Mr.DIMER Journal
【列車紹介】383系 特急「しなの」(JR東海 中央線・篠ノ井線・信越線)
おはようございます。 名古屋~長野間を 中央線・篠ノ井線・信越線経由で運転する 特急「しなの」。 列車愛称は、 日本の律令制に基づく 「信濃国(しなののくに)」 (現長野県にあたる)に由来。 これをひらがな読みしたものです。 使用車両は 383系。 "振り子式車両"により、 木曽路や 「日本三大車窓」に 数えられる姨捨(おばすて)の 雄大な景色を楽しみつつ、 山間部を軽快に駆け抜けます。 なお、2029年度中には、 383系に変わって385系量産車を導入する予定。 列車は、基本6両編成、 グリーン車指定席、普通車指定席、 普通車自由席で構成。 土曜休日・連休を中心に 8両または10両編成へと 増結して運転されます。
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おはようございます。 名古屋~長野間を 中央線・篠ノ井線・信越線経由で運転する 特急「しなの」。 列車愛称は、 日本の律令制に基づく 「信濃国(しなののくに)」 (現長野県にあたる)に由来。 これをひらがな読みしたものです。 使用車両は 383系。 "振り子式車両"により、 木曽路や 「日本三大車窓」に 数えられる姨捨(おばすて)の 雄大な景色を楽しみつつ、 山間部を軽快に駆け抜けます。 なお、2029年度中には、 383系に変わって385系量産車を導入する予定。 列車は、基本6両編成、 グリーン車指定席、普通車指定席、 普通車自由席で構成。 土曜休日・連休を中心に 8両または10両編成へと 増結して運転されます。
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【世代交代の"あの時"】イケメン"E233系"と無骨な"201系"
最近、鉄道業界全体を包む 「国鉄時代の終焉」という空気。 思い返してみると、 通勤型電車の世代交代を強く感じた最初の出来事は、 約20年前、E233系の登場時だったように思います。 ■201系との思い出 当時、私は高校生でした。 関東の中央線の顔とも言えた201系が まだまだ現役の時代。 中央線だけでなく、 ・京葉線 ・総武緩行線 ・青梅線 ・五日市線 ・八高線 ・富士急行線 など、様々な路線で活躍していました。 特徴を挙げればキリがありません。 チョッパ制御特有のモーター音。 通称「ギロチンドア」と呼ばれた豪快なドア。 独特のブレーキ緩解音。 どれも今となっては懐かしい、 国鉄電車の"音"と"匂い"です。 私が大好きな電車でした。 115系と並び、 青春時代を共に過ごした車両です。 引退後、 トップナンバーである201-1だけは 長年豊田車両センターに留置されていました。 「鉄道博物館に行くのかな?」...
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最近、鉄道業界全体を包む 「国鉄時代の終焉」という空気。 思い返してみると、 通勤型電車の世代交代を強く感じた最初の出来事は、 約20年前、E233系の登場時だったように思います。 ■201系との思い出 当時、私は高校生でした。 関東の中央線の顔とも言えた201系が まだまだ現役の時代。 中央線だけでなく、 ・京葉線 ・総武緩行線 ・青梅線 ・五日市線 ・八高線 ・富士急行線 など、様々な路線で活躍していました。 特徴を挙げればキリがありません。 チョッパ制御特有のモーター音。 通称「ギロチンドア」と呼ばれた豪快なドア。 独特のブレーキ緩解音。 どれも今となっては懐かしい、 国鉄電車の"音"と"匂い"です。 私が大好きな電車でした。 115系と並び、 青春時代を共に過ごした車両です。 引退後、 トップナンバーである201-1だけは 長年豊田車両センターに留置されていました。 「鉄道博物館に行くのかな?」...
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【列車紹介】E657系 特急「ひたち」(JR東日本 東海道線・東北線・常磐線)
おはようございます。 品川~いわき・仙台間を 東海道線・東北線・常磐線経由で運転する特急「ひたち」。 列車愛称は、 茨城県の旧国名「常陸」から。 これをひらがな読みしたものです。 使用車両は E657系。 列車は、全車指定席とグリーン車で構成。 全席指定ですが、 "座席未指定券"で普通車の空席に着席できます。 全列車10両編成で運転します。 自由席の設定はありません。
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おはようございます。 品川~いわき・仙台間を 東海道線・東北線・常磐線経由で運転する特急「ひたち」。 列車愛称は、 茨城県の旧国名「常陸」から。 これをひらがな読みしたものです。 使用車両は E657系。 列車は、全車指定席とグリーン車で構成。 全席指定ですが、 "座席未指定券"で普通車の空席に着席できます。 全列車10両編成で運転します。 自由席の設定はありません。
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【秘境駅だらけなのに新幹線も走る】残り少ない"211フェイス"に出会う旅
日本屈指の豪雪地帯を進むミニ新幹線。 そして数少ない在来線標準軌区間を走る211顔の719系5000番台。 今回は山形線最大の難所「板谷峠」をご紹介します。 青森〜福島を結ぶ奥羽本線。 そのうち福島〜新庄間は、新幹線直通列車を「山形新幹線」、普通列車を通称「山形線」と呼びます。 福島方の庭坂駅を発車すると、列車はいよいよ奥羽山脈へ。 最大38‰という急勾配が待ち受ける板谷峠に挑みます。 かつてこの峠には、EF71形やED78形といった名機たちが活躍しました。 豪雪、急勾配、落葉による空転。 板谷峠は昔も今も、"鉄道マン泣かせ"の難所です。 1992年、山形新幹線開業に合わせて標準軌へ改軌。 普通列車には719系5000番台が投入されました。 基本は2両編成ですが、秋の落葉や冬の豪雪時などには4両編成で運転し出力増強の空転対策をしてるそうです。 今の時代に、ここまで自然と真正面から向き合う路線も少なくなりました。 そして板谷峠には、もうひとつの魅力があります。 それはスイッチバックの遺構。 かつて存在した赤岩・板谷・峠・大沢の4駅。 赤岩駅は廃止されてしまいましたが、板谷駅、峠駅、大沢駅には今もその面影が残されています。 中でも峠駅は全国でも有名な秘境駅。 静寂の中に聞こえる風の音。 そして時折通過する山形新幹線。 あの独特の空気感は、一度味わうと忘れられません。 ただし普通列車の本数はかなり少なめ。 私は何も考えずに行ってしまい、見事に長時間待ちぼうけしました(笑) それも今となっては良い思い出です。 719系5000番台も今年の秋に置換の話が聞こえ始めました。 東日本の211顔も、気が付けば少数派。 当たり前だった景色は、いつまでも続きません。 スイッチバックの遺構と、719系5000番台。 そして豪雪の板谷峠。...
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日本屈指の豪雪地帯を進むミニ新幹線。 そして数少ない在来線標準軌区間を走る211顔の719系5000番台。 今回は山形線最大の難所「板谷峠」をご紹介します。 青森〜福島を結ぶ奥羽本線。 そのうち福島〜新庄間は、新幹線直通列車を「山形新幹線」、普通列車を通称「山形線」と呼びます。 福島方の庭坂駅を発車すると、列車はいよいよ奥羽山脈へ。 最大38‰という急勾配が待ち受ける板谷峠に挑みます。 かつてこの峠には、EF71形やED78形といった名機たちが活躍しました。 豪雪、急勾配、落葉による空転。 板谷峠は昔も今も、"鉄道マン泣かせ"の難所です。 1992年、山形新幹線開業に合わせて標準軌へ改軌。 普通列車には719系5000番台が投入されました。 基本は2両編成ですが、秋の落葉や冬の豪雪時などには4両編成で運転し出力増強の空転対策をしてるそうです。 今の時代に、ここまで自然と真正面から向き合う路線も少なくなりました。 そして板谷峠には、もうひとつの魅力があります。 それはスイッチバックの遺構。 かつて存在した赤岩・板谷・峠・大沢の4駅。 赤岩駅は廃止されてしまいましたが、板谷駅、峠駅、大沢駅には今もその面影が残されています。 中でも峠駅は全国でも有名な秘境駅。 静寂の中に聞こえる風の音。 そして時折通過する山形新幹線。 あの独特の空気感は、一度味わうと忘れられません。 ただし普通列車の本数はかなり少なめ。 私は何も考えずに行ってしまい、見事に長時間待ちぼうけしました(笑) それも今となっては良い思い出です。 719系5000番台も今年の秋に置換の話が聞こえ始めました。 東日本の211顔も、気が付けば少数派。 当たり前だった景色は、いつまでも続きません。 スイッチバックの遺構と、719系5000番台。 そして豪雪の板谷峠。...
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【廃線跡探訪】通称、横軽(ヨコカル)
廃線跡を語る上では、 絶対に"外せない場所"。 信越本線 碓氷峠、 通称「横軽」。 最急勾配66.7‰という、 日本でも指折りの難所でした。 明治26年にアプト式鉄道として開業し、 平成9年の長野新幹線開業に伴い廃止となるまで、 横軽は日本屈指の山岳鉄道路線として活躍しました。 その急勾配区間を走破する列車群を支えたのが、 専用補機として活躍したEF63形電気機関車。 「峠のシェルパ」とも呼ばれ、 横川~軽井沢間の輸送を支えたことは有名な話です。 さて今回は、 私が何度も足を運んだ"横軽"の見どころをご紹介します。 まずは横軽の玄関口、 「横川駅」 廃線跡探訪はここから始まります。 今は無き4番線特急ホームにはフェンスが設置されていますが、 線路は今も残されており、 かつて189系特急「あさま」とEF63が連結し、 峠越えへ挑んだ面影を見ることができます。 一方で、 かつて広がっていた側線群はすべて撤去され、 現在は駐車場となっています。 駅を出て長野方へ進むと、 かつての横川機関区跡地に整備された 「碓氷峠鉄道文化むら」 があります。...
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廃線跡を語る上では、 絶対に"外せない場所"。 信越本線 碓氷峠、 通称「横軽」。 最急勾配66.7‰という、 日本でも指折りの難所でした。 明治26年にアプト式鉄道として開業し、 平成9年の長野新幹線開業に伴い廃止となるまで、 横軽は日本屈指の山岳鉄道路線として活躍しました。 その急勾配区間を走破する列車群を支えたのが、 専用補機として活躍したEF63形電気機関車。 「峠のシェルパ」とも呼ばれ、 横川~軽井沢間の輸送を支えたことは有名な話です。 さて今回は、 私が何度も足を運んだ"横軽"の見どころをご紹介します。 まずは横軽の玄関口、 「横川駅」 廃線跡探訪はここから始まります。 今は無き4番線特急ホームにはフェンスが設置されていますが、 線路は今も残されており、 かつて189系特急「あさま」とEF63が連結し、 峠越えへ挑んだ面影を見ることができます。 一方で、 かつて広がっていた側線群はすべて撤去され、 現在は駐車場となっています。 駅を出て長野方へ進むと、 かつての横川機関区跡地に整備された 「碓氷峠鉄道文化むら」 があります。...
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