Mr.DIMER Journal

【MDR graph】<みんな大好き!サンパチ君。113系3800番台>

【MDR graph】<みんな大好き!サンパチ君。113系3800番台>

名列車もとい迷列車、魔改造、ドケチ改造...などと 様々な愛称で呼ばれた113系3800番台。 費用を極力抑えるための改造工事でしたが、 113系初期車ゆえ、経済的合理性を鑑みての判断だったと考えます。 その特徴的な改造車の前面から、 3800番台を由来として"サンパチ君"と名付けられ、 愛された車両です。 なお、反位側は安心の"東海顔"。 2008年に全車廃車となり、区分消滅しています。 #鉄道 #鉄道風景 #鉄道のある風景 #MDRgraph #MrDIMER #ミスターダイマー #ミスターダイマーグラフ

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【MDR graph】<みんな大好き!サンパチ君。113系3800番台>

名列車もとい迷列車、魔改造、ドケチ改造...などと 様々な愛称で呼ばれた113系3800番台。 費用を極力抑えるための改造工事でしたが、 113系初期車ゆえ、経済的合理性を鑑みての判断だったと考えます。 その特徴的な改造車の前面から、 3800番台を由来として"サンパチ君"と名付けられ、 愛された車両です。 なお、反位側は安心の"東海顔"。 2008年に全車廃車となり、区分消滅しています。 #鉄道 #鉄道風景 #鉄道のある風景 #MDRgraph #MrDIMER #ミスターダイマー #ミスターダイマーグラフ

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【教えて下さい】113系にシールドビーム車が登場した"そのとき"

【教えて下さい】113系にシールドビーム車が登場した"そのとき"

<東海顔の印象を変えた「シールドビーム車」の出現、当時は戸惑いアリ!?> ■東海顔のトレードマーク、前照灯とタイフォン "湘南顔"スタイルの出自である80系を経て、 1958年に登場した国鉄153系の"顔"は、 その後、昭和、平成、令和と3元号を跨いで、今現在も活躍する「東海顔」の元祖です。 全盛期と比較して大幅に数を減らしつつも、 柔らかみのある曲面を用いながら折妻を基調に、 前面窓が側面にまで回り込む「パノラミックウィンドウ」、 前照灯とタイフォンを一体的に配置し、種別・行き先表示器を中央頭上に配置した姿は、 "国鉄近郊・急行形電車顔"の決定版、完成された造形と申せましょう。 ■デカ目がシールドビームに変わった"とき" 1963年に登場、1982年までの19年に渡り、総勢2,984両の製造された、 113系直流近郊型電車。 当初は、サムネイル写真"右"のように、びっくりしたような表情の、「原型ライト」、 いわゆるデカ目を装備していました。 これは、従来の車両に搭載されていたものと同じ、白熱球によるもの。 そして、1972年以降に製造された、1000番台以降の車両は シールドビーム、サムネイル写真"左"のような、小さな前照灯へと意匠を変更しています。 これは、デザイン目線での変更ではなく、 より明るく先を照らし出す為に採用しています。 とは言え、原型のデカ目ライト車とシールドビーム車が並ぶと、 その見た目の変化に驚きます。 なお、このシールドビームへの変更は、この後に製造される700番台も採用、 そののち、デカ目で登場した車両群も、0番台までさかのぼって改造、シールドビーム化されています。 なお、JR東日本では、1992年の成田線大菅踏切事故を受けて、 前面強化改造工事を実施。その際、白熱電球(デカ目)装備車は、この改造と共に、 シールドビーム化改造工事を実施したため、 1990年代に、"デカ目"車は消滅しています。 (なおJR西日本における"幾多"のシールドビーム改造工事については、いろいろ話さないといけないことが増えるので、 本執筆ではあえて触れないことにします)...

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【教えて下さい】113系にシールドビーム車が登場した"そのとき"

<東海顔の印象を変えた「シールドビーム車」の出現、当時は戸惑いアリ!?> ■東海顔のトレードマーク、前照灯とタイフォン "湘南顔"スタイルの出自である80系を経て、 1958年に登場した国鉄153系の"顔"は、 その後、昭和、平成、令和と3元号を跨いで、今現在も活躍する「東海顔」の元祖です。 全盛期と比較して大幅に数を減らしつつも、 柔らかみのある曲面を用いながら折妻を基調に、 前面窓が側面にまで回り込む「パノラミックウィンドウ」、 前照灯とタイフォンを一体的に配置し、種別・行き先表示器を中央頭上に配置した姿は、 "国鉄近郊・急行形電車顔"の決定版、完成された造形と申せましょう。 ■デカ目がシールドビームに変わった"とき" 1963年に登場、1982年までの19年に渡り、総勢2,984両の製造された、 113系直流近郊型電車。 当初は、サムネイル写真"右"のように、びっくりしたような表情の、「原型ライト」、 いわゆるデカ目を装備していました。 これは、従来の車両に搭載されていたものと同じ、白熱球によるもの。 そして、1972年以降に製造された、1000番台以降の車両は シールドビーム、サムネイル写真"左"のような、小さな前照灯へと意匠を変更しています。 これは、デザイン目線での変更ではなく、 より明るく先を照らし出す為に採用しています。 とは言え、原型のデカ目ライト車とシールドビーム車が並ぶと、 その見た目の変化に驚きます。 なお、このシールドビームへの変更は、この後に製造される700番台も採用、 そののち、デカ目で登場した車両群も、0番台までさかのぼって改造、シールドビーム化されています。 なお、JR東日本では、1992年の成田線大菅踏切事故を受けて、 前面強化改造工事を実施。その際、白熱電球(デカ目)装備車は、この改造と共に、 シールドビーム化改造工事を実施したため、 1990年代に、"デカ目"車は消滅しています。 (なおJR西日本における"幾多"のシールドビーム改造工事については、いろいろ話さないといけないことが増えるので、 本執筆ではあえて触れないことにします)...

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【遅延との闘い】

【遅延との闘い】

鉄道員が命懸けで守る物。 それは安全と、時間です。 マイミーです。 たまたま、チラッと拝見した記事に、 昨今の鉄道の遅延について書かれていた記事がありました。 その内容は割愛しますが、 私の乗務員時代から思っていた事を、 本日は書いてみようと思います。 遅延の原因は大きく分けて3種類存在します。 ①列車や設備など、鉄道会社起因による遅延 ②天災 ③旅客起因による遅延 ①に関しては、 昨今JR東日本などが立て続けに騒がれていて、 メンテナンス体制が抜本的に見直されています。 ②に関しては、 天災大国日本は、抗っても抗いきれないですよね。 壊されては直して、壊されては直して。 それが山間部などの過疎地域に当たると、 莫大な復旧費用によりそのまま廃線と言うのも、 珍しくないですね。 ③旅客起因による遅延… これってね、僕ダントツだと思ってます。 旅客の起因。 いっぱいあります。 普通の人からしたらえ?そんなことが? みたいな事も、 場合によっては数十秒の遅延が、 数時間に波及します。 私が乗務員の時、特に多いと感じていたのが、...

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鉄道員が命懸けで守る物。 それは安全と、時間です。 マイミーです。 たまたま、チラッと拝見した記事に、 昨今の鉄道の遅延について書かれていた記事がありました。 その内容は割愛しますが、 私の乗務員時代から思っていた事を、 本日は書いてみようと思います。 遅延の原因は大きく分けて3種類存在します。 ①列車や設備など、鉄道会社起因による遅延 ②天災 ③旅客起因による遅延 ①に関しては、 昨今JR東日本などが立て続けに騒がれていて、 メンテナンス体制が抜本的に見直されています。 ②に関しては、 天災大国日本は、抗っても抗いきれないですよね。 壊されては直して、壊されては直して。 それが山間部などの過疎地域に当たると、 莫大な復旧費用によりそのまま廃線と言うのも、 珍しくないですね。 ③旅客起因による遅延… これってね、僕ダントツだと思ってます。 旅客の起因。 いっぱいあります。 普通の人からしたらえ?そんなことが? みたいな事も、 場合によっては数十秒の遅延が、 数時間に波及します。 私が乗務員の時、特に多いと感じていたのが、...

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【急行形も顔負け】V12大出力エンジンの咆哮響く、キハ66系気動車

【急行形も顔負け】V12大出力エンジンの咆哮響く、キハ66系気動車

<特急形気動車キハ181系に採用されたV12気筒エンジン搭載!ハイパワーが逆に仇?> ■キハ40系の始祖にあたる試作的要素の強い車両 1975年の山陽新幹線博多開業にあたって、 筑豊・北九州地区の新幹線連絡・輸送改善を目的として開発されたキハ66系気動車は、 1974年から75年までの1年間で、2両編成×15本、合計30両が製造された、 「近郊形に分類される車両」です。 ここで、「近郊形」と断言しないのは、 車内設備面では、 デッキこそ省略されたものの、 当時の国鉄車両としては先鋭的な採用となった転換クロスシートを装備。 性能面では、 キハ65形やキハ181系特急形気動車で採用された、大出力エンジンの改良型である、 ハイパワーなV12気筒エンジン(DML30HSH)を搭載。 それは、従来の急行形気動車である、 キハ58系を凌ぐ水準の客室設備・動力性能を有していたこと、 また、新製から5年となる1980年まで、急行列車にも使用されていた歴史に敬意を表しました。 国鉄の"意欲作"とも言える車両ですが、 僅か30両の製造に終わったのは、 当時の国鉄の財政事情と、 エンジンの整備性の悪さなどから敬遠されたもの。 エンジンは1993年に、整備性の高い、 新潟鐵工所製DMF13HZA型(直列6気筒) の現代的なものに取り換えられています。 ■塗装に現れた、"折衷形"の意欲作 国鉄内部でも、このキハ66系気動車開発にあたっては、 新しい取り組みとした位置付けだったのか、 「急行列車にも使える」という意味合いも込めてか、 新製当時は、一般形気動車の規定色、朱色4号とクリーム4号を用いつつ、 急行形の塗分けで登場。 その後、1978年の「車両塗色及び表記基準規定」改正によって、...

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【急行形も顔負け】V12大出力エンジンの咆哮響く、キハ66系気動車

<特急形気動車キハ181系に採用されたV12気筒エンジン搭載!ハイパワーが逆に仇?> ■キハ40系の始祖にあたる試作的要素の強い車両 1975年の山陽新幹線博多開業にあたって、 筑豊・北九州地区の新幹線連絡・輸送改善を目的として開発されたキハ66系気動車は、 1974年から75年までの1年間で、2両編成×15本、合計30両が製造された、 「近郊形に分類される車両」です。 ここで、「近郊形」と断言しないのは、 車内設備面では、 デッキこそ省略されたものの、 当時の国鉄車両としては先鋭的な採用となった転換クロスシートを装備。 性能面では、 キハ65形やキハ181系特急形気動車で採用された、大出力エンジンの改良型である、 ハイパワーなV12気筒エンジン(DML30HSH)を搭載。 それは、従来の急行形気動車である、 キハ58系を凌ぐ水準の客室設備・動力性能を有していたこと、 また、新製から5年となる1980年まで、急行列車にも使用されていた歴史に敬意を表しました。 国鉄の"意欲作"とも言える車両ですが、 僅か30両の製造に終わったのは、 当時の国鉄の財政事情と、 エンジンの整備性の悪さなどから敬遠されたもの。 エンジンは1993年に、整備性の高い、 新潟鐵工所製DMF13HZA型(直列6気筒) の現代的なものに取り換えられています。 ■塗装に現れた、"折衷形"の意欲作 国鉄内部でも、このキハ66系気動車開発にあたっては、 新しい取り組みとした位置付けだったのか、 「急行列車にも使える」という意味合いも込めてか、 新製当時は、一般形気動車の規定色、朱色4号とクリーム4号を用いつつ、 急行形の塗分けで登場。 その後、1978年の「車両塗色及び表記基準規定」改正によって、...

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【MDR graph】<お召列車に3回抜擢!キハ185の正面に、悠然とたなびく日本国旗>

【MDR graph】<お召列車に3回抜擢!キハ185の正面に、悠然とたなびく日本国旗>

一号編成、クロ157、E655-1だけじゃない。お召列車に抜擢された車両 #鉄道 #鉄道風景 #鉄道のある風景 #MDRgraph #MrDIMER #ミスターダイマー #ミスターダイマーグラフ ※新企画「Mr.DIMER graph」(ミスターダイマーグラフ)

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一号編成、クロ157、E655-1だけじゃない。お召列車に抜擢された車両 #鉄道 #鉄道風景 #鉄道のある風景 #MDRgraph #MrDIMER #ミスターダイマー #ミスターダイマーグラフ ※新企画「Mr.DIMER graph」(ミスターダイマーグラフ)

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