西鉄宮地岳線が"水産列車"と呼ばれた時代【懐かしい話】
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今から20年近く前まで、西鉄貝塚線は現在の福津市津屋崎までの路線で、路線名は宮地岳線
と呼ばれていました。
乗客率の問題として、現在の新宮駅を終点に折り返し運転となったのが2007年4月の事。そこからこの
路線は貝塚線と呼ばれるようになりました。
当時、新宮駅から先は、古賀ゴルフ場前 古賀 花見 福間 宮地嶽 津屋崎 という順に停車し、
ゆっくりと流れる時間を楽しめる、そんな素敵な路線でした。
路線廃止後は同区間を西鉄バスが代替運行していたはずです。また、この頃から3両編成の運用も
無くなっています。
私がこの路線を通学のために利用していたのは30年近く前の事です。私は西鉄和白駅から乗車し、
終点の津屋崎まで、そこから徒歩で15分程度歩いた先にある、県立福岡水産高校へ通っておりました。
その福岡水産高校の生徒が帰宅時に使う列車が、通称 『水産列車』 であり、水産高校の生徒でほぼ
貸し切りとなっていました。また、この現象は西鉄電車だけにとどまる話ではありません。宮地岳線利用生徒
だけではなく、津屋崎から西鉄バスでJR福間駅まで乗車し、JR福間駅から乗車する列車も同様に、その
呼称で呼ばれており、JR車両を1両分ほぼ貸し切りで乗っているという状態でした。
西鉄電車の場合、水産高校生が乗車していると、特に新宮駅で乗車してくる県立新宮高校の生徒さん
は、ホームに整列した状態で1名も乗車しない。という事が頻繁にありました。それは何故か。
県立水産高校は、福岡県の中でもトップクラスに悪名高い高校だったからです。間違えて乗ってしまったら
最悪の空気を下車するまで共有する事になりますし、下手をするとカツアゲ、暴行といった類に巻き込まれる
恐れがありました。そもそも、誰か乗ってきそうな雰囲気を醸し出していたら、扉付近に立っている下級生が
全力で睨んできますし、誰も乗せようとしませんでした。それでも乗ってくるサラリーマンや主婦の方、ご年配の
方々が稀にいらっしゃいましたが、もちろん空席は無く、吊革につかまれる状態でもなく(ずっと睨まれる)、
下を向いてやり過ごすしかない。という状況だったため、好き好んで乗車する人はいませんでした。
私は卒業するまでの3年間をこの列車で通学しましたが、入学して早々に1年生は試練がやってきます。
電車の中で2年生に呼ばれ(一人ずつ)後方車両へ移動すると、自己紹介をしろと言われます。
通常の自己紹介ではありません。仁義を切るのです。任侠映画などで見たことがある方がいらっしゃるかも
知れませんが、足をガニ股風にしっかり開き腰を落としたうえで、左手を後ろに、右手を前方やや下向きに、
指先はしっかり揃えて手のひらを上に向け、先輩方に対して出身校や名前、知っている先輩などを大きな
声ではっきりと伝え、若輩者でありますが以後お見知りおきください。というような事を伝えるのです。
やり方が分からない者に関しては、2年生が先にお手本を見せてくれるのですが、「気合が入ってねぇ!」 と、
3年生からその2年生に対して全力の蹴りが跳んできます。
それを見せられた上で、「じゃあ1年、お前もやれ」 と命じられるのです。
これは独自の進化を果たした文化であり、決していじめなどではありません。もちろん当時は嫌でしたが。
このような事を乗り越えて初めて水産高校生として、先輩方に認知されるのです。
この儀式が終わると、先輩方から「お前タバコ吸うと?」「吸いたいならここで吸っていいよ」というような許可を
いただけます。無論、車両の中です。一応、窓は開けます。
先輩方の前でタバコを吸う際は注意が必要です。当たり前に吸っていると、突然ピンチが訪れます。
手の甲などにタバコを押し付けられるのです。軽く。冗談で。いわゆるギャグです。ビビッて手をどけると、
ゲラゲラ笑われた後に、「ちょ、もう一回手だせ」という命令が下り、次は完全に押し付けられます。
ですので、このような場合は手を引っ込めたりしてはいけません。気合で乗り切ります。
このようにして、歴史と伝統は守り継がれていくのです。
次回は、「吊革に吊るされた他校の生徒」をお送りします。お楽しみに。
<寄稿記事 福岡県在住 Y.N様>



