Mr.DIMER Journal
【JR九州特集・D&S列車編 Vol.1】キハ71系「ゆふいんの森Ⅰ世」
優雅な“森”の名の奥には、国鉄型の鼓動がある。キハ71系「ゆふいんの森Ⅰ世」 九州を走る、個性豊かな観光列車たち。 いまやJR九州といえば、単なる移動手段では終わらない、独創的な列車を次々と生み出す鉄道会社として知られています。 JR九州では、こうした観光列車を「D&S列車」と呼んでいます。 「D」は、特別なデザインを意味するDesign。 「S」は、沿線地域に伝わる歴史や文化、物語を意味するStory。 つまりD&S列車とは、“デザインと物語のある列車”なのです。 しかし、その壮大な物語にも始まりがありました。まだ「D&S列車」という言葉が広く使われるより、はるか前。 国鉄が分割民営化されJR九州が発足してから、わずか2年。九州の鉄道そのものを変える一編成の列車が、久大本線に姿を現します。 1989年3月11日。 特急「ゆふいんの森」。 現在、JR九州から“九州初のD&S列車”と位置付けられている、キハ71系「ゆふいんの森Ⅰ世」の誕生です。 「列車は、目的地へ向かうためだけのものだった」 かつて列車に求められたものは、速さと輸送力でした。決められた時刻に発車し、できるだけ速く、多くの乗客を目的地まで運ぶ。特急列車であれば、普通列車より速く、急行列車より快適に走ることが、その価値だったのです。しかし「ゆふいんの森」は、そこへまったく違う考え方を持ち込みました。 目的地へ到着してから、観光が始まるのではない。列車の扉をくぐった、その瞬間から旅を始める。 掲げられたテーマは、 「列車に乗った時からゆふいん」 でした。博多駅から由布院駅までは、およそ2時間あまり。それまでなら、目的地へ向かうための“移動時間”と考えられていた時間です。しかし「ゆふいんの森」は、その時間さえも観光へ変えました。 深いメタリックグリーンの車体。金色の帯。ヨーロッパの列車を思わせる、優雅で流麗な姿。木の温もりを感じさせる車内。 高い位置に設けられた客室から眺める、久大本線の山々と渓谷。列車そのものが、由布院という目的地の世界観をまとっていたのです。 速さだけではない。新しさだけでもない。 ”乗客の記憶に、どれだけ深く残るか” 「ゆふいんの森」は、列車の価値そのものを変えようとしていました。 「D&S列車の歴史は、この“森”から始まった」 1987年4月、国鉄分割民営化によってJR九州が発足しました。新しく生まれた会社にとって、九州新幹線はまだ遠い未来の話。 受け継いだ車両の多くは国鉄型であり、路線網も設備も、国鉄時代から続くものでした。 では、新しいJR九州らしさを、どこで表現するのか。そこで同社が打ち出したのが、列車そのものに地域の個性を持たせるという発想でした。 九州には、温泉がある。山がある。海がある。神話がある。歴史がある。 そして、それぞれの路線沿線に、そこでしか出会えない物語がある。列車を、ただ地域へ乗客を運ぶ道具として使うのではない。 ”列車そのものを、地域の魅力を伝える舞台にする”...
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優雅な“森”の名の奥には、国鉄型の鼓動がある。キハ71系「ゆふいんの森Ⅰ世」 九州を走る、個性豊かな観光列車たち。 いまやJR九州といえば、単なる移動手段では終わらない、独創的な列車を次々と生み出す鉄道会社として知られています。 JR九州では、こうした観光列車を「D&S列車」と呼んでいます。 「D」は、特別なデザインを意味するDesign。 「S」は、沿線地域に伝わる歴史や文化、物語を意味するStory。 つまりD&S列車とは、“デザインと物語のある列車”なのです。 しかし、その壮大な物語にも始まりがありました。まだ「D&S列車」という言葉が広く使われるより、はるか前。 国鉄が分割民営化されJR九州が発足してから、わずか2年。九州の鉄道そのものを変える一編成の列車が、久大本線に姿を現します。 1989年3月11日。 特急「ゆふいんの森」。 現在、JR九州から“九州初のD&S列車”と位置付けられている、キハ71系「ゆふいんの森Ⅰ世」の誕生です。 「列車は、目的地へ向かうためだけのものだった」 かつて列車に求められたものは、速さと輸送力でした。決められた時刻に発車し、できるだけ速く、多くの乗客を目的地まで運ぶ。特急列車であれば、普通列車より速く、急行列車より快適に走ることが、その価値だったのです。しかし「ゆふいんの森」は、そこへまったく違う考え方を持ち込みました。 目的地へ到着してから、観光が始まるのではない。列車の扉をくぐった、その瞬間から旅を始める。 掲げられたテーマは、 「列車に乗った時からゆふいん」 でした。博多駅から由布院駅までは、およそ2時間あまり。それまでなら、目的地へ向かうための“移動時間”と考えられていた時間です。しかし「ゆふいんの森」は、その時間さえも観光へ変えました。 深いメタリックグリーンの車体。金色の帯。ヨーロッパの列車を思わせる、優雅で流麗な姿。木の温もりを感じさせる車内。 高い位置に設けられた客室から眺める、久大本線の山々と渓谷。列車そのものが、由布院という目的地の世界観をまとっていたのです。 速さだけではない。新しさだけでもない。 ”乗客の記憶に、どれだけ深く残るか” 「ゆふいんの森」は、列車の価値そのものを変えようとしていました。 「D&S列車の歴史は、この“森”から始まった」 1987年4月、国鉄分割民営化によってJR九州が発足しました。新しく生まれた会社にとって、九州新幹線はまだ遠い未来の話。 受け継いだ車両の多くは国鉄型であり、路線網も設備も、国鉄時代から続くものでした。 では、新しいJR九州らしさを、どこで表現するのか。そこで同社が打ち出したのが、列車そのものに地域の個性を持たせるという発想でした。 九州には、温泉がある。山がある。海がある。神話がある。歴史がある。 そして、それぞれの路線沿線に、そこでしか出会えない物語がある。列車を、ただ地域へ乗客を運ぶ道具として使うのではない。 ”列車そのものを、地域の魅力を伝える舞台にする”...
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【国鉄名車列伝】国鉄屈指の魔改造車・クモハ123形
カネはない。新車を造る余裕もない。しかし、ローカル線を走らせる車両は必要だった。 そんな国鉄末期に誕生したのが、クモハ123形です。その正体は、最初から旅客輸送のために造られた電車ではありません。 荷物を運んでいたクモニ143形。郵便物と荷物を運んでいたクモユニ147形。そして、車両基地で電車を牽引していたクモヤ145形。 本来なら、その役目を終えた時点で廃車になっていても不思議ではなかった事業用電車たちでした。ところが国鉄は、彼らを簡単には捨てませんでした。 「荷物を運ばなくなったのなら、人を乗せればいい。」 1986年11月、国鉄の鉄道荷物輸送が大幅に廃止されると、それまで全国を走っていた荷物電車が一気に余剰となりました。 一方で、利用者の少ない電化ローカル線では、長い編成を走らせるほどの需要はない。かといって、電車を走らせなければ路線そのものが成り立たない。そこで国鉄が目を付けたのが、1両だけで走ることのできる荷物電車でした。 荷物室を撤去する。窓を開ける。乗降用の扉を取り付ける。座席、つり革、荷棚、照明を設置する。そして形式名の「クモニ」や「クモユニ」から、旅客車を示す「クモハ」へ。 こうして、昨日まで荷物を運んでいた電車は、突然ローカル線の普通列車として走り始めたのです。クモハ123形は、1986年から1988年にかけて13両が改造されました。 ■同じ形式なのに、顔も扉も窓も違うクモハ123形のおもしろさは、単なる改造車で終わらないところにあります。同じ「クモハ123形」を名乗りながら、種車が統一されていないのです。 クモニ143形から生まれた車両。クモユニ147形から生まれた車両。クモヤ145形から生まれた車両。 当然、元の車体構造も性能も異なります。そのため、前面が貫通形の車両もあれば、非貫通形の車両もある。片開き扉もあれば、両開き扉もある。窓の大きさも、扉の位置も、冷房装置も違う。もはや一つの形式というより、 「1両で走れる余剰車両を、旅客車に改造してまとめた集団」 と表現したほうが近いかもしれません。国鉄の標準化思想はどこへ行ったのか。そんな疑問さえ吹き飛ばすほど、クモハ123形は個性の塊でした。しかし、そのバラバラさこそが、この車両最大の魅力なのです。 ■元荷物電車の面影側面を眺めると、どこか普通の電車とは違う。窓が妙に少ない。扉の配置が不自然。車体の一部が埋められ、後から切り開いたような跡が残る。 旅客車として美しく整えられたというより、荷物電車の骨格を残したまま、必要な設備だけを取り付けた姿。それはまるで、作業着の上から無理やり制服を着せられた電車。けれども、決して粗末な車両だったわけではありません。 単行運転が可能な電動車であることを生かし、輸送量の少ない路線を1両で走る。必要に応じて連結し、ラッシュ時には乗客を運ぶ。 余剰車両を活用しながら、新車を投入するよりも少ない費用でローカル線の近代化を進める。見た目は強引ですが、一方で、その発想は極めて合理的でした。 ■103系のクハまで引き連れた異端児なかでも異彩を放ったのが、阪和線の羽衣支線に投入されたクモハ123-5・6です。 この2両はクモニ143形から改造され、ラッシュ時には103系の制御車を連結して運転するという、極めて珍しい運用にも対応していました。そのため、103系との連結に必要なジャンパ連結器を装備し、相手となる制御車へ冷房用電源を供給する機能まで備えていました。元荷物電車が旅客車へ改造され、さらに通勤電車の先頭車を引き連れて走る。 ここまで来ると、もはや魔改造という言葉だけでは足りません。 使えるものは、何でも使う。つなげられるものは、つないで走らせる。国鉄末期の技術者たちの執念が、そこには詰まっていました。 クモハ123形は、特急列車のように脚光を浴びた車両ではありません。 最高速度を競ったわけでもない。豪華な座席があるわけでもない。華やかな愛称もない。ただ、1両で淡々とローカル線を走り続けました。 中央本線の辰野支線。身延線。羽衣支線。可部線。宇野線。そして、宇部線・小野田線。配置された線区も、塗装も、改造内容も異なりながら、それぞれの土地で日常の足を支えてきました。2026年現在も、JR西日本に継承された車両が宇部線・小野田線で運用されています。 国鉄が消滅してから、すでに長い年月が過ぎました。それでも、かつて荷物を運んだ車体は、今も人を乗せて走っています。 ■国鉄一の魔改造車国鉄には、とんでもない経歴を持つ車両が数多く存在しました。しかし、クモハ123形ほど国鉄末期の事情を、その車体すべてで語っている車両はないのではないでしょうか。 種車はバラバラ。外観もバラバラ。扉も窓もバラバラ。けれど、その目的だけは共通していました。 ■余った車両を、もう一度走らせること昨日まで荷物を運んでいた電車に座席を置き、「今日から君は普通列車だ」と、再び本線へ送り出す。 そこにあるのは、優雅な設計思想ではありません。あるのは、カネのない国鉄が生き残るために絞り出した知恵と、車両を簡単には捨てなかった技術者たちの意地です。...
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カネはない。新車を造る余裕もない。しかし、ローカル線を走らせる車両は必要だった。 そんな国鉄末期に誕生したのが、クモハ123形です。その正体は、最初から旅客輸送のために造られた電車ではありません。 荷物を運んでいたクモニ143形。郵便物と荷物を運んでいたクモユニ147形。そして、車両基地で電車を牽引していたクモヤ145形。 本来なら、その役目を終えた時点で廃車になっていても不思議ではなかった事業用電車たちでした。ところが国鉄は、彼らを簡単には捨てませんでした。 「荷物を運ばなくなったのなら、人を乗せればいい。」 1986年11月、国鉄の鉄道荷物輸送が大幅に廃止されると、それまで全国を走っていた荷物電車が一気に余剰となりました。 一方で、利用者の少ない電化ローカル線では、長い編成を走らせるほどの需要はない。かといって、電車を走らせなければ路線そのものが成り立たない。そこで国鉄が目を付けたのが、1両だけで走ることのできる荷物電車でした。 荷物室を撤去する。窓を開ける。乗降用の扉を取り付ける。座席、つり革、荷棚、照明を設置する。そして形式名の「クモニ」や「クモユニ」から、旅客車を示す「クモハ」へ。 こうして、昨日まで荷物を運んでいた電車は、突然ローカル線の普通列車として走り始めたのです。クモハ123形は、1986年から1988年にかけて13両が改造されました。 ■同じ形式なのに、顔も扉も窓も違うクモハ123形のおもしろさは、単なる改造車で終わらないところにあります。同じ「クモハ123形」を名乗りながら、種車が統一されていないのです。 クモニ143形から生まれた車両。クモユニ147形から生まれた車両。クモヤ145形から生まれた車両。 当然、元の車体構造も性能も異なります。そのため、前面が貫通形の車両もあれば、非貫通形の車両もある。片開き扉もあれば、両開き扉もある。窓の大きさも、扉の位置も、冷房装置も違う。もはや一つの形式というより、 「1両で走れる余剰車両を、旅客車に改造してまとめた集団」 と表現したほうが近いかもしれません。国鉄の標準化思想はどこへ行ったのか。そんな疑問さえ吹き飛ばすほど、クモハ123形は個性の塊でした。しかし、そのバラバラさこそが、この車両最大の魅力なのです。 ■元荷物電車の面影側面を眺めると、どこか普通の電車とは違う。窓が妙に少ない。扉の配置が不自然。車体の一部が埋められ、後から切り開いたような跡が残る。 旅客車として美しく整えられたというより、荷物電車の骨格を残したまま、必要な設備だけを取り付けた姿。それはまるで、作業着の上から無理やり制服を着せられた電車。けれども、決して粗末な車両だったわけではありません。 単行運転が可能な電動車であることを生かし、輸送量の少ない路線を1両で走る。必要に応じて連結し、ラッシュ時には乗客を運ぶ。 余剰車両を活用しながら、新車を投入するよりも少ない費用でローカル線の近代化を進める。見た目は強引ですが、一方で、その発想は極めて合理的でした。 ■103系のクハまで引き連れた異端児なかでも異彩を放ったのが、阪和線の羽衣支線に投入されたクモハ123-5・6です。 この2両はクモニ143形から改造され、ラッシュ時には103系の制御車を連結して運転するという、極めて珍しい運用にも対応していました。そのため、103系との連結に必要なジャンパ連結器を装備し、相手となる制御車へ冷房用電源を供給する機能まで備えていました。元荷物電車が旅客車へ改造され、さらに通勤電車の先頭車を引き連れて走る。 ここまで来ると、もはや魔改造という言葉だけでは足りません。 使えるものは、何でも使う。つなげられるものは、つないで走らせる。国鉄末期の技術者たちの執念が、そこには詰まっていました。 クモハ123形は、特急列車のように脚光を浴びた車両ではありません。 最高速度を競ったわけでもない。豪華な座席があるわけでもない。華やかな愛称もない。ただ、1両で淡々とローカル線を走り続けました。 中央本線の辰野支線。身延線。羽衣支線。可部線。宇野線。そして、宇部線・小野田線。配置された線区も、塗装も、改造内容も異なりながら、それぞれの土地で日常の足を支えてきました。2026年現在も、JR西日本に継承された車両が宇部線・小野田線で運用されています。 国鉄が消滅してから、すでに長い年月が過ぎました。それでも、かつて荷物を運んだ車体は、今も人を乗せて走っています。 ■国鉄一の魔改造車国鉄には、とんでもない経歴を持つ車両が数多く存在しました。しかし、クモハ123形ほど国鉄末期の事情を、その車体すべてで語っている車両はないのではないでしょうか。 種車はバラバラ。外観もバラバラ。扉も窓もバラバラ。けれど、その目的だけは共通していました。 ■余った車両を、もう一度走らせること昨日まで荷物を運んでいた電車に座席を置き、「今日から君は普通列車だ」と、再び本線へ送り出す。 そこにあるのは、優雅な設計思想ではありません。あるのは、カネのない国鉄が生き残るために絞り出した知恵と、車両を簡単には捨てなかった技術者たちの意地です。...
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【Insta Thanks 7000 follow】「京阪7000系」(Vol.4)
<京阪初のVVVF車、7000系> 1989年10月の鴨東線開業に伴う増備車として登場した、京阪7000系。 京阪として初めて、VVVFインバータ制御を本採用した系列です。 搭載する、主電動機出力は200kW。登場当時、新幹線以外で日本最大級の出力を誇りました。 前面デザインは6000系を踏襲しつつ、乗務員室スペース拡大のため、先頭部を直立させたのが特徴です。 2022年12月からはリニューアル工事が進行し、制御装置のIGBT化や、13000系に準じた内装への更新が行われています。 <車両データ>運用開始:1989年運用終了:運行中製造両数:25両 *************************************************Instagramのフォロワー数が7,300名を超えました。ありがとうございます。今後ともよろしくお願い致します。Mr.DIMER*************************************************
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<京阪初のVVVF車、7000系> 1989年10月の鴨東線開業に伴う増備車として登場した、京阪7000系。 京阪として初めて、VVVFインバータ制御を本採用した系列です。 搭載する、主電動機出力は200kW。登場当時、新幹線以外で日本最大級の出力を誇りました。 前面デザインは6000系を踏襲しつつ、乗務員室スペース拡大のため、先頭部を直立させたのが特徴です。 2022年12月からはリニューアル工事が進行し、制御装置のIGBT化や、13000系に準じた内装への更新が行われています。 <車両データ>運用開始:1989年運用終了:運行中製造両数:25両 *************************************************Instagramのフォロワー数が7,300名を超えました。ありがとうございます。今後ともよろしくお願い致します。Mr.DIMER*************************************************
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【JR九州特集・D&S列車編】連載お知らせ
九州には、列車に乗ることそのものを“旅”に変えてしまった車両たちがいます。 海を走る列車。 山を越える列車。 神話をまとった列車。 そして、国鉄型の面影を残しながら、まったく新しい物語を背負った列車。 華やかなデザインの奥には、誕生までの歴史がある。美しい車内の奥には、沿線の文化がある。そして床下には、今も受け継がれている車両の記憶がある。 この連載では、JR九州が生み出してきたD&S列車を、一編成ずつ掘り下げていきます。 なぜ、この姿なのか。 なぜ、この名前なのか。 そして、その列車は何を伝えるために走っているのか。 連載第一弾は、 "キハ71系「ゆふいんの森Ⅰ世」" 優雅な“森”の名の奥で鳴り続ける、国鉄型の鼓動。JR九州の列車づくりを変えた、その原点から物語を始めます。 "JR九州特集・D&S列車編" 九州を駆ける、デザインと物語のある列車たち。 その美しい姿の奥に隠された物語、どうかご期待下さい。 (マイミー)
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九州には、列車に乗ることそのものを“旅”に変えてしまった車両たちがいます。 海を走る列車。 山を越える列車。 神話をまとった列車。 そして、国鉄型の面影を残しながら、まったく新しい物語を背負った列車。 華やかなデザインの奥には、誕生までの歴史がある。美しい車内の奥には、沿線の文化がある。そして床下には、今も受け継がれている車両の記憶がある。 この連載では、JR九州が生み出してきたD&S列車を、一編成ずつ掘り下げていきます。 なぜ、この姿なのか。 なぜ、この名前なのか。 そして、その列車は何を伝えるために走っているのか。 連載第一弾は、 "キハ71系「ゆふいんの森Ⅰ世」" 優雅な“森”の名の奥で鳴り続ける、国鉄型の鼓動。JR九州の列車づくりを変えた、その原点から物語を始めます。 "JR九州特集・D&S列車編" 九州を駆ける、デザインと物語のある列車たち。 その美しい姿の奥に隠された物語、どうかご期待下さい。 (マイミー)
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【去り行く211系フェイス Vol.3】"国鉄最後の新系列"213系
<もはや…新性能電車2代目の急行形とも言えるのではないか> 213系。 1987年、建設中であった本四備讃線(瀬戸大橋線)の快速列車用として、211系をベースに開発されました。 そして、国鉄が世に送り出した、"最後の新系列車両"でもあります。 ■車両紹介211系が2両1組の"MM'ユニット方式"を採るのに対し、213系は、電動車1両で完結する"1M方式"を採用。 平坦な瀬戸大橋線での運用に加え、軽量ステンレス車体ゆえの編成重量の小ささから、1M2Tという、電動車比率の低い、経済的な編成が可能となりました。 車体は、211系譲りの軽量ステンレス。"ブラックフェイス"の面差しも、継承されました。 ■急行形と言っても過言ではない?!近郊形たる211系が片側3扉であるのに対し、213系は、片側2扉。 座席は、"転換クロスシート"。 2扉・転換クロスシートといえば。 かつての"急行形電車"の系譜そのもの。(最も一般形、近郊形としてはキハ66系、117系が先んじて採用しています) なるほど、確かに形式区分は"近郊形"。 されど、その2扉・クロスシート主体の構成は、往年の急行形を彷彿とさせるもので、東海顔を第一世代とする新性能電車群の、"急行形第二世代"と呼べるのではないか、と考えています。 ■現況JR西日本の0番台は、瀬戸大橋線の快速"マリンライナー"としてその名を馳せた後、現在は岡山地区のローカル運用が主体。 一方、JR東海の5000番台は、飯田線を最後の花道とし、2026年3月、惜しくも運用を終えました。 先輩211系と共に、静かに、その活躍の場を狭めつつあります。 (Mr.DIMER編集長)
続きを読む【去り行く211系フェイス Vol.3】"国鉄最後の新系列"213系
<もはや…新性能電車2代目の急行形とも言えるのではないか> 213系。 1987年、建設中であった本四備讃線(瀬戸大橋線)の快速列車用として、211系をベースに開発されました。 そして、国鉄が世に送り出した、"最後の新系列車両"でもあります。 ■車両紹介211系が2両1組の"MM'ユニット方式"を採るのに対し、213系は、電動車1両で完結する"1M方式"を採用。 平坦な瀬戸大橋線での運用に加え、軽量ステンレス車体ゆえの編成重量の小ささから、1M2Tという、電動車比率の低い、経済的な編成が可能となりました。 車体は、211系譲りの軽量ステンレス。"ブラックフェイス"の面差しも、継承されました。 ■急行形と言っても過言ではない?!近郊形たる211系が片側3扉であるのに対し、213系は、片側2扉。 座席は、"転換クロスシート"。 2扉・転換クロスシートといえば。 かつての"急行形電車"の系譜そのもの。(最も一般形、近郊形としてはキハ66系、117系が先んじて採用しています) なるほど、確かに形式区分は"近郊形"。 されど、その2扉・クロスシート主体の構成は、往年の急行形を彷彿とさせるもので、東海顔を第一世代とする新性能電車群の、"急行形第二世代"と呼べるのではないか、と考えています。 ■現況JR西日本の0番台は、瀬戸大橋線の快速"マリンライナー"としてその名を馳せた後、現在は岡山地区のローカル運用が主体。 一方、JR東海の5000番台は、飯田線を最後の花道とし、2026年3月、惜しくも運用を終えました。 先輩211系と共に、静かに、その活躍の場を狭めつつあります。 (Mr.DIMER編集長)
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【10時打ちが消えていく日】MARSが生んだ一秒の職人技
「10時打ち」かつて、みどりの窓口では当たり前のように聞かれたこの言葉。 数々の人気列車の指定席を求め、多くの人が発売日の朝、駅へ向かいました。 その期待を背負っていたのが、駅員たちの「10時打ち」。時報と同時にMARS端末へ入力し、コンマ数秒を争って指定席を確保する。 その姿は、まさに職人でした。 しかし、その文化は今、大きな転換点を迎えています。昨今、JR各社ではみどりの窓口の統廃合や、ネット予約サービスの拡充が進み、「10時打ち」に対応する窓口そのものが減少しています。 一部では、発売開始時刻の手動操作を受け付けない運用や、駅ごとの対応見直しも進み、「10時打ち」を前提とした指定席購入は、以前より難しくなりました。時代は、確実に変わり始めていますね。 この文化が生まれた背景を少しフォーカスしてみます。 1960年。国鉄は世界初の本格的なコンピュータ座席予約システム、 「MARS(Magnetic-electronic Automatic Reservation System)」を実用化しました。 それまで電話や台帳で管理していた指定席を、コンピュータが一括して管理する。これは当時、世界でも前例のない挑戦でした。 1964年、東海道新幹線が開業すると、その膨大な指定席販売を支えたのもMARSでした。日本は新幹線だけではなく、「きっぷを売る技術」でも世界の最先端を走っていたとも言えます。 そして誕生したのが、「午前10時一斉発売」という仕組み。人気列車では、全国の駅から同時にMARSへアクセスが集中します。 一秒早ければ受付されない。 一秒遅ければ満席。 だから駅員たちは時計を見つめ、時報を聞き、正確無比なタイミングで操作する技術を磨き続けました。 「10時打ちが上手い駅がある。」 「この駅員さんなら取ってくれる。」 そんな言葉が全国で語られたのは、MARSという世界最先端のシステムと、それを使いこなした鉄道人の技術が生み出した文化だったのです。 もちろん、インターネット予約は便利です。 24時間申し込める。駅へ行く必要もない。時代の流れとして、それは自然な進化でしょう。 ですが、その便利さの裏側で、一つの鉄道文化が静かに姿を消しつつあります。みどりの窓口の縮小、省力化。「10時打ち」は、単なる指定席の取り方ではありませんでした。旅立つ誰かのために、一秒を極めた駅員たちの技術。 その技術があったからこそ、「取れましたよ。」という一言に、お客様は笑顔になれたのです。私もその1人でした。 新幹線が世界へ誇る日本の技術なら、MARSは世界へ誇る日本の知恵。そして10時打ちは、世界へ誇る日本の職人技でした。 便利になることは、決して悪いことではありません。でも、その便利さの陰で消えていく技術や文化にも、少しだけ思いを馳せてみませんか。ぜひ皆さんの思い出教えてください。 (マイミー)
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「10時打ち」かつて、みどりの窓口では当たり前のように聞かれたこの言葉。 数々の人気列車の指定席を求め、多くの人が発売日の朝、駅へ向かいました。 その期待を背負っていたのが、駅員たちの「10時打ち」。時報と同時にMARS端末へ入力し、コンマ数秒を争って指定席を確保する。 その姿は、まさに職人でした。 しかし、その文化は今、大きな転換点を迎えています。昨今、JR各社ではみどりの窓口の統廃合や、ネット予約サービスの拡充が進み、「10時打ち」に対応する窓口そのものが減少しています。 一部では、発売開始時刻の手動操作を受け付けない運用や、駅ごとの対応見直しも進み、「10時打ち」を前提とした指定席購入は、以前より難しくなりました。時代は、確実に変わり始めていますね。 この文化が生まれた背景を少しフォーカスしてみます。 1960年。国鉄は世界初の本格的なコンピュータ座席予約システム、 「MARS(Magnetic-electronic Automatic Reservation System)」を実用化しました。 それまで電話や台帳で管理していた指定席を、コンピュータが一括して管理する。これは当時、世界でも前例のない挑戦でした。 1964年、東海道新幹線が開業すると、その膨大な指定席販売を支えたのもMARSでした。日本は新幹線だけではなく、「きっぷを売る技術」でも世界の最先端を走っていたとも言えます。 そして誕生したのが、「午前10時一斉発売」という仕組み。人気列車では、全国の駅から同時にMARSへアクセスが集中します。 一秒早ければ受付されない。 一秒遅ければ満席。 だから駅員たちは時計を見つめ、時報を聞き、正確無比なタイミングで操作する技術を磨き続けました。 「10時打ちが上手い駅がある。」 「この駅員さんなら取ってくれる。」 そんな言葉が全国で語られたのは、MARSという世界最先端のシステムと、それを使いこなした鉄道人の技術が生み出した文化だったのです。 もちろん、インターネット予約は便利です。 24時間申し込める。駅へ行く必要もない。時代の流れとして、それは自然な進化でしょう。 ですが、その便利さの裏側で、一つの鉄道文化が静かに姿を消しつつあります。みどりの窓口の縮小、省力化。「10時打ち」は、単なる指定席の取り方ではありませんでした。旅立つ誰かのために、一秒を極めた駅員たちの技術。 その技術があったからこそ、「取れましたよ。」という一言に、お客様は笑顔になれたのです。私もその1人でした。 新幹線が世界へ誇る日本の技術なら、MARSは世界へ誇る日本の知恵。そして10時打ちは、世界へ誇る日本の職人技でした。 便利になることは、決して悪いことではありません。でも、その便利さの陰で消えていく技術や文化にも、少しだけ思いを馳せてみませんか。ぜひ皆さんの思い出教えてください。 (マイミー)
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