣応募を決めました。
当時、国労が片道切符だなどと主張していましたし、入浴闘争など世間的にも反発しか招かない戦術を展開していたことに怒りを覚えていました。
派遣から最終的に国鉄を退職して移籍することにしましたが、少なくとも動労組合員に対して不都合な人事はないことが明らかになったことと、あわよくば移籍先の会社で九州に移籍できればというのを期待して、国鉄を退職しました。
分割民営化後の流れから言うと、何もしなかった国労組合員への処遇が不当労働行為にされるなど、我々に対しての梯子はずしのような状況になったことは今でもすごく悔しいと思っています。
政府や会社のやり方には、
大きな不満を持っています。
JR貨物に戻って、新鶴見機関区に配属されるなら、私にはそれが一番良かったのかもしれません。
<執筆:門サキ>
」
この様に国鉄分割民営化の際に、
1人のウテシがハンドルを置く事になったキッカケを伺い、やはり特殊な企業体であると実感しました。
国の方針や、国の考え方に大きく左右される国鉄
その国鉄に安全に命を賭ける職員達。
もっともっと深掘りしながらその時代背景を紐解いて行こうと思います。
ではまた!



