Mr.DIMER Journal
【寝台特急じゃない】急行「はまなす」・最後の定期急行が残したもの
夜の青森駅。ホームに滑り込んでくる、青い14系客車。行先は札幌。 急行「はまなす」。 寝台車をつないで、青函トンネルを越えて、翌朝には北海道。 やっていることだけ見れば、ほとんど“寝台特急”です。 それなのに、最後まで「急行」。 私は、そこがこの列車の一番好きなところです。 「青函トンネルと一緒に生まれた」 「はまなす」が走り始めたのは、1988年3月13日。青函トンネルが開業した、まさにその日でした。 それまで、本州と北海道の夜をつないでいたのは青函連絡船。その役割を鉄路で引き継ぐように、青森~札幌間に夜行急行「はまなす」が誕生します。青森を夜に出て、 函館、長万部、東室蘭、苫小牧。 そして朝には札幌。逆方向も同じです。 今思えば、「夜に乗って、朝には北海道」なんて、とんでもなく贅沢な移動だったと思います。 「寝台もある。座席もある。」 「はまなす」は、いわゆる豪華寝台列車ではありません。基本は14系座席車。そこにB寝台車がつながり、 さらに、横になって眠れるカーペットカー。リクライニングシートのドリームカー。 そして普通の自由席。寝たい人は寝台。少し快適に行きたい人は指定席。安く渡りたい人は自由席。 なんというか、夜行列車に必要なものを全部ひとつの列車へ詰め込んだような編成でした。こういうの、私は妙に好きなんですよね。 豪華さではなく、“ちゃんと旅客列車として便利”。そこに徹している感じがする。 繁忙期には増結され、長い編成で北海道の夜を走っていました。 「なぜ寝台特急じゃないのか」 これが面白い。 寝台車がついている。長距離を走る。夜を越える。 なのに、寝台特急ではない。 最後まで、 “急行はまなす”。 そもそも、寝台車を連結しているから寝台特急になるわけではありません。 「はまなす」は、あくまで座席車主体の夜行急行。寝台も選べる。 それが、この列車の立ち位置でした。「北斗星」や「カシオペア」が、旅そのものを楽しむ列車だったとすれば、「はまなす」は、もっと生活に近い。 もっと実用的。 夜に乗って、朝には目的地へ着く。...
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夜の青森駅。ホームに滑り込んでくる、青い14系客車。行先は札幌。 急行「はまなす」。 寝台車をつないで、青函トンネルを越えて、翌朝には北海道。 やっていることだけ見れば、ほとんど“寝台特急”です。 それなのに、最後まで「急行」。 私は、そこがこの列車の一番好きなところです。 「青函トンネルと一緒に生まれた」 「はまなす」が走り始めたのは、1988年3月13日。青函トンネルが開業した、まさにその日でした。 それまで、本州と北海道の夜をつないでいたのは青函連絡船。その役割を鉄路で引き継ぐように、青森~札幌間に夜行急行「はまなす」が誕生します。青森を夜に出て、 函館、長万部、東室蘭、苫小牧。 そして朝には札幌。逆方向も同じです。 今思えば、「夜に乗って、朝には北海道」なんて、とんでもなく贅沢な移動だったと思います。 「寝台もある。座席もある。」 「はまなす」は、いわゆる豪華寝台列車ではありません。基本は14系座席車。そこにB寝台車がつながり、 さらに、横になって眠れるカーペットカー。リクライニングシートのドリームカー。 そして普通の自由席。寝たい人は寝台。少し快適に行きたい人は指定席。安く渡りたい人は自由席。 なんというか、夜行列車に必要なものを全部ひとつの列車へ詰め込んだような編成でした。こういうの、私は妙に好きなんですよね。 豪華さではなく、“ちゃんと旅客列車として便利”。そこに徹している感じがする。 繁忙期には増結され、長い編成で北海道の夜を走っていました。 「なぜ寝台特急じゃないのか」 これが面白い。 寝台車がついている。長距離を走る。夜を越える。 なのに、寝台特急ではない。 最後まで、 “急行はまなす”。 そもそも、寝台車を連結しているから寝台特急になるわけではありません。 「はまなす」は、あくまで座席車主体の夜行急行。寝台も選べる。 それが、この列車の立ち位置でした。「北斗星」や「カシオペア」が、旅そのものを楽しむ列車だったとすれば、「はまなす」は、もっと生活に近い。 もっと実用的。 夜に乗って、朝には目的地へ着く。...
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【国鉄が儲かっていたら…】715系は“3扉の713系”になっていた?
<幻に終わった713系量産車。その姿を想像してみます> 1984年。 長崎本線・佐世保線の普通列車電車化に際し、国鉄が投入した715系0番台。 それは、余剰となった581系寝台特急電車を普通列車用へ改造したものでした。 しかし、その前年となる1983年、国鉄はすでに、九州向けの新しい交流近郊形電車を開発していました。それが713系近郊形交流電車です。 ■試作車のみの製造で終わった713系 713系は1983年、2両編成4本のわずか8両が試作車として登場。 ところが国鉄財政の逼迫により、量産には至りません。 そのため、長崎・佐世保線の電車化には、新車713系の導入を試作車の製作のみで中止し、581系を出自とする715系を投入することとなります。 もし国鉄に十分な新車予算があったなら――。 715系は生まれず、713系が量産されていたことでしょう。 ■量産車も「2扉」だった? 713系900番台は、片側2扉の近郊形電車。 そのまま量産されていれば、2扉車が増備された可能性が最も自然でしょう。 しかし南福岡電車区に配置された715系は、長崎・佐世保線だけでなく、鹿児島本線の博多―鳥栖間などでも使用されます。 つまり、715系の役割を713系がすべて担うなら、北部九州の都市圏輸送にも"対応する仕様"でもよかった、と言えます。 ■「3扉713系」はあり得た? 当時の九州には、すでに415系という主力近郊形電車が存在しました。 20m級車体に、片側両開き3扉。 ならば713系も量産時、 「415系に近い3扉車体」+「713系の交流専用システム」 という姿へ発展していた可能性はなかったのでしょうか。 もちろん、 「713系量産車は3扉だった」 という史料が存在するわけではありません。 ここから先は、あくまで“もしも”です。 しかし。 後の歴史を見ると、この想像が面白くはなりませんでしょうか。 ■1990年代、「答え」が現れる 1989年に登場した811系。そして1994年に登場した813系。...
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<幻に終わった713系量産車。その姿を想像してみます> 1984年。 長崎本線・佐世保線の普通列車電車化に際し、国鉄が投入した715系0番台。 それは、余剰となった581系寝台特急電車を普通列車用へ改造したものでした。 しかし、その前年となる1983年、国鉄はすでに、九州向けの新しい交流近郊形電車を開発していました。それが713系近郊形交流電車です。 ■試作車のみの製造で終わった713系 713系は1983年、2両編成4本のわずか8両が試作車として登場。 ところが国鉄財政の逼迫により、量産には至りません。 そのため、長崎・佐世保線の電車化には、新車713系の導入を試作車の製作のみで中止し、581系を出自とする715系を投入することとなります。 もし国鉄に十分な新車予算があったなら――。 715系は生まれず、713系が量産されていたことでしょう。 ■量産車も「2扉」だった? 713系900番台は、片側2扉の近郊形電車。 そのまま量産されていれば、2扉車が増備された可能性が最も自然でしょう。 しかし南福岡電車区に配置された715系は、長崎・佐世保線だけでなく、鹿児島本線の博多―鳥栖間などでも使用されます。 つまり、715系の役割を713系がすべて担うなら、北部九州の都市圏輸送にも"対応する仕様"でもよかった、と言えます。 ■「3扉713系」はあり得た? 当時の九州には、すでに415系という主力近郊形電車が存在しました。 20m級車体に、片側両開き3扉。 ならば713系も量産時、 「415系に近い3扉車体」+「713系の交流専用システム」 という姿へ発展していた可能性はなかったのでしょうか。 もちろん、 「713系量産車は3扉だった」 という史料が存在するわけではありません。 ここから先は、あくまで“もしも”です。 しかし。 後の歴史を見ると、この想像が面白くはなりませんでしょうか。 ■1990年代、「答え」が現れる 1989年に登場した811系。そして1994年に登場した813系。...
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【国鉄名車列伝】183系・房総生まれが国鉄特急の顔になった理由
1972年。東京駅地下ホームから、新しい国鉄特急が房総半島へ走り始めました。 183系。 「わかしお」「さざなみ」。 後には「しおさい」「あやめ」、そして「あずさ」「とき」など、首都圏を代表する特急の数々で活躍した車両です。 しかし183系は、最初から中央本線や上越線を走るために生まれたわけではありません。 その出発点は、“房総特急”でした。 「東京地下駅から房総へ」 1972年7月。総武快速線の東京~錦糸町間開業と、内房線・外房線の電化に合わせ、183系0番台が登場します。 幕張電車区へ配置され、「わかしお」「さざなみ」などで運転を開始。地下区間への乗入れを前提に、防火対策なども考慮された直流特急形電車でした。 151系・181系の流麗なボンネット形とは違う、高運転台の角張った前面。 この顔は後の189系などにもつながり、昭和後期の“国鉄特急の顔”になっていきます。 0番台の先頭車には、増解結を考慮した前面貫通扉も設けられました。 それまでの特急形とは明らかに違う顔。いわゆる“電気釜”スタイルは、華麗なボンネット形とは違う無骨さを持ちながら、やがて国鉄末期を象徴する特急形電車の姿になっていきます。 「房総生まれが、雪国へ」 1974年には、耐寒・耐雪設備を強化した183系1000番台が登場。 上越線特急「とき」の181系や、伊豆方面の「あまぎ」で活躍した157系を置き換えました。房総半島の海沿いを走るために生まれた形式が、わずか2年後には、雪深い上越国境へ。 「とき」といえば、151系から161系、181系へと続いた国鉄特急電車の系譜を代表する列車。 183系は、ボンネット形から次の時代へと“特急の顔”を引き継いでいったのです。 「そして”あずさ”へ」 183系は中央本線にも進出します。「あずさ」では1973年から0番台が使われ、1982年の上越新幹線開業後には、「とき」で使われていた1000番台も中央本線へ活躍の場を広げました。 房総の海から、上越の雪国へ。そして中央本線の山岳路線へ。同じ183系が、まったく違う景色の中を走ったのです。 「似ているけれど、189系とは違う」 183系とよく似た189系。しかし189系は、信越本線・横川~軽井沢間、いわゆる“横軽”を越えるため、EF63との協調運転に対応して誕生した系列です。183系を基本としながら、碓氷峠という特殊な条件へ対応した兄弟分。後年は183系と189系が入り交じって使われ、外見だけでは判別に迷う編成もありました。 「西日本にもいた”183系”」 そして183系の名前は、東日本だけのものではありません。 JR西日本にも、183系700・800番台が存在しました。ただし東日本の183系が、そのまま西へ渡ったわけではありません。 その正体は、 “485系から生まれた183系”。 「北近畿」で使われていた485系から交流機器を撤去し、直流専用車として183系へ編入した車両です。 元485系だけに、東日本の183系とは顔つきも経歴も違う。...
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1972年。東京駅地下ホームから、新しい国鉄特急が房総半島へ走り始めました。 183系。 「わかしお」「さざなみ」。 後には「しおさい」「あやめ」、そして「あずさ」「とき」など、首都圏を代表する特急の数々で活躍した車両です。 しかし183系は、最初から中央本線や上越線を走るために生まれたわけではありません。 その出発点は、“房総特急”でした。 「東京地下駅から房総へ」 1972年7月。総武快速線の東京~錦糸町間開業と、内房線・外房線の電化に合わせ、183系0番台が登場します。 幕張電車区へ配置され、「わかしお」「さざなみ」などで運転を開始。地下区間への乗入れを前提に、防火対策なども考慮された直流特急形電車でした。 151系・181系の流麗なボンネット形とは違う、高運転台の角張った前面。 この顔は後の189系などにもつながり、昭和後期の“国鉄特急の顔”になっていきます。 0番台の先頭車には、増解結を考慮した前面貫通扉も設けられました。 それまでの特急形とは明らかに違う顔。いわゆる“電気釜”スタイルは、華麗なボンネット形とは違う無骨さを持ちながら、やがて国鉄末期を象徴する特急形電車の姿になっていきます。 「房総生まれが、雪国へ」 1974年には、耐寒・耐雪設備を強化した183系1000番台が登場。 上越線特急「とき」の181系や、伊豆方面の「あまぎ」で活躍した157系を置き換えました。房総半島の海沿いを走るために生まれた形式が、わずか2年後には、雪深い上越国境へ。 「とき」といえば、151系から161系、181系へと続いた国鉄特急電車の系譜を代表する列車。 183系は、ボンネット形から次の時代へと“特急の顔”を引き継いでいったのです。 「そして”あずさ”へ」 183系は中央本線にも進出します。「あずさ」では1973年から0番台が使われ、1982年の上越新幹線開業後には、「とき」で使われていた1000番台も中央本線へ活躍の場を広げました。 房総の海から、上越の雪国へ。そして中央本線の山岳路線へ。同じ183系が、まったく違う景色の中を走ったのです。 「似ているけれど、189系とは違う」 183系とよく似た189系。しかし189系は、信越本線・横川~軽井沢間、いわゆる“横軽”を越えるため、EF63との協調運転に対応して誕生した系列です。183系を基本としながら、碓氷峠という特殊な条件へ対応した兄弟分。後年は183系と189系が入り交じって使われ、外見だけでは判別に迷う編成もありました。 「西日本にもいた”183系”」 そして183系の名前は、東日本だけのものではありません。 JR西日本にも、183系700・800番台が存在しました。ただし東日本の183系が、そのまま西へ渡ったわけではありません。 その正体は、 “485系から生まれた183系”。 「北近畿」で使われていた485系から交流機器を撤去し、直流専用車として183系へ編入した車両です。 元485系だけに、東日本の183系とは顔つきも経歴も違う。...
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【特集、去り行く東海顔 vol.21】急行形の機器流用車、413・717系
<外見は新車、中身は急行形> 国鉄末期の1986年。 北陸と東北、そして九州に、近郊形電車413系と717系が登場しました。 「東海顔」の流れを汲む、国鉄末期、東海顔を持つ最後の形式ですが、これら2形式は、完全な“新車”ではありません。 ■余った急行形を、どうするか 1980年代。 急行列車の削減によって、451・453・471・473・475系など、かつて幹線を駆け回った急行形電車が次々と普通列車へ転用されていました。 ところが、急行形は、片側2扉に客室デッキ付き。 長距離列車には適していても、駅ごとに乗客が入れ替わる普通列車では必ずしも使いやすい構造ではありません。 とはいえ、国鉄の財政事情は厳しい。 そこで生まれたのが、 「まだ使える機器は残し、車体だけを造り直す」 という発想でした。 ■北陸の413系 北陸地区へ投入されたのが、交直流電車の413系。 主に471・473系の台車や電気機器などを再利用し、417系に準じた新しい車体へ載せ替えました。 片側2か所の両開き扉。 デッキを廃止したセミクロスシート。 急行形の走行機器を残しながら、完全に“普通列車向け”へ生まれ変わったのです。 いわば、 「足回りは昭和30年代。身体は昭和60年代」 という電車でした。 ■交流専用版が717系 ほぼ同じ思想で生まれたのが、交流専用の717系です。 仙台地区向けの0・100番台は、451・453系の機器を流用。 一方、九州向けの200番台には475系の機器が利用されました。 仙台車は3両、九州車は2両編成。 同じ717系でも、投入線区に合わせて仕様が異なっています。 なお1995年には、457系の車体そのものを利用し、中央部に扉を増設した717系900番台も登場。 こちらは「車体を新製する」という413・717系本来の成り立ちとは異なる、わずか1編成の異端車でした。...
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<外見は新車、中身は急行形> 国鉄末期の1986年。 北陸と東北、そして九州に、近郊形電車413系と717系が登場しました。 「東海顔」の流れを汲む、国鉄末期、東海顔を持つ最後の形式ですが、これら2形式は、完全な“新車”ではありません。 ■余った急行形を、どうするか 1980年代。 急行列車の削減によって、451・453・471・473・475系など、かつて幹線を駆け回った急行形電車が次々と普通列車へ転用されていました。 ところが、急行形は、片側2扉に客室デッキ付き。 長距離列車には適していても、駅ごとに乗客が入れ替わる普通列車では必ずしも使いやすい構造ではありません。 とはいえ、国鉄の財政事情は厳しい。 そこで生まれたのが、 「まだ使える機器は残し、車体だけを造り直す」 という発想でした。 ■北陸の413系 北陸地区へ投入されたのが、交直流電車の413系。 主に471・473系の台車や電気機器などを再利用し、417系に準じた新しい車体へ載せ替えました。 片側2か所の両開き扉。 デッキを廃止したセミクロスシート。 急行形の走行機器を残しながら、完全に“普通列車向け”へ生まれ変わったのです。 いわば、 「足回りは昭和30年代。身体は昭和60年代」 という電車でした。 ■交流専用版が717系 ほぼ同じ思想で生まれたのが、交流専用の717系です。 仙台地区向けの0・100番台は、451・453系の機器を流用。 一方、九州向けの200番台には475系の機器が利用されました。 仙台車は3両、九州車は2両編成。 同じ717系でも、投入線区に合わせて仕様が異なっています。 なお1995年には、457系の車体そのものを利用し、中央部に扉を増設した717系900番台も登場。 こちらは「車体を新製する」という413・717系本来の成り立ちとは異なる、わずか1編成の異端車でした。...
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【ついに世代交代】EF65・DD51・DE10の仕事を継ぐ「DEC743形」が走り始めた
2026年。 やはり今年は、国鉄形車両にとってひとつの節目の年になりそうです。 JR西日本の新型事業用車「DEC743形」。 今年6月に姿を現して以降、各地で試運転が続けられています。 そして9月に入ると、DEC743-1とDEC743-2が「SLやまぐち号」で使用される35系客車5両を挟み、 山陽本線で性能試験を行う姿も見られるようになりました。 いよいよ、“試作車が出てきた”という段階から、 実際に機関車の仕事を引き継ぐための試験が進む段階へ入ってきたようです。 DEC743形が担うのは、これまでJR西日本で長年活躍してきた EF65形、DD51形、DE10形などが受け持ってきた仕事。 バラスト輸送。 レール輸送。 回送列車の牽引。 そして車両基地での入換。華やかな特急列車とは違います。 しかし、鉄道を裏側から支えるためには絶対に欠かすことのできない仕事です。 そこにも、 ついに国鉄形から新世代への世代交代の波がやって来ました。 DEC743形は、 ディーゼルエンジンで発電し、その電力でモーターを回して走る電気式気動車。 さらに蓄電池を組み合わせたハイブリッド方式が採用されています。 つまり見た目こそ機関車のようですが、分類上は「機関車」ではありません。 自ら走ることのできる事業用気動車です。 そして、この車両を初めて見たとき、国鉄好きなら少し気になるところがあります。 DEC743-1の車体。 朱色とグレー。 そこに白い帯。 どこか、国鉄時代のDF50形ディーゼル機関車を思わせる配色なのです。 DF50もまた、ディーゼルエンジンで発電し、その電力で主電動機を動かす「電気式ディーゼル機関車」でした。 もちろんDF50とDEC743では、生まれた時代も、技術も、目的もまったく違います。 それでも、半世紀以上の時を越えて、再び“電気式”という方式を持った車両が、国鉄形機関車たちの仕事を引き継ごうとしている。...
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2026年。 やはり今年は、国鉄形車両にとってひとつの節目の年になりそうです。 JR西日本の新型事業用車「DEC743形」。 今年6月に姿を現して以降、各地で試運転が続けられています。 そして9月に入ると、DEC743-1とDEC743-2が「SLやまぐち号」で使用される35系客車5両を挟み、 山陽本線で性能試験を行う姿も見られるようになりました。 いよいよ、“試作車が出てきた”という段階から、 実際に機関車の仕事を引き継ぐための試験が進む段階へ入ってきたようです。 DEC743形が担うのは、これまでJR西日本で長年活躍してきた EF65形、DD51形、DE10形などが受け持ってきた仕事。 バラスト輸送。 レール輸送。 回送列車の牽引。 そして車両基地での入換。華やかな特急列車とは違います。 しかし、鉄道を裏側から支えるためには絶対に欠かすことのできない仕事です。 そこにも、 ついに国鉄形から新世代への世代交代の波がやって来ました。 DEC743形は、 ディーゼルエンジンで発電し、その電力でモーターを回して走る電気式気動車。 さらに蓄電池を組み合わせたハイブリッド方式が採用されています。 つまり見た目こそ機関車のようですが、分類上は「機関車」ではありません。 自ら走ることのできる事業用気動車です。 そして、この車両を初めて見たとき、国鉄好きなら少し気になるところがあります。 DEC743-1の車体。 朱色とグレー。 そこに白い帯。 どこか、国鉄時代のDF50形ディーゼル機関車を思わせる配色なのです。 DF50もまた、ディーゼルエンジンで発電し、その電力で主電動機を動かす「電気式ディーゼル機関車」でした。 もちろんDF50とDEC743では、生まれた時代も、技術も、目的もまったく違います。 それでも、半世紀以上の時を越えて、再び“電気式”という方式を持った車両が、国鉄形機関車たちの仕事を引き継ごうとしている。...
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【もしもシリーズ】そういえば無かった…419系引退前に581・583系「復活国鉄色」が実現して...
一番新しい国鉄型車両でも登場からすでに40年近くが経過。 各地で"国鉄型車両"が姿を消し行く中、国鉄時代・登場時の塗装を再現した「復活国鉄色」に施される例が増えています。 では、 2011年に引退した419系にも、そんな“最後の姿”があったとしたら――。 今回の「もしも」は、 419系を583系国鉄色へ戻してみましょう。 419系は、余剰となった581・583系を改造し、1985年に登場した近郊形電車。 混雑を緩和するために乗降扉を増設、一部の中間車を改造して独特の運転台を設置した先頭車も登場。 その姿から、「食パン」と呼ばれることもありました。 一方で反対側には、 クハネ581形譲りのあの丸みを帯びた前頭部を残すクハ419形も存在。 つまり419系は、見た目こそ大きく変わっていても、元を辿れば正真正銘の581・583系です。 ならば引退前に最後の1編成だけでも、クリーム色の車体に青帯――。 583系時代の姿へ“先祖返り”していたらどうでしょう。 クハ419形側から見れば、「583系が帰ってきた!」 ……と思いきや、側面には増設された乗降扉。 そして編成の反対側には、なんと583系国鉄色を纏った「食パン顔」。 かなり強烈です。 復活塗装というより、419系が「自分の出自を最後にもう一度見せる」そんな企画になっていたのかもしれません。 そういえば無かった、419系の「583系復活国鉄色」。 2011年、まだまだ国鉄型が残っていた時代…復活国鉄色を施すというイベントはあまり隆盛ではなかったのか。JR東日本にはN1・N2編成が残っていたので取り立てたイベントは行われなかったのかもしれません。(北陸本線の475系は2008年に国鉄急行色が復活していたのですが…) もし419系の581・583系復活国鉄色が実現していたら――。(九州鉄道記念館に居ますが) (Mr.DIMER編集長)
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一番新しい国鉄型車両でも登場からすでに40年近くが経過。 各地で"国鉄型車両"が姿を消し行く中、国鉄時代・登場時の塗装を再現した「復活国鉄色」に施される例が増えています。 では、 2011年に引退した419系にも、そんな“最後の姿”があったとしたら――。 今回の「もしも」は、 419系を583系国鉄色へ戻してみましょう。 419系は、余剰となった581・583系を改造し、1985年に登場した近郊形電車。 混雑を緩和するために乗降扉を増設、一部の中間車を改造して独特の運転台を設置した先頭車も登場。 その姿から、「食パン」と呼ばれることもありました。 一方で反対側には、 クハネ581形譲りのあの丸みを帯びた前頭部を残すクハ419形も存在。 つまり419系は、見た目こそ大きく変わっていても、元を辿れば正真正銘の581・583系です。 ならば引退前に最後の1編成だけでも、クリーム色の車体に青帯――。 583系時代の姿へ“先祖返り”していたらどうでしょう。 クハ419形側から見れば、「583系が帰ってきた!」 ……と思いきや、側面には増設された乗降扉。 そして編成の反対側には、なんと583系国鉄色を纏った「食パン顔」。 かなり強烈です。 復活塗装というより、419系が「自分の出自を最後にもう一度見せる」そんな企画になっていたのかもしれません。 そういえば無かった、419系の「583系復活国鉄色」。 2011年、まだまだ国鉄型が残っていた時代…復活国鉄色を施すというイベントはあまり隆盛ではなかったのか。JR東日本にはN1・N2編成が残っていたので取り立てたイベントは行われなかったのかもしれません。(北陸本線の475系は2008年に国鉄急行色が復活していたのですが…) もし419系の581・583系復活国鉄色が実現していたら――。(九州鉄道記念館に居ますが) (Mr.DIMER編集長)
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