Mr.DIMER Journal
【ついに解体へ】KTR001形・タンゴエクスプローラー・丹後の“夢”を背負った特急の36年
2026年9月。西舞鶴で、ひとつの時代が終わろうとしています。KTR001形。 かつて「タンゴエクスプローラー」として、京阪神と丹後を結んだ豪華気動車です。まずKTR011で解体作業が始まり、床下機器やスカートなどが撤去。続いて中間車KTR012でも、車内設備の撤去作業が確認されました。残るKTR013については、現時点で車体解体開始を明確に確認できる情報はありません。 ただ、“最後の3両”として残ってきた第2編成そのものに、ついに解体の手が入ったことになります。 この車両、単なる昔の特急ではありません。 「第三セクターだって、こんな列車を造れる。」 そんな平成初期の勢いを、そのまま形にしたような車両でした。時は1990年。国鉄宮津線が北近畿タンゴ鉄道へ転換されるのに合わせ、KTR001形が登場します。 流線形の先頭部。大きな窓。そして客室の床を高くしたハイデッカー構造。 第三セクターの車両としては、かなり思い切った“本格派の特急車”でした。 車体には、丹後と京阪神を結ぶ「夢の橋=虹」、さらに丹後地方に伝わる七夕伝説をイメージしたシンボルマークまで描かれています。 つまりこの列車は最初から単なる移動手段ではなく、 「丹後へ人を呼ぶための顔」 として生まれたわけです。1990年4月。特急「タンゴエクスプローラー」として運転開始。 当初は京都から西舞鶴、網野、久美浜方面へ直通しました。ところが、最初は1編成しかありません。では検査に入ったらどうするのか。 なんとJR西日本のキハ181系が代走。あの国鉄特急形が“タンゴエクスプローラーの代役”を務めるという、今考えるとかなり濃い時代です。 1992年には第2編成が増備。さらに1999年からは新大阪発着となり、福知山線経由で丹後へ。 大都市圏から第三セクター線へ、そのまま豪華気動車が乗り込んでいく。 これこそ、この車両最大の見せ場でした。しかし時代は変わります。 2005年のJR福知山線脱線事故後、安全設備への対応などから一時JR線への乗り入れができなくなり、KTR8000形「タンゴディスカバリー」が代役を務めました。 その後復帰したものの、2011年3月。北近畿地区の特急体系再編によって「タンゴエクスプローラー」の列車名は消滅。約21年続いた京阪神直通の歴史に幕を下ろします。 その後も線内列車などで使われましたが、2013年以降は定期運用から離脱。 そして皮肉だったのが、登場時には最大の売りだった”ハイデッカー構造”です。 眺望の良さを追求した構造は、バリアフリー化が求められる時代には大きな弱点になりました。3両固定編成という構成も、利用状況に応じて短編成化したい地方鉄道には扱いづらい。 時代の最先端として生まれた設計が、時代の変化によって足かせになっていったわけです。第1編成のKTR001~003は長期間留置された末、2022年に解体。 それでも第2編成のKTR011~013は残りました。 2020年には登場30周年企画が行われ、2023年にはKTR800形による「TANGO EXPLORERオマージュトレイン」まで登場。本物が走らなくなっても、その名前は丹後に残り続けました。 だからこそ、「もしかすると保存されるのでは」そう期待した人もいたはずです。 しかし2026年9月。KTR011に続き、KTR012でも解体作業が進行。 “最後のタンゴエクスプローラー”にも、いよいよ終幕が近づいてきました。国鉄の路線が第三セクターへ移り、地方鉄道が夢を背負って豪華特急を造り、その列車が京都や新大阪まで駆け抜けた時代。 タンゴエクスプローラーは、まさにそんな平成初期の鉄道そのものだったのかもしれません。...
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2026年9月。西舞鶴で、ひとつの時代が終わろうとしています。KTR001形。 かつて「タンゴエクスプローラー」として、京阪神と丹後を結んだ豪華気動車です。まずKTR011で解体作業が始まり、床下機器やスカートなどが撤去。続いて中間車KTR012でも、車内設備の撤去作業が確認されました。残るKTR013については、現時点で車体解体開始を明確に確認できる情報はありません。 ただ、“最後の3両”として残ってきた第2編成そのものに、ついに解体の手が入ったことになります。 この車両、単なる昔の特急ではありません。 「第三セクターだって、こんな列車を造れる。」 そんな平成初期の勢いを、そのまま形にしたような車両でした。時は1990年。国鉄宮津線が北近畿タンゴ鉄道へ転換されるのに合わせ、KTR001形が登場します。 流線形の先頭部。大きな窓。そして客室の床を高くしたハイデッカー構造。 第三セクターの車両としては、かなり思い切った“本格派の特急車”でした。 車体には、丹後と京阪神を結ぶ「夢の橋=虹」、さらに丹後地方に伝わる七夕伝説をイメージしたシンボルマークまで描かれています。 つまりこの列車は最初から単なる移動手段ではなく、 「丹後へ人を呼ぶための顔」 として生まれたわけです。1990年4月。特急「タンゴエクスプローラー」として運転開始。 当初は京都から西舞鶴、網野、久美浜方面へ直通しました。ところが、最初は1編成しかありません。では検査に入ったらどうするのか。 なんとJR西日本のキハ181系が代走。あの国鉄特急形が“タンゴエクスプローラーの代役”を務めるという、今考えるとかなり濃い時代です。 1992年には第2編成が増備。さらに1999年からは新大阪発着となり、福知山線経由で丹後へ。 大都市圏から第三セクター線へ、そのまま豪華気動車が乗り込んでいく。 これこそ、この車両最大の見せ場でした。しかし時代は変わります。 2005年のJR福知山線脱線事故後、安全設備への対応などから一時JR線への乗り入れができなくなり、KTR8000形「タンゴディスカバリー」が代役を務めました。 その後復帰したものの、2011年3月。北近畿地区の特急体系再編によって「タンゴエクスプローラー」の列車名は消滅。約21年続いた京阪神直通の歴史に幕を下ろします。 その後も線内列車などで使われましたが、2013年以降は定期運用から離脱。 そして皮肉だったのが、登場時には最大の売りだった”ハイデッカー構造”です。 眺望の良さを追求した構造は、バリアフリー化が求められる時代には大きな弱点になりました。3両固定編成という構成も、利用状況に応じて短編成化したい地方鉄道には扱いづらい。 時代の最先端として生まれた設計が、時代の変化によって足かせになっていったわけです。第1編成のKTR001~003は長期間留置された末、2022年に解体。 それでも第2編成のKTR011~013は残りました。 2020年には登場30周年企画が行われ、2023年にはKTR800形による「TANGO EXPLORERオマージュトレイン」まで登場。本物が走らなくなっても、その名前は丹後に残り続けました。 だからこそ、「もしかすると保存されるのでは」そう期待した人もいたはずです。 しかし2026年9月。KTR011に続き、KTR012でも解体作業が進行。 “最後のタンゴエクスプローラー”にも、いよいよ終幕が近づいてきました。国鉄の路線が第三セクターへ移り、地方鉄道が夢を背負って豪華特急を造り、その列車が京都や新大阪まで駆け抜けた時代。 タンゴエクスプローラーは、まさにそんな平成初期の鉄道そのものだったのかもしれません。...
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【台湾高速鉄道向け】N700ST台湾に向け、出荷(日立製作所・東芝)
台湾高鉄向けの新型車両、"N700ST"。第一弾の製造が完了し、日立・笠戸事業所より、台湾に向けて出荷されます。車両は、受注した12編成144両中の1編成12両です。 (株式会社日立製作所、株式会社東芝ニュースリリースより) 詳細は日立・東芝ニュースリリースをご覧下さい。https://www.hitachi.com/content/dam/hitachi/global/ja_jp/press/files/2026/07/0730a.pdf
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台湾高鉄向けの新型車両、"N700ST"。第一弾の製造が完了し、日立・笠戸事業所より、台湾に向けて出荷されます。車両は、受注した12編成144両中の1編成12両です。 (株式会社日立製作所、株式会社東芝ニュースリリースより) 詳細は日立・東芝ニュースリリースをご覧下さい。https://www.hitachi.com/content/dam/hitachi/global/ja_jp/press/files/2026/07/0730a.pdf
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【日本では引退】インドネシアでは、愛されるスターに。
日本では「古い電車」として引退した、205系や203系、東京メトロ6000系や05系。しかし海を渡ったインドネシアでは、人々の暮らしを支える大切な足として、再び第一線を走り続けました。 日本と同じ軌間1,067mm、直流1,500V。 激しいラッシュに耐えてきた頑丈な車体と、大量輸送に適した広い車内。さらに、日本で丁寧に整備されてきた車両を、まとまった数で導入できる。日本の中古電車は、急成長するジャカルタの鉄道にとって、まさに救世主のような存在だったのです。 しかし、日本車がインドネシアへ運んだものは、輸送力だけではありませんでした。近年、インドネシアでは列車を撮影し、編成番号や塗装の違いを楽しみ、日本時代の経歴まで調べる若い鉄道ファンが目立つようになっています。 SNSの普及に加え、205系だけでも埼京線、横浜線、南武線、武蔵野線など、さまざまな“物語”を背負った車両が集まったことも、ファンを惹きつけた理由ではないでしょうか。その熱量を象徴するのが、2026年7月18日に開催された第2回「DEPO DEPOK TOUR EVENT」。 デポック車両基地には、元JR東日本203系・205系、元東京メトロ6000系・7000系・05系が集結。 203系や6000系は日本時代の姿へ、05系は東西線時代の帯へ、205系はインドネシア譲渡初期に見られた南武線帯を残す姿へと再現されました。前年のイベントでも、205系に埼京線・横浜線・南武線・武蔵野線時代の姿が再現されています。 日本では当たり前のように走っていた通勤電車。 それを現地のファンが大切に磨き、日本時代の姿へ戻し、嬉しそうにカメラを向けている。これは、たまらなく胸が熱くなる光景です。 日本から渡ったのは、単なる中古車ではなかった。 電車を愛し、追いかけ、撮影し、その歴史を語り継ぐ文化まで、一緒に海を渡っていたのです。 しかし、時代は確実に動いています。 KAI Commuterは2025年から新型車CLI-125を順次投入し、同年12月にはインドネシアのINKAが製造した国産新型車CLI-225の営業運転も開始しました。KAI Commuterは新型車を、寿命を迎えた従来車の置き換えとして導入しており、19編成を対象とした更新・改造計画も進めています。 つまり今後のKAI Commuterは、日本の中古車を買い続ける時代から、新造車の導入、インドネシア国内での車両生産、既存車の延命を組み合わせる時代へと進んでいきます。 日本車にとって、少し寂しい世代交代が始まっていることは間違いありません。 それでも、日本の電車がジャカルタの鉄道を支え、鉄道ファン文化を育て、インドネシアの車両製造へとつながる“橋渡し役”を果たした事実は消えません。日本では引退した電車が、異国の地で人々に愛され、スターになった。そして役目を終える時が来ても、その姿は写真と記憶の中に残り続ける。 日本車がインドネシアに残したもの。 それは車両だけではなく、鉄道を愛する心そのものだったのかもしれませんね。 (マイミー)
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日本では「古い電車」として引退した、205系や203系、東京メトロ6000系や05系。しかし海を渡ったインドネシアでは、人々の暮らしを支える大切な足として、再び第一線を走り続けました。 日本と同じ軌間1,067mm、直流1,500V。 激しいラッシュに耐えてきた頑丈な車体と、大量輸送に適した広い車内。さらに、日本で丁寧に整備されてきた車両を、まとまった数で導入できる。日本の中古電車は、急成長するジャカルタの鉄道にとって、まさに救世主のような存在だったのです。 しかし、日本車がインドネシアへ運んだものは、輸送力だけではありませんでした。近年、インドネシアでは列車を撮影し、編成番号や塗装の違いを楽しみ、日本時代の経歴まで調べる若い鉄道ファンが目立つようになっています。 SNSの普及に加え、205系だけでも埼京線、横浜線、南武線、武蔵野線など、さまざまな“物語”を背負った車両が集まったことも、ファンを惹きつけた理由ではないでしょうか。その熱量を象徴するのが、2026年7月18日に開催された第2回「DEPO DEPOK TOUR EVENT」。 デポック車両基地には、元JR東日本203系・205系、元東京メトロ6000系・7000系・05系が集結。 203系や6000系は日本時代の姿へ、05系は東西線時代の帯へ、205系はインドネシア譲渡初期に見られた南武線帯を残す姿へと再現されました。前年のイベントでも、205系に埼京線・横浜線・南武線・武蔵野線時代の姿が再現されています。 日本では当たり前のように走っていた通勤電車。 それを現地のファンが大切に磨き、日本時代の姿へ戻し、嬉しそうにカメラを向けている。これは、たまらなく胸が熱くなる光景です。 日本から渡ったのは、単なる中古車ではなかった。 電車を愛し、追いかけ、撮影し、その歴史を語り継ぐ文化まで、一緒に海を渡っていたのです。 しかし、時代は確実に動いています。 KAI Commuterは2025年から新型車CLI-125を順次投入し、同年12月にはインドネシアのINKAが製造した国産新型車CLI-225の営業運転も開始しました。KAI Commuterは新型車を、寿命を迎えた従来車の置き換えとして導入しており、19編成を対象とした更新・改造計画も進めています。 つまり今後のKAI Commuterは、日本の中古車を買い続ける時代から、新造車の導入、インドネシア国内での車両生産、既存車の延命を組み合わせる時代へと進んでいきます。 日本車にとって、少し寂しい世代交代が始まっていることは間違いありません。 それでも、日本の電車がジャカルタの鉄道を支え、鉄道ファン文化を育て、インドネシアの車両製造へとつながる“橋渡し役”を果たした事実は消えません。日本では引退した電車が、異国の地で人々に愛され、スターになった。そして役目を終える時が来ても、その姿は写真と記憶の中に残り続ける。 日本車がインドネシアに残したもの。 それは車両だけではなく、鉄道を愛する心そのものだったのかもしれませんね。 (マイミー)
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【さようなら415系鋼製車】113系出身、もうひとつの"415系"。
基本番台となる0・300番台、シートピッチ改善車の100・200番台、ロングシート車グループを500・600番台、つくば科学万博開催に向け輸送力増強目的で導入された鋼製車史上最終増備となる中間車700番台、そして、ステンレスの1500(1600)番台、追加製造の1700番台1両を以て近郊型電車"415系"。と括ることになりますが。 この詳細の番台分けを大きく二分すると、いわゆる"415系鋼製車"と"ステンレス車"として会話を成立させることができます。 さて、前者の"415系鋼製車"にあっては、きたる明日、2026年7月19日(日曜日)開催、JR九州 小倉総合車両センターにおける"FK-515編成 最後の見学会"を終えると、車両は廃車解体へ、その生涯に幕を下ろします。 そのはなむけとしてお届けしたいのは。 415系鋼製車ファミリーにおける、"113系出身の415系"。 ■113系を出自とする、415系番台区分は800番台。JR西日本が1990年~1991年にかけて改造、1991年に運用を開始しました。 改造は、吹田・鷹取・松任工場が担当。3両編成×11本、計33両が誕生しています。 ■なぜ、113系が"交直流化"されたのかきっかけは、1991年の七尾線電化。 地方交通線規格であった同線は、駅の跨線橋や道路橋など、車両の屋根と構造物の間隔が狭い"低空頭区間"が多く、交流電化では絶縁上の問題があることから、"直流電化"が選択されました。(直流1500V、交流は20,000V故) しかし、接続する北陸本線(金沢~津幡間)は交流電化。 金沢から七尾線へ直通する普通列車には、交直流電車が必要となります。 JR西日本ではこの際、コスト削減の観点を以て新車製造ではなく、ある"妙案"を採ることとなります。目を付けたのは、特急「北近畿」用の485系です。 「北近畿」は直流区間しか走っていない。ならば、485系から交流機器を撤去して183系化し、浮いた交流機器を113系に載せてしまおう。 こうして生まれたのが、"415系800番台"というわけです。 新製車両でなく"余り物"の組み合わせで交直流電車を仕立てる。なんとも国鉄~JR過渡期らしい、知恵と工夫の結晶と申せましょう。 ■能登を纏った塗装 登場時の塗装も個性的でした。 腰部は能登の大地を表す「アスコットグレー」、上半分は、先頭車が能登の海の「バイオレットブルー」、中間車が能登の火祭りの「ロイヤルピンク」。 その境目には、波打ち際とさざ波をイメージした「オイスターホワイト」の帯。 3両で能登の風土を描く、こだわりのあるカラーリングでしたが、2010年以降はコスト削減のため、輪島塗をイメージした赤一色へと塗り改められました。 同時期に実施された単一塗装化で"濃黄色"に塗られた岡山・広島・山口地区の113・115系を"末期色(まっきいろ)"と揶揄する向きもありましたが、この赤一色も"末期色"のひとつでした。 ■30年、能登路を走り抜いて急行「能登路」への充当も考慮し、シートピッチを1,700mmまで拡大するなど、種車の113系からアコモ改善を遂げた800番台。 413系や475系との併結にも対応し、金沢~七尾間の輸送を、およそ30年にわたって支え続けました。 521系100番台への置き換えにより、2021年3月のダイヤ改正で営業運転を終了。 2023年8月、最後まで残った2編成の廃車をもって、800番台は区分消滅しています。 415系鋼製車の終焉で熱を帯びる九州。 これを機会と言っては何ですが。 113系として生まれ、415系として能登に生きた、"もうひとつの415系"のことも、思い出し、取り上げたところです。...
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基本番台となる0・300番台、シートピッチ改善車の100・200番台、ロングシート車グループを500・600番台、つくば科学万博開催に向け輸送力増強目的で導入された鋼製車史上最終増備となる中間車700番台、そして、ステンレスの1500(1600)番台、追加製造の1700番台1両を以て近郊型電車"415系"。と括ることになりますが。 この詳細の番台分けを大きく二分すると、いわゆる"415系鋼製車"と"ステンレス車"として会話を成立させることができます。 さて、前者の"415系鋼製車"にあっては、きたる明日、2026年7月19日(日曜日)開催、JR九州 小倉総合車両センターにおける"FK-515編成 最後の見学会"を終えると、車両は廃車解体へ、その生涯に幕を下ろします。 そのはなむけとしてお届けしたいのは。 415系鋼製車ファミリーにおける、"113系出身の415系"。 ■113系を出自とする、415系番台区分は800番台。JR西日本が1990年~1991年にかけて改造、1991年に運用を開始しました。 改造は、吹田・鷹取・松任工場が担当。3両編成×11本、計33両が誕生しています。 ■なぜ、113系が"交直流化"されたのかきっかけは、1991年の七尾線電化。 地方交通線規格であった同線は、駅の跨線橋や道路橋など、車両の屋根と構造物の間隔が狭い"低空頭区間"が多く、交流電化では絶縁上の問題があることから、"直流電化"が選択されました。(直流1500V、交流は20,000V故) しかし、接続する北陸本線(金沢~津幡間)は交流電化。 金沢から七尾線へ直通する普通列車には、交直流電車が必要となります。 JR西日本ではこの際、コスト削減の観点を以て新車製造ではなく、ある"妙案"を採ることとなります。目を付けたのは、特急「北近畿」用の485系です。 「北近畿」は直流区間しか走っていない。ならば、485系から交流機器を撤去して183系化し、浮いた交流機器を113系に載せてしまおう。 こうして生まれたのが、"415系800番台"というわけです。 新製車両でなく"余り物"の組み合わせで交直流電車を仕立てる。なんとも国鉄~JR過渡期らしい、知恵と工夫の結晶と申せましょう。 ■能登を纏った塗装 登場時の塗装も個性的でした。 腰部は能登の大地を表す「アスコットグレー」、上半分は、先頭車が能登の海の「バイオレットブルー」、中間車が能登の火祭りの「ロイヤルピンク」。 その境目には、波打ち際とさざ波をイメージした「オイスターホワイト」の帯。 3両で能登の風土を描く、こだわりのあるカラーリングでしたが、2010年以降はコスト削減のため、輪島塗をイメージした赤一色へと塗り改められました。 同時期に実施された単一塗装化で"濃黄色"に塗られた岡山・広島・山口地区の113・115系を"末期色(まっきいろ)"と揶揄する向きもありましたが、この赤一色も"末期色"のひとつでした。 ■30年、能登路を走り抜いて急行「能登路」への充当も考慮し、シートピッチを1,700mmまで拡大するなど、種車の113系からアコモ改善を遂げた800番台。 413系や475系との併結にも対応し、金沢~七尾間の輸送を、およそ30年にわたって支え続けました。 521系100番台への置き換えにより、2021年3月のダイヤ改正で営業運転を終了。 2023年8月、最後まで残った2編成の廃車をもって、800番台は区分消滅しています。 415系鋼製車の終焉で熱を帯びる九州。 これを機会と言っては何ですが。 113系として生まれ、415系として能登に生きた、"もうひとつの415系"のことも、思い出し、取り上げたところです。...
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【サ電!?】富士山麓電気鉄道が考えるサステナブル
「引退した電車を、サウナにします」 ……サ、サウナ!? 7月17日、富士急行から驚きの発表がありました。 2024年12月に定期運用を終えた富士急行線1000系「1001号編成」を、なんと丸ごとサウナ施設へ改装。 その名も―― サウナ電車「サ電(SADEN)」 2026年12月、下吉田駅の線路上に常設される予定です。 営業運転を終えた電車をサウナ施設として活用する取り組みは、同社によれば日本初。 富士山を眺めながら外気浴ができるスペースや、駅のホームをイメージした“ととのいスペース”を設置。さらに、サウナ室内には運転席を活用した仕掛けも用意されるそうです。 電車の音。 レールから伝わる振動。 そして、目の前には富士山。 鉄道ファンにとっては、果たして本当に“ととのえる”のか。車両が来るたびに、むしろ鉄分が上がってしまいそうです。しかし、何とも富士急らしい、良い意味でぶっ飛んだ企画ではないでしょうか。 1001号編成は、京王電鉄から譲り受け、1994年から富士急行線で活躍してきた車両です。2012年には京王時代の塗装へ復元され、2024年12月15日に定期運用を終了しました。 引退車両の保存には、車体の劣化や維持費、安全面など、さまざまな課題がつきまといます。ただ置いて残すのではなく、新たな役割と収益を持たせ、観光資源として第二の人生を歩ませる。 これもまた、ひとつの車両保存の形なのかもしれません。 ■鉄道ファンにはおなじみの下吉田駅「サ電」が設置される下吉田駅は、以前から富士急行線ゆかりの車両が集められてきた場所です。 湘南色のクモハ169形前頭部、富士急5000形、2000系「フジサン特急」、そして14系寝台客車など、鉄道ファンにとっては見応えのある車両が保存されてきました。 一方、14系寝台客車などを展示していた「ブルートレインテラス」は、下吉田駅構内工事に伴い、2026年4月17日をもって営業を終了しています。 今回の発表では、14系をはじめとする既存の保存車両の今後については触れられていません。 1001号編成がサウナとして残ることは嬉しいニュースですが、ブルートレインテラスの車両たちが、これからどうなるのか。こちらの去就も気になるところです。 ■駅そのものにも残る、鉄道の風情下吉田駅は1929年に開業。 2009年には工業デザイナー・水戸岡鋭治氏のデザインによってリニューアルされましたが、どこか懐かしく、ノスタルジックな雰囲気を今に残しています。 この駅の名物として知られているのが、構内踏切に設置された電鈴式の警報機です。 「チン、チン、チン……」 電子音ではない、機械式ならではのアナログな音。 列車が到着するたびに駅構内へ響くその音には、現代の鉄道から少しずつ失われつつある、何ともいえない風情があります。 春の桜が満開となる季節はもちろんですが、個人的には夏の夜の下吉田駅もおすすめです。 住宅街の中にたたずむ駅舎を、優しい暖色の光が照らす。 派手さはありません。...
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「引退した電車を、サウナにします」 ……サ、サウナ!? 7月17日、富士急行から驚きの発表がありました。 2024年12月に定期運用を終えた富士急行線1000系「1001号編成」を、なんと丸ごとサウナ施設へ改装。 その名も―― サウナ電車「サ電(SADEN)」 2026年12月、下吉田駅の線路上に常設される予定です。 営業運転を終えた電車をサウナ施設として活用する取り組みは、同社によれば日本初。 富士山を眺めながら外気浴ができるスペースや、駅のホームをイメージした“ととのいスペース”を設置。さらに、サウナ室内には運転席を活用した仕掛けも用意されるそうです。 電車の音。 レールから伝わる振動。 そして、目の前には富士山。 鉄道ファンにとっては、果たして本当に“ととのえる”のか。車両が来るたびに、むしろ鉄分が上がってしまいそうです。しかし、何とも富士急らしい、良い意味でぶっ飛んだ企画ではないでしょうか。 1001号編成は、京王電鉄から譲り受け、1994年から富士急行線で活躍してきた車両です。2012年には京王時代の塗装へ復元され、2024年12月15日に定期運用を終了しました。 引退車両の保存には、車体の劣化や維持費、安全面など、さまざまな課題がつきまといます。ただ置いて残すのではなく、新たな役割と収益を持たせ、観光資源として第二の人生を歩ませる。 これもまた、ひとつの車両保存の形なのかもしれません。 ■鉄道ファンにはおなじみの下吉田駅「サ電」が設置される下吉田駅は、以前から富士急行線ゆかりの車両が集められてきた場所です。 湘南色のクモハ169形前頭部、富士急5000形、2000系「フジサン特急」、そして14系寝台客車など、鉄道ファンにとっては見応えのある車両が保存されてきました。 一方、14系寝台客車などを展示していた「ブルートレインテラス」は、下吉田駅構内工事に伴い、2026年4月17日をもって営業を終了しています。 今回の発表では、14系をはじめとする既存の保存車両の今後については触れられていません。 1001号編成がサウナとして残ることは嬉しいニュースですが、ブルートレインテラスの車両たちが、これからどうなるのか。こちらの去就も気になるところです。 ■駅そのものにも残る、鉄道の風情下吉田駅は1929年に開業。 2009年には工業デザイナー・水戸岡鋭治氏のデザインによってリニューアルされましたが、どこか懐かしく、ノスタルジックな雰囲気を今に残しています。 この駅の名物として知られているのが、構内踏切に設置された電鈴式の警報機です。 「チン、チン、チン……」 電子音ではない、機械式ならではのアナログな音。 列車が到着するたびに駅構内へ響くその音には、現代の鉄道から少しずつ失われつつある、何ともいえない風情があります。 春の桜が満開となる季節はもちろんですが、個人的には夏の夜の下吉田駅もおすすめです。 住宅街の中にたたずむ駅舎を、優しい暖色の光が照らす。 派手さはありません。...
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【ありがとう、さようなら。】415系 鋼製車
415系の中でも"白電"と親しまれた"鋼製車"。 2022年9月23日のダイヤ改正により定期運用を離脱、疎開による廃車待ちの状態が続いていましたが、とうとう"最後の白電"、Fk515編成が小倉総合車両センターにて開催される見学会(2026年7月19日)を以て最後の時を迎えます。 残るは211系タイプ"1500番台"の活躍を見るのみですが、これらも新たな車両による置換計画が発表されています。 近郊型電車415系は、完全終焉の時を迎えます。 東海顔を持つ車両においては。 湘南色やスカ色、それから急行色等は、これら形式の"定番色"という認識、どちらかと言えば"重みのある"色合いだったところ、415系にあってはアイボリーホワイトに青帯を纏った"軽快な"色味、"爽やかでまぶしい"垢ぬけた風貌が好みでした。 1971年登場。実に55年、半世紀を駆け抜け、時代を視た415系鋼製車。 ありがとう。お疲れ様でした。 (Mr.DIMER編集長)
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415系の中でも"白電"と親しまれた"鋼製車"。 2022年9月23日のダイヤ改正により定期運用を離脱、疎開による廃車待ちの状態が続いていましたが、とうとう"最後の白電"、Fk515編成が小倉総合車両センターにて開催される見学会(2026年7月19日)を以て最後の時を迎えます。 残るは211系タイプ"1500番台"の活躍を見るのみですが、これらも新たな車両による置換計画が発表されています。 近郊型電車415系は、完全終焉の時を迎えます。 東海顔を持つ車両においては。 湘南色やスカ色、それから急行色等は、これら形式の"定番色"という認識、どちらかと言えば"重みのある"色合いだったところ、415系にあってはアイボリーホワイトに青帯を纏った"軽快な"色味、"爽やかでまぶしい"垢ぬけた風貌が好みでした。 1971年登場。実に55年、半世紀を駆け抜け、時代を視た415系鋼製車。 ありがとう。お疲れ様でした。 (Mr.DIMER編集長)
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