Mr.DIMER Journal
【絶景ローカル線】東北の秘境を駆ける"米坂線"
「この景色が、もう一度列車の窓から見られる日を。」 山形県・米沢駅と新潟県・坂町駅を結ぶJR米坂線。 全長90.7kmの非電化ローカル線ですが、その存在は決して”ローカル”という言葉だけでは語れません。米沢盆地を抜け、豪雪地帯を越え、荒川渓谷に沿って走るその姿は、全国屈指の絶景路線として多くの鉄道ファンを魅了してきました。 特に小国~越後金丸間は、深い渓谷とエメラルドグリーンに輝く荒川を望む名区間。春は新緑、夏は深緑、秋は燃えるような紅葉、冬は一面の銀世界。四季折々の景色を映し出す車窓は、「乗ること自体が旅になる路線」と言われるほどです。 しかし、米坂線の本当の価値は、美しい景色だけではありません。 通学する高校生、病院へ向かう高齢者、地域で暮らす人々。沿線住民にとっては、毎日の暮らしを支える大切な交通機関であり、さらに奥羽本線と羽越本線を結ぶ横方向の鉄道路線として、災害時には日本海側と内陸部をつなぐ重要な役割も担っています。 そんな米坂線を襲ったのが、2022年8月の記録的豪雨でした。 橋梁の流失、盛土の崩壊、線路の損傷……。 路線は甚大な被害を受け、現在も今泉~坂町間では列車が走ることができません。「ローカル線だから仕方ない。」そんな一言で片付けられる問題ではありません。 鉄道が一本なくなるということは、地域の暮らしや未来の選択肢が一つ失われるということでもあります。 もちろん復旧には莫大な費用がかかります。JR東日本単独での復旧は容易ではなく、第三セクターへの移管なのか、それともバス転換なのか——。 人口減少が進む今、簡単に答えを出せる問題ではありません。それでも、この路線には代替できない価値があると私は思います。 「美しい景色だけではない。」 人と人、地域と地域をつなぎ続けてきた”命綱”としての価値です。 いつの日か再び、キハ110系やGV-E400系が荒川渓谷にエンジン音を響かせながら走る姿を見られることを願わずにはいられません。そして個人的には、新潟と米沢を結ぶGV-E400系の快速「べにばな」が、再び荒川の渓谷を駆け抜ける日が来ることを夢見ています。ローカル線とは、単なる移動手段ではありません。 そこには地域の歴史があり、人々の暮らしがあり、未来へつないでいきたい風景があるのではないかと思います。 (マイミー)
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「この景色が、もう一度列車の窓から見られる日を。」 山形県・米沢駅と新潟県・坂町駅を結ぶJR米坂線。 全長90.7kmの非電化ローカル線ですが、その存在は決して”ローカル”という言葉だけでは語れません。米沢盆地を抜け、豪雪地帯を越え、荒川渓谷に沿って走るその姿は、全国屈指の絶景路線として多くの鉄道ファンを魅了してきました。 特に小国~越後金丸間は、深い渓谷とエメラルドグリーンに輝く荒川を望む名区間。春は新緑、夏は深緑、秋は燃えるような紅葉、冬は一面の銀世界。四季折々の景色を映し出す車窓は、「乗ること自体が旅になる路線」と言われるほどです。 しかし、米坂線の本当の価値は、美しい景色だけではありません。 通学する高校生、病院へ向かう高齢者、地域で暮らす人々。沿線住民にとっては、毎日の暮らしを支える大切な交通機関であり、さらに奥羽本線と羽越本線を結ぶ横方向の鉄道路線として、災害時には日本海側と内陸部をつなぐ重要な役割も担っています。 そんな米坂線を襲ったのが、2022年8月の記録的豪雨でした。 橋梁の流失、盛土の崩壊、線路の損傷……。 路線は甚大な被害を受け、現在も今泉~坂町間では列車が走ることができません。「ローカル線だから仕方ない。」そんな一言で片付けられる問題ではありません。 鉄道が一本なくなるということは、地域の暮らしや未来の選択肢が一つ失われるということでもあります。 もちろん復旧には莫大な費用がかかります。JR東日本単独での復旧は容易ではなく、第三セクターへの移管なのか、それともバス転換なのか——。 人口減少が進む今、簡単に答えを出せる問題ではありません。それでも、この路線には代替できない価値があると私は思います。 「美しい景色だけではない。」 人と人、地域と地域をつなぎ続けてきた”命綱”としての価値です。 いつの日か再び、キハ110系やGV-E400系が荒川渓谷にエンジン音を響かせながら走る姿を見られることを願わずにはいられません。そして個人的には、新潟と米沢を結ぶGV-E400系の快速「べにばな」が、再び荒川の渓谷を駆け抜ける日が来ることを夢見ています。ローカル線とは、単なる移動手段ではありません。 そこには地域の歴史があり、人々の暮らしがあり、未来へつないでいきたい風景があるのではないかと思います。 (マイミー)
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【何のタメにある?】前面窓下"ステンレス帯"(103系高運転台車)
通勤形電車の代名詞、と言っても差し支えないでしょう、国鉄103系電車は、1963年に登場。 駅間距離の短い都市圏路線での運用を念頭に、高い加速性能と経済性を追求した車両で、実に3,000両を超える一大勢力を築きました。 前面は、天地寸法の大きな前面窓を備えた、101系譲りの“低運転台”形。 1974年には、量産冷房車の登場に合わせ、高運転台構造へと変化します。 理由は、山手線・京浜東北線へのATC導入に備えた機器スペースの確保。そして、踏切事故など衝突時における乗務員の安全性と、前方視認性を向上させるためでした。 さて、高運転台車の顔と言えば、前面窓下を横切る“銀色の一本線”。 このステンレス帯、何らかの補強材にも見えますが、実のところ、窓位置が上がったことで広くなった窓下部分の“間延び”を抑える、デザイン上の飾り帯でした。 本回は、この"帯位置"のおはなし。 サムネイルは、低運転台車と高運転台車を並べています。 お気づきになると思いますが、高運転台車のステンレス帯は、低運転台車における前面窓の下辺と、ほぼ同じ高さに配置されているのです。 偶然なのか、はたまた緻密に検討、設計された結果か。 私は、この位置こそ、低運転台車の前面窓が持っていた“黄金比”を再現した証左ではないかと考えています。 窓を上へ移し、安全性と機能性を高めながらも、従来車の端正な顔立ちを形づくっていた基準線は残す。その線を、ステンレス帯という新たな意匠に託したのではないか。 一見すれば、ただの銀色の帯。 しかし、その一本には、機能の変化によって崩れた顔の均衡を取り戻す、設計者の細やかな思慮が込められている。 国鉄形車両、とりわけ、通勤形電車はコスト重視の簡易的な意匠と言う評判がつきものですが、それはそうと、機能一辺倒に見えて、実によくデザインが考えられている。 103系に至っては、誕生からもう60余年の時が過ぎていますが、未だに感心させられます。 (Mr.DIMER編集長)
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通勤形電車の代名詞、と言っても差し支えないでしょう、国鉄103系電車は、1963年に登場。 駅間距離の短い都市圏路線での運用を念頭に、高い加速性能と経済性を追求した車両で、実に3,000両を超える一大勢力を築きました。 前面は、天地寸法の大きな前面窓を備えた、101系譲りの“低運転台”形。 1974年には、量産冷房車の登場に合わせ、高運転台構造へと変化します。 理由は、山手線・京浜東北線へのATC導入に備えた機器スペースの確保。そして、踏切事故など衝突時における乗務員の安全性と、前方視認性を向上させるためでした。 さて、高運転台車の顔と言えば、前面窓下を横切る“銀色の一本線”。 このステンレス帯、何らかの補強材にも見えますが、実のところ、窓位置が上がったことで広くなった窓下部分の“間延び”を抑える、デザイン上の飾り帯でした。 本回は、この"帯位置"のおはなし。 サムネイルは、低運転台車と高運転台車を並べています。 お気づきになると思いますが、高運転台車のステンレス帯は、低運転台車における前面窓の下辺と、ほぼ同じ高さに配置されているのです。 偶然なのか、はたまた緻密に検討、設計された結果か。 私は、この位置こそ、低運転台車の前面窓が持っていた“黄金比”を再現した証左ではないかと考えています。 窓を上へ移し、安全性と機能性を高めながらも、従来車の端正な顔立ちを形づくっていた基準線は残す。その線を、ステンレス帯という新たな意匠に託したのではないか。 一見すれば、ただの銀色の帯。 しかし、その一本には、機能の変化によって崩れた顔の均衡を取り戻す、設計者の細やかな思慮が込められている。 国鉄形車両、とりわけ、通勤形電車はコスト重視の簡易的な意匠と言う評判がつきものですが、それはそうと、機能一辺倒に見えて、実によくデザインが考えられている。 103系に至っては、誕生からもう60余年の時が過ぎていますが、未だに感心させられます。 (Mr.DIMER編集長)
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【神出鬼没】特大貨車「シキ」
日本を走る貨物列車の中でも、その迫力は間違いなく最重量級。 発電所や変電所で使用される、巨大な変圧器。 その“規格外の荷物”を鉄路で運ぶために造られたのが、大物車と呼ばれる特大貨車。 「シキ」です。 貨車の形式記号では、「シ」が大物車「キ」が積載重量25トン以上を表します。 しかし実際のシキが運ぶのは、皆さんもご存知の通り25トンどころの話ではありません。 時には100トンを大きく超える巨大変圧器を抱え、何十個もの車輪で重量を線路へ分散させながら、豪快なジョイント音と共に目的地へ向かいます。 なかでも有名なのが、1973年から製造されたシキ800形。 日本通運の私有貨車として誕生し、長年にわたって大型変圧器の輸送を担ってきました。 巨大な荷物を前後の荷受梁で挟み込み、変圧器そのものが貨車の車体の一部になったような姿。幾重にも連なる台車。異様な数の車輪。線路を踏みしめるように進む、圧倒的な重量感。 もはや貨車というより、鉄路を走る巨大構造物です。 故に、橋梁が重量に耐えられるのか。ホームやトンネルに接触しないのか。曲線で荷物がはみ出さないのか。 輸送前には経路を細かく調査し、場合によっては低速で、慎重に運転されます。 しかも、変圧器輸送が必要な時だけ走る特殊な貨車。 定期列車のように毎日姿を見せるわけではなく、運転日や経路も限られています。 だからこそ、その姿を目撃できた時の衝撃は大きい。「神出鬼没」と言えるのではないかと思います。 黒い巨大な車体が、豪快な音と共に、近づいてくる。 「なんだ、あの貨車は……」 初めて見た人なら、思わずそう声を漏らしてしまうはずです。 道路輸送や船舶輸送の発達により、シキが活躍する機会は以前より少なくなりました。 それでも、道路では運ぶことのできない超重量物を、鉄道だからこそ運べる場面が残されています。 普段はどこにいるのか分からない。しかし必要とされた時には、巨大な荷物を背負って静かに現れる。 大量の荷物を運ぶ貨物列車の中で、たった一つの変圧器を運ぶためだけに走る列車。 神出鬼没の特大貨車「シキ」。 その姿は今もなお、日本の鉄道貨物が持つ底知れない力を、私たちに見せつけてくれてる気がします。 (マイミー)
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日本を走る貨物列車の中でも、その迫力は間違いなく最重量級。 発電所や変電所で使用される、巨大な変圧器。 その“規格外の荷物”を鉄路で運ぶために造られたのが、大物車と呼ばれる特大貨車。 「シキ」です。 貨車の形式記号では、「シ」が大物車「キ」が積載重量25トン以上を表します。 しかし実際のシキが運ぶのは、皆さんもご存知の通り25トンどころの話ではありません。 時には100トンを大きく超える巨大変圧器を抱え、何十個もの車輪で重量を線路へ分散させながら、豪快なジョイント音と共に目的地へ向かいます。 なかでも有名なのが、1973年から製造されたシキ800形。 日本通運の私有貨車として誕生し、長年にわたって大型変圧器の輸送を担ってきました。 巨大な荷物を前後の荷受梁で挟み込み、変圧器そのものが貨車の車体の一部になったような姿。幾重にも連なる台車。異様な数の車輪。線路を踏みしめるように進む、圧倒的な重量感。 もはや貨車というより、鉄路を走る巨大構造物です。 故に、橋梁が重量に耐えられるのか。ホームやトンネルに接触しないのか。曲線で荷物がはみ出さないのか。 輸送前には経路を細かく調査し、場合によっては低速で、慎重に運転されます。 しかも、変圧器輸送が必要な時だけ走る特殊な貨車。 定期列車のように毎日姿を見せるわけではなく、運転日や経路も限られています。 だからこそ、その姿を目撃できた時の衝撃は大きい。「神出鬼没」と言えるのではないかと思います。 黒い巨大な車体が、豪快な音と共に、近づいてくる。 「なんだ、あの貨車は……」 初めて見た人なら、思わずそう声を漏らしてしまうはずです。 道路輸送や船舶輸送の発達により、シキが活躍する機会は以前より少なくなりました。 それでも、道路では運ぶことのできない超重量物を、鉄道だからこそ運べる場面が残されています。 普段はどこにいるのか分からない。しかし必要とされた時には、巨大な荷物を背負って静かに現れる。 大量の荷物を運ぶ貨物列車の中で、たった一つの変圧器を運ぶためだけに走る列車。 神出鬼没の特大貨車「シキ」。 その姿は今もなお、日本の鉄道貨物が持つ底知れない力を、私たちに見せつけてくれてる気がします。 (マイミー)
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【認識は変化するもの、されど...】コレ、貝塚線色じゃない、西鉄特急色!
"一昔前"。 の定量的評価が、"何年の刻"なのか、については人それぞれかと思います。 西鉄における、オキサイドイエローにボンレッドのストライプを纏ったいわゆる"黄色い電車"と言えば、"貝塚線の電車!"。と答えが返ってくることでしょう。 時代をさかのぼります、1973年。 西鉄における"黄色い電車"とはかつて西鉄大牟田線 福岡〜大牟田間を60分で結んだ大牟田線・筑紫路のエース、2000形の専用色でした。 それまでベージュとあずき色の"旧西鉄標準色"を纏う車両ばかりの中に投入されたオキサイドイエローの新車。 鮮烈な印象を残したに違いありません。 そして、宮地岳線(旧:貝塚線)における"黄色い電車の歴史"は大牟田線から移籍した313形が始まり。 1977年のこと、2000形の"オキサイドイエロー"誕生の4年後です。 "本線"の、"西鉄特急新時代"を象徴する塗装。これを支線車両に纏わせたのはそれまで大牟田線の中古車ばかりで構成されてきた宮地岳線のイメージアップを図ったものと捉えています。 1977年の2年前、1975年、大牟田線向け通勤形電車として誕生する5000形が、同じボンレッドの帯を巻くもののアイスグリーンを基本とした塗装で600形他一般形電車に波及させていった史実を見るに、宮地岳線こそ"アイスグリーン"にしても良かったところ。上述した"イメージアップ作戦"の証左かと思います。 大牟田線において、アイスグリーンの車両が普及していく中、2000形の"オキサイドイエロー"は更に眩しく、輝く存在へと昇華されていったように感じています。 2000形が引退したのは2010年。実に16年の年月が過ぎてしまいました。 "にしてつの黄色い電車"、と言えばすっかり、「あぁ、香椎の2両編成ね〜。」と言う会話が定着しました。 認識は変化するもの。されど...これだけは言わせてほしい。 "貝塚線を走る黄色い電車は。 西鉄貝塚線色ではなく、西鉄宮地岳線色でもなく! 「西鉄特急色」であることを。" 是非、みなさまの認識は変化するもの。されど...これは言っておきたい。 教えて下さい。 (Mr.DIMER編集長)
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"一昔前"。 の定量的評価が、"何年の刻"なのか、については人それぞれかと思います。 西鉄における、オキサイドイエローにボンレッドのストライプを纏ったいわゆる"黄色い電車"と言えば、"貝塚線の電車!"。と答えが返ってくることでしょう。 時代をさかのぼります、1973年。 西鉄における"黄色い電車"とはかつて西鉄大牟田線 福岡〜大牟田間を60分で結んだ大牟田線・筑紫路のエース、2000形の専用色でした。 それまでベージュとあずき色の"旧西鉄標準色"を纏う車両ばかりの中に投入されたオキサイドイエローの新車。 鮮烈な印象を残したに違いありません。 そして、宮地岳線(旧:貝塚線)における"黄色い電車の歴史"は大牟田線から移籍した313形が始まり。 1977年のこと、2000形の"オキサイドイエロー"誕生の4年後です。 "本線"の、"西鉄特急新時代"を象徴する塗装。これを支線車両に纏わせたのはそれまで大牟田線の中古車ばかりで構成されてきた宮地岳線のイメージアップを図ったものと捉えています。 1977年の2年前、1975年、大牟田線向け通勤形電車として誕生する5000形が、同じボンレッドの帯を巻くもののアイスグリーンを基本とした塗装で600形他一般形電車に波及させていった史実を見るに、宮地岳線こそ"アイスグリーン"にしても良かったところ。上述した"イメージアップ作戦"の証左かと思います。 大牟田線において、アイスグリーンの車両が普及していく中、2000形の"オキサイドイエロー"は更に眩しく、輝く存在へと昇華されていったように感じています。 2000形が引退したのは2010年。実に16年の年月が過ぎてしまいました。 "にしてつの黄色い電車"、と言えばすっかり、「あぁ、香椎の2両編成ね〜。」と言う会話が定着しました。 認識は変化するもの。されど...これだけは言わせてほしい。 "貝塚線を走る黄色い電車は。 西鉄貝塚線色ではなく、西鉄宮地岳線色でもなく! 「西鉄特急色」であることを。" 是非、みなさまの認識は変化するもの。されど...これは言っておきたい。 教えて下さい。 (Mr.DIMER編集長)
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【青春18きっぷ】誰のための"きっぷ"になったのか
青春18きっぷの利用者が、コロナ禍以上の勢いで減っているという。そりゃ、そうでしょう。 今の青春18きっぷは、俺たちが知っている青春18きっぷではないのだから。 以前は、利用期間内の好きな5日間を選び、全国のJR普通・快速列車に乗ることができました。 価格は1万2050円。1日当たり2410円で、複数人での利用も可能。 ひとりで5日間使う。仲間と日帰り旅行に出掛ける。天気や予定に合わせて使う日を変える。その自由さこそが、青春18きっぷ最大の魅力でした。 しかし、2024年冬季分から条件が大きく変更。 「好きな5日間」から、「連続する5日間」または、「連続する3日間」となり、複数人での利用もできなくなりました。 JR側は、自動改札機に対応するための変更だと説明しています。ただ、利用者が本当に求めていたのは、自動改札機を通れる便利さだったのでしょうか。 私達が求めていたのは、 「好きな日に使えること。」 「仲間と一緒に使えること。」 「自分だけの旅程を組めること。」 便利さではなく、自由だったのです。青春18きっぷは、自動改札機を通れるようになった代わりに、青春18きっぷらしさを失ってしまいました。 利用者を呼び戻すなら、条件の見直しは必須でしょう。ただ、条件を元に戻すだけで、かつての熱気まで戻るのでしょうか。 青春18きっぷが最も輝いていた時代。東日本エリアだけでもそこには、夜行快速「ムーンライト」シリーズがありました。 ムーンライトながら。 ムーンライトえちご。 ムーンライト信州。 夜に出発し、朝には遠くの街へ。眠れなくても、座席がきつくても、なぜかワクワクした。眠い目をこすりながら、早朝のホームへ降り立った瞬間。「ここまで来たぞ」という達成感がありました。あの不便さまで含めて、旅だったのです。 今、夜行列車が再び注目され始めています。 ならば、青春18きっぷの再生にも、新たな夜行列車に白羽の矢が?と、思うわけです。 全国を駆け巡る令和版ムーンライト。 主要都市を結ぶ夜行列車。各駅停車を乗り継ぎながら、朝を迎える旅。 もちろん、深夜帯は保守作業に欠かせません。簡単な話ではないことも分かります。 それでも、AIや検査技術、保守機械が進化している今だからこそ、夜の鉄路を活用する方法を、もう一度考えてもいいはずです。 青春18きっぷを救うのは、自動改札機ではありません。 必要なのは、 もう一度、時刻表を開きたくなること。 知らない街へ行きたくなること。 夜を越えて、遠くへ向かいたくなること。...
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青春18きっぷの利用者が、コロナ禍以上の勢いで減っているという。そりゃ、そうでしょう。 今の青春18きっぷは、俺たちが知っている青春18きっぷではないのだから。 以前は、利用期間内の好きな5日間を選び、全国のJR普通・快速列車に乗ることができました。 価格は1万2050円。1日当たり2410円で、複数人での利用も可能。 ひとりで5日間使う。仲間と日帰り旅行に出掛ける。天気や予定に合わせて使う日を変える。その自由さこそが、青春18きっぷ最大の魅力でした。 しかし、2024年冬季分から条件が大きく変更。 「好きな5日間」から、「連続する5日間」または、「連続する3日間」となり、複数人での利用もできなくなりました。 JR側は、自動改札機に対応するための変更だと説明しています。ただ、利用者が本当に求めていたのは、自動改札機を通れる便利さだったのでしょうか。 私達が求めていたのは、 「好きな日に使えること。」 「仲間と一緒に使えること。」 「自分だけの旅程を組めること。」 便利さではなく、自由だったのです。青春18きっぷは、自動改札機を通れるようになった代わりに、青春18きっぷらしさを失ってしまいました。 利用者を呼び戻すなら、条件の見直しは必須でしょう。ただ、条件を元に戻すだけで、かつての熱気まで戻るのでしょうか。 青春18きっぷが最も輝いていた時代。東日本エリアだけでもそこには、夜行快速「ムーンライト」シリーズがありました。 ムーンライトながら。 ムーンライトえちご。 ムーンライト信州。 夜に出発し、朝には遠くの街へ。眠れなくても、座席がきつくても、なぜかワクワクした。眠い目をこすりながら、早朝のホームへ降り立った瞬間。「ここまで来たぞ」という達成感がありました。あの不便さまで含めて、旅だったのです。 今、夜行列車が再び注目され始めています。 ならば、青春18きっぷの再生にも、新たな夜行列車に白羽の矢が?と、思うわけです。 全国を駆け巡る令和版ムーンライト。 主要都市を結ぶ夜行列車。各駅停車を乗り継ぎながら、朝を迎える旅。 もちろん、深夜帯は保守作業に欠かせません。簡単な話ではないことも分かります。 それでも、AIや検査技術、保守機械が進化している今だからこそ、夜の鉄路を活用する方法を、もう一度考えてもいいはずです。 青春18きっぷを救うのは、自動改札機ではありません。 必要なのは、 もう一度、時刻表を開きたくなること。 知らない街へ行きたくなること。 夜を越えて、遠くへ向かいたくなること。...
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【夏のレチの大仕事】
編集長の冷房記事を読んでいて、今回は少し裏側のお話を。 実は、夏の冷房管理はレチ(車掌)の大事な仕事のひとつでした。 最近の車両はデジタル化が進み、ほとんどが自動制御。 設定を変更することもほぼなく、編成全体の車内温度もモニターで確認できるため、極端な事がない限り冷房操作をする機会はほとんどありません。 しかし、昭和の車両はそうはいきません。 冷房の効き具合は車両ごとの個体差が非常に大きく、同じ編成でも「全然効かない車両」と「冷蔵庫みたいに冷える車両」が普通に混在していました。 そして旧型車で本当によくあったのが、 「寒い!」 「暑い!」 という同時陳情。 同じ車両なのに前では「寒い」、後ろでは「暑い」。 レチ泣かせの定番です(笑)。 そこで登場するのが、名付けて… “エアコン操作をしたフリ作戦”。 ファンデリアを切ってみたり、入れてみたり。 実際には大きく変えられることは少なく、それくらいしかできないことも多かったんです。 一方、自動制御の車両になると、 「自動設定なので…」 で説明できるようになり、精神的には少し楽になりました。 とはいえ、特に旧型車は明らかに冷えすぎている車両など、冷房のNFBを一度切って様子を見て、しばらくして復位させることもありました。 ただ、乗車率が高い日は本当に神経を使います。 暑すぎてもダメ、冷えすぎてもダメ。 体調を崩されるお客様や、熱中症のリスクもあるため、車内の温度管理には常に気を配っていました。 ドア扱いや放送だけがレチの仕事ではありません。 お客様が少しでも快適に過ごせるよう、見えないところでも気を遣っていたのです。 これから本格的な夏。 皆さんも、熱中症や車内での冷えすぎには十分お気をつけ下さい。 (マイミー)
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編集長の冷房記事を読んでいて、今回は少し裏側のお話を。 実は、夏の冷房管理はレチ(車掌)の大事な仕事のひとつでした。 最近の車両はデジタル化が進み、ほとんどが自動制御。 設定を変更することもほぼなく、編成全体の車内温度もモニターで確認できるため、極端な事がない限り冷房操作をする機会はほとんどありません。 しかし、昭和の車両はそうはいきません。 冷房の効き具合は車両ごとの個体差が非常に大きく、同じ編成でも「全然効かない車両」と「冷蔵庫みたいに冷える車両」が普通に混在していました。 そして旧型車で本当によくあったのが、 「寒い!」 「暑い!」 という同時陳情。 同じ車両なのに前では「寒い」、後ろでは「暑い」。 レチ泣かせの定番です(笑)。 そこで登場するのが、名付けて… “エアコン操作をしたフリ作戦”。 ファンデリアを切ってみたり、入れてみたり。 実際には大きく変えられることは少なく、それくらいしかできないことも多かったんです。 一方、自動制御の車両になると、 「自動設定なので…」 で説明できるようになり、精神的には少し楽になりました。 とはいえ、特に旧型車は明らかに冷えすぎている車両など、冷房のNFBを一度切って様子を見て、しばらくして復位させることもありました。 ただ、乗車率が高い日は本当に神経を使います。 暑すぎてもダメ、冷えすぎてもダメ。 体調を崩されるお客様や、熱中症のリスクもあるため、車内の温度管理には常に気を配っていました。 ドア扱いや放送だけがレチの仕事ではありません。 お客様が少しでも快適に過ごせるよう、見えないところでも気を遣っていたのです。 これから本格的な夏。 皆さんも、熱中症や車内での冷えすぎには十分お気をつけ下さい。 (マイミー)
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