【特集、去り行く東海顔 vol.4】幻の"平坦線向け高出力車"163系
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401系(1960年)の出力強化型が403系(1966年)、
451系(1962年)の出力強化型が453系(1963年)、
111系(1962年)の出力強化型が113系(1963年)。
と言うように、
先に登場した「国鉄新性能電車」のバージョンアップ版として、
いずれも数年後に後継形式が登場している訳ですが、
こと153系にあっては、出力強化と共に、
勾配線区対応として、勾配抑速ブレーキを搭載した165系が
事実上の後継車種となります。
つまるところ、
153系には"純粋な出力強化型車両"が無かった。と申せましょう。
国鉄はこの際、抑速ブレーキを装備していない
暖地向け・平坦線向けの出力増強車両を増備する方向を検討しますが、
1964年の東海道新幹線開業により、
153系自体の活躍の場が狭まりつつあったこと、
それはつまり、直流・平坦線に必要な急行型電車の需要見込みが先細りすることが
見えて来ていた、
管理面では、形式を増やすことでの、
保守や運用、広域配転における制約の懸念から、
事実上、153系の後継車である165系を増備する方が
経済的。という結論に至ったようです。
ゆえに、"平坦地向け高出力車"計画は、
一部車両を製造するも、増備は中止されてしまいました。
それが、幻の"平坦線向け高出力車"163系、となるわけです。
■サロが7両製造されたのみで終了
1964年の東海道新幹線開業後、
153系電車を使用した列車にあっては、
1等車を連結した列車の増発、
"サロ"のリクライニングシート化、冷房化を推進すべく、
サロ152形の増備が必要となりました。
その時すでに153系は製造を終了していたこともあり、
サロ152形の代わりとして、
また、
その後、163系として増備していく前提で、
最初(で最後)のサロ163形が7両、製造されました。
冒頭に解説した通り、
163系の増備はその後方針転換していますから、
最も"163系らしさの際立ったであろう"、制御車や電動車が
お目見えすることはありませんでした。
つまり、163系列単独(サロ163形)では走行ができず、
既に登場していた165系のように、
勾配抑速ブレーキの引き通しが装備されていないことなどから、
165系との運用もできず、
もっぱら153系列の"サロ"として活躍しました。
■事実上の163系
暖地・平坦線向け163系の増備計画は潰えたとはいえ、
153系の増備として必要な車両は、
東海道・山陽本線向けに本来の165系から、
耐寒耐雪構造を準備工事としたタイプの
"暖地仕様車"を161両、用意することで代替しました。
これが、事実上の163系と言えるでしょう。
■1両だけ、113系化
登場と運用の経緯から、20年弱で早々に引退したサロ163形ですが、
153系出自のサロ152形(全30両)と共に、
ラストナンバー車の
サロ163-7は1969年に113系化され、サロ112-51として、第2の車生を歩みました。
■デザインの妄想
153系と165系の大きな違いは、平坦線区向けか勾配線区向けか。
であり、抑速ブレーキの搭載は運行の安全面を担保する上でも
重要な要素でした。
形式の違い、見分けをつける、と言う意味でも
前面の塗分けが153系と165系とで違ったことは理解した上で、
もし、163系が増備されていたら…?
113系のような"金太郎塗り"だと、
近郊型の色合いになってしまうので、
おでこに緑を塗って見た写真をサムネイルと致しました。
もはや、連載【特集、去り行く東海顔】を読んで頂いているファンの皆様には
幻も何も、常識的な歴史で、退屈させてしまう内容かと思うも、
東海顔を振り返る要素として価値のあるものと思いますので、
拙筆ながら触れました。

