【経営上の重荷?】3島会社に“プレゼント”された国鉄最後の新車
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<新車を貰ったのに、減価償却費で苦しんだ――は本当か>
国鉄分割民営化を目前に控えた1986~1987年。
北海道・四国・九州には、
新形式車両が相次いで投入されました。
北海道・四国向けのキハ54形。
九州向けのキハ31形。
四国向けの121系、キハ32形。
そして、四国には特急形のキハ185系も登場しています。
キハ185系に至っては、
JR四国発足のわずか5か月ほど前となる
1986年11月に営業運転を開始した車両でした。
なぜ国鉄は、
民営化直前になってこれほど新車を投入したのでしょうか。
背景にあったのが、
分割民営化後の「三島会社」経営問題です。
北海道・四国・九州は、
本州3社に比べて輸送密度の低い路線を多く抱え、
発足当初から厳しい経営が予想されていました。
ただでさえ苦しい会社へ、
老朽車ばかりを渡せば、
JR発足後すぐに多額の車両更新費が必要となります。
ならば国鉄のうちに新車を造り、
少しでも良好な状態で新会社へ引き渡しておこう――。
いわば、
三島会社への“置き土産”でした。
ところが、この新車群を導入することについて、
「新車を大量に渡されたことで、
三島会社は高額な固定資産を抱え、
かえって減価償却費に苦しむことになった」
という言説があります。
確かに、理屈だけを考えれば成立します。
例えば製造されたばかりのキハ185系なら、
未償却の資産価額は当然大きい。
それをJR四国が引き継げば、
以後長期間にわたって減価償却費が計上されます。
プレゼントのつもりが、
実は会計上の“重荷”だった――。
なんとも皮肉な話に見えてしまう。
しかし、
国鉄改革ではそこまで単純な処理は行われていませんでした。
三島会社には、
「収益調整価格」と呼ばれた特殊な資産評価が用いられていたのです。
国土交通省が後年、
国鉄改革時の資産評価について確認した記録があります。
そこでは、
三島会社は収益力が低く、
国鉄時代の簿価のまま資産を引き継いだのでは、
減価償却費すら賄えない状況だった。
そこで、
実際に必要となる管理費や将来の更新費などを勘案し、
それに見合うよう資産価額を逆算した――
と説明されています。
つまり三島会社は、
国鉄から渡された車両や施設を、
単純に従来の帳簿価額そのままで背負ったわけではありません。
会社の収益力を考慮したうえで、
減価償却負担まで含めて
資産価額が調整されていたのです。
さらに三島会社には、
国鉄の長期債務を原則として承継させず、
経営安定基金も設定されました。
国鉄改革そのものが、
北海道・四国・九州を
「そのままでは経営が成立しにくい会社」と認識したうえで
制度設計されていたことが分かります。
そう考えると、
「新車を貰ったせいで減価償却費が増え、
三島会社の経営を圧迫した」
という説明には、
少々無理があります。
もちろん、
新車であっても維持費は必要ですし、
いずれ更新時期も訪れます。
しかし少なくとも、
キハ185系やキハ54形などの製造費相当額を
そのまま新会社が背負わされ、
毎年巨額の減価償却費に苦しんだ――
という構図ではありませんでした。
むしろ国鉄が存続しているうちに新車を投入しておけば、
三島会社は発足後しばらく、
同じ車両を自前で新製するための巨額な設備投資を
避けることができます。
“プレゼント”という表現は、
案外的を射ているのかもしれません。
国鉄最後の新車群は、
三島会社に負担を押し付けたものではなく、
厳しい船出が予想される3社に対し、
国鉄が最後に残した
「経営基盤」そのものだったのです。
(Mr.DIMER編集長)


