Mr.DIMER Journal

【キハ58/65系の生き残り!?】引退迫るキハ71系"ゆふいんの森"号

【キハ58/65系の生き残り!?】引退迫るキハ71系"ゆふいんの森"号

<利用客の好調な"ゆふいんの森"用キハ71、経年には勝てず> 円安真っ只中の我が国・日本において、 インバウンド観光客による経済効果は無視できないものとなりつつあります。 最も、外国人故、日本との文化の違いで、 観光公害、オーバーツーリズム問題も抱えるところですが、 日本人ならではの"寛容な精神"で受け入れつつ、 そして来日外国人観光客の皆様には、 日本文化を理解して頂いた上で、 "共存共栄"の未来を築けていけたらいいな、と思う今日この頃です。 さて、 報道各社からのニュースによりますと、 JR九州では、インバウンド客を含む好調な利用率を背景に、 "特急ゆふいんの森"向け車両の新造を導入検討しているとのこと。 本日は、ゆふいんの森向け車両、キハ71系、キハ72系の中でも 新造車両による置換え対象となるキハ71系についてのお話。 ■ゆふいんの森用、キハ71系気動車 JR九州のキハ71系気動車は、博多(福岡市)~由布院・別府(大分県)間を結ぶ、 "特急ゆふいんの森"向け車両として、 1989年(平成元年)3月11日のダイヤ改正に合わせて登場しました。 後継のキハ72系が登場してからは、 「ゆふいんの森Ⅰ世」とも呼ばれています。 大型の側面窓、 オールハイデッカー構造などは、 登場同年の"グッドデザイン商品"に選ばれるほど、"革新的な特急型気動車"として、 その地位を確立しました。 ■すべてが新しくない、キハ58/65の系譜を持つ車両 見た目も、内装も、すべてが新しく見えるキハ71系ゆふいんの森ですが、 この車両、実は国鉄急行型気動車、キハ58・65を出自とする、 部品流用車なのです。 車体こそ新製車体の載せ替えであるものの、...

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【キハ58/65系の生き残り!?】引退迫るキハ71系"ゆふいんの森"号

<利用客の好調な"ゆふいんの森"用キハ71、経年には勝てず> 円安真っ只中の我が国・日本において、 インバウンド観光客による経済効果は無視できないものとなりつつあります。 最も、外国人故、日本との文化の違いで、 観光公害、オーバーツーリズム問題も抱えるところですが、 日本人ならではの"寛容な精神"で受け入れつつ、 そして来日外国人観光客の皆様には、 日本文化を理解して頂いた上で、 "共存共栄"の未来を築けていけたらいいな、と思う今日この頃です。 さて、 報道各社からのニュースによりますと、 JR九州では、インバウンド客を含む好調な利用率を背景に、 "特急ゆふいんの森"向け車両の新造を導入検討しているとのこと。 本日は、ゆふいんの森向け車両、キハ71系、キハ72系の中でも 新造車両による置換え対象となるキハ71系についてのお話。 ■ゆふいんの森用、キハ71系気動車 JR九州のキハ71系気動車は、博多(福岡市)~由布院・別府(大分県)間を結ぶ、 "特急ゆふいんの森"向け車両として、 1989年(平成元年)3月11日のダイヤ改正に合わせて登場しました。 後継のキハ72系が登場してからは、 「ゆふいんの森Ⅰ世」とも呼ばれています。 大型の側面窓、 オールハイデッカー構造などは、 登場同年の"グッドデザイン商品"に選ばれるほど、"革新的な特急型気動車"として、 その地位を確立しました。 ■すべてが新しくない、キハ58/65の系譜を持つ車両 見た目も、内装も、すべてが新しく見えるキハ71系ゆふいんの森ですが、 この車両、実は国鉄急行型気動車、キハ58・65を出自とする、 部品流用車なのです。 車体こそ新製車体の載せ替えであるものの、...

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【父ミーの鉄道員としての生き方】

【父ミーの鉄道員としての生き方】

マイミーです。 今日は三部作の二部作目「父ミー物語」です。 身内の感想になってしまうのですが、 今回この話題を父から取材するのにあたり、 初めてと言って良いほど本気で話を聞きました。 普段、鉄道一家の家(うち)では、 私も弟も(弟も運転士)現職時代から、 とにかく鉄道の話には触れてきませんでした。 理由はたくさんあるのですが、 そもそも父ミーは未だ絵に描いたような、 "THE"国鉄マン 頑固な機関士です。 一言言えば10も20も帰ってくるし、 鉄道の話なんて触れようものなら、 ありがたきお説教が数時間に及ぶ事もしばしば。 話はそれましたが、 今回ゆっくり話を聞いて、 父ミーの入職から今までの軌跡を知り、 我が父ながら、 感謝すると共に、 やはり一生の憧れの人物と再確認できました。 父ミーは、 1972年(昭和47年)3月 臨時雇用職員として採用。 今で言うアルバイトみたいなものですね。 同年4月から準職員として雇用され、 新宿駅の駅務掛として、 鉄道員人生をスタートさせました。 その年は営業職でしか採用がなく、 父ミーはやむなく、営業職で応募したそうです。...

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【父ミーの鉄道員としての生き方】

マイミーです。 今日は三部作の二部作目「父ミー物語」です。 身内の感想になってしまうのですが、 今回この話題を父から取材するのにあたり、 初めてと言って良いほど本気で話を聞きました。 普段、鉄道一家の家(うち)では、 私も弟も(弟も運転士)現職時代から、 とにかく鉄道の話には触れてきませんでした。 理由はたくさんあるのですが、 そもそも父ミーは未だ絵に描いたような、 "THE"国鉄マン 頑固な機関士です。 一言言えば10も20も帰ってくるし、 鉄道の話なんて触れようものなら、 ありがたきお説教が数時間に及ぶ事もしばしば。 話はそれましたが、 今回ゆっくり話を聞いて、 父ミーの入職から今までの軌跡を知り、 我が父ながら、 感謝すると共に、 やはり一生の憧れの人物と再確認できました。 父ミーは、 1972年(昭和47年)3月 臨時雇用職員として採用。 今で言うアルバイトみたいなものですね。 同年4月から準職員として雇用され、 新宿駅の駅務掛として、 鉄道員人生をスタートさせました。 その年は営業職でしか採用がなく、 父ミーはやむなく、営業職で応募したそうです。...

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【門サキさんの鉄道員としての生き方】

【門サキさんの鉄道員としての生き方】

こんばんはマイミーです。 今日は三部作の一部目「門サキ」さんについて 門サキさんに記事を書いて頂きました。 「 私は九州で生まれ育ちました。中でも端島(軍艦島)を含めた長崎に住んでいた期間がもっとも長く、鉄道を身近に感じたのもその時期でした。 ということで、門鉄、長崎駅周辺現業機関の電略で門サキにしてみました。 高校は工業高校の電子工学科で、もともとエンジニア志望でしたが、国鉄に入りたくなり高3のときに進路を決めました。門鉄では運転系統は機械科限定だったため、やむなく東京三局を受験しました。 国鉄でなければ、先生にも勧められた電電公社に入っていたかもしれません。 国鉄分割民営化がもうすぐそこまできた1985年。 国鉄では、派遣・一時帰休・広域異動などの、 所謂三本柱が実施されました。 まずは役員が率先して行くべきだし、戻ってこれることを証明すべきだと思ったことから、私はIT関連の会社への派遣応募を決めました。 当時、国労が片道切符だなどと主張していましたし、入浴闘争など世間的にも反発しか招かない戦術を展開していたことに怒りを覚えていました。 派遣から最終的に国鉄を退職して移籍することにしましたが、少なくとも動労組合員に対して不都合な人事はないことが明らかになったことと、あわよくば移籍先の会社で九州に移籍できればというのを期待して、国鉄を退職しました。 分割民営化後の流れから言うと、何もしなかった国労組合員への処遇が不当労働行為にされるなど、我々に対しての梯子はずしのような状況になったことは今でもすごく悔しいと思っています。 政府や会社のやり方には、 大きな不満を持っています。 JR貨物に戻って、新鶴見機関区に配属されるなら、私にはそれが一番良かったのかもしれません。 <執筆:門サキ> 」 この様に国鉄分割民営化の際に、 1人のウテシがハンドルを置く事になったキッカケを伺い、やはり特殊な企業体であると実感しました。 国の方針や、国の考え方に大きく左右される国鉄 その国鉄に安全に命を賭ける職員達。 もっともっと深掘りしながらその時代背景を紐解いて行こうと思います。 ではまた!

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こんばんはマイミーです。 今日は三部作の一部目「門サキ」さんについて 門サキさんに記事を書いて頂きました。 「 私は九州で生まれ育ちました。中でも端島(軍艦島)を含めた長崎に住んでいた期間がもっとも長く、鉄道を身近に感じたのもその時期でした。 ということで、門鉄、長崎駅周辺現業機関の電略で門サキにしてみました。 高校は工業高校の電子工学科で、もともとエンジニア志望でしたが、国鉄に入りたくなり高3のときに進路を決めました。門鉄では運転系統は機械科限定だったため、やむなく東京三局を受験しました。 国鉄でなければ、先生にも勧められた電電公社に入っていたかもしれません。 国鉄分割民営化がもうすぐそこまできた1985年。 国鉄では、派遣・一時帰休・広域異動などの、 所謂三本柱が実施されました。 まずは役員が率先して行くべきだし、戻ってこれることを証明すべきだと思ったことから、私はIT関連の会社への派遣応募を決めました。 当時、国労が片道切符だなどと主張していましたし、入浴闘争など世間的にも反発しか招かない戦術を展開していたことに怒りを覚えていました。 派遣から最終的に国鉄を退職して移籍することにしましたが、少なくとも動労組合員に対して不都合な人事はないことが明らかになったことと、あわよくば移籍先の会社で九州に移籍できればというのを期待して、国鉄を退職しました。 分割民営化後の流れから言うと、何もしなかった国労組合員への処遇が不当労働行為にされるなど、我々に対しての梯子はずしのような状況になったことは今でもすごく悔しいと思っています。 政府や会社のやり方には、 大きな不満を持っています。 JR貨物に戻って、新鶴見機関区に配属されるなら、私にはそれが一番良かったのかもしれません。 <執筆:門サキ> 」 この様に国鉄分割民営化の際に、 1人のウテシがハンドルを置く事になったキッカケを伺い、やはり特殊な企業体であると実感しました。 国の方針や、国の考え方に大きく左右される国鉄 その国鉄に安全に命を賭ける職員達。 もっともっと深掘りしながらその時代背景を紐解いて行こうと思います。 ではまた!

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【国鉄分割民営化によって分かれた鉄道員の道】

【国鉄分割民営化によって分かれた鉄道員の道】

告知!! 今年の4月1日で民営化から39年。 同じ昭和の国鉄時代に、 鉄道員を志し運転士になった2人のウテシが、 分割民営化によってどんな選択をしたのか、 マイミーが取材させて頂きました。 もちろん そのウテシの1人は、、、 「門サキ」さん もう1人は、、、 マイミーの父「父ミー」 国鉄分割民営化によって、 その時代の背景に現場では何があったのか、 末期に27万人居た国鉄職員はどう動いたのか、 2人のウテシはどんな選択をして今に至るのか、 1人ずつ3部作に分けて追ってみたいと思います。

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【国鉄分割民営化によって分かれた鉄道員の道】

告知!! 今年の4月1日で民営化から39年。 同じ昭和の国鉄時代に、 鉄道員を志し運転士になった2人のウテシが、 分割民営化によってどんな選択をしたのか、 マイミーが取材させて頂きました。 もちろん そのウテシの1人は、、、 「門サキ」さん もう1人は、、、 マイミーの父「父ミー」 国鉄分割民営化によって、 その時代の背景に現場では何があったのか、 末期に27万人居た国鉄職員はどう動いたのか、 2人のウテシはどんな選択をして今に至るのか、 1人ずつ3部作に分けて追ってみたいと思います。

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【あなたはどっち派!?】DE10はどっち側で牽いてほしい?

【あなたはどっち派!?】DE10はどっち側で牽いてほしい?

DE10形ディーゼル機関車。 1966年登場、1978年までの12年間に亘り、都合708両が製造された 国鉄の中型ディーゼル機関車で、 汎用性の高さから、国鉄分割民営化後、 旅客6社、貨物1社のJR全社に継承された唯一の形式です。 真横から見ると、ボンネットの長い方、短い方により 左右非対称な見た目ですが、 その絶妙なバランスに愛嬌を感じます。 本日の"どっち派"は、 DE10が貨物列車や客車列車の先頭に立つ際、 ボンネットの長い方か、短い方が良いか(恰好良いか・好きか)? ■ボンネットの長い方 "1端側"。 1エンドとも言います。 文字通り、正式には、ボンネットの長い1エンド側が前(顔)。 ■ボンネットの短い方 "2端側"。 2エンドとも言います。 後ろ(お尻)側にあたる方です。 長い方のボンネットが前を向いていると、 DD51形の様に大型のディーゼル機関車に見えて頼もしい。 一方、短い方だと、 小さな機関車が力強く前を向いて列車を引いているようで、応援したくなります。 ■なぜ左右非対称な見た目なのか? DE10形は、搭載するエンジンが1台の為、 エンジンを含めた、機器類の重量配分を考慮する必要がありました。 これにより、運転室を中心に置かず、凸型の中でも「セミ・センターキャブ」と呼称される形態を採用しています。

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DE10形ディーゼル機関車。 1966年登場、1978年までの12年間に亘り、都合708両が製造された 国鉄の中型ディーゼル機関車で、 汎用性の高さから、国鉄分割民営化後、 旅客6社、貨物1社のJR全社に継承された唯一の形式です。 真横から見ると、ボンネットの長い方、短い方により 左右非対称な見た目ですが、 その絶妙なバランスに愛嬌を感じます。 本日の"どっち派"は、 DE10が貨物列車や客車列車の先頭に立つ際、 ボンネットの長い方か、短い方が良いか(恰好良いか・好きか)? ■ボンネットの長い方 "1端側"。 1エンドとも言います。 文字通り、正式には、ボンネットの長い1エンド側が前(顔)。 ■ボンネットの短い方 "2端側"。 2エンドとも言います。 後ろ(お尻)側にあたる方です。 長い方のボンネットが前を向いていると、 DD51形の様に大型のディーゼル機関車に見えて頼もしい。 一方、短い方だと、 小さな機関車が力強く前を向いて列車を引いているようで、応援したくなります。 ■なぜ左右非対称な見た目なのか? DE10形は、搭載するエンジンが1台の為、 エンジンを含めた、機器類の重量配分を考慮する必要がありました。 これにより、運転室を中心に置かず、凸型の中でも「セミ・センターキャブ」と呼称される形態を採用しています。

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【Mr.DIMERの新たな乗務員!】

【Mr.DIMERの新たな乗務員!】

マイミーです。 本日は嬉しいご報告を。 本日は私の執筆と言うより、 今後、新たにMr.DIMERの乗務員になって頂く方を紹介します。 ペンネーム 「門サキ」さん 門サキさんは国鉄からJRへ移行する激動の時代を過ごされた方です。 ご経歴を少しご紹介致します。 1977年4月、日本国有鉄道に入社。 同年5月から動力車乗務員予科(電気分科)に入所し、11月に修了。 電気機関助士見習(約3ヶ月) 電気機関助士(〜1980年3月) 機関助士として乗務。 その後、 1980年3月、動力車乗務員本科(電車分科)へ。 同年8月修了後、弁天橋電車区へ配属。 運転士見習を経て、 1981年1月、 正式に電車運転士となり、 鶴見線、南部支線をご担当されました。 分割民営化によりハンドルを置く事になりそこからは別業種でご活躍されたそうです。 門サキさんのご経験談や国鉄時代の話を書いて頂くのがマイミー、編集長共に非常に楽しみです。 Mr.DIMER乗務員区 どんどん路線(執筆ジャンル)を増やして、 読者の方々に楽しんでいただこうと思います! これからもぜひお付き合い下さい。 ではまた!

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マイミーです。 本日は嬉しいご報告を。 本日は私の執筆と言うより、 今後、新たにMr.DIMERの乗務員になって頂く方を紹介します。 ペンネーム 「門サキ」さん 門サキさんは国鉄からJRへ移行する激動の時代を過ごされた方です。 ご経歴を少しご紹介致します。 1977年4月、日本国有鉄道に入社。 同年5月から動力車乗務員予科(電気分科)に入所し、11月に修了。 電気機関助士見習(約3ヶ月) 電気機関助士(〜1980年3月) 機関助士として乗務。 その後、 1980年3月、動力車乗務員本科(電車分科)へ。 同年8月修了後、弁天橋電車区へ配属。 運転士見習を経て、 1981年1月、 正式に電車運転士となり、 鶴見線、南部支線をご担当されました。 分割民営化によりハンドルを置く事になりそこからは別業種でご活躍されたそうです。 門サキさんのご経験談や国鉄時代の話を書いて頂くのがマイミー、編集長共に非常に楽しみです。 Mr.DIMER乗務員区 どんどん路線(執筆ジャンル)を増やして、 読者の方々に楽しんでいただこうと思います! これからもぜひお付き合い下さい。 ではまた!

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