Mr.DIMER Journal

【みんな大嫌い?】鉄道員を苦しめた“クレペリン検査”延々と足し算する本当の理由

【みんな大嫌い?】鉄道員を苦しめた“クレペリン検査”延々と足し算する本当の理由

鉄道会社の採用試験を受けたことがある人なら、この名前を聞くだけで、ちょっと嫌な記憶が蘇るかもしれません。 「内田クレペリン検査」。 紙いっぱいに並んだ数字。隣り合う一桁の数字を足して、答えの一の位だけを書いていく。 そして1分経つと、「はい、次!」次の行へ。 また足す。また足す。ひたすら足す。 前半15分。休憩を挟んで、後半15分。 合計30分。 やっていること自体は、小学生でもできる足し算です。 なのに、これが妙にしんどい。 途中から数字が数字に見えなくなり、鉛筆を持つ手も重くなってくる。鉄道を目指した人なら、 「もう二度とやりたくない」 そんな感想を持った人も、少なくないのではないでしょうか。 しかし。 この検査、単に“計算が速い人”を探しているわけではありません。 そもそも、内田クレペリン検査はドイツの精神医学者エミール・クレペリンの研究に着想を得て、心理学者・内田勇三郎が日本で開発したもの。 そして鉄道との関係は、かなり古い。 戦後間もない1948年には、国鉄で運転適性検査として本格的に導入されています。 つまり、古くから鉄道員にとってクレペリンは、かなり昔から“お馴染み”の存在だったわけです。 では、あの数字の海から何を見ているのか。 ポイントは、何問解けたかだけではありません。 全体の作業量。間違い方。 そして、1分ごとの作業量がどう変化したか。 いわゆる「作業曲線」です。 最初は勢いよく進む。 少し落ちる。 また持ち直す。 あるいは、途中で大きく乱れる。単純な足し算を一定時間続けさせることで、質問票では見えにくい“作業するときのクセ”が現れてくる。 だから、一桁の足し算なんです。 難しい計算にしてしまえば、数学力や知識の差が入り込む。 逆に簡単すぎれば、負荷にならない。...

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【みんな大嫌い?】鉄道員を苦しめた“クレペリン検査”延々と足し算する本当の理由

鉄道会社の採用試験を受けたことがある人なら、この名前を聞くだけで、ちょっと嫌な記憶が蘇るかもしれません。 「内田クレペリン検査」。 紙いっぱいに並んだ数字。隣り合う一桁の数字を足して、答えの一の位だけを書いていく。 そして1分経つと、「はい、次!」次の行へ。 また足す。また足す。ひたすら足す。 前半15分。休憩を挟んで、後半15分。 合計30分。 やっていること自体は、小学生でもできる足し算です。 なのに、これが妙にしんどい。 途中から数字が数字に見えなくなり、鉛筆を持つ手も重くなってくる。鉄道を目指した人なら、 「もう二度とやりたくない」 そんな感想を持った人も、少なくないのではないでしょうか。 しかし。 この検査、単に“計算が速い人”を探しているわけではありません。 そもそも、内田クレペリン検査はドイツの精神医学者エミール・クレペリンの研究に着想を得て、心理学者・内田勇三郎が日本で開発したもの。 そして鉄道との関係は、かなり古い。 戦後間もない1948年には、国鉄で運転適性検査として本格的に導入されています。 つまり、古くから鉄道員にとってクレペリンは、かなり昔から“お馴染み”の存在だったわけです。 では、あの数字の海から何を見ているのか。 ポイントは、何問解けたかだけではありません。 全体の作業量。間違い方。 そして、1分ごとの作業量がどう変化したか。 いわゆる「作業曲線」です。 最初は勢いよく進む。 少し落ちる。 また持ち直す。 あるいは、途中で大きく乱れる。単純な足し算を一定時間続けさせることで、質問票では見えにくい“作業するときのクセ”が現れてくる。 だから、一桁の足し算なんです。 難しい計算にしてしまえば、数学力や知識の差が入り込む。 逆に簡単すぎれば、負荷にならない。...

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【令和よ?!】“0系が味わえる車両”、キハ54急行仕様

【令和よ?!】“0系が味わえる車両”、キハ54急行仕様

<令和の世に0系新幹線を味わえる車両がある?> 言わずもがな、0系新幹線そのものではありません。 JR北海道のキハ54形、その中でもわずか3両だけに存在する“急行仕様車”が0系を味わえるのです。 ■急行「礼文」のために生まれた3両 国鉄末期の1986年。 北海道向けに登場したキハ54形500番台のうち、 527528529 3両だけは、旭川―稚内間を結んでいた急行「礼文」への充当を前提とした特別仕様で製造されました。 客室中央部に並ぶ転換クロスシートが一般仕様車との最大の違いです。 ■その座席は"中古品" この車両に用いられている転換クロスシートは、中古品。 使われているのは、廃車となった0系新幹線から取り外されたモノ。 つまり、東海道・山陽新幹線を走っていた車両の座席が、北海道の気動車へと移植されたものです。 国鉄末期は、新車を造りながらも使用可能な部品を徹底的に再利用した時代。 キハ54形自体も、当初は台車や変速機などに廃車発生品を活用していました。 そして急行仕様車では、その転用が客室設備にまで及んでいる、ということになります。 ■今も現役のキハ54 急行「礼文」は2000年に廃止。 3両も、その後は普通列車などで他のキハ54形とともに使用されるようになりました。 車内も混雑対策によって一部がロングシート化され、登場時そのままではありません。 それでも、0系由来の転換クロスシートは残っています。 さらに驚くべきは、2026年になってもこの急行仕様車が現役であること。 同年4月には、キハ54 527+528を使用した宗谷本線の貸切急行列車まで運転されました。 昭和の新幹線で使われた"座席"に、令和の北海道で、いまなお座ることができる。 0系そのものは、2008年に営業運転を終えましたが、しかし、その一部は、 遠く北海道の地で、キハ54形の車内に今なお生き続けています。 (Mr.DIMER編集長)

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【令和よ?!】“0系が味わえる車両”、キハ54急行仕様

<令和の世に0系新幹線を味わえる車両がある?> 言わずもがな、0系新幹線そのものではありません。 JR北海道のキハ54形、その中でもわずか3両だけに存在する“急行仕様車”が0系を味わえるのです。 ■急行「礼文」のために生まれた3両 国鉄末期の1986年。 北海道向けに登場したキハ54形500番台のうち、 527528529 3両だけは、旭川―稚内間を結んでいた急行「礼文」への充当を前提とした特別仕様で製造されました。 客室中央部に並ぶ転換クロスシートが一般仕様車との最大の違いです。 ■その座席は"中古品" この車両に用いられている転換クロスシートは、中古品。 使われているのは、廃車となった0系新幹線から取り外されたモノ。 つまり、東海道・山陽新幹線を走っていた車両の座席が、北海道の気動車へと移植されたものです。 国鉄末期は、新車を造りながらも使用可能な部品を徹底的に再利用した時代。 キハ54形自体も、当初は台車や変速機などに廃車発生品を活用していました。 そして急行仕様車では、その転用が客室設備にまで及んでいる、ということになります。 ■今も現役のキハ54 急行「礼文」は2000年に廃止。 3両も、その後は普通列車などで他のキハ54形とともに使用されるようになりました。 車内も混雑対策によって一部がロングシート化され、登場時そのままではありません。 それでも、0系由来の転換クロスシートは残っています。 さらに驚くべきは、2026年になってもこの急行仕様車が現役であること。 同年4月には、キハ54 527+528を使用した宗谷本線の貸切急行列車まで運転されました。 昭和の新幹線で使われた"座席"に、令和の北海道で、いまなお座ることができる。 0系そのものは、2008年に営業運転を終えましたが、しかし、その一部は、 遠く北海道の地で、キハ54形の車内に今なお生き続けています。 (Mr.DIMER編集長)

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【新品ほどダサい?】なぜベテラン鉄道員の制帽は“潰れている”のか

【新品ほどダサい?】なぜベテラン鉄道員の制帽は“潰れている”のか

鉄道員の制服。その中でも、特に個性が出るモノ。 「制帽」です。 若い駅員さんは、帽子の山がピシッと立っている。 ところがベテランになると、なぜか潰れている人が多い。 前を少し落としたり、クラウンを低くしたり、人によっては完全に“自分の形”。 「あれ、わざとやってるの?」 ハイ。 わざとです。 勿論のこと、鉄道会社が「制帽を潰して被れ」なんて教えているわけではありません。本来は制服の一部。 決められた形のものを、きちんと着用するのが基本です。 では、なぜ。 特にベテラン鉄道員や、昔の写真に写る鉄道員たちは、あんな“くたびれた制帽”を被っているのでしょう。 まず一つは、「とにかく毎日使うから。」 被る。 脱ぐ。 しまう。 また被る。 駅員も乗務員も、勤務場所によっては一日に何度も着脱します。 何年も使えば、新品のカチッとした帽子も、少しずつ柔らかくなる。 使えば使うほど形は変わる。でもそれだけじゃない。 昔の鉄道写真を眺めていると、同じ制服、同じ制帽なのに、 深く被る人。 浅く乗せる人。 前を低くする人。 山を寝かせたように見える人。明らかに、被ったときの“表情”が違います。 そこに長年の使用が加わり、制帽が本人の頭に馴染んでいく。 新品の帽子より、少し潰れた帽子の方が、妙にベテランっぽく見える。 だから今回、「新品ほどダサい?」なんてタイトルにしました。 とかくいう私は、ぺちゃんこに潰す派でした。 もちろん、新品が本当にダサいわけじゃありません。私は中古は嫌ですが、サラの、あの綺麗すぎる形も苦手でした。...

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【新品ほどダサい?】なぜベテラン鉄道員の制帽は“潰れている”のか

鉄道員の制服。その中でも、特に個性が出るモノ。 「制帽」です。 若い駅員さんは、帽子の山がピシッと立っている。 ところがベテランになると、なぜか潰れている人が多い。 前を少し落としたり、クラウンを低くしたり、人によっては完全に“自分の形”。 「あれ、わざとやってるの?」 ハイ。 わざとです。 勿論のこと、鉄道会社が「制帽を潰して被れ」なんて教えているわけではありません。本来は制服の一部。 決められた形のものを、きちんと着用するのが基本です。 では、なぜ。 特にベテラン鉄道員や、昔の写真に写る鉄道員たちは、あんな“くたびれた制帽”を被っているのでしょう。 まず一つは、「とにかく毎日使うから。」 被る。 脱ぐ。 しまう。 また被る。 駅員も乗務員も、勤務場所によっては一日に何度も着脱します。 何年も使えば、新品のカチッとした帽子も、少しずつ柔らかくなる。 使えば使うほど形は変わる。でもそれだけじゃない。 昔の鉄道写真を眺めていると、同じ制服、同じ制帽なのに、 深く被る人。 浅く乗せる人。 前を低くする人。 山を寝かせたように見える人。明らかに、被ったときの“表情”が違います。 そこに長年の使用が加わり、制帽が本人の頭に馴染んでいく。 新品の帽子より、少し潰れた帽子の方が、妙にベテランっぽく見える。 だから今回、「新品ほどダサい?」なんてタイトルにしました。 とかくいう私は、ぺちゃんこに潰す派でした。 もちろん、新品が本当にダサいわけじゃありません。私は中古は嫌ですが、サラの、あの綺麗すぎる形も苦手でした。...

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【"のぞみ時代"を知らない世代】"鉄道キッズ"にとっての500系とは。

【"のぞみ時代"を知らない世代】"鉄道キッズ"にとっての500系とは。

500系新幹線――。 この名を聞いて、皆さまはどのような姿を思い浮かべるでしょうか。 時速300kmで山陽路を駆け抜け、東京―博多間を結んだ16両編成の「のぞみ」。 鋭く伸びたロングノーズに、円筒形の車体。 1997年に営業運転を開始した500系は、速さを追求した新幹線の到達点でした。 しかし、この姿を実際に知る世代は、いつの間にか少数派になりつつあります。 500系が「のぞみ」の運用を終えたのは、2010年2月。 2026年現在の高校生以下は、その多くが500系「のぞみ」の記憶を持たない世代です。 現在の鉄道キッズにとって、500系は16両編成の最速列車ではありません。 新大阪―博多間を走る、8両編成の「こだま」。 通過線を高速で駆け抜ける存在ではなく、各駅に停まりながら、後続の「のぞみ」や「みずほ」に道を譲る新幹線です。 プラレールカー、500 TYPE EVA、そしてハローキティ新幹線。 500系「こだま」には、子どもたちを意識した企画列車も多く登場しました。 かつて速達性の象徴であった車両が、今度は“乗ること自体が目的となる新幹線”として、新しい世代の記憶を育んできたのです。 大人たちが500系に見ているのは、世界最速に並んだ時代の残像。 一方、子どもたちが見ているのは、少し珍しくて、抜群に格好よい「こだま」なのかもしれません。 同じ車両でありながら、世代によって原風景はまるで異なります。 もっとも、500系が「のぞみ」であった歴史を知らなくても、その長い鼻と円筒形の車体を見れば、何か尋常ではないものを感じ取るはず!。 各駅停車となってなお、速さを求めて生まれた造形までは、隠し切ることができません。 鉄道キッズが大人になった頃、500系をどのように語るのでしょうか。 「昔、500系という格好いい“こだま”が走っていた」 私たちとは正反対の入口から始まる500系の思い出もまた、紛れもない同車の歴史なのです。 ときに。こう言うのを"ジェネレーションギャップ"(大人側は結構ドキッとさせられる)と言うのでしょうね。 ※500系新幹線電車は1997年に営業運転を開始し、2008年から8両編成化、2010年2月に「のぞみ」運用を終了しました。 (Mr.DIMER編集長)

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【"のぞみ時代"を知らない世代】"鉄道キッズ"にとっての500系とは。

500系新幹線――。 この名を聞いて、皆さまはどのような姿を思い浮かべるでしょうか。 時速300kmで山陽路を駆け抜け、東京―博多間を結んだ16両編成の「のぞみ」。 鋭く伸びたロングノーズに、円筒形の車体。 1997年に営業運転を開始した500系は、速さを追求した新幹線の到達点でした。 しかし、この姿を実際に知る世代は、いつの間にか少数派になりつつあります。 500系が「のぞみ」の運用を終えたのは、2010年2月。 2026年現在の高校生以下は、その多くが500系「のぞみ」の記憶を持たない世代です。 現在の鉄道キッズにとって、500系は16両編成の最速列車ではありません。 新大阪―博多間を走る、8両編成の「こだま」。 通過線を高速で駆け抜ける存在ではなく、各駅に停まりながら、後続の「のぞみ」や「みずほ」に道を譲る新幹線です。 プラレールカー、500 TYPE EVA、そしてハローキティ新幹線。 500系「こだま」には、子どもたちを意識した企画列車も多く登場しました。 かつて速達性の象徴であった車両が、今度は“乗ること自体が目的となる新幹線”として、新しい世代の記憶を育んできたのです。 大人たちが500系に見ているのは、世界最速に並んだ時代の残像。 一方、子どもたちが見ているのは、少し珍しくて、抜群に格好よい「こだま」なのかもしれません。 同じ車両でありながら、世代によって原風景はまるで異なります。 もっとも、500系が「のぞみ」であった歴史を知らなくても、その長い鼻と円筒形の車体を見れば、何か尋常ではないものを感じ取るはず!。 各駅停車となってなお、速さを求めて生まれた造形までは、隠し切ることができません。 鉄道キッズが大人になった頃、500系をどのように語るのでしょうか。 「昔、500系という格好いい“こだま”が走っていた」 私たちとは正反対の入口から始まる500系の思い出もまた、紛れもない同車の歴史なのです。 ときに。こう言うのを"ジェネレーションギャップ"(大人側は結構ドキッとさせられる)と言うのでしょうね。 ※500系新幹線電車は1997年に営業運転を開始し、2008年から8両編成化、2010年2月に「のぞみ」運用を終了しました。 (Mr.DIMER編集長)

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【国鉄型魔改造列車特集Vol.10】14系・「みやび」華々しく生まれ、わずか8か月で消えた和式客車

【国鉄型魔改造列車特集Vol.10】14系・「みやび」華々しく生まれ、わずか8か月で消えた和式客車

国鉄末期。全国では、12系や14系など既存の客車を大胆に改造した“ジョイフルトレイン”が次々と登場していました。 欧風客車、和式客車、展望車。単に目的地まで運ぶだけではなく、「列車に乗ることそのもの」を商品にしようとしていた時代です。 そんな中、1986年4月1日に大阪鉄道管理局から登場したのが、14系客車を改造した和式客車「みやび」でした。 ところが、この列車に与えられた時間は、あまりにも短かったのです。 種車はスハフ14形2両とオハ14形5両。1986年2月から4月にかけて鷹取工場で改造され、スロフ14 801・802、オロ14 801〜805の7両編成となりました。 ここで面白いのが、当時の和式客車といえば12系改造車が主流だったことです。 「なごやか」「旅路」「白樺」「江戸」など、各地で12系を種車にしたお座敷列車が登場していました。そこへ、特急形客車の14系を持ってきた。14系改造では初となる和式客車でした。 しかも「みやび」は、ただ座席を外して畳を敷いただけではありません。 最大の特徴は掘りごたつ式の客室。従来のお座敷列車とは違い、畳の下へ足を下ろせる構造を採り入れました。 さらに編成には和風サロン、そして日本庭園まで設けられていました。 特急用客車の車内に、日本庭園。いま聞いても相当思い切った改造です。 国鉄末期に各地で競うように誕生したジョイフルトレインの中でも、「和」を前面に押し出した編成でした。 その流れを関西で見ると、1983年には同じ14系から欧風客車「サロンカーなにわ」が登場しています。 つまり大阪局にとって14系のジョイフルトレイン化は、「みやび」が最初ではありませんでした。ただし今度は欧風ではなく、徹底して“和”へ振った。 同じ14系でも、片や欧風サロン、片や掘りごたつ付きのお座敷列車。 国鉄末期の改造車が面白いのは、同じ種車からまったく違う列車を作ってしまうところです。 「新車を造る」のではなく、「いまある車両を使って新しい旅を作る」。 まさに、このシリーズでいう“魔改造”そのものだったと言えるでしょう。 営業運転開始は1986年4月1日。国鉄分割民営化まで、ちょうど1年を切った頃です。 普通なら、ここから国鉄最後の時代を走り、JR西日本へ引き継がれ、その後も団体列車として活躍していく。そんな未来を想像します。 しかし「みやび」は、その未来を見ることができませんでした。1986年12月28日。 「みやび」は山陰本線を香住から浜坂へ回送中、余部鉄橋へ差しかかります。この日は日本海側で強風が吹いていました。 午後1時25分頃、瞬間最大風速33mの突風にあおられ、客車7両が鉄橋から転落。その一部が直下の水産加工場を直撃しました。 この事故で、工場で働いていた5人と列車の車掌1人、合わせて6人が亡くなり、6人が重軽傷を負いました。華々しく登場した「みやび」は、営業開始からわずか8か月余りで、あまりにも痛ましい事故により、その生涯を突然絶たれることになります。 事故後、7両は復旧されることなく、1987年2月に全車廃車。国鉄分割民営化は、そのわずか2か月後でした。 つまり「みやび」は、国鉄最後の年に登場しながら、JRの車籍を一度も持たなかったジョイフルトレインでもあります。 そして、この事故は鉄道の強風対策にも大きな影響を与えました。 余部鉄橋では列車規制風速が25m/sから20m/sへ強化され、強風警報時の取り扱いや風速計と信号設備の連動など、再発防止策が進められました。...

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【国鉄型魔改造列車特集Vol.10】14系・「みやび」華々しく生まれ、わずか8か月で消えた和式客車

国鉄末期。全国では、12系や14系など既存の客車を大胆に改造した“ジョイフルトレイン”が次々と登場していました。 欧風客車、和式客車、展望車。単に目的地まで運ぶだけではなく、「列車に乗ることそのもの」を商品にしようとしていた時代です。 そんな中、1986年4月1日に大阪鉄道管理局から登場したのが、14系客車を改造した和式客車「みやび」でした。 ところが、この列車に与えられた時間は、あまりにも短かったのです。 種車はスハフ14形2両とオハ14形5両。1986年2月から4月にかけて鷹取工場で改造され、スロフ14 801・802、オロ14 801〜805の7両編成となりました。 ここで面白いのが、当時の和式客車といえば12系改造車が主流だったことです。 「なごやか」「旅路」「白樺」「江戸」など、各地で12系を種車にしたお座敷列車が登場していました。そこへ、特急形客車の14系を持ってきた。14系改造では初となる和式客車でした。 しかも「みやび」は、ただ座席を外して畳を敷いただけではありません。 最大の特徴は掘りごたつ式の客室。従来のお座敷列車とは違い、畳の下へ足を下ろせる構造を採り入れました。 さらに編成には和風サロン、そして日本庭園まで設けられていました。 特急用客車の車内に、日本庭園。いま聞いても相当思い切った改造です。 国鉄末期に各地で競うように誕生したジョイフルトレインの中でも、「和」を前面に押し出した編成でした。 その流れを関西で見ると、1983年には同じ14系から欧風客車「サロンカーなにわ」が登場しています。 つまり大阪局にとって14系のジョイフルトレイン化は、「みやび」が最初ではありませんでした。ただし今度は欧風ではなく、徹底して“和”へ振った。 同じ14系でも、片や欧風サロン、片や掘りごたつ付きのお座敷列車。 国鉄末期の改造車が面白いのは、同じ種車からまったく違う列車を作ってしまうところです。 「新車を造る」のではなく、「いまある車両を使って新しい旅を作る」。 まさに、このシリーズでいう“魔改造”そのものだったと言えるでしょう。 営業運転開始は1986年4月1日。国鉄分割民営化まで、ちょうど1年を切った頃です。 普通なら、ここから国鉄最後の時代を走り、JR西日本へ引き継がれ、その後も団体列車として活躍していく。そんな未来を想像します。 しかし「みやび」は、その未来を見ることができませんでした。1986年12月28日。 「みやび」は山陰本線を香住から浜坂へ回送中、余部鉄橋へ差しかかります。この日は日本海側で強風が吹いていました。 午後1時25分頃、瞬間最大風速33mの突風にあおられ、客車7両が鉄橋から転落。その一部が直下の水産加工場を直撃しました。 この事故で、工場で働いていた5人と列車の車掌1人、合わせて6人が亡くなり、6人が重軽傷を負いました。華々しく登場した「みやび」は、営業開始からわずか8か月余りで、あまりにも痛ましい事故により、その生涯を突然絶たれることになります。 事故後、7両は復旧されることなく、1987年2月に全車廃車。国鉄分割民営化は、そのわずか2か月後でした。 つまり「みやび」は、国鉄最後の年に登場しながら、JRの車籍を一度も持たなかったジョイフルトレインでもあります。 そして、この事故は鉄道の強風対策にも大きな影響を与えました。 余部鉄橋では列車規制風速が25m/sから20m/sへ強化され、強風警報時の取り扱いや風速計と信号設備の連動など、再発防止策が進められました。...

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【眉唾モノ】初代・東北新幹線カラーも、"ハイライト"譲り?!

【眉唾モノ】初代・東北新幹線カラーも、"ハイライト"譲り?!

初代・東海道新幹線"0系"。 白地に青帯のスタイルは、その比率や様式を変えながらも、今日の最新車両にまで受け継がれる伝統のカラーリング。 このデザイン、タバコ「ハイライト」のパッケージからインスピレーションを得た――。 その逸話は、あまりにも有名です。 では。 初代・東北新幹線"200系"は、一体何からインスピレーションを得たのでしょうか。 それは同じく、ハイライト。 より正確に言うなれば、緑色の「ハイライト・メンソール」。 サムネイルをご覧下さい。 青と白を基調とした、通常のハイライト。 これに対して、ハイライト・メンソールは、その基本意匠を踏襲しつつ、青を緑へと置き換えたパッケージです。 そして新幹線もまた、 東海道新幹線の0系は、アイボリーホワイトの車体に青い帯。 東北・上越新幹線の200系は、クリーム色の車体に緑の帯。 並べてみれば、その配色に共通点があります。 詰まるところ、 東海道新幹線は、ハイライトから。 そして、東北新幹線は、ハイライト・メンソールから。 それぞれヒントを得た。 ――と、言いたいところなのですが。 ハイライト・メンソールが発売されたのは、2004年。 東北新幹線が開業した1982年から、実に22年後のことでした。 時系列が合いません。 はい。 この話は、完全なる眉唾。 200系の緑帯は、雪国に訪れる春と、雪解けの大地から芽吹く新芽を表現したものとされています。 ただ、裏を返せば、 0系新幹線が参考にしたとされるハイライトが、 今度は200系新幹線のカラーリングを参考にして、メンソール版を生み出した――。 とは、言えなくもないのでは。と。...

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【眉唾モノ】初代・東北新幹線カラーも、"ハイライト"譲り?!

初代・東海道新幹線"0系"。 白地に青帯のスタイルは、その比率や様式を変えながらも、今日の最新車両にまで受け継がれる伝統のカラーリング。 このデザイン、タバコ「ハイライト」のパッケージからインスピレーションを得た――。 その逸話は、あまりにも有名です。 では。 初代・東北新幹線"200系"は、一体何からインスピレーションを得たのでしょうか。 それは同じく、ハイライト。 より正確に言うなれば、緑色の「ハイライト・メンソール」。 サムネイルをご覧下さい。 青と白を基調とした、通常のハイライト。 これに対して、ハイライト・メンソールは、その基本意匠を踏襲しつつ、青を緑へと置き換えたパッケージです。 そして新幹線もまた、 東海道新幹線の0系は、アイボリーホワイトの車体に青い帯。 東北・上越新幹線の200系は、クリーム色の車体に緑の帯。 並べてみれば、その配色に共通点があります。 詰まるところ、 東海道新幹線は、ハイライトから。 そして、東北新幹線は、ハイライト・メンソールから。 それぞれヒントを得た。 ――と、言いたいところなのですが。 ハイライト・メンソールが発売されたのは、2004年。 東北新幹線が開業した1982年から、実に22年後のことでした。 時系列が合いません。 はい。 この話は、完全なる眉唾。 200系の緑帯は、雪国に訪れる春と、雪解けの大地から芽吹く新芽を表現したものとされています。 ただ、裏を返せば、 0系新幹線が参考にしたとされるハイライトが、 今度は200系新幹線のカラーリングを参考にして、メンソール版を生み出した――。 とは、言えなくもないのでは。と。...

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