Mr.DIMER Journal
【なぜ?】485系のボンネット車は国鉄末期に勝田へ集まったのか
<全国から古参車をかき集め、常磐線に現れた「ボンネット王国」> 国鉄を代表する特急型電車、485系。本回は、国鉄末期のある"配置転換"の話。 1982年の東北新幹線開業以降、東北地区では在来線特急が大幅に削減され、485系に大量の余剰が発生。 九州地区には1960年代に製造された481系をはじめ、経年の進んだ車両が多数残存していたことから国鉄は、東北地区で余剰となった比較的新しい485系を九州へ転属させ、古参車を置き換えて行くこととなります。 ここまでは、極めて合理的な話。 ところが、その中で少し奇妙な動きを見せた車両がいました。クハ481形、ボンネット車。 九州から追い出された初期形のクハ481は、そのまま廃車になるのではなく、遠く離れた勝田電車区へ転属。 1985年3月のダイヤ改正。 急行「ときわ」の特急格上げなどにより、常磐線特急「ひたち」を大幅に増発、 勝田には全国各地から485系が集められ、11両編成15本、計165両という一大ファミリーが誕生します。 そして、それら編成の先頭に立つクハ481形30両は、そのすべてが"ボンネット車"でした。 無論、これにも合理的な説明はできます。 九州では「有明」などで短編成・高頻度運転が進み、今後も485系を長く使う必要がありました。 ならば経年の浅い車両を九州へ残し、古参車を他地区へ転出させるのは自然の事。 一方の「ひたち」は11両編成。先頭車の定員が多少少なくても、編成全体への影響は小さい。 増発に必要な大量の車両を確保するため、古参車を勝田へ集約する。 そこまでは分かります。 ただ。ひとつ引っかかるのは。 古い車を集めることと、先頭車30両をすべてボンネット車で揃えることは、同じ話なのか。という事。 200番台、300番台のクハ481が混ざっていても、運用上は成立したはずでは… それでも国鉄は、全15編成の両端をボンネット車体制で構築します。 まるで鉄道模型で、「好きな485系だけを集めた車両基地」を作るかのように。 ここから先は、編集長の独断と偏見につき、ご了承下さい。 国鉄ほどの巨大組織ですから、車両配置は当然、輸送量、検査周期、車齢、需給など様々な条件から決められたはずです。 しかし、その条件を満たす選択肢が複数あったとしたら。 「勝田には古い485系を集める。」 そこまでは経営上の判断。 その上で、「どうせなら、ボンネットで揃えてしまおう。」 そんな""を持った鉄道マンが、一人くらいいても不思議ではない…? いえね。どうしても想像してしまうんですよ。関東国鉄に485系ボンネット車が大好きな人がいたのではないか、と。...
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<全国から古参車をかき集め、常磐線に現れた「ボンネット王国」> 国鉄を代表する特急型電車、485系。本回は、国鉄末期のある"配置転換"の話。 1982年の東北新幹線開業以降、東北地区では在来線特急が大幅に削減され、485系に大量の余剰が発生。 九州地区には1960年代に製造された481系をはじめ、経年の進んだ車両が多数残存していたことから国鉄は、東北地区で余剰となった比較的新しい485系を九州へ転属させ、古参車を置き換えて行くこととなります。 ここまでは、極めて合理的な話。 ところが、その中で少し奇妙な動きを見せた車両がいました。クハ481形、ボンネット車。 九州から追い出された初期形のクハ481は、そのまま廃車になるのではなく、遠く離れた勝田電車区へ転属。 1985年3月のダイヤ改正。 急行「ときわ」の特急格上げなどにより、常磐線特急「ひたち」を大幅に増発、 勝田には全国各地から485系が集められ、11両編成15本、計165両という一大ファミリーが誕生します。 そして、それら編成の先頭に立つクハ481形30両は、そのすべてが"ボンネット車"でした。 無論、これにも合理的な説明はできます。 九州では「有明」などで短編成・高頻度運転が進み、今後も485系を長く使う必要がありました。 ならば経年の浅い車両を九州へ残し、古参車を他地区へ転出させるのは自然の事。 一方の「ひたち」は11両編成。先頭車の定員が多少少なくても、編成全体への影響は小さい。 増発に必要な大量の車両を確保するため、古参車を勝田へ集約する。 そこまでは分かります。 ただ。ひとつ引っかかるのは。 古い車を集めることと、先頭車30両をすべてボンネット車で揃えることは、同じ話なのか。という事。 200番台、300番台のクハ481が混ざっていても、運用上は成立したはずでは… それでも国鉄は、全15編成の両端をボンネット車体制で構築します。 まるで鉄道模型で、「好きな485系だけを集めた車両基地」を作るかのように。 ここから先は、編集長の独断と偏見につき、ご了承下さい。 国鉄ほどの巨大組織ですから、車両配置は当然、輸送量、検査周期、車齢、需給など様々な条件から決められたはずです。 しかし、その条件を満たす選択肢が複数あったとしたら。 「勝田には古い485系を集める。」 そこまでは経営上の判断。 その上で、「どうせなら、ボンネットで揃えてしまおう。」 そんな""を持った鉄道マンが、一人くらいいても不思議ではない…? いえね。どうしても想像してしまうんですよ。関東国鉄に485系ボンネット車が大好きな人がいたのではないか、と。...
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最近流行りのクルマに見られるアレ...もしや0系がハシリ?!
<"元々は光っていた0系の"鼻"、光前頭。> 近年、自動車のデザインは より複雑化し、 凝った造形になりつつあります。 と同時に ライト類とは別に LEDを多く採用、活用しており、 グリルの外周や エンブレムが光るというギミックも見られます。 なんでも光らせれば いいと思うな! と怒られそうなところ、 前照灯、尾灯をさて置き、 "連結器カバーの光る新幹線"があったことを 覚えていますでしょうか。 0系新幹線電車です。 ■「団子鼻」の正体0系を象徴する、 丸みを帯びた先頭形状。 なかでも先端に取り付けられた 半球状の"団子鼻"は、 単なるデザインではありません。 この内部には、 故障した車両を救援する際などに使用する 非常用の連結器が収められており、 鼻そのものは、 それを覆うための "連結器カバー"になっています。 そして東海道新幹線開業当初、 このカバーはそののち標準となった 不透明のFRP製ではなく、...
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<"元々は光っていた0系の"鼻"、光前頭。> 近年、自動車のデザインは より複雑化し、 凝った造形になりつつあります。 と同時に ライト類とは別に LEDを多く採用、活用しており、 グリルの外周や エンブレムが光るというギミックも見られます。 なんでも光らせれば いいと思うな! と怒られそうなところ、 前照灯、尾灯をさて置き、 "連結器カバーの光る新幹線"があったことを 覚えていますでしょうか。 0系新幹線電車です。 ■「団子鼻」の正体0系を象徴する、 丸みを帯びた先頭形状。 なかでも先端に取り付けられた 半球状の"団子鼻"は、 単なるデザインではありません。 この内部には、 故障した車両を救援する際などに使用する 非常用の連結器が収められており、 鼻そのものは、 それを覆うための "連結器カバー"になっています。 そして東海道新幹線開業当初、 このカバーはそののち標準となった 不透明のFRP製ではなく、...
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【JRが発足した"その時"】100系はなぜJR西日本に継承されなかったのか(後編)
<JR西日本が造った「自社仕様の100系」> 1987(昭和62)年。JR西日本は、国鉄から100系を1両も承継することなく発足しました。 ところが、その僅か2年後となる1989(平成元)年。同社は自ら100系を新製し、「グランドひかり」として営業運転を開始します。 100系3000番台、いわゆる100N系・V編成です。 国鉄時代の100系X編成が2階建て車両を2両連結していたのに対し、V編成ではこれを4両へ拡大。 さらに山陽新幹線内では最高230km/h運転を行うなど、JR西日本独自の仕様が盛り込まれることとなります。 "この独自仕様"は車両構成にも大きな相違点をもたらせます。 国鉄時代のX編成や、JR東海が増備したG編成では、両端の先頭車はモーターを持たない付随車。 対してV編成では、先頭車を電動車としています。 2階建て車両4両を付随車とし、それ以外の平屋車を電動車とする構成でした。 なお、国鉄・JR東海において製造、保有された100系とJR西日本が製造した100系は、書類上は別形式とされています。 そして、この違いは、後年の山陽新幹線を取り巻く輸送環境に功を奏することとなります。 300系、500系、700系と後継車両が相次いで登場すると、100系は次第に第一線から退くようになります。 そこでJR西日本は、V編成の2階建て車両を外し、平屋車を4両・6両へ組み替えて、山陽新幹線「こだま」へと転用。P編成、K編成として第2の人生(車生)を歩みます。 V編成は先頭車を含む平屋車が電動車であったため、2階建ての付随車を取り除くと、短編成は全車電動車となりました。 もっとも、これをもって「将来の短編成化まで見越してV編成を設計した」と断じることはできませんが、しかし結果として、JR西日本独自の車両構成が、100系の第二の活躍を支えることとなったのは確かです。 1987年。JR西日本は、経営上の事情から国鉄100系を持たずに船出しました。 そして1989年には、自らの輸送施策に即した100系を造り、さらに2000年代には、その車両を山陽「こだま」へ転用することで使途を広げた。 同じ「100系」でありながら、国鉄からJRへ。 そしてJR東海とJR西日本へ。置かれた環境によって、その歩みは大きく枝分かれしていったのです。 (Mr.DIMER編集長)
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<JR西日本が造った「自社仕様の100系」> 1987(昭和62)年。JR西日本は、国鉄から100系を1両も承継することなく発足しました。 ところが、その僅か2年後となる1989(平成元)年。同社は自ら100系を新製し、「グランドひかり」として営業運転を開始します。 100系3000番台、いわゆる100N系・V編成です。 国鉄時代の100系X編成が2階建て車両を2両連結していたのに対し、V編成ではこれを4両へ拡大。 さらに山陽新幹線内では最高230km/h運転を行うなど、JR西日本独自の仕様が盛り込まれることとなります。 "この独自仕様"は車両構成にも大きな相違点をもたらせます。 国鉄時代のX編成や、JR東海が増備したG編成では、両端の先頭車はモーターを持たない付随車。 対してV編成では、先頭車を電動車としています。 2階建て車両4両を付随車とし、それ以外の平屋車を電動車とする構成でした。 なお、国鉄・JR東海において製造、保有された100系とJR西日本が製造した100系は、書類上は別形式とされています。 そして、この違いは、後年の山陽新幹線を取り巻く輸送環境に功を奏することとなります。 300系、500系、700系と後継車両が相次いで登場すると、100系は次第に第一線から退くようになります。 そこでJR西日本は、V編成の2階建て車両を外し、平屋車を4両・6両へ組み替えて、山陽新幹線「こだま」へと転用。P編成、K編成として第2の人生(車生)を歩みます。 V編成は先頭車を含む平屋車が電動車であったため、2階建ての付随車を取り除くと、短編成は全車電動車となりました。 もっとも、これをもって「将来の短編成化まで見越してV編成を設計した」と断じることはできませんが、しかし結果として、JR西日本独自の車両構成が、100系の第二の活躍を支えることとなったのは確かです。 1987年。JR西日本は、経営上の事情から国鉄100系を持たずに船出しました。 そして1989年には、自らの輸送施策に即した100系を造り、さらに2000年代には、その車両を山陽「こだま」へ転用することで使途を広げた。 同じ「100系」でありながら、国鉄からJRへ。 そしてJR東海とJR西日本へ。置かれた環境によって、その歩みは大きく枝分かれしていったのです。 (Mr.DIMER編集長)
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【JRが発足した"その時"】100系はなぜJR西日本に継承されなかったのか(前編)
1987(昭和62)年4月1日。 国鉄分割民営化によりJR各社が発足し、東海道・山陽新幹線も新大阪を境に、JR東海とJR西日本へと分割されます。 この際、車両はどのように分配されたのでしょうか。 当時の最新鋭車両は、1985(昭和60)年に営業運転を開始した100系。 東京~博多間の「ひかり」に充当され、東海道のみならず、山陽新幹線においても日常的にその姿を見ることができました。 ところがJR発足時、国鉄が製造した100系は全車がJR東海へ。 JR西日本が承継した100系は、1両もありません。 対して同社へ渡ったのは、製造から相当年数を経た0系だけ、でした。 最新型は東海へ。旧型は西日本へ。 一見すれば、いささか偏った分配にも映ります。 しかし、その背景を辿ると、単なる車両配置の都合ではなく、国鉄分割民営化そのものが抱えていた「会社間の収益力の差」が見えてくるのです。 ■東海と西日本では、出発点が違ったJR東海が受け持つこととなった東海道新幹線は、東京・名古屋・大阪という三大都市圏を結ぶ、日本有数の高収益路線です。 対してJR西日本は、山陽新幹線を有する一方、京阪神の都市圏輸送に加え、中国地方をはじめとする広大な在来線網も抱えることとなりました。 したがって、分割民営化の時点から、JR東海とJR西日本とでは将来的な収益力に差が生じることが見込まれていたのです。 国鉄分割民営化に際しては、各社が独立した企業として成り立つよう、長期債務や新幹線施設に係る費用など、さまざまな調整が行われました。 しかし、それでもJR西日本の収支は、JR東海ほど余裕のあるものではないと考えられていました。 そこで、さらに焦点となったのが、「減価償却費」です。 ■100系を持つということ新製間もない100系は、当然ながら帳簿上の資産価値も高く、保有すれば毎期計上される減価償却費も大きくなります。 もっとも、減価償却費とは、車両を保有することで毎年その金額だけ現金が流出する、というものではありません。 車両などの高額な資産について、その取得価額を使用期間に応じて各年度の費用として配分していく、会計上の経費です。 したがって、100系を多く承継すれば直ちに現金が失われるわけではありません。 しかし、毎期の費用計上額は大きくなり、会社の帳簿上の損益を圧迫します。 分割民営化に際しては、JR西日本の発足後の収支を成立させるため、この減価償却費についても調整が図られました。 そこで、 新製間もない100系はJR東海へ。 既に減価償却の進んでいた0系はJR西日本へ。 新幹線車両についても、こうした整理が行われることとなったのです。 ■新型車を持つことが、必ずしも有利とは限らない鉄道趣味の目線では、「新型車を多く持つ会社ほど恵まれている」と捉えがちです。 しかし、会社経営の観点から眺めれば、新しい車両は同時に「高価な資産」でもあります。 JR東海は、東海道新幹線という極めて強力な収益基盤を有する会社として発足しました。...
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1987(昭和62)年4月1日。 国鉄分割民営化によりJR各社が発足し、東海道・山陽新幹線も新大阪を境に、JR東海とJR西日本へと分割されます。 この際、車両はどのように分配されたのでしょうか。 当時の最新鋭車両は、1985(昭和60)年に営業運転を開始した100系。 東京~博多間の「ひかり」に充当され、東海道のみならず、山陽新幹線においても日常的にその姿を見ることができました。 ところがJR発足時、国鉄が製造した100系は全車がJR東海へ。 JR西日本が承継した100系は、1両もありません。 対して同社へ渡ったのは、製造から相当年数を経た0系だけ、でした。 最新型は東海へ。旧型は西日本へ。 一見すれば、いささか偏った分配にも映ります。 しかし、その背景を辿ると、単なる車両配置の都合ではなく、国鉄分割民営化そのものが抱えていた「会社間の収益力の差」が見えてくるのです。 ■東海と西日本では、出発点が違ったJR東海が受け持つこととなった東海道新幹線は、東京・名古屋・大阪という三大都市圏を結ぶ、日本有数の高収益路線です。 対してJR西日本は、山陽新幹線を有する一方、京阪神の都市圏輸送に加え、中国地方をはじめとする広大な在来線網も抱えることとなりました。 したがって、分割民営化の時点から、JR東海とJR西日本とでは将来的な収益力に差が生じることが見込まれていたのです。 国鉄分割民営化に際しては、各社が独立した企業として成り立つよう、長期債務や新幹線施設に係る費用など、さまざまな調整が行われました。 しかし、それでもJR西日本の収支は、JR東海ほど余裕のあるものではないと考えられていました。 そこで、さらに焦点となったのが、「減価償却費」です。 ■100系を持つということ新製間もない100系は、当然ながら帳簿上の資産価値も高く、保有すれば毎期計上される減価償却費も大きくなります。 もっとも、減価償却費とは、車両を保有することで毎年その金額だけ現金が流出する、というものではありません。 車両などの高額な資産について、その取得価額を使用期間に応じて各年度の費用として配分していく、会計上の経費です。 したがって、100系を多く承継すれば直ちに現金が失われるわけではありません。 しかし、毎期の費用計上額は大きくなり、会社の帳簿上の損益を圧迫します。 分割民営化に際しては、JR西日本の発足後の収支を成立させるため、この減価償却費についても調整が図られました。 そこで、 新製間もない100系はJR東海へ。 既に減価償却の進んでいた0系はJR西日本へ。 新幹線車両についても、こうした整理が行われることとなったのです。 ■新型車を持つことが、必ずしも有利とは限らない鉄道趣味の目線では、「新型車を多く持つ会社ほど恵まれている」と捉えがちです。 しかし、会社経営の観点から眺めれば、新しい車両は同時に「高価な資産」でもあります。 JR東海は、東海道新幹線という極めて強力な収益基盤を有する会社として発足しました。...
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【10時打ちが消えていく日】MARSが生んだ一秒の職人技
「10時打ち」かつて、みどりの窓口では当たり前のように聞かれたこの言葉。 数々の人気列車の指定席を求め、多くの人が発売日の朝、駅へ向かいました。 その期待を背負っていたのが、駅員たちの「10時打ち」。時報と同時にMARS端末へ入力し、コンマ数秒を争って指定席を確保する。 その姿は、まさに職人でした。 しかし、その文化は今、大きな転換点を迎えています。昨今、JR各社ではみどりの窓口の統廃合や、ネット予約サービスの拡充が進み、「10時打ち」に対応する窓口そのものが減少しています。 一部では、発売開始時刻の手動操作を受け付けない運用や、駅ごとの対応見直しも進み、「10時打ち」を前提とした指定席購入は、以前より難しくなりました。時代は、確実に変わり始めていますね。 この文化が生まれた背景を少しフォーカスしてみます。 1960年。国鉄は世界初の本格的なコンピュータ座席予約システム、 「MARS(Magnetic-electronic Automatic Reservation System)」を実用化しました。 それまで電話や台帳で管理していた指定席を、コンピュータが一括して管理する。これは当時、世界でも前例のない挑戦でした。 1964年、東海道新幹線が開業すると、その膨大な指定席販売を支えたのもMARSでした。日本は新幹線だけではなく、「きっぷを売る技術」でも世界の最先端を走っていたとも言えます。 そして誕生したのが、「午前10時一斉発売」という仕組み。人気列車では、全国の駅から同時にMARSへアクセスが集中します。 一秒早ければ受付されない。 一秒遅ければ満席。 だから駅員たちは時計を見つめ、時報を聞き、正確無比なタイミングで操作する技術を磨き続けました。 「10時打ちが上手い駅がある。」 「この駅員さんなら取ってくれる。」 そんな言葉が全国で語られたのは、MARSという世界最先端のシステムと、それを使いこなした鉄道人の技術が生み出した文化だったのです。 もちろん、インターネット予約は便利です。 24時間申し込める。駅へ行く必要もない。時代の流れとして、それは自然な進化でしょう。 ですが、その便利さの裏側で、一つの鉄道文化が静かに姿を消しつつあります。みどりの窓口の縮小、省力化。「10時打ち」は、単なる指定席の取り方ではありませんでした。旅立つ誰かのために、一秒を極めた駅員たちの技術。 その技術があったからこそ、「取れましたよ。」という一言に、お客様は笑顔になれたのです。私もその1人でした。 新幹線が世界へ誇る日本の技術なら、MARSは世界へ誇る日本の知恵。そして10時打ちは、世界へ誇る日本の職人技でした。 便利になることは、決して悪いことではありません。でも、その便利さの陰で消えていく技術や文化にも、少しだけ思いを馳せてみませんか。ぜひ皆さんの思い出教えてください。 (マイミー)
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「10時打ち」かつて、みどりの窓口では当たり前のように聞かれたこの言葉。 数々の人気列車の指定席を求め、多くの人が発売日の朝、駅へ向かいました。 その期待を背負っていたのが、駅員たちの「10時打ち」。時報と同時にMARS端末へ入力し、コンマ数秒を争って指定席を確保する。 その姿は、まさに職人でした。 しかし、その文化は今、大きな転換点を迎えています。昨今、JR各社ではみどりの窓口の統廃合や、ネット予約サービスの拡充が進み、「10時打ち」に対応する窓口そのものが減少しています。 一部では、発売開始時刻の手動操作を受け付けない運用や、駅ごとの対応見直しも進み、「10時打ち」を前提とした指定席購入は、以前より難しくなりました。時代は、確実に変わり始めていますね。 この文化が生まれた背景を少しフォーカスしてみます。 1960年。国鉄は世界初の本格的なコンピュータ座席予約システム、 「MARS(Magnetic-electronic Automatic Reservation System)」を実用化しました。 それまで電話や台帳で管理していた指定席を、コンピュータが一括して管理する。これは当時、世界でも前例のない挑戦でした。 1964年、東海道新幹線が開業すると、その膨大な指定席販売を支えたのもMARSでした。日本は新幹線だけではなく、「きっぷを売る技術」でも世界の最先端を走っていたとも言えます。 そして誕生したのが、「午前10時一斉発売」という仕組み。人気列車では、全国の駅から同時にMARSへアクセスが集中します。 一秒早ければ受付されない。 一秒遅ければ満席。 だから駅員たちは時計を見つめ、時報を聞き、正確無比なタイミングで操作する技術を磨き続けました。 「10時打ちが上手い駅がある。」 「この駅員さんなら取ってくれる。」 そんな言葉が全国で語られたのは、MARSという世界最先端のシステムと、それを使いこなした鉄道人の技術が生み出した文化だったのです。 もちろん、インターネット予約は便利です。 24時間申し込める。駅へ行く必要もない。時代の流れとして、それは自然な進化でしょう。 ですが、その便利さの裏側で、一つの鉄道文化が静かに姿を消しつつあります。みどりの窓口の縮小、省力化。「10時打ち」は、単なる指定席の取り方ではありませんでした。旅立つ誰かのために、一秒を極めた駅員たちの技術。 その技術があったからこそ、「取れましたよ。」という一言に、お客様は笑顔になれたのです。私もその1人でした。 新幹線が世界へ誇る日本の技術なら、MARSは世界へ誇る日本の知恵。そして10時打ちは、世界へ誇る日本の職人技でした。 便利になることは、決して悪いことではありません。でも、その便利さの陰で消えていく技術や文化にも、少しだけ思いを馳せてみませんか。ぜひ皆さんの思い出教えてください。 (マイミー)
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【“エイリアン顔”】六兄弟<後編>
■成田空港へ降り立ったE259系2009年。 成田エクスプレスの2代目車両として、E259系が登場します。初代253系から受け継いだ、赤・白・黒の強烈な配色。大きく黒く覆われた運転台窓。そして、頬のような位置に埋め込まれた前照灯。 都市部を走る洗練された特急でありながら、その正面には、どこか感情の読めない不思議な表情があります。2023年からは、シルバーを取り入れた新デザインへ変更。赤を強調した顔から銀色の顔へ変わったことで、エイリアン感はさらに増したようにも見えます。 まさに、“アーバン・エイリアン”。 都会のホームへ音もなく滑り込むその姿には、独特の怖さと美しさが共存しています。 ■異形のDNAをより昇華させたE657系そして2012年。E657系が、常磐線へ投入されます。E259系の基本構造や新技術を取り入れながら、常磐線特急に必要な交直流性能を与えられた車両です。白梅をイメージした、赤みのある白い車体。黒く切り取られた高運転台。 その下には、左右へ大きく離して配置された前照灯。正面から見れば、巨大な黒い頭部から、細い目でこちらを見下ろしているようにも見えます。 しかし、E657系の顔は単なる奇抜なデザインではありません。 踏切事故などから乗務員を守る高運転台。衝突時の安全性を考慮した前頭構造。視認性や整備性まで考えられた灯具類。異形に見えるその顔は、安全性と機能性を追求した結果でもあるのです。 ■中央本線へ帰還した最新型、E353系そして2017年。 異形のDNAは、再びその始まりの地ともいえる中央本線へ帰ってきます。E351系の後継車両として登場したE353系です。大きく黒く覆われた運転台窓。鋭く吊り上がった前照灯。前方へ突き出した、立体的で力強いフロントマスク。 E351系のような丸みを帯びた“生物感”は薄れ、代わりに直線と鋭角を組み合わせた、機械的な顔へと進化しました。例えるなら、E351系が未知の惑星から飛来した生命体なら、E353系はその技術を解析して造られた最新鋭の戦闘型エイリアン。 白を基調とした車体に、あずさバイオレットの帯。シンプルでありながら、正面から迫ってくる姿には明らかな威圧感があります。E351系で採用された制御付き自然振り子方式に代わり、E353系では空気ばね式車体傾斜装置を採用。異形の姿だけでなく、中央本線の曲線を高速で駆け抜けるという使命も、しっかりと受け継いでいます。 E351系からE353系へ。顔つきは大きく変わりました。しかし、高い位置にある黒い運転台窓と、低い位置から睨みつけるような前照灯は健在。E353系は、途絶えたはずの“中央本線エイリアン”の血統を、約20年の時を越えて受け継いだ存在なのです。 ■似ている。しかし同じ血統ではないこの6形式は、すべてが同じ設計を直接受け継いだ兄弟車ではありません。デザインを担当した企業も、車体構造も、使用目的も異なります。 それでも高い位置にある、黒い運転台窓。滑らかに張り出した前頭部。低い位置から、こちらを睨むように光る前照灯。この3つが組み合わさることで、JR東日本独特の“エイリアン顔”が生まれたように思えてなりません。 それは、単なる時代の流行だったのか。それとも、安全性と速度を追求した先に自然と生まれた形だったのか。 答えは分かりません。 ただ一つ言えるのは、国鉄形特急の面影を断ち切り、JR東日本が自らの時代を切り拓こうとした象徴の一つが、この異形のフロントマスクだったということではないでしょうか。 255系が最初に地球へ降り立った1993年から、すでに30年以上。 E351系は姿を消し、255系も臨時運用はあるものの定期運用を退きました。 それでも、E655系、E259系、E657系、E353系は今なお、それぞれの使命を背負って走り続けています。 美しいのか。 怖いのか。 それとも、格好いいのか。 見る人によって、その表情は変わる。しかし、一度見たら決して忘れられない。 もちろん、こんな呼び方をしているのは私だけかもしれません。それでも、この6形式を並べてしまったら、もうそうとしか見えない。 255系、E351系、E655系、E259系、E657系、E353系。 JR東日本が生み出した、異形の特急車両たち。 私は彼らを、勝手にこう呼びたい。...
続きを読む【“エイリアン顔”】六兄弟<後編>
■成田空港へ降り立ったE259系2009年。 成田エクスプレスの2代目車両として、E259系が登場します。初代253系から受け継いだ、赤・白・黒の強烈な配色。大きく黒く覆われた運転台窓。そして、頬のような位置に埋め込まれた前照灯。 都市部を走る洗練された特急でありながら、その正面には、どこか感情の読めない不思議な表情があります。2023年からは、シルバーを取り入れた新デザインへ変更。赤を強調した顔から銀色の顔へ変わったことで、エイリアン感はさらに増したようにも見えます。 まさに、“アーバン・エイリアン”。 都会のホームへ音もなく滑り込むその姿には、独特の怖さと美しさが共存しています。 ■異形のDNAをより昇華させたE657系そして2012年。E657系が、常磐線へ投入されます。E259系の基本構造や新技術を取り入れながら、常磐線特急に必要な交直流性能を与えられた車両です。白梅をイメージした、赤みのある白い車体。黒く切り取られた高運転台。 その下には、左右へ大きく離して配置された前照灯。正面から見れば、巨大な黒い頭部から、細い目でこちらを見下ろしているようにも見えます。 しかし、E657系の顔は単なる奇抜なデザインではありません。 踏切事故などから乗務員を守る高運転台。衝突時の安全性を考慮した前頭構造。視認性や整備性まで考えられた灯具類。異形に見えるその顔は、安全性と機能性を追求した結果でもあるのです。 ■中央本線へ帰還した最新型、E353系そして2017年。 異形のDNAは、再びその始まりの地ともいえる中央本線へ帰ってきます。E351系の後継車両として登場したE353系です。大きく黒く覆われた運転台窓。鋭く吊り上がった前照灯。前方へ突き出した、立体的で力強いフロントマスク。 E351系のような丸みを帯びた“生物感”は薄れ、代わりに直線と鋭角を組み合わせた、機械的な顔へと進化しました。例えるなら、E351系が未知の惑星から飛来した生命体なら、E353系はその技術を解析して造られた最新鋭の戦闘型エイリアン。 白を基調とした車体に、あずさバイオレットの帯。シンプルでありながら、正面から迫ってくる姿には明らかな威圧感があります。E351系で採用された制御付き自然振り子方式に代わり、E353系では空気ばね式車体傾斜装置を採用。異形の姿だけでなく、中央本線の曲線を高速で駆け抜けるという使命も、しっかりと受け継いでいます。 E351系からE353系へ。顔つきは大きく変わりました。しかし、高い位置にある黒い運転台窓と、低い位置から睨みつけるような前照灯は健在。E353系は、途絶えたはずの“中央本線エイリアン”の血統を、約20年の時を越えて受け継いだ存在なのです。 ■似ている。しかし同じ血統ではないこの6形式は、すべてが同じ設計を直接受け継いだ兄弟車ではありません。デザインを担当した企業も、車体構造も、使用目的も異なります。 それでも高い位置にある、黒い運転台窓。滑らかに張り出した前頭部。低い位置から、こちらを睨むように光る前照灯。この3つが組み合わさることで、JR東日本独特の“エイリアン顔”が生まれたように思えてなりません。 それは、単なる時代の流行だったのか。それとも、安全性と速度を追求した先に自然と生まれた形だったのか。 答えは分かりません。 ただ一つ言えるのは、国鉄形特急の面影を断ち切り、JR東日本が自らの時代を切り拓こうとした象徴の一つが、この異形のフロントマスクだったということではないでしょうか。 255系が最初に地球へ降り立った1993年から、すでに30年以上。 E351系は姿を消し、255系も臨時運用はあるものの定期運用を退きました。 それでも、E655系、E259系、E657系、E353系は今なお、それぞれの使命を背負って走り続けています。 美しいのか。 怖いのか。 それとも、格好いいのか。 見る人によって、その表情は変わる。しかし、一度見たら決して忘れられない。 もちろん、こんな呼び方をしているのは私だけかもしれません。それでも、この6形式を並べてしまったら、もうそうとしか見えない。 255系、E351系、E655系、E259系、E657系、E353系。 JR東日本が生み出した、異形の特急車両たち。 私は彼らを、勝手にこう呼びたい。...
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