【父ミーの鉄道員としての生き方】

【父ミーの鉄道員としての生き方】

マイミー

マイミーです。

今日は三部作の二部作目「父ミー物語」です。

身内の感想になってしまうのですが、
今回この話題を父から取材するのにあたり、
初めてと言って良いほど本気で話を聞きました。

普段、鉄道一家の家(うち)では、
私も弟も(弟も運転士)現職時代から、
とにかく鉄道の話には触れてきませんでした。

理由はたくさんあるのですが、
そもそも父ミーは未だ絵に描いたような、
"THE"国鉄マン

頑固な機関士です。
一言言えば10も20も帰ってくるし、
鉄道の話なんて触れようものなら、
ありがたきお説教が数時間に及ぶ事もしばしば。

話はそれましたが、
今回ゆっくり話を聞いて、
父ミーの入職から今までの軌跡を知り、
我が父ながら、
感謝すると共に、
やはり一生の憧れの人物と再確認できました。

父ミーは、
1972年(昭和47年)3月
臨時雇用職員として採用。
今で言うアルバイトみたいなものですね。

同年4月から準職員として雇用され、
新宿駅の駅務掛として、
鉄道員人生をスタートさせました。
その年は営業職でしか採用がなく、
父ミーはやむなく、営業職で応募したそうです。

1972年4月は、
(中核派)の学生による学生運動が暴徒化し、
新宿駅が破壊された事件があったその時でした。

その時の話は、また別の時に。

その後、青梅線古里駅にて一年半ほど、
駅務掛として勤務し、
1974年に八王子機関区で整備掛として、
転属しました。
その後助士科に行き、
機関助士として一年程乗務した後に、
第4回動力車本科電気分科に入所、
修了後に晴れて機関士を拝命。
八王子機関区にて乗務を始めました。
1987年4月分割民営化を迎えました。

分割民営化の際に、
当時はどこでも選べたそうです。

父ミーはどこに所属するか選ぶ際に、
「客を相手にするのは嫌だ。」と言ってのけ、
貨物に行ったと言いましたが、
話を深掘りしているとやはり、

「機関士としての誇りとプライド」

が、1番だったそうです。

当時、民営化の少し前に、
国鉄主導で水面下で職員の転職先の斡旋が、
行われてたそうです。

数々の同僚、先輩、後輩が転職して行った中で、
父ミーは一切意に介さなかった様です。
機関士一筋で民営化後もJRFに転籍し、
生き抜いた父ミー。
そのおかげで、
マイミーは鉄っちゃんになったのかな。

これからももっと父ミーにウザいくらいに
当時の取材して行こうと思います。

父ミーにある程度話を聞いた後に、
「またいろいろ聞きにくるわ!」と言ったら、
満面の笑顔で「くんな!あんまり覚えてないわ!いつ来るんだ?来週か?」
それは来いってことなんやろうな。

普段実家に寄り付きもしないから、
(親孝行も兼ねて。)

ではまた!

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