昔の車両はなぜ茶色(ぶどう色)だったのか
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古い鉄道写真を眺めていると、
ある時代までの鉄道車両が、
驚くほど同じような色をしていることに気づきます。
客車も、電車も、
そして電気機関車も。
黒にも見える、
非常に深い茶色。
国鉄では、この系統の色を
「ぶどう色」と呼んでいました。
今日の鉄道車両では、
路線ごと、会社ごとに異なる色をまとうことが当たり前。
ではなぜ、
昔の車両は揃いも揃って
茶色だったのでしょうか。
さて本回は、
鉄道車両と「ぶどう色」のおはなし。
理由のひとつとして挙げられるのが、
蒸気機関車です。
蒸気機関車が列車を牽引していた時代、
その後ろを走る客車には、
煤煙による汚れが付着しました。
明るい色よりも、
濃い茶色の方が汚れは目立ちにくい。
加えて、
全国に膨大な数の車両を抱える鉄道にとって、
塗色をある程度統一することは、
保守や管理の面でも合理的でした。
鉄道車両の塗装には、
今日のような「デザイン」という役割以上に、
車体を風雨や腐食から守るという
実用品としての役割がありました。
華やかさよりも実用性。
ぶどう色は、
そんな時代の鉄道を象徴する色だったとも言えます。
ところが戦後。
この「鉄道車両は茶色」という光景が、
大きく変わり始めます。
ひとつの転換点となったのが、
1950(昭和25)年。
横須賀線では、
それまでぶどう色だった旧型国電に、
青とクリームを組み合わせた塗装が登場。
後に「スカ色」と呼ばれる色です。
そして同じ1950年、
東海道本線には80系「湘南電車」が登場。
こちらは、
緑とオレンジ。
後の「湘南色」です。
もちろん、
戦前にもツートンカラーをまとったモハ52形などが存在しており、
1950年に突然、茶色以外の鉄道車両が生まれたわけではありません。
それでも、
ぶどう色一色が当たり前だった国鉄電車の世界に、
青とクリーム、
緑とオレンジという鮮やかな組み合わせが
相次いで現れた1950年前後は、
ひとつの大きな転換期でした。
やがて国鉄車両には、
特急色、急行色、首都圏色、
そして線区ごとの色など、
数多くのカラーリングが誕生していきます。
つまり、
私たちが今日「国鉄色」と聞いて思い浮かべる
色彩豊かな世界。
その直前まで、
日本の鉄道は長い間、
「茶色の世界」だったのです。
煤煙とともに走った、ぶどう色。
そして1950年頃、
鉄道車両は本格的に
「色をまとう時代」へと歩み始めました。
(Mr.DIMER編集長)

