Mr.DIMER Journal

【絶滅寸前!?】みんな大好きMT54・国鉄名車を支えた120kWの主電動機

【絶滅寸前!?】みんな大好きMT54・国鉄名車を支えた120kWの主電動機

「107系、113系、115系、165系、485系、185系…あらゆる国鉄名車の足元には、いつもコイツがいた」 国鉄型電車が加速するときに響く、あの独特の唸り。車両形式を知らなくても、この音を聞けば、「あぁ、国鉄型だ。」そう感じる人もいるのではないでしょうか。 今回の主役は車両ではありません。 ”主電動機・MT54形”。 国鉄電車の黄金時代を、床下から支え続けた名機です。 “100kWでは足りない” MT54が登場したのは1960年代初頭。それまで153系などの新性能電車では、定格出力100kWのMT46形が使われていました。しかし列車の長編成化、高速化、そして勾配線区への進出によって、より強力な主電動機が求められます。 そこで登場したのが、 「定格出力120kWのMT54形。」 三菱電機の当時の技術資料にも、国鉄向けの120kW級主電動機としてMT54の名が記されていますたった20kWの差に見えますが、1両4基なら合計480kW。MT46に対して約20%の出力向上です。この余裕が、国鉄電車の活躍範囲を大きく広げていきました。 165系を山へ送り込んだ120kW その代表格が”165系”です。 平坦線主体の153系に対し、165系は上越線や中央本線など、勾配線区での使用を考慮して誕生しました。MT54による出力向上に加え、抑速発電ブレーキも装備。峠を登り、そして長い下り勾配を安全に降りる。 「MT54」は、国鉄の急行形電車を本格的に“山へ送り込んだ”主電動機のひとつでした。 「気が付けば、日本中にMT54」 そしてMT54最大の凄さは、その汎用性です。 113系、115系。165・169系。453系以降の交直流急行形。485・489系。583系。117系。185系。 近郊形、急行形、特急形。 直流電車から交直流電車まで、実に幅広い車両へ採用されました。 113系や115系では毎日の普通列車を走り、165系では峠を越え、485系では全国を駆ける特急列車を支える。 同じ120kWのモーターが、日本中でまったく違う仕事をしていたのです。 そして、「みんな大好き“あの音”」 MT54を語るなら、やっぱり外せないのが”音”でしょう。 抵抗制御で加速すると、速度の上昇とともに床下から響いてくる、あの力強い唸り。 115系で聞くMT54。 165系で聞くMT54。 185系で聞くMT54。 歯車比や台車、車体、運転条件が違えば、同じモーターでも聞こえ方は変わります。 だからこそ、「115系がいい」 「いや185系だ」...

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【絶滅寸前!?】みんな大好きMT54・国鉄名車を支えた120kWの主電動機

「107系、113系、115系、165系、485系、185系…あらゆる国鉄名車の足元には、いつもコイツがいた」 国鉄型電車が加速するときに響く、あの独特の唸り。車両形式を知らなくても、この音を聞けば、「あぁ、国鉄型だ。」そう感じる人もいるのではないでしょうか。 今回の主役は車両ではありません。 ”主電動機・MT54形”。 国鉄電車の黄金時代を、床下から支え続けた名機です。 “100kWでは足りない” MT54が登場したのは1960年代初頭。それまで153系などの新性能電車では、定格出力100kWのMT46形が使われていました。しかし列車の長編成化、高速化、そして勾配線区への進出によって、より強力な主電動機が求められます。 そこで登場したのが、 「定格出力120kWのMT54形。」 三菱電機の当時の技術資料にも、国鉄向けの120kW級主電動機としてMT54の名が記されていますたった20kWの差に見えますが、1両4基なら合計480kW。MT46に対して約20%の出力向上です。この余裕が、国鉄電車の活躍範囲を大きく広げていきました。 165系を山へ送り込んだ120kW その代表格が”165系”です。 平坦線主体の153系に対し、165系は上越線や中央本線など、勾配線区での使用を考慮して誕生しました。MT54による出力向上に加え、抑速発電ブレーキも装備。峠を登り、そして長い下り勾配を安全に降りる。 「MT54」は、国鉄の急行形電車を本格的に“山へ送り込んだ”主電動機のひとつでした。 「気が付けば、日本中にMT54」 そしてMT54最大の凄さは、その汎用性です。 113系、115系。165・169系。453系以降の交直流急行形。485・489系。583系。117系。185系。 近郊形、急行形、特急形。 直流電車から交直流電車まで、実に幅広い車両へ採用されました。 113系や115系では毎日の普通列車を走り、165系では峠を越え、485系では全国を駆ける特急列車を支える。 同じ120kWのモーターが、日本中でまったく違う仕事をしていたのです。 そして、「みんな大好き“あの音”」 MT54を語るなら、やっぱり外せないのが”音”でしょう。 抵抗制御で加速すると、速度の上昇とともに床下から響いてくる、あの力強い唸り。 115系で聞くMT54。 165系で聞くMT54。 185系で聞くMT54。 歯車比や台車、車体、運転条件が違えば、同じモーターでも聞こえ方は変わります。 だからこそ、「115系がいい」 「いや185系だ」...

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【白って200色あんねん】西日本の0系はオリジナルより"白"かった!?

【白って200色あんねん】西日本の0系はオリジナルより"白"かった!?

0系といえば「白と青」。 しかし、登場時の地色は真っ白ではなく、やや黄みを帯びた「クリーム10号」でした。 JR西日本の0系も、発足当初から白かったわけではありません。1990年代に入ってから、100系と同じ明るい「白3号」へ順次変更。 つまり晩年の0系は、オリジナルの0系よりも“白かった”のです。 同じ0系でも、時代によって「白」が違う。 200色の"白色"の内、2色はここで使っていた、と言うわけです。 (Mr.DIMER編集長)

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【白って200色あんねん】西日本の0系はオリジナルより"白"かった!?

0系といえば「白と青」。 しかし、登場時の地色は真っ白ではなく、やや黄みを帯びた「クリーム10号」でした。 JR西日本の0系も、発足当初から白かったわけではありません。1990年代に入ってから、100系と同じ明るい「白3号」へ順次変更。 つまり晩年の0系は、オリジナルの0系よりも“白かった”のです。 同じ0系でも、時代によって「白」が違う。 200色の"白色"の内、2色はここで使っていた、と言うわけです。 (Mr.DIMER編集長)

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【最強!】エンジン換装で大出力を手に入れたキハ40は?

【最強!】エンジン換装で大出力を手に入れたキハ40は?

<220馬力から450馬力へ。北海道で生まれた、異端のキハ40> 1977年に登場した国鉄キハ40系。 全国各地の非電化路線へ投入され、その頑丈さから長く使われる一方、走行性能については決して高い評価ばかりではありませんでした。 新製時に搭載されたDMF15HSA形エンジンは、出力220PS。 重量級の車体に対してエンジンは1基。JR移行後には各社で、冷房化や走行性能向上などを目的としてエンジン換装が進められることとなります。 では、その中で最も強力なエンジンを手に入れたキハ40系は何だったのでしょうか。 形式変更された車両まで含めて追ってみます。 JR西日本 コマツ製SA6D125H-1Aへ換装し330PS。 JR東海 カミンズ製C-DMF14HZ系を搭載して350PSまで強化。 原形の220PSからすれば、これだけでも相当な出力向上です。 JR九州 一部のキハ40・47を高出力化し、形式そのものをキハ140形・キハ147形へ変更。 こちらはSA6D125-HD1などを搭載し、出力は360PSに達しました。 しかし、さらに上があります。 それがJR北海道の、キハ40 401・402。 1996年、札沼線の石狩当別―新十津川間で使用するため、キハ40形700番台2両を改造して誕生したキハ40形400番台です。 搭載されたN-DMF13-HZD形エンジンの出力は、450PS。 原形の220PSに対して、実に2倍以上。 キハ40系を種車とした車両としては、最高クラスの出力を持つ車両となりました。 しかも400番台の改造は、単なるエンジン換装ではありません。 札沼線末端部では、冬季に積雪を押しのけながら単行で走行する必要がありました。 そこで450PS化と同時に、従来の1軸駆動から2軸駆動へ変更。 大出力を持て余すことなく、雪中で確実に地面へ伝えるため、足回りまで手が加えられています。 なお、名前がよく似たJR北海道のキハ400形も存在します。こちらもキハ40から改造された急行形車両ですが、搭載するDMF13HZは330PS。 つまり、キハ400形=330PS に対し、キハ40形400番台=450PSです。 全国各地で様々な改造を受けたキハ40系。 その頂点に立ったのは、華やかな急行用でも観光列車でもなく、北海道のローカル線で雪と戦うために造られた、わずか2両のキハ40でした。 220PSから450PSへ。 外観こそ紛れもないキハ40ながら、その走行機構は原形車とは別物ともいえるところまで進化していたのです。 (Mr.DIMER編集長)

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【最強!】エンジン換装で大出力を手に入れたキハ40は?

<220馬力から450馬力へ。北海道で生まれた、異端のキハ40> 1977年に登場した国鉄キハ40系。 全国各地の非電化路線へ投入され、その頑丈さから長く使われる一方、走行性能については決して高い評価ばかりではありませんでした。 新製時に搭載されたDMF15HSA形エンジンは、出力220PS。 重量級の車体に対してエンジンは1基。JR移行後には各社で、冷房化や走行性能向上などを目的としてエンジン換装が進められることとなります。 では、その中で最も強力なエンジンを手に入れたキハ40系は何だったのでしょうか。 形式変更された車両まで含めて追ってみます。 JR西日本 コマツ製SA6D125H-1Aへ換装し330PS。 JR東海 カミンズ製C-DMF14HZ系を搭載して350PSまで強化。 原形の220PSからすれば、これだけでも相当な出力向上です。 JR九州 一部のキハ40・47を高出力化し、形式そのものをキハ140形・キハ147形へ変更。 こちらはSA6D125-HD1などを搭載し、出力は360PSに達しました。 しかし、さらに上があります。 それがJR北海道の、キハ40 401・402。 1996年、札沼線の石狩当別―新十津川間で使用するため、キハ40形700番台2両を改造して誕生したキハ40形400番台です。 搭載されたN-DMF13-HZD形エンジンの出力は、450PS。 原形の220PSに対して、実に2倍以上。 キハ40系を種車とした車両としては、最高クラスの出力を持つ車両となりました。 しかも400番台の改造は、単なるエンジン換装ではありません。 札沼線末端部では、冬季に積雪を押しのけながら単行で走行する必要がありました。 そこで450PS化と同時に、従来の1軸駆動から2軸駆動へ変更。 大出力を持て余すことなく、雪中で確実に地面へ伝えるため、足回りまで手が加えられています。 なお、名前がよく似たJR北海道のキハ400形も存在します。こちらもキハ40から改造された急行形車両ですが、搭載するDMF13HZは330PS。 つまり、キハ400形=330PS に対し、キハ40形400番台=450PSです。 全国各地で様々な改造を受けたキハ40系。 その頂点に立ったのは、華やかな急行用でも観光列車でもなく、北海道のローカル線で雪と戦うために造られた、わずか2両のキハ40でした。 220PSから450PSへ。 外観こそ紛れもないキハ40ながら、その走行機構は原形車とは別物ともいえるところまで進化していたのです。 (Mr.DIMER編集長)

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【もしも】117系・関東に来ていたら“東の新快速”は生まれていたのか?

【もしも】117系・関東に来ていたら“東の新快速”は生まれていたのか?

昨日の185系の記事では、「特急にも普通にもなる、国鉄が生んだ万能電車」として、その少し変わった立ち位置をご紹介しました。 そこで記事を書きながら、ふとマイミーは思ったのです。 「じゃあ、同じ時代に関西で活躍していた117系が、もし関東に来ていたらどうなっていたんだろう?」 今回は、そんな昨日の記事から思いついたもしも話。 もちろん史実では、117系が関東圏で営業運転に就いた事実はありません。もし117系が関西だけでなく、関東にも投入されていたら?185系、113系、そして117系。東京駅にこの3形式が並ぶ世界は、果たしてあり得たのでしょうか。 ということで今回は、昨日の185系から少し話を広げて、“もしもシリーズ”。 ここから先は史実を土台にしつつ、かなりの部分を私の独断と偏見で考えていきます。 「いや、それはないだろ」というツッコミも大歓迎。 それではもし、117系が関東に本格投入されていた世界を覗いてみましょう。 「117系が“東”に来ていたら」 1979年、京阪神の新快速用として登場した117系。片側2扉、転換クロスシート、空気ばね台車。主電動機は「MT54D」、最高速度110km/h。 阪急や京阪と真正面から「豪華な料金不要特急同士で真正面から殴り合う」ために生まれた、国鉄近郊形としてはかなり異色の存在でした。そんな117系ですが、実は東京と完全に無縁だったわけではありません。 1986年、東急車輛で製造された117系100番台6両編成が公式試運転で横須賀線を走り、品川まで入線しています。つまり117系は、ほんの一瞬だけですが“東の線路”を走っているのです。 ここでマイミーは考えます。 もし、このまま関東向けの117系まで造られていたら? 「最有力はやっぱり東海道線?」 これはもう、独断と偏見で言えば”東海道線一択”です。東京―横浜―大船―藤沢―平塚―小田原。長距離利用が多く、113系が大量に走っていた幹線。ここに117系を快速専用で投入する。普通列車とは完全に役割を分け、東京―横浜―大船―藤沢―平塚―小田原。 そんな停車駅で走る“湘南快速”。これ、かなり似合ったと思うんです。 しかも塗装は関西と同じクリーム+ぶどう色ではなく、 「湘南色の117系」転換クロスシートに腰掛け、MT54を唸らせて湘南へ向かう。後の快速アクティーを、国鉄時代に先取りしたような存在です。個人的には、かなり見てみたかった世界です。 「でも2扉は絶対に揉める」 ただし、ここで現実に戻ります。117系最大の弱点。 ”2扉” これは首都圏ではかなり厳しい。 朝の横浜、川崎、品川。そこに2扉転換クロスの117系が突っ込んできたら、乗降時間はかなり延びたはずです。なので、マイミーの妄想関東仕様では、 3扉化。ロングシート併設。さらに10両基本+5両付属。……いやもう、それ117系じゃないやん。となるわけですが、首都圏に本気で入れるなら、そこまで変えないと厳しかったでしょう。 「そして昨日の主役、185系」 ここで再び登場するのが、昨日の記事の主役だった”185系”です。 185系は1981年登場。特急にも普通列車にも使えるという、これまた国鉄らしい万能型でした。 関西の117系は、「快速を豪華にする車両」。...

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【もしも】117系・関東に来ていたら“東の新快速”は生まれていたのか?

昨日の185系の記事では、「特急にも普通にもなる、国鉄が生んだ万能電車」として、その少し変わった立ち位置をご紹介しました。 そこで記事を書きながら、ふとマイミーは思ったのです。 「じゃあ、同じ時代に関西で活躍していた117系が、もし関東に来ていたらどうなっていたんだろう?」 今回は、そんな昨日の記事から思いついたもしも話。 もちろん史実では、117系が関東圏で営業運転に就いた事実はありません。もし117系が関西だけでなく、関東にも投入されていたら?185系、113系、そして117系。東京駅にこの3形式が並ぶ世界は、果たしてあり得たのでしょうか。 ということで今回は、昨日の185系から少し話を広げて、“もしもシリーズ”。 ここから先は史実を土台にしつつ、かなりの部分を私の独断と偏見で考えていきます。 「いや、それはないだろ」というツッコミも大歓迎。 それではもし、117系が関東に本格投入されていた世界を覗いてみましょう。 「117系が“東”に来ていたら」 1979年、京阪神の新快速用として登場した117系。片側2扉、転換クロスシート、空気ばね台車。主電動機は「MT54D」、最高速度110km/h。 阪急や京阪と真正面から「豪華な料金不要特急同士で真正面から殴り合う」ために生まれた、国鉄近郊形としてはかなり異色の存在でした。そんな117系ですが、実は東京と完全に無縁だったわけではありません。 1986年、東急車輛で製造された117系100番台6両編成が公式試運転で横須賀線を走り、品川まで入線しています。つまり117系は、ほんの一瞬だけですが“東の線路”を走っているのです。 ここでマイミーは考えます。 もし、このまま関東向けの117系まで造られていたら? 「最有力はやっぱり東海道線?」 これはもう、独断と偏見で言えば”東海道線一択”です。東京―横浜―大船―藤沢―平塚―小田原。長距離利用が多く、113系が大量に走っていた幹線。ここに117系を快速専用で投入する。普通列車とは完全に役割を分け、東京―横浜―大船―藤沢―平塚―小田原。 そんな停車駅で走る“湘南快速”。これ、かなり似合ったと思うんです。 しかも塗装は関西と同じクリーム+ぶどう色ではなく、 「湘南色の117系」転換クロスシートに腰掛け、MT54を唸らせて湘南へ向かう。後の快速アクティーを、国鉄時代に先取りしたような存在です。個人的には、かなり見てみたかった世界です。 「でも2扉は絶対に揉める」 ただし、ここで現実に戻ります。117系最大の弱点。 ”2扉” これは首都圏ではかなり厳しい。 朝の横浜、川崎、品川。そこに2扉転換クロスの117系が突っ込んできたら、乗降時間はかなり延びたはずです。なので、マイミーの妄想関東仕様では、 3扉化。ロングシート併設。さらに10両基本+5両付属。……いやもう、それ117系じゃないやん。となるわけですが、首都圏に本気で入れるなら、そこまで変えないと厳しかったでしょう。 「そして昨日の主役、185系」 ここで再び登場するのが、昨日の記事の主役だった”185系”です。 185系は1981年登場。特急にも普通列車にも使えるという、これまた国鉄らしい万能型でした。 関西の117系は、「快速を豪華にする車両」。...

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【元祖、青い京急】千葉急行の初代1000形

【元祖、青い京急】千葉急行の初代1000形

<ブルースカイトレインより13年前、 「赤い電車」は、すでに青くなっていた> 京浜急行といえば、赤い電車。 赤い車体に白い帯という姿は、同社の代名詞といってもよいほどカラーイメージとして定着しています。 そんな京急における「紅一点」ならぬ「碧一点」といえば、 青い車体をまとった「KEIKYU BLUE SKY TRAIN」を思い浮かべる方も多いでしょう。 600形によるブルースカイトレインが運行を開始したのは2005年3月14日。 ところが―― それより13年も前の1992年、すでに「青い京急」が存在していたことをご存知でしょうか。 千葉急行電鉄1000形。 ■第三セクターへ渡った京急1000形千葉急行電鉄は、現在の京成千原線の前身にあたる鉄道会社です。 京成電鉄や小湊鉄道のほか、千葉県、千葉市、市原市などが出資して設立された第三セクターで、 1992年4月1日、千葉中央―大森台間を開業しました。 そして、この新しい鉄道会社に用意された車両のひとつが、 京急の初代1000形、となるわけです。 対象となったのは1029~1032の4両編成。 もともとは京急から京成側へ貸し出され、京成線で使用されていた車両でしたが、千葉急行の開業に合わせて同社用の車両として使用されることとなります。 ■赤から、青へ何より目を引くのが、その塗装です。 京急時代の赤い車体に白帯という姿から一転。 青い車体に白帯。 車体そのものは、紛れもなく京急1000形でありながら、色だけを見ればまったく別の電車です。 前面の造形も、側面の窓配置も、そして白帯の入れ方も京急1000形そのもの。 それだけに、 「京急の電車が青くなった(顔面真っ青的なニュアンス)」 という表現が、これほど似合う車両もありません。 しかも、この姿が登場したのは1992年。 後に京急自身が「羽田空港の空」と「三浦半島の海」をイメージしてブルースカイトレインを登場させる、実に13年前のことでした。...

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【元祖、青い京急】千葉急行の初代1000形

<ブルースカイトレインより13年前、 「赤い電車」は、すでに青くなっていた> 京浜急行といえば、赤い電車。 赤い車体に白い帯という姿は、同社の代名詞といってもよいほどカラーイメージとして定着しています。 そんな京急における「紅一点」ならぬ「碧一点」といえば、 青い車体をまとった「KEIKYU BLUE SKY TRAIN」を思い浮かべる方も多いでしょう。 600形によるブルースカイトレインが運行を開始したのは2005年3月14日。 ところが―― それより13年も前の1992年、すでに「青い京急」が存在していたことをご存知でしょうか。 千葉急行電鉄1000形。 ■第三セクターへ渡った京急1000形千葉急行電鉄は、現在の京成千原線の前身にあたる鉄道会社です。 京成電鉄や小湊鉄道のほか、千葉県、千葉市、市原市などが出資して設立された第三セクターで、 1992年4月1日、千葉中央―大森台間を開業しました。 そして、この新しい鉄道会社に用意された車両のひとつが、 京急の初代1000形、となるわけです。 対象となったのは1029~1032の4両編成。 もともとは京急から京成側へ貸し出され、京成線で使用されていた車両でしたが、千葉急行の開業に合わせて同社用の車両として使用されることとなります。 ■赤から、青へ何より目を引くのが、その塗装です。 京急時代の赤い車体に白帯という姿から一転。 青い車体に白帯。 車体そのものは、紛れもなく京急1000形でありながら、色だけを見ればまったく別の電車です。 前面の造形も、側面の窓配置も、そして白帯の入れ方も京急1000形そのもの。 それだけに、 「京急の電車が青くなった(顔面真っ青的なニュアンス)」 という表現が、これほど似合う車両もありません。 しかも、この姿が登場したのは1992年。 後に京急自身が「羽田空港の空」と「三浦半島の海」をイメージしてブルースカイトレインを登場させる、実に13年前のことでした。...

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【さようなら】卵型電車

【さようなら】卵型電車

<67年間、京阪の「顔」、「たまごのような」丸い電車が消えた> 京阪電車から、ひとつの伝統的なスタイルが姿を消しました。 「卵型電車」です。 2026年8月21日、2200系・2400系・2600系の3系列が一挙に営業運転を終了。 これにより、長年にわたり京阪線を走り続けてきた「卵型車体」の電車は、その歴史に幕を下ろしたことになります。 ■「卵型電車」とは その始まりは、1959年に登場、高い加減速性能と回生ブレーキを備え、「スーパーカー」の愛称で知られた2000系に遡ります。 その特徴のひとつが、側面から車体裾にかけて丸みを持たせた、独特の車体断面でした。 直線的な箱形ではなく、車体下部が膨らんだ曲面を描くその姿から、後年「卵型車体」と呼ばれるようになります。 この造形は一代限りとはならず、京阪通勤車の標準的なスタイルとして受け継がれていくこととなります。 ■改良を重ね、京阪の主力へ1964年には、2000系の車体デザインを踏襲した急行用の2200系が登場。 さらに1969年には、2200系を発展させた2400系が登場します。 同系は戦後の関西では初となる通勤用冷房車でもあり、卵形車体は外観のみならず、当時の京阪における新世代通勤車の象徴ともいえる存在になりました。 そして1978年には2600系が登場。 そのうち0番台は、老朽化した2000系の車体などを活用しながら昇圧・冷房化に対応した系列で、1980~81年には完全新造となる30番台も加わります。 つまり2000系から2600系まで、世代や機器を変えながらも、同じ基本造形が20年以上にわたり新製・継承され続けたことになります。 ■67年間続いた「京阪の顔」転機となったのは1983年。 1500Vへの昇圧とともに登場した6000系では、車体設計が一新され、京阪通勤車は角張った新しいスタイルへと移行します。 それでも卵形電車は消えませんでした。 更新工事を受けながら、急行、準急、普通など京阪線のあらゆる輸送を支え続け、平成を越え、令和まで生き残ることとなります。 しかし13000系の増備に伴い、その数は次第に減少。 そして2026年8月21日。 最後まで残った2200系、2400系、2600系が揃って引退しました。 1959年の2000系登場から、実に67年。 ひとつの形式が消えたのではない… 京阪電車において半世紀以上にわたり受け継がれてきた、ひとつの「車体様式」が消えた瞬間です。 (Mr.DIMER編集長)

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【さようなら】卵型電車

<67年間、京阪の「顔」、「たまごのような」丸い電車が消えた> 京阪電車から、ひとつの伝統的なスタイルが姿を消しました。 「卵型電車」です。 2026年8月21日、2200系・2400系・2600系の3系列が一挙に営業運転を終了。 これにより、長年にわたり京阪線を走り続けてきた「卵型車体」の電車は、その歴史に幕を下ろしたことになります。 ■「卵型電車」とは その始まりは、1959年に登場、高い加減速性能と回生ブレーキを備え、「スーパーカー」の愛称で知られた2000系に遡ります。 その特徴のひとつが、側面から車体裾にかけて丸みを持たせた、独特の車体断面でした。 直線的な箱形ではなく、車体下部が膨らんだ曲面を描くその姿から、後年「卵型車体」と呼ばれるようになります。 この造形は一代限りとはならず、京阪通勤車の標準的なスタイルとして受け継がれていくこととなります。 ■改良を重ね、京阪の主力へ1964年には、2000系の車体デザインを踏襲した急行用の2200系が登場。 さらに1969年には、2200系を発展させた2400系が登場します。 同系は戦後の関西では初となる通勤用冷房車でもあり、卵形車体は外観のみならず、当時の京阪における新世代通勤車の象徴ともいえる存在になりました。 そして1978年には2600系が登場。 そのうち0番台は、老朽化した2000系の車体などを活用しながら昇圧・冷房化に対応した系列で、1980~81年には完全新造となる30番台も加わります。 つまり2000系から2600系まで、世代や機器を変えながらも、同じ基本造形が20年以上にわたり新製・継承され続けたことになります。 ■67年間続いた「京阪の顔」転機となったのは1983年。 1500Vへの昇圧とともに登場した6000系では、車体設計が一新され、京阪通勤車は角張った新しいスタイルへと移行します。 それでも卵形電車は消えませんでした。 更新工事を受けながら、急行、準急、普通など京阪線のあらゆる輸送を支え続け、平成を越え、令和まで生き残ることとなります。 しかし13000系の増備に伴い、その数は次第に減少。 そして2026年8月21日。 最後まで残った2200系、2400系、2600系が揃って引退しました。 1959年の2000系登場から、実に67年。 ひとつの形式が消えたのではない… 京阪電車において半世紀以上にわたり受け継がれてきた、ひとつの「車体様式」が消えた瞬間です。 (Mr.DIMER編集長)

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