Mr.DIMER Journal
【同じ警笛じゃダメなの?】タイフォン・電笛・汽笛、3種類を積む理由
「ファーン!」 踏切やホームで、突然鳴らされる列車の警笛。 ところが運転台に立つ側からすると、警笛は単純に「危ないから鳴らす音」だけではありません。 車両によっては、タイフォン。電笛・メロディーホーン。そして、いわゆる汽笛(ホイッスル系)の空気笛。 性格の違う警笛を複数搭載し、状況によって鳴らし分けています。 でも、ちょっと待ってください。 危険を知らせるだけなら、一番大きな警笛を一つ積めば済みそうです。 なぜ、わざわざ何種類も必要なのでしょうか。 まず大前提として、鉄道車両の警笛は安全設備です。踏切や駅で列車の接近を知らせたり、危険を警告したり、鉄道従事員同士の合図として使われます。 国鉄型車両でおなじみなのが「タイフォン」。 代表的なAW-5形は、圧縮空気で振動板を鳴らす空気笛です。 「プァーン」という、太く存在感のある音。 103系や113系など、国鉄型電車の警笛として耳にした人も多いでしょう。 一方、機関車などで聞く、 「ピーッ!」 という鋭い音。 代表的なのがAW-2形のホイッスルです。これも圧縮空気で鳴らすため、広い意味では同じ「気笛」。 鉄道ファンの会話では、AW-5を「タイフォン」、AW-2を「汽笛」「ホイッスル」と呼び分けることがありますが、どちらも空気を使った警笛です。 では、なぜ二種類あるのか。 鍵になるのが、 「音の性格」です。 太いタイフォンと、鋭いホイッスルでは、周囲での聞こえ方が違います。 車両によっては、性格の違う空気笛を複数備えることで、状況に応じた警告が可能になります。 そして現在、よく使われるようになったのが「電笛」「電子警笛」です。 こちらは圧縮空気ではなく、電気的に音を発生させる警笛。 空気笛より柔らかな音色にできるため、沿線環境への配慮という意味でも普及してきました。 ホーム上の利用客へ「列車が来ますよ」と知らせたいだけなのに、 毎回、 「ファァァァン!」 では強烈すぎる。...
続きを読む【同じ警笛じゃダメなの?】タイフォン・電笛・汽笛、3種類を積む理由
「ファーン!」 踏切やホームで、突然鳴らされる列車の警笛。 ところが運転台に立つ側からすると、警笛は単純に「危ないから鳴らす音」だけではありません。 車両によっては、タイフォン。電笛・メロディーホーン。そして、いわゆる汽笛(ホイッスル系)の空気笛。 性格の違う警笛を複数搭載し、状況によって鳴らし分けています。 でも、ちょっと待ってください。 危険を知らせるだけなら、一番大きな警笛を一つ積めば済みそうです。 なぜ、わざわざ何種類も必要なのでしょうか。 まず大前提として、鉄道車両の警笛は安全設備です。踏切や駅で列車の接近を知らせたり、危険を警告したり、鉄道従事員同士の合図として使われます。 国鉄型車両でおなじみなのが「タイフォン」。 代表的なAW-5形は、圧縮空気で振動板を鳴らす空気笛です。 「プァーン」という、太く存在感のある音。 103系や113系など、国鉄型電車の警笛として耳にした人も多いでしょう。 一方、機関車などで聞く、 「ピーッ!」 という鋭い音。 代表的なのがAW-2形のホイッスルです。これも圧縮空気で鳴らすため、広い意味では同じ「気笛」。 鉄道ファンの会話では、AW-5を「タイフォン」、AW-2を「汽笛」「ホイッスル」と呼び分けることがありますが、どちらも空気を使った警笛です。 では、なぜ二種類あるのか。 鍵になるのが、 「音の性格」です。 太いタイフォンと、鋭いホイッスルでは、周囲での聞こえ方が違います。 車両によっては、性格の違う空気笛を複数備えることで、状況に応じた警告が可能になります。 そして現在、よく使われるようになったのが「電笛」「電子警笛」です。 こちらは圧縮空気ではなく、電気的に音を発生させる警笛。 空気笛より柔らかな音色にできるため、沿線環境への配慮という意味でも普及してきました。 ホーム上の利用客へ「列車が来ますよ」と知らせたいだけなのに、 毎回、 「ファァァァン!」 では強烈すぎる。...
続きを読む
【京王線、詰め込みすぎ?】名物“団子運転”はなぜ生まれるのか
京王線を眺めていると、時々不思議な光景に出会います。一本の電車が通過したと思ったら、すぐ後ろからまた一本。そして、その後ろにも次の電車が見えている。 「ちょっと、詰め込みすぎじゃない?」 そんな京王線の光景を、鉄道ファンは俗に“団子運転”と呼びます。勿論公式の故障ではありません。ですが面白いことに、「列車が先行列車へ接近して速度が低下する」という現象自体は、京王も公式に説明しています。 では、なぜ京王線では電車が“団子”になるほど詰まるのでしょうか。 その答えを辿っていくと、京王線が戦後ずっと抱えてきた「限られた線路で、どうやって大量の乗客を運ぶか」という歴史に行き着きます。京王線の沿線人口が増え続けた高度成長期。京王は輸送力増強を迫られました。 1963年には新宿駅付近を地下化し、架線電圧も600Vから1500Vへ昇圧。同年には5000系を投入し、10月から新宿―東八王子間で特急運転を開始します。しかし、速くしただけでは増え続ける乗客は運べません。1963年には6両編成、1968年には7両編成、1975年には8両編成へ。さらに1972年には京王初の20m4扉車となる6000系を投入し、1982年には一部の急行系列車で10両運転まで始まりました。 つまり京王は、車両を大きくし、編成を長くし、それでも足りなければ列車本数を増やす。 徹底して一本の線路から輸送力を絞り出してきたのです。ここで京王線ならではの難しさが出てきます。ただ電車を等間隔に並べればいいわけではありません。 現在の京王線には、ライナー、特急、急行、区間急行、快速、各駅停車という6種類の列車種別があります。当然、停車駅も所要時間も違います。各駅停車の後ろから特急が追いかけてくる。途中駅では待避や接続を行う。さらに調布では京王線と相模原線の列車が合流し、笹塚側では都営新宿線への直通系統も絡みます。 速い列車と遅い列車、行先の違う列車を、限られた線路へ次々と流し込んでいかなければならない。しかも新宿―笹塚間を除けば、京王線の大部分は複線です。 これがポイントです。京王も何もしてこなかったわけではありません。 1978年には新宿―笹塚間の複々線化を完成させ、1980年には都営新宿線との相互直通運転を開始しました。それでも、その先の本線まで長い複々線が続くわけではない。 郊外から集まってくる列車を、最終的には限られた線路の中で順序よく捌かなければならない。ここに京王線の難しさがあります。 複々線なら、速達列車と各駅停車を別々の線路へ振り分けることができます。しかし複線では、基本的に同じ線路の上で列車の順番を組み立てなければなりません。 一本が少し遅れる。駅での乗降に時間がかかる。すると後続が追いつく。その後ろの列車も追いつく。 こうして列車と列車の間隔が縮まり、“団子”が出来上がるわけです。 そして、ここは誤解しやすいところです。“団子運転”という名前から、京王が最初から何本もの列車を固めて走らせているようにも聞こえますが、そういう意味ではありません。 高密度に組まれたダイヤの中で、一つの遅れや乗降時間の増加が後ろへ波及し、結果として列車間隔が縮まる。その姿が「団子」に見える、という話です。 しかもこれは、単なるファンの印象ではありません。京王電鉄は、朝ラッシュ時間帯などに列車が先行列車へ接近すると速度が低下し、踏切の遮断時間が長くなるため、調布以東の踏切に「定時間警報装置」を整備していると説明しています。 つまり京王自身も、「前の列車に接近して後続列車の速度が落ちる」ことを前提に設備を作っているのです。 そして、この高密度な運転を安全面から支えているのがATCです。京王線では2011年10月に従来のATSからATCへの切り替えを完了しました。 先行列車との間隔だけでなく、曲線、分岐、下り勾配、停車駅などの条件から、その列車が走れる適正速度を細かく制御する。前が詰まれば、後続列車もそれに合わせて速度を落とす。 ホームから見れば「また電車が来た!」という光景ですが、その裏側では、列車同士の間隔を守るための制御が絶えず働いているわけです。 こうして見ると、“団子運転”は単なるダイヤの乱れではありません。 もちろん遅延によって団子が強くなることはあります。しかし、その土台にあるのは、限られた線路へ大量の列車を走らせてきた京王線の歴史です。 編成を長くする。車両を大きくする。速達列車を走らせる。それでも足りなければ、本数を詰める。 戦後から続いた輸送力増強の積み重ねが、今の京王線につながっています。 一本通ったと思ったら、また一本。そしてその後ろにも、もう次の電車がいる。 京王線の“団子”は、ある意味では「複線をここまで使うか」という京王の執念が生んだ光景なのかもしれません。 (マイミー)...
続きを読む【京王線、詰め込みすぎ?】名物“団子運転”はなぜ生まれるのか
京王線を眺めていると、時々不思議な光景に出会います。一本の電車が通過したと思ったら、すぐ後ろからまた一本。そして、その後ろにも次の電車が見えている。 「ちょっと、詰め込みすぎじゃない?」 そんな京王線の光景を、鉄道ファンは俗に“団子運転”と呼びます。勿論公式の故障ではありません。ですが面白いことに、「列車が先行列車へ接近して速度が低下する」という現象自体は、京王も公式に説明しています。 では、なぜ京王線では電車が“団子”になるほど詰まるのでしょうか。 その答えを辿っていくと、京王線が戦後ずっと抱えてきた「限られた線路で、どうやって大量の乗客を運ぶか」という歴史に行き着きます。京王線の沿線人口が増え続けた高度成長期。京王は輸送力増強を迫られました。 1963年には新宿駅付近を地下化し、架線電圧も600Vから1500Vへ昇圧。同年には5000系を投入し、10月から新宿―東八王子間で特急運転を開始します。しかし、速くしただけでは増え続ける乗客は運べません。1963年には6両編成、1968年には7両編成、1975年には8両編成へ。さらに1972年には京王初の20m4扉車となる6000系を投入し、1982年には一部の急行系列車で10両運転まで始まりました。 つまり京王は、車両を大きくし、編成を長くし、それでも足りなければ列車本数を増やす。 徹底して一本の線路から輸送力を絞り出してきたのです。ここで京王線ならではの難しさが出てきます。ただ電車を等間隔に並べればいいわけではありません。 現在の京王線には、ライナー、特急、急行、区間急行、快速、各駅停車という6種類の列車種別があります。当然、停車駅も所要時間も違います。各駅停車の後ろから特急が追いかけてくる。途中駅では待避や接続を行う。さらに調布では京王線と相模原線の列車が合流し、笹塚側では都営新宿線への直通系統も絡みます。 速い列車と遅い列車、行先の違う列車を、限られた線路へ次々と流し込んでいかなければならない。しかも新宿―笹塚間を除けば、京王線の大部分は複線です。 これがポイントです。京王も何もしてこなかったわけではありません。 1978年には新宿―笹塚間の複々線化を完成させ、1980年には都営新宿線との相互直通運転を開始しました。それでも、その先の本線まで長い複々線が続くわけではない。 郊外から集まってくる列車を、最終的には限られた線路の中で順序よく捌かなければならない。ここに京王線の難しさがあります。 複々線なら、速達列車と各駅停車を別々の線路へ振り分けることができます。しかし複線では、基本的に同じ線路の上で列車の順番を組み立てなければなりません。 一本が少し遅れる。駅での乗降に時間がかかる。すると後続が追いつく。その後ろの列車も追いつく。 こうして列車と列車の間隔が縮まり、“団子”が出来上がるわけです。 そして、ここは誤解しやすいところです。“団子運転”という名前から、京王が最初から何本もの列車を固めて走らせているようにも聞こえますが、そういう意味ではありません。 高密度に組まれたダイヤの中で、一つの遅れや乗降時間の増加が後ろへ波及し、結果として列車間隔が縮まる。その姿が「団子」に見える、という話です。 しかもこれは、単なるファンの印象ではありません。京王電鉄は、朝ラッシュ時間帯などに列車が先行列車へ接近すると速度が低下し、踏切の遮断時間が長くなるため、調布以東の踏切に「定時間警報装置」を整備していると説明しています。 つまり京王自身も、「前の列車に接近して後続列車の速度が落ちる」ことを前提に設備を作っているのです。 そして、この高密度な運転を安全面から支えているのがATCです。京王線では2011年10月に従来のATSからATCへの切り替えを完了しました。 先行列車との間隔だけでなく、曲線、分岐、下り勾配、停車駅などの条件から、その列車が走れる適正速度を細かく制御する。前が詰まれば、後続列車もそれに合わせて速度を落とす。 ホームから見れば「また電車が来た!」という光景ですが、その裏側では、列車同士の間隔を守るための制御が絶えず働いているわけです。 こうして見ると、“団子運転”は単なるダイヤの乱れではありません。 もちろん遅延によって団子が強くなることはあります。しかし、その土台にあるのは、限られた線路へ大量の列車を走らせてきた京王線の歴史です。 編成を長くする。車両を大きくする。速達列車を走らせる。それでも足りなければ、本数を詰める。 戦後から続いた輸送力増強の積み重ねが、今の京王線につながっています。 一本通ったと思ったら、また一本。そしてその後ろにも、もう次の電車がいる。 京王線の“団子”は、ある意味では「複線をここまで使うか」という京王の執念が生んだ光景なのかもしれません。 (マイミー)...
続きを読む
【令和よ?!】“0系が味わえる車両”、キハ54急行仕様
<令和の世に0系新幹線を味わえる車両がある?> 言わずもがな、0系新幹線そのものではありません。 JR北海道のキハ54形、その中でもわずか3両だけに存在する“急行仕様車”が0系を味わえるのです。 ■急行「礼文」のために生まれた3両 国鉄末期の1986年。 北海道向けに登場したキハ54形500番台のうち、 527528529 3両だけは、旭川―稚内間を結んでいた急行「礼文」への充当を前提とした特別仕様で製造されました。 客室中央部に並ぶ転換クロスシートが一般仕様車との最大の違いです。 ■その座席は"中古品" この車両に用いられている転換クロスシートは、中古品。 使われているのは、廃車となった0系新幹線から取り外されたモノ。 つまり、東海道・山陽新幹線を走っていた車両の座席が、北海道の気動車へと移植されたものです。 国鉄末期は、新車を造りながらも使用可能な部品を徹底的に再利用した時代。 キハ54形自体も、当初は台車や変速機などに廃車発生品を活用していました。 そして急行仕様車では、その転用が客室設備にまで及んでいる、ということになります。 ■今も現役のキハ54 急行「礼文」は2000年に廃止。 3両も、その後は普通列車などで他のキハ54形とともに使用されるようになりました。 車内も混雑対策によって一部がロングシート化され、登場時そのままではありません。 それでも、0系由来の転換クロスシートは残っています。 さらに驚くべきは、2026年になってもこの急行仕様車が現役であること。 同年4月には、キハ54 527+528を使用した宗谷本線の貸切急行列車まで運転されました。 昭和の新幹線で使われた"座席"に、令和の北海道で、いまなお座ることができる。 0系そのものは、2008年に営業運転を終えましたが、しかし、その一部は、 遠く北海道の地で、キハ54形の車内に今なお生き続けています。 (Mr.DIMER編集長)
続きを読む【令和よ?!】“0系が味わえる車両”、キハ54急行仕様
<令和の世に0系新幹線を味わえる車両がある?> 言わずもがな、0系新幹線そのものではありません。 JR北海道のキハ54形、その中でもわずか3両だけに存在する“急行仕様車”が0系を味わえるのです。 ■急行「礼文」のために生まれた3両 国鉄末期の1986年。 北海道向けに登場したキハ54形500番台のうち、 527528529 3両だけは、旭川―稚内間を結んでいた急行「礼文」への充当を前提とした特別仕様で製造されました。 客室中央部に並ぶ転換クロスシートが一般仕様車との最大の違いです。 ■その座席は"中古品" この車両に用いられている転換クロスシートは、中古品。 使われているのは、廃車となった0系新幹線から取り外されたモノ。 つまり、東海道・山陽新幹線を走っていた車両の座席が、北海道の気動車へと移植されたものです。 国鉄末期は、新車を造りながらも使用可能な部品を徹底的に再利用した時代。 キハ54形自体も、当初は台車や変速機などに廃車発生品を活用していました。 そして急行仕様車では、その転用が客室設備にまで及んでいる、ということになります。 ■今も現役のキハ54 急行「礼文」は2000年に廃止。 3両も、その後は普通列車などで他のキハ54形とともに使用されるようになりました。 車内も混雑対策によって一部がロングシート化され、登場時そのままではありません。 それでも、0系由来の転換クロスシートは残っています。 さらに驚くべきは、2026年になってもこの急行仕様車が現役であること。 同年4月には、キハ54 527+528を使用した宗谷本線の貸切急行列車まで運転されました。 昭和の新幹線で使われた"座席"に、令和の北海道で、いまなお座ることができる。 0系そのものは、2008年に営業運転を終えましたが、しかし、その一部は、 遠く北海道の地で、キハ54形の車内に今なお生き続けています。 (Mr.DIMER編集長)
続きを読む
【新品ほどダサい?】なぜベテラン鉄道員の制帽は“潰れている”のか
鉄道員の制服。その中でも、特に個性が出るモノ。 「制帽」です。 若い駅員さんは、帽子の山がピシッと立っている。 ところがベテランになると、なぜか潰れている人が多い。 前を少し落としたり、クラウンを低くしたり、人によっては完全に“自分の形”。 「あれ、わざとやってるの?」 ハイ。 わざとです。 勿論のこと、鉄道会社が「制帽を潰して被れ」なんて教えているわけではありません。本来は制服の一部。 決められた形のものを、きちんと着用するのが基本です。 では、なぜ。 特にベテラン鉄道員や、昔の写真に写る鉄道員たちは、あんな“くたびれた制帽”を被っているのでしょう。 まず一つは、「とにかく毎日使うから。」 被る。 脱ぐ。 しまう。 また被る。 駅員も乗務員も、勤務場所によっては一日に何度も着脱します。 何年も使えば、新品のカチッとした帽子も、少しずつ柔らかくなる。 使えば使うほど形は変わる。でもそれだけじゃない。 昔の鉄道写真を眺めていると、同じ制服、同じ制帽なのに、 深く被る人。 浅く乗せる人。 前を低くする人。 山を寝かせたように見える人。明らかに、被ったときの“表情”が違います。 そこに長年の使用が加わり、制帽が本人の頭に馴染んでいく。 新品の帽子より、少し潰れた帽子の方が、妙にベテランっぽく見える。 だから今回、「新品ほどダサい?」なんてタイトルにしました。 とかくいう私は、ぺちゃんこに潰す派でした。 もちろん、新品が本当にダサいわけじゃありません。私は中古は嫌ですが、サラの、あの綺麗すぎる形も苦手でした。...
続きを読む【新品ほどダサい?】なぜベテラン鉄道員の制帽は“潰れている”のか
鉄道員の制服。その中でも、特に個性が出るモノ。 「制帽」です。 若い駅員さんは、帽子の山がピシッと立っている。 ところがベテランになると、なぜか潰れている人が多い。 前を少し落としたり、クラウンを低くしたり、人によっては完全に“自分の形”。 「あれ、わざとやってるの?」 ハイ。 わざとです。 勿論のこと、鉄道会社が「制帽を潰して被れ」なんて教えているわけではありません。本来は制服の一部。 決められた形のものを、きちんと着用するのが基本です。 では、なぜ。 特にベテラン鉄道員や、昔の写真に写る鉄道員たちは、あんな“くたびれた制帽”を被っているのでしょう。 まず一つは、「とにかく毎日使うから。」 被る。 脱ぐ。 しまう。 また被る。 駅員も乗務員も、勤務場所によっては一日に何度も着脱します。 何年も使えば、新品のカチッとした帽子も、少しずつ柔らかくなる。 使えば使うほど形は変わる。でもそれだけじゃない。 昔の鉄道写真を眺めていると、同じ制服、同じ制帽なのに、 深く被る人。 浅く乗せる人。 前を低くする人。 山を寝かせたように見える人。明らかに、被ったときの“表情”が違います。 そこに長年の使用が加わり、制帽が本人の頭に馴染んでいく。 新品の帽子より、少し潰れた帽子の方が、妙にベテランっぽく見える。 だから今回、「新品ほどダサい?」なんてタイトルにしました。 とかくいう私は、ぺちゃんこに潰す派でした。 もちろん、新品が本当にダサいわけじゃありません。私は中古は嫌ですが、サラの、あの綺麗すぎる形も苦手でした。...
続きを読む
【眉唾モノ】初代・東北新幹線カラーも、"ハイライト"譲り?!
初代・東海道新幹線"0系"。 白地に青帯のスタイルは、その比率や様式を変えながらも、今日の最新車両にまで受け継がれる伝統のカラーリング。 このデザイン、タバコ「ハイライト」のパッケージからインスピレーションを得た――。 その逸話は、あまりにも有名です。 では。 初代・東北新幹線"200系"は、一体何からインスピレーションを得たのでしょうか。 それは同じく、ハイライト。 より正確に言うなれば、緑色の「ハイライト・メンソール」。 サムネイルをご覧下さい。 青と白を基調とした、通常のハイライト。 これに対して、ハイライト・メンソールは、その基本意匠を踏襲しつつ、青を緑へと置き換えたパッケージです。 そして新幹線もまた、 東海道新幹線の0系は、アイボリーホワイトの車体に青い帯。 東北・上越新幹線の200系は、クリーム色の車体に緑の帯。 並べてみれば、その配色に共通点があります。 詰まるところ、 東海道新幹線は、ハイライトから。 そして、東北新幹線は、ハイライト・メンソールから。 それぞれヒントを得た。 ――と、言いたいところなのですが。 ハイライト・メンソールが発売されたのは、2004年。 東北新幹線が開業した1982年から、実に22年後のことでした。 時系列が合いません。 はい。 この話は、完全なる眉唾。 200系の緑帯は、雪国に訪れる春と、雪解けの大地から芽吹く新芽を表現したものとされています。 ただ、裏を返せば、 0系新幹線が参考にしたとされるハイライトが、 今度は200系新幹線のカラーリングを参考にして、メンソール版を生み出した――。 とは、言えなくもないのでは。と。...
続きを読む【眉唾モノ】初代・東北新幹線カラーも、"ハイライト"譲り?!
初代・東海道新幹線"0系"。 白地に青帯のスタイルは、その比率や様式を変えながらも、今日の最新車両にまで受け継がれる伝統のカラーリング。 このデザイン、タバコ「ハイライト」のパッケージからインスピレーションを得た――。 その逸話は、あまりにも有名です。 では。 初代・東北新幹線"200系"は、一体何からインスピレーションを得たのでしょうか。 それは同じく、ハイライト。 より正確に言うなれば、緑色の「ハイライト・メンソール」。 サムネイルをご覧下さい。 青と白を基調とした、通常のハイライト。 これに対して、ハイライト・メンソールは、その基本意匠を踏襲しつつ、青を緑へと置き換えたパッケージです。 そして新幹線もまた、 東海道新幹線の0系は、アイボリーホワイトの車体に青い帯。 東北・上越新幹線の200系は、クリーム色の車体に緑の帯。 並べてみれば、その配色に共通点があります。 詰まるところ、 東海道新幹線は、ハイライトから。 そして、東北新幹線は、ハイライト・メンソールから。 それぞれヒントを得た。 ――と、言いたいところなのですが。 ハイライト・メンソールが発売されたのは、2004年。 東北新幹線が開業した1982年から、実に22年後のことでした。 時系列が合いません。 はい。 この話は、完全なる眉唾。 200系の緑帯は、雪国に訪れる春と、雪解けの大地から芽吹く新芽を表現したものとされています。 ただ、裏を返せば、 0系新幹線が参考にしたとされるハイライトが、 今度は200系新幹線のカラーリングを参考にして、メンソール版を生み出した――。 とは、言えなくもないのでは。と。...
続きを読む
【あれ?N’EXじゃないの?】E259系――“空港特急の顔”が銚子へ走り始めたワケ
E259系といえば、やっぱり「成田エクスプレス」。白い車体に赤と黒。あの独特の顔を見れば、行先表示を見なくても「あ、N’EXだ」と分かる。 それくらい、車両と列車名が一体になった存在でした。登場は2009年10月。 1991年の成田エクスプレス運転開始から使われてきた253系を置き換えるために誕生し、6両編成22本、計132両が製造されました。 最初から狙いは明確です。「空港アクセス特急」。 大型荷物を持った利用客を前提に、荷物置場にはダイヤルロック式の錠を装備。出入口や荷物置場には防犯カメラ、車内には4か国語対応の大型液晶案内装置。座席には大型テーブルとコンセントまで備えました。 つまり、普通の特急車をN’EXにしたのではない。N’EXになるために生まれた特急車だったわけです。しかもE259系の場合、この「専用車感」がとにかく強かった。 253系にももちろんN’EXのイメージはありましたが、E259系は車体そのものに大きく「N’EX」を掲げ、空港アクセスのブランドイメージを真正面から背負っていました。だからこそ、今の姿に少し違和感を覚える人もいるでしょう。 「あれ?N’EXじゃないの?」 実はE259系、まったく空港以外へ出なかったわけではありません。 2012年12月からは「マリンエクスプレス踊り子」として東京―伊豆急下田間にも進出。N’EXの車両が海沿いを走って伊豆へ向かう姿は、当時からなかなかの異色でした。 ただし、これは臨時列車。 E259系の本職が「成田エクスプレス」であることに変わりはありませんでした。その空気が大きく変わったのが2023年です。JR東日本はE259系の車両デザインをリニューアル。白・赤・黒という基本イメージは残しながら、前面と側面にシルバーを取り入れ、「SERIES E259」という新たなロゴを掲げました。 ここで注目したいのは、単なるイメージチェンジではなかったこと。 JR東日本はその理由について、通勤やレジャーなど利用目的が多様化していると説明し、E259系を「空港アクセス特急に限らない多様化したご利用目的に合わせた都市間輸送特急」と位置付けました。 これ、かなり大きな一言です。要するに、「E259系=N’EX専用」という約14年間続いた前提を、自ら外したわけです。 そして翌2024年3月16日のダイヤ改正。E259系はついに定期特急「しおさい」へ投入され、東京―銚子間を走り始めます。 成田空港へ向かうために生まれた車両が、総武本線をそのまま東へ進み、終点・銚子まで行く。同じ千葉方面ではあるけれど、役割はまるで違います。 しかもこの改正は、房総特急そのものの世代交代でもありました。 それまで「しおさい」を担っていた255系9両とE257系10両に対し、改正後はE259系6両とE257系5両へ再編。単にN’EXの“余った車両を持ってきた”という話ではなく、房総特急の輸送体系を組み替える中でE259系が正式に選ばれた、という方が実態に近いでしょう。 では、なぜE259系だったのか。これは意外と理にかなっています。E259系は6両固定編成。 最高速度130km/hの性能を持ち、グリーン車もあり、車内設備も特急車として十分。空港輸送だけに縛らなければ、その能力をほかの都市間輸送にも使える。 新車を一から用意しなくても、すでに完成度の高い特急車がそこにいるわけです。むしろ今までN’EXだけで使っていた方が、少し贅沢だったとも言えるかもしれません。 そして面白いのは、JR東日本の現在の公式案内。そこにはもう、「成田エクスプレス/しおさい(E259系)」と並んでいます。 かつては「E259系」と聞くより先に「N’EX」が浮かぶほどだった車両です。 それが今では、成田空港へも行くし、銚子へも行く。考えてみれば、国鉄時代の特急形電車では珍しくなかった使い方です。485系などは、車両形式と列車名が一対一ではありませんでした。 しかし分割民営化後は、列車や用途に合わせた専用色の強い特急車も増えていきました。E259系も、その象徴のような車両だったと思います。ところが15年ほど走ったところで、今度は「専用」から「汎用」へ。 新形式を作ったのではなく、既存の専用車から看板を少し外して、使える場所へ使う。なんだか一周回って、昔の特急車の使い方に少し戻ったようにも見えます。 もちろん今でも、E259系の主役が成田エクスプレスであることに変わりはありません。あの顔がホームへ滑り込んでくれば、今でも最初に思い浮かぶのはN’EXです。 でも、そのまま銚子まで走って行くこともある。「あれ?N’EXじゃないの?」そう思わせる時点で、E259系の第二章はもう始まっているのかもしれません。...
続きを読む【あれ?N’EXじゃないの?】E259系――“空港特急の顔”が銚子へ走り始めたワケ
E259系といえば、やっぱり「成田エクスプレス」。白い車体に赤と黒。あの独特の顔を見れば、行先表示を見なくても「あ、N’EXだ」と分かる。 それくらい、車両と列車名が一体になった存在でした。登場は2009年10月。 1991年の成田エクスプレス運転開始から使われてきた253系を置き換えるために誕生し、6両編成22本、計132両が製造されました。 最初から狙いは明確です。「空港アクセス特急」。 大型荷物を持った利用客を前提に、荷物置場にはダイヤルロック式の錠を装備。出入口や荷物置場には防犯カメラ、車内には4か国語対応の大型液晶案内装置。座席には大型テーブルとコンセントまで備えました。 つまり、普通の特急車をN’EXにしたのではない。N’EXになるために生まれた特急車だったわけです。しかもE259系の場合、この「専用車感」がとにかく強かった。 253系にももちろんN’EXのイメージはありましたが、E259系は車体そのものに大きく「N’EX」を掲げ、空港アクセスのブランドイメージを真正面から背負っていました。だからこそ、今の姿に少し違和感を覚える人もいるでしょう。 「あれ?N’EXじゃないの?」 実はE259系、まったく空港以外へ出なかったわけではありません。 2012年12月からは「マリンエクスプレス踊り子」として東京―伊豆急下田間にも進出。N’EXの車両が海沿いを走って伊豆へ向かう姿は、当時からなかなかの異色でした。 ただし、これは臨時列車。 E259系の本職が「成田エクスプレス」であることに変わりはありませんでした。その空気が大きく変わったのが2023年です。JR東日本はE259系の車両デザインをリニューアル。白・赤・黒という基本イメージは残しながら、前面と側面にシルバーを取り入れ、「SERIES E259」という新たなロゴを掲げました。 ここで注目したいのは、単なるイメージチェンジではなかったこと。 JR東日本はその理由について、通勤やレジャーなど利用目的が多様化していると説明し、E259系を「空港アクセス特急に限らない多様化したご利用目的に合わせた都市間輸送特急」と位置付けました。 これ、かなり大きな一言です。要するに、「E259系=N’EX専用」という約14年間続いた前提を、自ら外したわけです。 そして翌2024年3月16日のダイヤ改正。E259系はついに定期特急「しおさい」へ投入され、東京―銚子間を走り始めます。 成田空港へ向かうために生まれた車両が、総武本線をそのまま東へ進み、終点・銚子まで行く。同じ千葉方面ではあるけれど、役割はまるで違います。 しかもこの改正は、房総特急そのものの世代交代でもありました。 それまで「しおさい」を担っていた255系9両とE257系10両に対し、改正後はE259系6両とE257系5両へ再編。単にN’EXの“余った車両を持ってきた”という話ではなく、房総特急の輸送体系を組み替える中でE259系が正式に選ばれた、という方が実態に近いでしょう。 では、なぜE259系だったのか。これは意外と理にかなっています。E259系は6両固定編成。 最高速度130km/hの性能を持ち、グリーン車もあり、車内設備も特急車として十分。空港輸送だけに縛らなければ、その能力をほかの都市間輸送にも使える。 新車を一から用意しなくても、すでに完成度の高い特急車がそこにいるわけです。むしろ今までN’EXだけで使っていた方が、少し贅沢だったとも言えるかもしれません。 そして面白いのは、JR東日本の現在の公式案内。そこにはもう、「成田エクスプレス/しおさい(E259系)」と並んでいます。 かつては「E259系」と聞くより先に「N’EX」が浮かぶほどだった車両です。 それが今では、成田空港へも行くし、銚子へも行く。考えてみれば、国鉄時代の特急形電車では珍しくなかった使い方です。485系などは、車両形式と列車名が一対一ではありませんでした。 しかし分割民営化後は、列車や用途に合わせた専用色の強い特急車も増えていきました。E259系も、その象徴のような車両だったと思います。ところが15年ほど走ったところで、今度は「専用」から「汎用」へ。 新形式を作ったのではなく、既存の専用車から看板を少し外して、使える場所へ使う。なんだか一周回って、昔の特急車の使い方に少し戻ったようにも見えます。 もちろん今でも、E259系の主役が成田エクスプレスであることに変わりはありません。あの顔がホームへ滑り込んでくれば、今でも最初に思い浮かぶのはN’EXです。 でも、そのまま銚子まで走って行くこともある。「あれ?N’EXじゃないの?」そう思わせる時点で、E259系の第二章はもう始まっているのかもしれません。...
続きを読む