Mr.DIMER Journal

【特集・お召列車Vol.7】賢所乗御車・「神を乗せるために造られた、番号なき皇室用客車」

【特集・お召列車Vol.7】賢所乗御車・「神を乗せるために造られた、番号なき皇室用客車」

大正4年、1915年。鉄道院大井工場で、一両の特別な客車が誕生しました。 ”形式も、記号も、番号もない”「1号御料車」「2号御料車」のような番号すら付与されない。その名は、「賢所乗御車(かしこどころじょうぎょしゃ)」 天皇陛下がお乗りになるための御料車ではありません。この車両が運ぶものは、宮中三殿のひとつ「賢所」に奉安される、八咫鏡の形代である御神鏡でした。 いわば、「神を乗せるための客車」。 日本の鉄道史を見渡しても、これほど特殊な使命を与えられた一両は、ほかにほとんど例を見ません。 「大正天皇の御大礼のために」 賢所乗御車が造られた目的は、大正天皇の即位に伴う御大礼でした。即位礼は京都で執り行われます。そのため、天皇陛下の御移動だけでなく、宮中に奉安されている御神鏡も東京から京都へ移御する必要がありました。 そこで鉄道院が用意したのが、御神鏡だけを奉安して輸送する専用車「賢所乗御車」だったのです。 宮内庁には現在も、大正大礼に際して作成された「賢所乗御車」の図面類が史料として残されています。 「天皇の御料車とも違う一両」 ここが、この車両最大の特徴です。 皇室用客車でありながら・・・ ”「御料車」ではありません。” 形式、記号、番号はいずれも持たず、「賢所乗御車」という名称そのものによって存在していました。 車体は当時の鉄道院らしい木造車体。全長は約20m。三軸ボギー台車を履き、中央には御神鏡を奉安するための”奉安室”が設けられていました。 人を快適に運ぶことが第一ではない。豪華な展望を楽しむためでもない。 ただひとつ、”御神鏡を、最大限の敬意をもってお運びする。”その使命のためだけに設計された鉄道車両でした。 「昭和の御大礼でも再び走る」 賢所乗御車の使命は、大正の御大礼だけでは終わりません。昭和3年、1928年。昭和天皇の御大礼に際しても再び使用され、御神鏡の移御という大役を担ったとされています。 蒸気機関車に牽かれた列車の中に、番号さえ持たない一両が静かに連結されている。その車内に奉安されているものを考えれば、当時その列車を扱った鉄道員たちが背負った緊張感は、通常のお召列車とはまた違ったものだったことでしょう。 「番号すら必要としなかった車両」 鉄道車両とは本来、形式と番号によって管理されるものです。「C57 1」「EF58 61」「DD51 842」「1号御料車」「2号御料車」お召列車の歴史を彩った名機や御料車にも、必ずその名を示す番号があります。 しかし、賢所乗御車には、それがありませんでした。 天皇陛下をお乗せする御料車でもない。一般の旅客を運ぶ客車でもない。御神鏡を奉安し、ただその御移動のためだけに線路を走った一両。 形式なし。番号なし。そして用途は、ただひとつ。 日本の鉄道史にはかつて「神をお乗せするため」に造られた、あまりにも特別な客車が存在していたのです。 (マイミー)...

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【特集・お召列車Vol.7】賢所乗御車・「神を乗せるために造られた、番号なき皇室用客車」

大正4年、1915年。鉄道院大井工場で、一両の特別な客車が誕生しました。 ”形式も、記号も、番号もない”「1号御料車」「2号御料車」のような番号すら付与されない。その名は、「賢所乗御車(かしこどころじょうぎょしゃ)」 天皇陛下がお乗りになるための御料車ではありません。この車両が運ぶものは、宮中三殿のひとつ「賢所」に奉安される、八咫鏡の形代である御神鏡でした。 いわば、「神を乗せるための客車」。 日本の鉄道史を見渡しても、これほど特殊な使命を与えられた一両は、ほかにほとんど例を見ません。 「大正天皇の御大礼のために」 賢所乗御車が造られた目的は、大正天皇の即位に伴う御大礼でした。即位礼は京都で執り行われます。そのため、天皇陛下の御移動だけでなく、宮中に奉安されている御神鏡も東京から京都へ移御する必要がありました。 そこで鉄道院が用意したのが、御神鏡だけを奉安して輸送する専用車「賢所乗御車」だったのです。 宮内庁には現在も、大正大礼に際して作成された「賢所乗御車」の図面類が史料として残されています。 「天皇の御料車とも違う一両」 ここが、この車両最大の特徴です。 皇室用客車でありながら・・・ ”「御料車」ではありません。” 形式、記号、番号はいずれも持たず、「賢所乗御車」という名称そのものによって存在していました。 車体は当時の鉄道院らしい木造車体。全長は約20m。三軸ボギー台車を履き、中央には御神鏡を奉安するための”奉安室”が設けられていました。 人を快適に運ぶことが第一ではない。豪華な展望を楽しむためでもない。 ただひとつ、”御神鏡を、最大限の敬意をもってお運びする。”その使命のためだけに設計された鉄道車両でした。 「昭和の御大礼でも再び走る」 賢所乗御車の使命は、大正の御大礼だけでは終わりません。昭和3年、1928年。昭和天皇の御大礼に際しても再び使用され、御神鏡の移御という大役を担ったとされています。 蒸気機関車に牽かれた列車の中に、番号さえ持たない一両が静かに連結されている。その車内に奉安されているものを考えれば、当時その列車を扱った鉄道員たちが背負った緊張感は、通常のお召列車とはまた違ったものだったことでしょう。 「番号すら必要としなかった車両」 鉄道車両とは本来、形式と番号によって管理されるものです。「C57 1」「EF58 61」「DD51 842」「1号御料車」「2号御料車」お召列車の歴史を彩った名機や御料車にも、必ずその名を示す番号があります。 しかし、賢所乗御車には、それがありませんでした。 天皇陛下をお乗せする御料車でもない。一般の旅客を運ぶ客車でもない。御神鏡を奉安し、ただその御移動のためだけに線路を走った一両。 形式なし。番号なし。そして用途は、ただひとつ。 日本の鉄道史にはかつて「神をお乗せするため」に造られた、あまりにも特別な客車が存在していたのです。 (マイミー)...

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【特集、お召し列車Vol.6】D51 838号機<鳳凰を纏う堂々たるお召機>

【特集、お召し列車Vol.6】D51 838号機<鳳凰を纏う堂々たるお召機>

昭和46年、1971年4月21日。中国山地を越える伯備線に、ひと目で「普通のデゴイチではない」と分かる一両がいました。 煙突の上を覆う、大きな集煙装置。巨大な除煙板。磨き上げられた漆黒の車体。 そして、その除煙板には金色に輝く「鳳凰」。 その機関車こそ、昭和天皇・皇后両陛下のお召列車を牽引した、伯備線屈指の名機「D51形838号機」です。 D51形は昭和11年(1936年)に登場した、国鉄を代表する貨物用蒸気機関車。 国鉄の前身である鉄道省だけでも1,115両が製造されました。以前、498号機の記事でも触れましたが、すべてのD51が同じ姿をしていたわけではありません。 製造時期による違い。配置された地域による改造。使用線区に合わせた装備。 長い年月の中で、それぞれのD51に「個性」が生まれていきました。そして838号機は、その個性が非常に分かりやすい一両でした。 1943年、鷹取工場で製造。戦時設計へ移行していく時期に誕生した、いわゆる”準戦時形"にあたる一両です。 1955年には新見機関区へ。ここから838号機は、伯備線の機関車として独特の姿へ変わっていきます。その象徴ともいえるのが、集煙装置です。 838号機には新見機関区時代、煙突上に大型の集煙装置が取り付けられました。記録では1960年に集煙装置を装備し、翌1961年には通票受取装置も追加されています。集煙装置とは、その名の通り蒸気機関車から吐き出される煙を集め、煙の流れを制御するための装置。 特にトンネルの多い山岳線区では、煙が機関室へ巻き込めば乗務員の視界を奪い、乗務環境を著しく悪化させます。そこで煙突の上を大きく覆う装置によって、煙をできるだけ後方へ流す工夫が施されました。通常の丸い煙突だけを載せたD51と比較すると、その違いは一目瞭然。 まるで煙突に巨大な「帽子」を被せたような姿です。この集煙装置こそ、伯備線を走った838号機のシルエットを決定づける装備のひとつでした。 さらに838号機には"タブレットキャッチャー"も装備。単線区間で使用される通票を、走行中に受け渡すための装置です。つまり838号機は、ただの「標準形D51」ではありません。巨大な集煙装置に、通票受取装置。新見機関区で過ごすなか、838号機は伯備線の厳しい運用を物語る、重厚な姿へと変わっていったのです。 そして1971年。 島根県で開催された第22回全国植樹祭への行幸啓に伴い、4月21日、米子―岡山間にお召列車が運転されました。その本務機として選ばれたのが、 D51 838号機。 普段は煤と煙にまみれ、重量貨物を牽いて中国山地を越えていた機関車が、この日だけは徹底的に磨き上げられました。そして838号機最大の特徴が加わります。除煙板に取り付けられた、 "金色の鳳凰"黒いデフレクターの中央で翼を広げる鳳凰。 車体には白い装飾が施され、前面もお召機として美しく整えられました。838号機のお召し仕様では、鳳凰のレリーフや白線など特徴的な装飾が確認されています。 ここが838号機の面白いところです。 華麗な鳳凰。重厚な集煙装置。山岳線用の実用装備。 「美しさ」と「無骨な装備」が、一つの機関車の中に同居し、D51の深みを増してる気がするんです。もちろん、お召列車だからといって、838号機の本質が変わったわけではありません。 その本分は貨物機。中国山地の勾配に挑み、重量列車を引き上げ、ときには布原で有名な「D51三重連」の一員として走った機関車でした。そんな日常の積み重ねがあったからこそ、お召列車という最高峰の任務を任されたのでしょう。 鳳凰を纏っても、やることは一つ。列車を、安全に。そして確実に目的地へ送り届ける。 お召列車牽引から約2年。 ”1973年4月1日” 伯備線から蒸気機関車が姿を消すにあたり運転された、SLさよなら列車。その先頭にも838号機が立ちました。 お召列車を牽いた機関車が、今度は伯備線SL時代の最後を飾る。838号機らしい、劇的な幕引きでした。...

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【特集、お召し列車Vol.6】D51 838号機<鳳凰を纏う堂々たるお召機>

昭和46年、1971年4月21日。中国山地を越える伯備線に、ひと目で「普通のデゴイチではない」と分かる一両がいました。 煙突の上を覆う、大きな集煙装置。巨大な除煙板。磨き上げられた漆黒の車体。 そして、その除煙板には金色に輝く「鳳凰」。 その機関車こそ、昭和天皇・皇后両陛下のお召列車を牽引した、伯備線屈指の名機「D51形838号機」です。 D51形は昭和11年(1936年)に登場した、国鉄を代表する貨物用蒸気機関車。 国鉄の前身である鉄道省だけでも1,115両が製造されました。以前、498号機の記事でも触れましたが、すべてのD51が同じ姿をしていたわけではありません。 製造時期による違い。配置された地域による改造。使用線区に合わせた装備。 長い年月の中で、それぞれのD51に「個性」が生まれていきました。そして838号機は、その個性が非常に分かりやすい一両でした。 1943年、鷹取工場で製造。戦時設計へ移行していく時期に誕生した、いわゆる”準戦時形"にあたる一両です。 1955年には新見機関区へ。ここから838号機は、伯備線の機関車として独特の姿へ変わっていきます。その象徴ともいえるのが、集煙装置です。 838号機には新見機関区時代、煙突上に大型の集煙装置が取り付けられました。記録では1960年に集煙装置を装備し、翌1961年には通票受取装置も追加されています。集煙装置とは、その名の通り蒸気機関車から吐き出される煙を集め、煙の流れを制御するための装置。 特にトンネルの多い山岳線区では、煙が機関室へ巻き込めば乗務員の視界を奪い、乗務環境を著しく悪化させます。そこで煙突の上を大きく覆う装置によって、煙をできるだけ後方へ流す工夫が施されました。通常の丸い煙突だけを載せたD51と比較すると、その違いは一目瞭然。 まるで煙突に巨大な「帽子」を被せたような姿です。この集煙装置こそ、伯備線を走った838号機のシルエットを決定づける装備のひとつでした。 さらに838号機には"タブレットキャッチャー"も装備。単線区間で使用される通票を、走行中に受け渡すための装置です。つまり838号機は、ただの「標準形D51」ではありません。巨大な集煙装置に、通票受取装置。新見機関区で過ごすなか、838号機は伯備線の厳しい運用を物語る、重厚な姿へと変わっていったのです。 そして1971年。 島根県で開催された第22回全国植樹祭への行幸啓に伴い、4月21日、米子―岡山間にお召列車が運転されました。その本務機として選ばれたのが、 D51 838号機。 普段は煤と煙にまみれ、重量貨物を牽いて中国山地を越えていた機関車が、この日だけは徹底的に磨き上げられました。そして838号機最大の特徴が加わります。除煙板に取り付けられた、 "金色の鳳凰"黒いデフレクターの中央で翼を広げる鳳凰。 車体には白い装飾が施され、前面もお召機として美しく整えられました。838号機のお召し仕様では、鳳凰のレリーフや白線など特徴的な装飾が確認されています。 ここが838号機の面白いところです。 華麗な鳳凰。重厚な集煙装置。山岳線用の実用装備。 「美しさ」と「無骨な装備」が、一つの機関車の中に同居し、D51の深みを増してる気がするんです。もちろん、お召列車だからといって、838号機の本質が変わったわけではありません。 その本分は貨物機。中国山地の勾配に挑み、重量列車を引き上げ、ときには布原で有名な「D51三重連」の一員として走った機関車でした。そんな日常の積み重ねがあったからこそ、お召列車という最高峰の任務を任されたのでしょう。 鳳凰を纏っても、やることは一つ。列車を、安全に。そして確実に目的地へ送り届ける。 お召列車牽引から約2年。 ”1973年4月1日” 伯備線から蒸気機関車が姿を消すにあたり運転された、SLさよなら列車。その先頭にも838号機が立ちました。 お召列車を牽いた機関車が、今度は伯備線SL時代の最後を飾る。838号機らしい、劇的な幕引きでした。...

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【特集、お召し列車 Vol.5】 EF81 81号機<一号編成を託された、ローズピンクの名機>

【特集、お召し列車 Vol.5】 EF81 81号機<一号編成を託された、ローズピンクの名機>

1973年、日立製作所で製造され、富山第二機関区へ新製配置されたEF81 81号機。 当初は、数多く存在するEF81形の一両として誕生した一般機でした。しかし1985年、「国際科学技術博覧会・つくば科学万博」に伴って運転されたお召列車の牽引機に選ばれ、その名を歴史に刻むことになります。EF81形は、直流1500Vに加え、交流20,000Vの50Hz・60Hzにも対応する交直流電気機関車です。 常磐線から水戸線方面へ、電化方式の異なる区間を機関車交換なしで走行できる性能が、お召列車の牽引形式として選ばれた大きな理由の一つだったと考えられます。お召列車牽引機への指定に際し、81号機には徹底した整備と特別な装飾が施されました。 最大の特徴は、ローズピンクの車体側面を一直線に走る細い銀色の帯。さらに前面や乗務員扉の手すり、解放テコ、連結器、ナンバープレート周辺をはじめ、パンタグラフや高圧配線、台車周辺の一部に至るまで銀色に仕上げられました。 日章旗と菊花紋章を掲げ、昭和天皇・香淳皇后をお乗せした一号編成の先頭に立つ姿は、まさに選ばれた機関車だけに許された晴れ姿でした。お召列車の牽引を終えた後、81号機は通常の姿へ戻されます。1989年には赤2号へ塗装変更され、1993年には寝台特急「北斗星」の牽引機として、車体側面に流星マークを掲げる姿となりました。 そして2014年。 81号機は再びローズピンクの車体と銀帯を纏い、お召列車牽引当時を思わせる姿へ復刻されます。ただし、1985年当時の姿が完全に再現されたわけではありません。当時は白色の碍子や常磐線用無線アンテナ、車体色に近いランボードなどを備えていましたが、復刻後は緑色の碍子、アンテナ台座のみが残る屋根上、黒色のランボードという姿になりました。銀帯についても、当時の光沢を持った仕上げに対し、復刻後はやや艶を抑えたものとなっています。 それでも、ローズピンクの車体に銀帯を纏った81号機の姿は、多くの鉄道ファンにお召列車牽引機としての記憶を呼び起こしました。復刻塗装後は「カシオペア紀行」をはじめ、数々の特別列車や団体列車を牽引。2025年には、同列車最後の営業運転も担当しました。 1985年のお召列車から、およそ40年。昭和の一号編成を牽引した機関車が、時代を越え、JR東日本を代表する豪華列車の最後まで先頭に立ったのです。 まさに、花形列車を背負い続けた名機と呼ぶにふさわしい存在でした。その後、81号機は2025年9月に秋田総合車両センターへED75を従え配給されました。 2026年7月現在、保存や解体を含めた今後の処遇について、JR東日本から明確な公式発表はありません。一号編成を託された歴史的な機関車だけに、その去就が気になるところです。 EF81 81号機は、EF58 61号機のように、生まれながらのお召列車専用機として製造された機関車ではありません。 一般機として生まれ、数ある同形機の中から選び抜かれ、お召列車の先頭に立った機関車です。そして大役を終えた後も、その記憶を象徴する銀帯を再び纏い、最後まで数々の花形列車を牽引し続けました。 専用機ではなかったからこそ、選ばれたことに価値がある。一号編成を託されたローズピンクの名機。それこそが、EF81 81号機のお召列車指定機としての最大の誇りなのかなと思います。 (マイミー)

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【特集、お召し列車 Vol.5】 EF81 81号機<一号編成を託された、ローズピンクの名機>

1973年、日立製作所で製造され、富山第二機関区へ新製配置されたEF81 81号機。 当初は、数多く存在するEF81形の一両として誕生した一般機でした。しかし1985年、「国際科学技術博覧会・つくば科学万博」に伴って運転されたお召列車の牽引機に選ばれ、その名を歴史に刻むことになります。EF81形は、直流1500Vに加え、交流20,000Vの50Hz・60Hzにも対応する交直流電気機関車です。 常磐線から水戸線方面へ、電化方式の異なる区間を機関車交換なしで走行できる性能が、お召列車の牽引形式として選ばれた大きな理由の一つだったと考えられます。お召列車牽引機への指定に際し、81号機には徹底した整備と特別な装飾が施されました。 最大の特徴は、ローズピンクの車体側面を一直線に走る細い銀色の帯。さらに前面や乗務員扉の手すり、解放テコ、連結器、ナンバープレート周辺をはじめ、パンタグラフや高圧配線、台車周辺の一部に至るまで銀色に仕上げられました。 日章旗と菊花紋章を掲げ、昭和天皇・香淳皇后をお乗せした一号編成の先頭に立つ姿は、まさに選ばれた機関車だけに許された晴れ姿でした。お召列車の牽引を終えた後、81号機は通常の姿へ戻されます。1989年には赤2号へ塗装変更され、1993年には寝台特急「北斗星」の牽引機として、車体側面に流星マークを掲げる姿となりました。 そして2014年。 81号機は再びローズピンクの車体と銀帯を纏い、お召列車牽引当時を思わせる姿へ復刻されます。ただし、1985年当時の姿が完全に再現されたわけではありません。当時は白色の碍子や常磐線用無線アンテナ、車体色に近いランボードなどを備えていましたが、復刻後は緑色の碍子、アンテナ台座のみが残る屋根上、黒色のランボードという姿になりました。銀帯についても、当時の光沢を持った仕上げに対し、復刻後はやや艶を抑えたものとなっています。 それでも、ローズピンクの車体に銀帯を纏った81号機の姿は、多くの鉄道ファンにお召列車牽引機としての記憶を呼び起こしました。復刻塗装後は「カシオペア紀行」をはじめ、数々の特別列車や団体列車を牽引。2025年には、同列車最後の営業運転も担当しました。 1985年のお召列車から、およそ40年。昭和の一号編成を牽引した機関車が、時代を越え、JR東日本を代表する豪華列車の最後まで先頭に立ったのです。 まさに、花形列車を背負い続けた名機と呼ぶにふさわしい存在でした。その後、81号機は2025年9月に秋田総合車両センターへED75を従え配給されました。 2026年7月現在、保存や解体を含めた今後の処遇について、JR東日本から明確な公式発表はありません。一号編成を託された歴史的な機関車だけに、その去就が気になるところです。 EF81 81号機は、EF58 61号機のように、生まれながらのお召列車専用機として製造された機関車ではありません。 一般機として生まれ、数ある同形機の中から選び抜かれ、お召列車の先頭に立った機関車です。そして大役を終えた後も、その記憶を象徴する銀帯を再び纏い、最後まで数々の花形列車を牽引し続けました。 専用機ではなかったからこそ、選ばれたことに価値がある。一号編成を託されたローズピンクの名機。それこそが、EF81 81号機のお召列車指定機としての最大の誇りなのかなと思います。 (マイミー)

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【特集、お召し列車 Vol.4】DD51形842号機<貨物機からお召し牽引機へ、異例の出世を遂げた名機>

【特集、お召し列車 Vol.4】DD51形842号機<貨物機からお召し牽引機へ、異例の出世を遂...

1971年、日立製作所で落成したDD51形842号機。 誕生時の姿は、お召し列車とはまったく無縁でした。842号機は暖房用蒸気発生装置(SG)を搭載しない800番台として製造され、貨物列車牽引用を目的としたグループの1両です。 SG関連機器やボイラーを省略したことで約6トンの軽量化が図られ、重量配分の見直しに合わせて中間台車やブレーキ装置も専用仕様となるなど、旅客用とは異なる設計が施されました。 つまり、生まれながらの"貨物機"。 本来であれば、お召し列車を牽引する存在ではありません。 しかし、その運命は1973年の千葉国体で大きく変わります。この年、お召し列車の牽引機に抜擢された842号機は、お召し列車専用の整備を受け、一躍”特別なDD51”となりました。 最大の特徴となったのが、ランボード側面に取り付けられたステンレスの飾り帯です。さらにデッキ手すりや煙突カバーにもステンレス化が施され、一般機とは一線を画す風格をまといます。 その後はJR東日本高崎第一機関区(後のぐんま車両センター)に所属し、DD51形895号機とともにイベント列車や団体列車などでも活躍。 鉄道ファンには”お召し仕様のDD51”として広く知られる存在となりました。 しかし、842号機の真価は、その美しい姿だけではありません。 一度きりで終わると思われた栄誉が、平成になって再び巡ってきたのです。 1997年、岩手県で開催された全国豊かな海づくり大会。 山田線・釜石線で運転されたお召し列車の牽引機に選ばれたのは、地元配置機ではなく、高崎から送り込まれたDD51形842号機でした。 さらに2001年の宮城国体では東北本線・石巻線・気仙沼線で。2002年の全国植樹祭では陸羽西線・羽越本線で。 いずれのお召し列車でも、その大役を任されたのは842号機でした。一般貨物機として誕生しながら、昭和と平成を通じて4度ものお召し列車を牽引。 これはDD51形の中でも極めて異例の経歴であり、まさに”一般機からお召し機へ出世した機関車”と言っても過言ではありません。 その歩みは、単なる幸運ではなく、長年積み重ねてきた信頼と実績があったからこそ築かれたものだったのでしょう。 そして、そんな842号機にも終焉の時が訪れます。 2025年10月。 長年活躍した高崎を離れ、多くの名機が最後を迎えてきた”終焉の地・長野総合車両センター(通称NN)”へと旅立ちました。 お召し列車牽引機の証でもあったランボードのステンレス飾り帯や、デッキ手すり・煙突カバーなどの特別装飾は最後まで取り外されることなく、その誇りをまとったまま廃車となりました。 貨物機として誕生し、お召し列車という鉄道最高峰の任務を幾度となく務め上げたDD51形842号機。 華やかな専用機ではない。生まれは一介の貨物機。それでも、その走りでお召し列車牽引機へと上り詰めたDD51形842号機。 まさに、「生まれ持った運命を変えた機関車」。 DD51形842号機は、今なお多くの鉄道ファンの記憶の中で、誇り高き”お召し機”として生き続けています。 (マイミー)

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【特集、お召し列車 Vol.4】DD51形842号機<貨物機からお召し牽引機へ、異例の出世を遂...

1971年、日立製作所で落成したDD51形842号機。 誕生時の姿は、お召し列車とはまったく無縁でした。842号機は暖房用蒸気発生装置(SG)を搭載しない800番台として製造され、貨物列車牽引用を目的としたグループの1両です。 SG関連機器やボイラーを省略したことで約6トンの軽量化が図られ、重量配分の見直しに合わせて中間台車やブレーキ装置も専用仕様となるなど、旅客用とは異なる設計が施されました。 つまり、生まれながらの"貨物機"。 本来であれば、お召し列車を牽引する存在ではありません。 しかし、その運命は1973年の千葉国体で大きく変わります。この年、お召し列車の牽引機に抜擢された842号機は、お召し列車専用の整備を受け、一躍”特別なDD51”となりました。 最大の特徴となったのが、ランボード側面に取り付けられたステンレスの飾り帯です。さらにデッキ手すりや煙突カバーにもステンレス化が施され、一般機とは一線を画す風格をまといます。 その後はJR東日本高崎第一機関区(後のぐんま車両センター)に所属し、DD51形895号機とともにイベント列車や団体列車などでも活躍。 鉄道ファンには”お召し仕様のDD51”として広く知られる存在となりました。 しかし、842号機の真価は、その美しい姿だけではありません。 一度きりで終わると思われた栄誉が、平成になって再び巡ってきたのです。 1997年、岩手県で開催された全国豊かな海づくり大会。 山田線・釜石線で運転されたお召し列車の牽引機に選ばれたのは、地元配置機ではなく、高崎から送り込まれたDD51形842号機でした。 さらに2001年の宮城国体では東北本線・石巻線・気仙沼線で。2002年の全国植樹祭では陸羽西線・羽越本線で。 いずれのお召し列車でも、その大役を任されたのは842号機でした。一般貨物機として誕生しながら、昭和と平成を通じて4度ものお召し列車を牽引。 これはDD51形の中でも極めて異例の経歴であり、まさに”一般機からお召し機へ出世した機関車”と言っても過言ではありません。 その歩みは、単なる幸運ではなく、長年積み重ねてきた信頼と実績があったからこそ築かれたものだったのでしょう。 そして、そんな842号機にも終焉の時が訪れます。 2025年10月。 長年活躍した高崎を離れ、多くの名機が最後を迎えてきた”終焉の地・長野総合車両センター(通称NN)”へと旅立ちました。 お召し列車牽引機の証でもあったランボードのステンレス飾り帯や、デッキ手すり・煙突カバーなどの特別装飾は最後まで取り外されることなく、その誇りをまとったまま廃車となりました。 貨物機として誕生し、お召し列車という鉄道最高峰の任務を幾度となく務め上げたDD51形842号機。 華やかな専用機ではない。生まれは一介の貨物機。それでも、その走りでお召し列車牽引機へと上り詰めたDD51形842号機。 まさに、「生まれ持った運命を変えた機関車」。 DD51形842号機は、今なお多くの鉄道ファンの記憶の中で、誇り高き”お召し機”として生き続けています。 (マイミー)

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【特集、お召し列車Vol.3】EF58形60号機・61号<ザ・ロイヤルエンジン>

【特集、お召し列車Vol.3】EF58形60号機・61号<ザ・ロイヤルエンジン>

お召し列車専用機として、初めてその使命を与えられた機関車。それが、EF58形60号機と61号機でした。 それまでのお召し機は、量産機の中から選び抜かれた機関車。 しかし、この2両だけは違います。 「いつか選ばれる」のではなく、生まれる前からお召し列車を牽くことが決まっていた唯一無二のロイヤルエンジンでした。 一般車にはない数々の特別装備を備え、厳しい試験を何度も繰り返し、ようやく落成。 60号機は東京芝浦電気61号機は日立製作所が製造しました。 当時、お召し列車を牽く機関車を製造することは、日本の技術力を示す国家的プロジェクトとも言える存在。両メーカーとも採算を度外視し、威信を懸けてこの2両を完成させたと言われています。 本務機は61号機。 予備機は60号機。 たった1号違いの兄弟機でしたが、その後の運命は大きく分かれることになります。 61号機は、お召し列車専従として30年以上にわたり活躍し、100回を超えるお召し列車を牽引したとされています。一方の60号機は、予備機という立場から一般列車にも充当されていました。 そして1967年、一般運用中に事故に遭遇。幸い修復され現場へ復帰したものの、その頃には東海道新幹線の開業によって、お召し列車自体が大きく減少。1973年、60号機はお召し指定を解除されてしまいます。 ここが、2両の命運を分けた瞬間だったのかもしれません。 それでも60号機は現役を続け、1979年、愛知県全国植樹祭のお召し列車では61号機とともに最後のお召し任務を果たしました。 そして1983年5月。 静かに廃車となり、そのまま保存されることなく解体。 ロイヤルエンジンとして生まれながら、その姿を後世へ残すことは叶いませんでした。 一方の61号機は、国鉄分割民営化後もJR東日本へ継承され、お召し列車の象徴として活躍を続けます。 しかし2008年、全般検査で台車枠に修復困難な亀裂が発見され運用を離脱。 その後は車籍を残したまま御料車庫で大切に保管され、2022年、現在の住処である鉄道博物館へ収蔵されました。 生まれた時は、同じ使命を与えられた兄弟機。 しかし、一方は解体され、一方は永久保存される。その差は、わずかな巡り合わせだったのか。 それとも、「本務機」と「予備機」という立場の違いだったのか。 答えは誰にも分かりません。ですが、61号機が今も美しい姿で保存され、多くの人にその歴史を語り続けてくれていること。 それだけは、鉄道ファンとして本当に嬉しく思います。 (マイミー)

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【特集、お召し列車Vol.3】EF58形60号機・61号<ザ・ロイヤルエンジン>

お召し列車専用機として、初めてその使命を与えられた機関車。それが、EF58形60号機と61号機でした。 それまでのお召し機は、量産機の中から選び抜かれた機関車。 しかし、この2両だけは違います。 「いつか選ばれる」のではなく、生まれる前からお召し列車を牽くことが決まっていた唯一無二のロイヤルエンジンでした。 一般車にはない数々の特別装備を備え、厳しい試験を何度も繰り返し、ようやく落成。 60号機は東京芝浦電気61号機は日立製作所が製造しました。 当時、お召し列車を牽く機関車を製造することは、日本の技術力を示す国家的プロジェクトとも言える存在。両メーカーとも採算を度外視し、威信を懸けてこの2両を完成させたと言われています。 本務機は61号機。 予備機は60号機。 たった1号違いの兄弟機でしたが、その後の運命は大きく分かれることになります。 61号機は、お召し列車専従として30年以上にわたり活躍し、100回を超えるお召し列車を牽引したとされています。一方の60号機は、予備機という立場から一般列車にも充当されていました。 そして1967年、一般運用中に事故に遭遇。幸い修復され現場へ復帰したものの、その頃には東海道新幹線の開業によって、お召し列車自体が大きく減少。1973年、60号機はお召し指定を解除されてしまいます。 ここが、2両の命運を分けた瞬間だったのかもしれません。 それでも60号機は現役を続け、1979年、愛知県全国植樹祭のお召し列車では61号機とともに最後のお召し任務を果たしました。 そして1983年5月。 静かに廃車となり、そのまま保存されることなく解体。 ロイヤルエンジンとして生まれながら、その姿を後世へ残すことは叶いませんでした。 一方の61号機は、国鉄分割民営化後もJR東日本へ継承され、お召し列車の象徴として活躍を続けます。 しかし2008年、全般検査で台車枠に修復困難な亀裂が発見され運用を離脱。 その後は車籍を残したまま御料車庫で大切に保管され、2022年、現在の住処である鉄道博物館へ収蔵されました。 生まれた時は、同じ使命を与えられた兄弟機。 しかし、一方は解体され、一方は永久保存される。その差は、わずかな巡り合わせだったのか。 それとも、「本務機」と「予備機」という立場の違いだったのか。 答えは誰にも分かりません。ですが、61号機が今も美しい姿で保存され、多くの人にその歴史を語り続けてくれていること。 それだけは、鉄道ファンとして本当に嬉しく思います。 (マイミー)

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【特集、お召し列車Vol.2】EF64形77号機<悲運を辿った牽引機>

【特集、お召し列車Vol.2】EF64形77号機<悲運を辿った牽引機>

「国鉄最後のお召し列車」を牽引した"EF64形77号機"。 同じお召し列車の本務機という栄誉を受けながらも、その運命はC57形1号機とは対照的なものとなりました。 1986年10月、かいじ国体の開会式にご出席される昭和天皇がお乗りになったお召し列車。その牽引機に選ばれたのが、八王子機関区所属のEF64形77号機でした。 国鉄最後のお召し列車という歴史的任務を見事に果たした77号機。しかし、その栄光からわずか半年後、国鉄は分割民営化。 時代はJRへと移り変わり、お召し列車を取り巻く環境も大きく変化していきます。 EF64形77号機は、その後も一般運用で活躍を続けましたが、お召し列車を牽引したという輝かしい実績だけで保存されることはありませんでした。 EF64形は量産形式であり、同形式が数多く存在したことに加え、電気機関車は保存・維持に多くの費用や設備を必要とします。 EF64形77号機が解体に至った理由について公式な説明はありません。しかし、保存車両全体にかかる維持管理費や保管場所の確保、車両の状態など、さまざまな要素を総合的に判断した結果だったと考えるのが自然ではないかと思います。 歴史的価値だけでは、すべての車両を後世へ残すことはできない。 それが、保存と解体の判断の難しさですね。 そして77号機は、長らく過ごした稲沢の地で静かにその生涯へ幕を下ろしました。 お召し列車を牽いた機関車たち。 歴史の表舞台で栄光を浴びた機関車もあれば、役目を終えると静かに姿を消した機関車もあります。 それもまた、日本の鉄道史の現実でした。 次回は、お召し電気機関車の代名詞ともいえるEF58形61号機。 数あるEF58形の中で、なぜ61号機だけが特別な存在となり、日本を代表する「お召し機」となったのか。 その誕生の背景と、予備機と本務機の歴然たる差を深掘りします。 (マイミー)

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【特集、お召し列車Vol.2】EF64形77号機<悲運を辿った牽引機>

「国鉄最後のお召し列車」を牽引した"EF64形77号機"。 同じお召し列車の本務機という栄誉を受けながらも、その運命はC57形1号機とは対照的なものとなりました。 1986年10月、かいじ国体の開会式にご出席される昭和天皇がお乗りになったお召し列車。その牽引機に選ばれたのが、八王子機関区所属のEF64形77号機でした。 国鉄最後のお召し列車という歴史的任務を見事に果たした77号機。しかし、その栄光からわずか半年後、国鉄は分割民営化。 時代はJRへと移り変わり、お召し列車を取り巻く環境も大きく変化していきます。 EF64形77号機は、その後も一般運用で活躍を続けましたが、お召し列車を牽引したという輝かしい実績だけで保存されることはありませんでした。 EF64形は量産形式であり、同形式が数多く存在したことに加え、電気機関車は保存・維持に多くの費用や設備を必要とします。 EF64形77号機が解体に至った理由について公式な説明はありません。しかし、保存車両全体にかかる維持管理費や保管場所の確保、車両の状態など、さまざまな要素を総合的に判断した結果だったと考えるのが自然ではないかと思います。 歴史的価値だけでは、すべての車両を後世へ残すことはできない。 それが、保存と解体の判断の難しさですね。 そして77号機は、長らく過ごした稲沢の地で静かにその生涯へ幕を下ろしました。 お召し列車を牽いた機関車たち。 歴史の表舞台で栄光を浴びた機関車もあれば、役目を終えると静かに姿を消した機関車もあります。 それもまた、日本の鉄道史の現実でした。 次回は、お召し電気機関車の代名詞ともいえるEF58形61号機。 数あるEF58形の中で、なぜ61号機だけが特別な存在となり、日本を代表する「お召し機」となったのか。 その誕生の背景と、予備機と本務機の歴然たる差を深掘りします。 (マイミー)

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