Mr.DIMER Journal
【特集、お召し列車 Vol.5】一号編成を託された、ローズピンクの名機 EF81 81号機
1973年、日立製作所で製造され、富山第二機関区へ新製配置されたEF81 81号機。 当初は、数多く存在するEF81形の一両として誕生した一般機でした。しかし1985年、「国際科学技術博覧会・つくば科学万博」に伴って運転されたお召列車の牽引機に選ばれ、その名を歴史に刻むことになります。EF81形は、直流1500Vに加え、交流20,000Vの50Hz・60Hzにも対応する交直流電気機関車です。 常磐線から水戸線方面へ、電化方式の異なる区間を機関車交換なしで走行できる性能が、お召列車の牽引形式として選ばれた大きな理由の一つだったと考えられます。お召列車牽引機への指定に際し、81号機には徹底した整備と特別な装飾が施されました。 最大の特徴は、ローズピンクの車体側面を一直線に走る細い銀色の帯。さらに前面や乗務員扉の手すり、解放テコ、連結器、ナンバープレート周辺をはじめ、パンタグラフや高圧配線、台車周辺の一部に至るまで銀色に仕上げられました。 日章旗と菊花紋章を掲げ、昭和天皇・香淳皇后をお乗せした一号編成の先頭に立つ姿は、まさに選ばれた機関車だけに許された晴れ姿でした。お召列車の牽引を終えた後、81号機は通常の姿へ戻されます。1989年には赤2号へ塗装変更され、1993年には寝台特急「北斗星」の牽引機として、車体側面に流星マークを掲げる姿となりました。 そして2014年。 81号機は再びローズピンクの車体と銀帯を纏い、お召列車牽引当時を思わせる姿へ復刻されます。ただし、1985年当時の姿が完全に再現されたわけではありません。当時は白色の碍子や常磐線用無線アンテナ、車体色に近いランボードなどを備えていましたが、復刻後は緑色の碍子、アンテナ台座のみが残る屋根上、黒色のランボードという姿になりました。銀帯についても、当時の光沢を持った仕上げに対し、復刻後はやや艶を抑えたものとなっています。 それでも、ローズピンクの車体に銀帯を纏った81号機の姿は、多くの鉄道ファンにお召列車牽引機としての記憶を呼び起こしました。復刻塗装後は「カシオペア紀行」をはじめ、数々の特別列車や団体列車を牽引。2025年には、同列車最後の営業運転も担当しました。 1985年のお召列車から、およそ40年。昭和の一号編成を牽引した機関車が、時代を越え、JR東日本を代表する豪華列車の最後まで先頭に立ったのです。 まさに、花形列車を背負い続けた名機と呼ぶにふさわしい存在でした。その後、81号機は2025年9月に秋田総合車両センターへED75を従え配給されました。 2026年7月現在、保存や解体を含めた今後の処遇について、JR東日本から明確な公式発表はありません。一号編成を託された歴史的な機関車だけに、その去就が気になるところです。 EF81 81号機は、EF58 61号機のように、生まれながらのお召列車専用機として製造された機関車ではありません。 一般機として生まれ、数ある同形機の中から選び抜かれ、お召列車の先頭に立った機関車です。そして大役を終えた後も、その記憶を象徴する銀帯を再び纏い、最後まで数々の花形列車を牽引し続けました。 専用機ではなかったからこそ、選ばれたことに価値がある。一号編成を託されたローズピンクの名機。それこそが、EF81 81号機のお召列車指定機としての最大の誇りなのかなと思います。 (マイミー)
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1973年、日立製作所で製造され、富山第二機関区へ新製配置されたEF81 81号機。 当初は、数多く存在するEF81形の一両として誕生した一般機でした。しかし1985年、「国際科学技術博覧会・つくば科学万博」に伴って運転されたお召列車の牽引機に選ばれ、その名を歴史に刻むことになります。EF81形は、直流1500Vに加え、交流20,000Vの50Hz・60Hzにも対応する交直流電気機関車です。 常磐線から水戸線方面へ、電化方式の異なる区間を機関車交換なしで走行できる性能が、お召列車の牽引形式として選ばれた大きな理由の一つだったと考えられます。お召列車牽引機への指定に際し、81号機には徹底した整備と特別な装飾が施されました。 最大の特徴は、ローズピンクの車体側面を一直線に走る細い銀色の帯。さらに前面や乗務員扉の手すり、解放テコ、連結器、ナンバープレート周辺をはじめ、パンタグラフや高圧配線、台車周辺の一部に至るまで銀色に仕上げられました。 日章旗と菊花紋章を掲げ、昭和天皇・香淳皇后をお乗せした一号編成の先頭に立つ姿は、まさに選ばれた機関車だけに許された晴れ姿でした。お召列車の牽引を終えた後、81号機は通常の姿へ戻されます。1989年には赤2号へ塗装変更され、1993年には寝台特急「北斗星」の牽引機として、車体側面に流星マークを掲げる姿となりました。 そして2014年。 81号機は再びローズピンクの車体と銀帯を纏い、お召列車牽引当時を思わせる姿へ復刻されます。ただし、1985年当時の姿が完全に再現されたわけではありません。当時は白色の碍子や常磐線用無線アンテナ、車体色に近いランボードなどを備えていましたが、復刻後は緑色の碍子、アンテナ台座のみが残る屋根上、黒色のランボードという姿になりました。銀帯についても、当時の光沢を持った仕上げに対し、復刻後はやや艶を抑えたものとなっています。 それでも、ローズピンクの車体に銀帯を纏った81号機の姿は、多くの鉄道ファンにお召列車牽引機としての記憶を呼び起こしました。復刻塗装後は「カシオペア紀行」をはじめ、数々の特別列車や団体列車を牽引。2025年には、同列車最後の営業運転も担当しました。 1985年のお召列車から、およそ40年。昭和の一号編成を牽引した機関車が、時代を越え、JR東日本を代表する豪華列車の最後まで先頭に立ったのです。 まさに、花形列車を背負い続けた名機と呼ぶにふさわしい存在でした。その後、81号機は2025年9月に秋田総合車両センターへED75を従え配給されました。 2026年7月現在、保存や解体を含めた今後の処遇について、JR東日本から明確な公式発表はありません。一号編成を託された歴史的な機関車だけに、その去就が気になるところです。 EF81 81号機は、EF58 61号機のように、生まれながらのお召列車専用機として製造された機関車ではありません。 一般機として生まれ、数ある同形機の中から選び抜かれ、お召列車の先頭に立った機関車です。そして大役を終えた後も、その記憶を象徴する銀帯を再び纏い、最後まで数々の花形列車を牽引し続けました。 専用機ではなかったからこそ、選ばれたことに価値がある。一号編成を託されたローズピンクの名機。それこそが、EF81 81号機のお召列車指定機としての最大の誇りなのかなと思います。 (マイミー)
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【もしもシリーズ】令和版、"急行 銀河"が復活するとしたら…
惜しまれつつも、晩年は利用客の低迷により、2008年に廃止された急行「銀河」。 その歴史は古く、1949年運行開始。 大動脈、東京~大阪間を結ぶ列車であり、他列車のほとんどが特急に格上げされた中で、最後まで種別"急行"を維持しました。 登場から実に59年、まさに還暦間近での引退でしたが、末期の利用率は乗車率4割程度と歴史の割に寂しい引退となった感は否めません。 さて、銀河の廃止は、東海道新幹線の運行時間帯拡大、ツアーバス、夜行バスなどの普及、宿泊施設の価格破壊等による"競争の激化"にありました。 夜行列車としての"価値"がほかの移動手段やそれに伴う宿泊施設に代替されてしまったのです。 ■"今"の時代から要請はないか?時代わって令和(8年)、2026年。 インバウンド需要を主たる要因として首都圏・観光地のホテル宿泊費が高騰する最中にある我が国日本。 "宿泊施設の高騰"と言う一部分で見れば。 かつて、利用客の低迷を持って廃止された夜行急行"銀河"の持つ、 「安全で快適な移動と言う保証を持ちつつ、"寝ながらにして移動可能"」と言う価値が今のご時世、改めて必要とされる時代背景にあるとも言えます。 最も、実現に向けて、既存車両をオール寝台にする、と言うのは非現実的か。と思いつつ、座席車として"ムーンライト"的な形態の列車にしてはどうか、と思い立ったわけです。 このうち、何両か、寝台車に改造するのはアリかもしれません。 ■本日の"もしも"もしも銀河が蘇るとしたら"ムーンライト銀河"として生まれ変わるのはいかが。 車両はJR東日本の波動輸送用特急形電車、E257系5000番台を抜擢。 塗装はブルトレ仕様へと装いを新たに致しました。 (Mr.DIMER編集長)
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惜しまれつつも、晩年は利用客の低迷により、2008年に廃止された急行「銀河」。 その歴史は古く、1949年運行開始。 大動脈、東京~大阪間を結ぶ列車であり、他列車のほとんどが特急に格上げされた中で、最後まで種別"急行"を維持しました。 登場から実に59年、まさに還暦間近での引退でしたが、末期の利用率は乗車率4割程度と歴史の割に寂しい引退となった感は否めません。 さて、銀河の廃止は、東海道新幹線の運行時間帯拡大、ツアーバス、夜行バスなどの普及、宿泊施設の価格破壊等による"競争の激化"にありました。 夜行列車としての"価値"がほかの移動手段やそれに伴う宿泊施設に代替されてしまったのです。 ■"今"の時代から要請はないか?時代わって令和(8年)、2026年。 インバウンド需要を主たる要因として首都圏・観光地のホテル宿泊費が高騰する最中にある我が国日本。 "宿泊施設の高騰"と言う一部分で見れば。 かつて、利用客の低迷を持って廃止された夜行急行"銀河"の持つ、 「安全で快適な移動と言う保証を持ちつつ、"寝ながらにして移動可能"」と言う価値が今のご時世、改めて必要とされる時代背景にあるとも言えます。 最も、実現に向けて、既存車両をオール寝台にする、と言うのは非現実的か。と思いつつ、座席車として"ムーンライト"的な形態の列車にしてはどうか、と思い立ったわけです。 このうち、何両か、寝台車に改造するのはアリかもしれません。 ■本日の"もしも"もしも銀河が蘇るとしたら"ムーンライト銀河"として生まれ変わるのはいかが。 車両はJR東日本の波動輸送用特急形電車、E257系5000番台を抜擢。 塗装はブルトレ仕様へと装いを新たに致しました。 (Mr.DIMER編集長)
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夜行急行、寝台急行とは言われたが、"ブルートレイン"とは聞かなかったような…
「ブルートレイン」と呼ばれるのは狭義に"14系や24系を用いた寝台特急"だけだったのでしょうか? "ブルートレイン銀河"、より"急行銀河"のイメージが強かったです。(急行 能登 なんかもそうでしたね) 最も、急行銀河は歴代20系、14系、24系を用いた"オール寝台車"によって構成されていましたので立派なブルートレインだったのですが。 さて、本日夜は久しぶりに「もしもシリーズ」をお届け致します。お楽しみに。 (Mr.DIMER編集長)
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「ブルートレイン」と呼ばれるのは狭義に"14系や24系を用いた寝台特急"だけだったのでしょうか? "ブルートレイン銀河"、より"急行銀河"のイメージが強かったです。(急行 能登 なんかもそうでしたね) 最も、急行銀河は歴代20系、14系、24系を用いた"オール寝台車"によって構成されていましたので立派なブルートレインだったのですが。 さて、本日夜は久しぶりに「もしもシリーズ」をお届け致します。お楽しみに。 (Mr.DIMER編集長)
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【特集、お召し列車 Vol.4】貨物機からお召し牽引機へ<異例の出世を遂げたDD51形842号機>
1971年、日立製作所で落成したDD51形842号機。 誕生時の姿は、お召し列車とはまったく無縁でした。842号機は暖房用蒸気発生装置(SG)を搭載しない800番台として製造され、貨物列車牽引用を目的としたグループの1両です。 SG関連機器やボイラーを省略したことで約6トンの軽量化が図られ、重量配分の見直しに合わせて中間台車やブレーキ装置も専用仕様となるなど、旅客用とは異なる設計が施されました。 つまり、生まれながらの"貨物機"。 本来であれば、お召し列車を牽引する存在ではありません。 しかし、その運命は1973年の千葉国体で大きく変わります。この年、お召し列車の牽引機に抜擢された842号機は、お召し列車専用の整備を受け、一躍”特別なDD51”となりました。 最大の特徴となったのが、ランボード側面に取り付けられたステンレスの飾り帯です。さらにデッキ手すりや煙突カバーにもステンレス化が施され、一般機とは一線を画す風格をまといます。 その後はJR東日本高崎第一機関区(後のぐんま車両センター)に所属し、DD51形895号機とともにイベント列車や団体列車などでも活躍。 鉄道ファンには”お召し仕様のDD51”として広く知られる存在となりました。 しかし、842号機の真価は、その美しい姿だけではありません。 一度きりで終わると思われた栄誉が、平成になって再び巡ってきたのです。 1997年、岩手県で開催された全国豊かな海づくり大会。 山田線・釜石線で運転されたお召し列車の牽引機に選ばれたのは、地元配置機ではなく、高崎から送り込まれたDD51形842号機でした。 さらに2001年の宮城国体では東北本線・石巻線・気仙沼線で。2002年の全国植樹祭では陸羽西線・羽越本線で。 いずれのお召し列車でも、その大役を任されたのは842号機でした。一般貨物機として誕生しながら、昭和と平成を通じて4度ものお召し列車を牽引。 これはDD51形の中でも極めて異例の経歴であり、まさに”一般機からお召し機へ出世した機関車”と言っても過言ではありません。 その歩みは、単なる幸運ではなく、長年積み重ねてきた信頼と実績があったからこそ築かれたものだったのでしょう。 そして、そんな842号機にも終焉の時が訪れます。 2025年10月。 長年活躍した高崎を離れ、多くの名機が最後を迎えてきた”終焉の地・長野総合車両センター(通称NN)”へと旅立ちました。 お召し列車牽引機の証でもあったランボードのステンレス飾り帯や、デッキ手すり・煙突カバーなどの特別装飾は最後まで取り外されることなく、その誇りをまとったまま廃車となりました。 貨物機として誕生し、お召し列車という鉄道最高峰の任務を幾度となく務め上げたDD51形842号機。 華やかな専用機ではない。生まれは一介の貨物機。それでも、その走りでお召し列車牽引機へと上り詰めたDD51形842号機。 まさに、「生まれ持った運命を変えた機関車」。 DD51形842号機は、今なお多くの鉄道ファンの記憶の中で、誇り高き”お召し機”として生き続けています。 (マイミー)
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1971年、日立製作所で落成したDD51形842号機。 誕生時の姿は、お召し列車とはまったく無縁でした。842号機は暖房用蒸気発生装置(SG)を搭載しない800番台として製造され、貨物列車牽引用を目的としたグループの1両です。 SG関連機器やボイラーを省略したことで約6トンの軽量化が図られ、重量配分の見直しに合わせて中間台車やブレーキ装置も専用仕様となるなど、旅客用とは異なる設計が施されました。 つまり、生まれながらの"貨物機"。 本来であれば、お召し列車を牽引する存在ではありません。 しかし、その運命は1973年の千葉国体で大きく変わります。この年、お召し列車の牽引機に抜擢された842号機は、お召し列車専用の整備を受け、一躍”特別なDD51”となりました。 最大の特徴となったのが、ランボード側面に取り付けられたステンレスの飾り帯です。さらにデッキ手すりや煙突カバーにもステンレス化が施され、一般機とは一線を画す風格をまといます。 その後はJR東日本高崎第一機関区(後のぐんま車両センター)に所属し、DD51形895号機とともにイベント列車や団体列車などでも活躍。 鉄道ファンには”お召し仕様のDD51”として広く知られる存在となりました。 しかし、842号機の真価は、その美しい姿だけではありません。 一度きりで終わると思われた栄誉が、平成になって再び巡ってきたのです。 1997年、岩手県で開催された全国豊かな海づくり大会。 山田線・釜石線で運転されたお召し列車の牽引機に選ばれたのは、地元配置機ではなく、高崎から送り込まれたDD51形842号機でした。 さらに2001年の宮城国体では東北本線・石巻線・気仙沼線で。2002年の全国植樹祭では陸羽西線・羽越本線で。 いずれのお召し列車でも、その大役を任されたのは842号機でした。一般貨物機として誕生しながら、昭和と平成を通じて4度ものお召し列車を牽引。 これはDD51形の中でも極めて異例の経歴であり、まさに”一般機からお召し機へ出世した機関車”と言っても過言ではありません。 その歩みは、単なる幸運ではなく、長年積み重ねてきた信頼と実績があったからこそ築かれたものだったのでしょう。 そして、そんな842号機にも終焉の時が訪れます。 2025年10月。 長年活躍した高崎を離れ、多くの名機が最後を迎えてきた”終焉の地・長野総合車両センター(通称NN)”へと旅立ちました。 お召し列車牽引機の証でもあったランボードのステンレス飾り帯や、デッキ手すり・煙突カバーなどの特別装飾は最後まで取り外されることなく、その誇りをまとったまま廃車となりました。 貨物機として誕生し、お召し列車という鉄道最高峰の任務を幾度となく務め上げたDD51形842号機。 華やかな専用機ではない。生まれは一介の貨物機。それでも、その走りでお召し列車牽引機へと上り詰めたDD51形842号機。 まさに、「生まれ持った運命を変えた機関車」。 DD51形842号機は、今なお多くの鉄道ファンの記憶の中で、誇り高き”お召し機”として生き続けています。 (マイミー)
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【憧れのブルトレ Vol.7】工夫が光る、レガートシート車の登場(1990年)
<各社、寝台列車に対する考え方が多様化していった時期> レガートシート車と言えば、寝台特急「あかつき」に組み込まれた普通車指定席の、それ単体で見れば、ブルートレインと言うより、"ムーンライト"、または夜行バス的な要素を持った"寝台列車カジュアル化"の先駆けとも言えますが。 1988年の北斗星や、その後のトワイライトエクスプレスと言ったいわゆる"豪華寝台列車"は1989年に登場、他方、"あかつき"においてレガートシート車を組み込んで運行開始したのが1990年ということを鑑みると、"寝台列車そのものの在り方"について議論が交わされていた年代にあって、一方的に"高付加価値を提供する寝台列車"へとトレンドが集約されていったのではなく一移動手段として、"寝台特急"に持たせる役割に"多様性"が、言い換えるならば"工夫"がなされていった年代と申せましょう。 京阪神~九州間夜行特急の祖にして、最後まで残ったブルートレイン、"あかつき"。 伝統や歴史を頑なに守り続ける"こだわり"より、時代の変化に合わせて、進化し続ける姿勢が"あかつき"の寿命を全うさせたのかもしれません。 最も、国鉄(それを継承するJR)にあって、"寝台特急"は、歴代優等列車群の中でも、格式高く伝統的な列車とも言え、そういった狭間にあって伝統と革新を調和させつつ未来への足掛かりとして"その一歩"を踏み出したのは。 "国鉄からJRに変わったこと"そのものを象徴する出来事の"ひとつ"だったと捉えています。 (Mr.DIMER編集長)
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<各社、寝台列車に対する考え方が多様化していった時期> レガートシート車と言えば、寝台特急「あかつき」に組み込まれた普通車指定席の、それ単体で見れば、ブルートレインと言うより、"ムーンライト"、または夜行バス的な要素を持った"寝台列車カジュアル化"の先駆けとも言えますが。 1988年の北斗星や、その後のトワイライトエクスプレスと言ったいわゆる"豪華寝台列車"は1989年に登場、他方、"あかつき"においてレガートシート車を組み込んで運行開始したのが1990年ということを鑑みると、"寝台列車そのものの在り方"について議論が交わされていた年代にあって、一方的に"高付加価値を提供する寝台列車"へとトレンドが集約されていったのではなく一移動手段として、"寝台特急"に持たせる役割に"多様性"が、言い換えるならば"工夫"がなされていった年代と申せましょう。 京阪神~九州間夜行特急の祖にして、最後まで残ったブルートレイン、"あかつき"。 伝統や歴史を頑なに守り続ける"こだわり"より、時代の変化に合わせて、進化し続ける姿勢が"あかつき"の寿命を全うさせたのかもしれません。 最も、国鉄(それを継承するJR)にあって、"寝台特急"は、歴代優等列車群の中でも、格式高く伝統的な列車とも言え、そういった狭間にあって伝統と革新を調和させつつ未来への足掛かりとして"その一歩"を踏み出したのは。 "国鉄からJRに変わったこと"そのものを象徴する出来事の"ひとつ"だったと捉えています。 (Mr.DIMER編集長)
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【特集、お召し列車】命運を分けた牽引機(vol.3)<EF58形60号機・61号機>
お召し列車専用機として、初めてその使命を与えられた機関車。それが、EF58形60号機と61号機でした。 それまでのお召し機は、量産機の中から選び抜かれた機関車。 しかし、この2両だけは違います。 「いつか選ばれる」のではなく、生まれる前からお召し列車を牽くことが決まっていた唯一無二のロイヤルエンジンでした。 一般車にはない数々の特別装備を備え、厳しい試験を何度も繰り返し、ようやく落成。 60号機は東京芝浦電気61号機は日立製作所が製造しました。 当時、お召し列車を牽く機関車を製造することは、日本の技術力を示す国家的プロジェクトとも言える存在。両メーカーとも採算を度外視し、威信を懸けてこの2両を完成させたと言われています。 本務機は61号機。 予備機は60号機。 たった1号違いの兄弟機でしたが、その後の運命は大きく分かれることになります。 61号機は、お召し列車専従として30年以上にわたり活躍し、100回を超えるお召し列車を牽引したとされています。一方の60号機は、予備機という立場から一般列車にも充当されていました。 そして1967年、一般運用中に事故に遭遇。幸い修復され現場へ復帰したものの、その頃には東海道新幹線の開業によって、お召し列車自体が大きく減少。1973年、60号機はお召し指定を解除されてしまいます。 ここが、2両の命運を分けた瞬間だったのかもしれません。 それでも60号機は現役を続け、1979年、愛知県全国植樹祭のお召し列車では61号機とともに最後のお召し任務を果たしました。 そして1983年5月。 静かに廃車となり、そのまま保存されることなく解体。 ロイヤルエンジンとして生まれながら、その姿を後世へ残すことは叶いませんでした。 一方の61号機は、国鉄分割民営化後もJR東日本へ継承され、お召し列車の象徴として活躍を続けます。 しかし2008年、全般検査で台車枠に修復困難な亀裂が発見され運用を離脱。 その後は車籍を残したまま御料車庫で大切に保管され、2022年、現在の住処である鉄道博物館へ収蔵されました。 生まれた時は、同じ使命を与えられた兄弟機。 しかし、一方は解体され、一方は永久保存される。その差は、わずかな巡り合わせだったのか。 それとも、「本務機」と「予備機」という立場の違いだったのか。 答えは誰にも分かりません。ですが、61号機が今も美しい姿で保存され、多くの人にその歴史を語り続けてくれていること。 それだけは、鉄道ファンとして本当に嬉しく思います。 (マイミー)
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お召し列車専用機として、初めてその使命を与えられた機関車。それが、EF58形60号機と61号機でした。 それまでのお召し機は、量産機の中から選び抜かれた機関車。 しかし、この2両だけは違います。 「いつか選ばれる」のではなく、生まれる前からお召し列車を牽くことが決まっていた唯一無二のロイヤルエンジンでした。 一般車にはない数々の特別装備を備え、厳しい試験を何度も繰り返し、ようやく落成。 60号機は東京芝浦電気61号機は日立製作所が製造しました。 当時、お召し列車を牽く機関車を製造することは、日本の技術力を示す国家的プロジェクトとも言える存在。両メーカーとも採算を度外視し、威信を懸けてこの2両を完成させたと言われています。 本務機は61号機。 予備機は60号機。 たった1号違いの兄弟機でしたが、その後の運命は大きく分かれることになります。 61号機は、お召し列車専従として30年以上にわたり活躍し、100回を超えるお召し列車を牽引したとされています。一方の60号機は、予備機という立場から一般列車にも充当されていました。 そして1967年、一般運用中に事故に遭遇。幸い修復され現場へ復帰したものの、その頃には東海道新幹線の開業によって、お召し列車自体が大きく減少。1973年、60号機はお召し指定を解除されてしまいます。 ここが、2両の命運を分けた瞬間だったのかもしれません。 それでも60号機は現役を続け、1979年、愛知県全国植樹祭のお召し列車では61号機とともに最後のお召し任務を果たしました。 そして1983年5月。 静かに廃車となり、そのまま保存されることなく解体。 ロイヤルエンジンとして生まれながら、その姿を後世へ残すことは叶いませんでした。 一方の61号機は、国鉄分割民営化後もJR東日本へ継承され、お召し列車の象徴として活躍を続けます。 しかし2008年、全般検査で台車枠に修復困難な亀裂が発見され運用を離脱。 その後は車籍を残したまま御料車庫で大切に保管され、2022年、現在の住処である鉄道博物館へ収蔵されました。 生まれた時は、同じ使命を与えられた兄弟機。 しかし、一方は解体され、一方は永久保存される。その差は、わずかな巡り合わせだったのか。 それとも、「本務機」と「予備機」という立場の違いだったのか。 答えは誰にも分かりません。ですが、61号機が今も美しい姿で保存され、多くの人にその歴史を語り続けてくれていること。 それだけは、鉄道ファンとして本当に嬉しく思います。 (マイミー)
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