Mr.DIMER Journal
【Insta Thanks 7000 follow】「京王7000系」(Vol.7)
<京王線系統、初のオールステンレスカー> 1984年から1996年にかけて、190両が製造された京王7000系。 京王線用としては初となる、オールステンレス車体を採用し、各駅停車のサービス向上を目的に導入されました。 車体寸法や主要機器は6000系とほぼ同一とされ、"6000系のマイナーチェンジ"として位置づけられています。 特定都市鉄道整備促進特別措置法に基づく、新宿駅への10両編成化輸送力増強と時期を重ねたため、製造の都度、編成両数が変化していったのも特徴です。 2003年からはVVVFインバータ制御化を伴う、リニューアル工事が実施され、2025年10月には7728編成が、2002年以前の旧塗装へ復刻されました。 <車両データ>運用開始:1984年運用終了:運行中製造両数:190両 *************************************************Instagramのフォロワー数が7,600名を超えました。ありがとうございます。今後ともよろしくお願い致します。Mr.DIMER*************************************************
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<京王線系統、初のオールステンレスカー> 1984年から1996年にかけて、190両が製造された京王7000系。 京王線用としては初となる、オールステンレス車体を採用し、各駅停車のサービス向上を目的に導入されました。 車体寸法や主要機器は6000系とほぼ同一とされ、"6000系のマイナーチェンジ"として位置づけられています。 特定都市鉄道整備促進特別措置法に基づく、新宿駅への10両編成化輸送力増強と時期を重ねたため、製造の都度、編成両数が変化していったのも特徴です。 2003年からはVVVFインバータ制御化を伴う、リニューアル工事が実施され、2025年10月には7728編成が、2002年以前の旧塗装へ復刻されました。 <車両データ>運用開始:1984年運用終了:運行中製造両数:190両 *************************************************Instagramのフォロワー数が7,600名を超えました。ありがとうございます。今後ともよろしくお願い致します。Mr.DIMER*************************************************
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鼻が黒めな…0系新幹線大窓車
"目玉焼き"で言えば、丁度、黄身がぼそぼそに火が通る直前の、半熟で風味のある"食べ頃"でしょうか。 (注:目玉焼きの焼け具合にはそれぞれ好みがあります) #MDRgraph
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"目玉焼き"で言えば、丁度、黄身がぼそぼそに火が通る直前の、半熟で風味のある"食べ頃"でしょうか。 (注:目玉焼きの焼け具合にはそれぞれ好みがあります) #MDRgraph
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【最強!】エンジン換装で大出力を手に入れたキハ40は?
<220馬力から450馬力へ。北海道で生まれた、異端のキハ40> 1977年に登場した国鉄キハ40系。 全国各地の非電化路線へ投入され、その頑丈さから長く使われる一方、走行性能については決して高い評価ばかりではありませんでした。 新製時に搭載されたDMF15HSA形エンジンは、出力220PS。 重量級の車体に対してエンジンは1基。JR移行後には各社で、冷房化や走行性能向上などを目的としてエンジン換装が進められることとなります。 では、その中で最も強力なエンジンを手に入れたキハ40系は何だったのでしょうか。 形式変更された車両まで含めて追ってみます。 JR西日本 コマツ製SA6D125H-1Aへ換装し330PS。 JR東海 カミンズ製C-DMF14HZ系を搭載して350PSまで強化。 原形の220PSからすれば、これだけでも相当な出力向上です。 JR九州 一部のキハ40・47を高出力化し、形式そのものをキハ140形・キハ147形へ変更。 こちらはSA6D125-HD1などを搭載し、出力は360PSに達しました。 しかし、さらに上があります。 それがJR北海道の、キハ40 401・402。 1996年、札沼線の石狩当別―新十津川間で使用するため、キハ40形700番台2両を改造して誕生したキハ40形400番台です。 搭載されたN-DMF13-HZD形エンジンの出力は、450PS。 原形の220PSに対して、実に2倍以上。 キハ40系を種車とした車両としては、最高クラスの出力を持つ車両となりました。 しかも400番台の改造は、単なるエンジン換装ではありません。 札沼線末端部では、冬季に積雪を押しのけながら単行で走行する必要がありました。 そこで450PS化と同時に、従来の1軸駆動から2軸駆動へ変更。 大出力を持て余すことなく、雪中で確実に地面へ伝えるため、足回りまで手が加えられています。 なお、名前がよく似たJR北海道のキハ400形も存在します。こちらもキハ40から改造された急行形車両ですが、搭載するDMF13HZは330PS。 つまり、キハ400形=330PS に対し、キハ40形400番台=450PSです。 全国各地で様々な改造を受けたキハ40系。 その頂点に立ったのは、華やかな急行用でも観光列車でもなく、北海道のローカル線で雪と戦うために造られた、わずか2両のキハ40でした。 220PSから450PSへ。 外観こそ紛れもないキハ40ながら、その走行機構は原形車とは別物ともいえるところまで進化していたのです。 (Mr.DIMER編集長)
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<220馬力から450馬力へ。北海道で生まれた、異端のキハ40> 1977年に登場した国鉄キハ40系。 全国各地の非電化路線へ投入され、その頑丈さから長く使われる一方、走行性能については決して高い評価ばかりではありませんでした。 新製時に搭載されたDMF15HSA形エンジンは、出力220PS。 重量級の車体に対してエンジンは1基。JR移行後には各社で、冷房化や走行性能向上などを目的としてエンジン換装が進められることとなります。 では、その中で最も強力なエンジンを手に入れたキハ40系は何だったのでしょうか。 形式変更された車両まで含めて追ってみます。 JR西日本 コマツ製SA6D125H-1Aへ換装し330PS。 JR東海 カミンズ製C-DMF14HZ系を搭載して350PSまで強化。 原形の220PSからすれば、これだけでも相当な出力向上です。 JR九州 一部のキハ40・47を高出力化し、形式そのものをキハ140形・キハ147形へ変更。 こちらはSA6D125-HD1などを搭載し、出力は360PSに達しました。 しかし、さらに上があります。 それがJR北海道の、キハ40 401・402。 1996年、札沼線の石狩当別―新十津川間で使用するため、キハ40形700番台2両を改造して誕生したキハ40形400番台です。 搭載されたN-DMF13-HZD形エンジンの出力は、450PS。 原形の220PSに対して、実に2倍以上。 キハ40系を種車とした車両としては、最高クラスの出力を持つ車両となりました。 しかも400番台の改造は、単なるエンジン換装ではありません。 札沼線末端部では、冬季に積雪を押しのけながら単行で走行する必要がありました。 そこで450PS化と同時に、従来の1軸駆動から2軸駆動へ変更。 大出力を持て余すことなく、雪中で確実に地面へ伝えるため、足回りまで手が加えられています。 なお、名前がよく似たJR北海道のキハ400形も存在します。こちらもキハ40から改造された急行形車両ですが、搭載するDMF13HZは330PS。 つまり、キハ400形=330PS に対し、キハ40形400番台=450PSです。 全国各地で様々な改造を受けたキハ40系。 その頂点に立ったのは、華やかな急行用でも観光列車でもなく、北海道のローカル線で雪と戦うために造られた、わずか2両のキハ40でした。 220PSから450PSへ。 外観こそ紛れもないキハ40ながら、その走行機構は原形車とは別物ともいえるところまで進化していたのです。 (Mr.DIMER編集長)
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【もしも】117系・関東に来ていたら“東の新快速”は生まれていたのか?
昨日の185系の記事では、「特急にも普通にもなる、国鉄が生んだ万能電車」として、その少し変わった立ち位置をご紹介しました。 そこで記事を書きながら、ふとマイミーは思ったのです。 「じゃあ、同じ時代に関西で活躍していた117系が、もし関東に来ていたらどうなっていたんだろう?」 今回は、そんな昨日の記事から思いついたもしも話。 もちろん史実では、117系が関東圏で営業運転に就いた事実はありません。もし117系が関西だけでなく、関東にも投入されていたら?185系、113系、そして117系。東京駅にこの3形式が並ぶ世界は、果たしてあり得たのでしょうか。 ということで今回は、昨日の185系から少し話を広げて、“もしもシリーズ”。 ここから先は史実を土台にしつつ、かなりの部分を私の独断と偏見で考えていきます。 「いや、それはないだろ」というツッコミも大歓迎。 それではもし、117系が関東に本格投入されていた世界を覗いてみましょう。 「117系が“東”に来ていたら」 1979年、京阪神の新快速用として登場した117系。片側2扉、転換クロスシート、空気ばね台車。主電動機は「MT54D」、最高速度110km/h。 阪急や京阪と真正面から「豪華な料金不要特急同士で真正面から殴り合う」ために生まれた、国鉄近郊形としてはかなり異色の存在でした。そんな117系ですが、実は東京と完全に無縁だったわけではありません。 1986年、東急車輛で製造された117系100番台6両編成が公式試運転で横須賀線を走り、品川まで入線しています。つまり117系は、ほんの一瞬だけですが“東の線路”を走っているのです。 ここでマイミーは考えます。 もし、このまま関東向けの117系まで造られていたら? 「最有力はやっぱり東海道線?」 これはもう、独断と偏見で言えば”東海道線一択”です。東京―横浜―大船―藤沢―平塚―小田原。長距離利用が多く、113系が大量に走っていた幹線。ここに117系を快速専用で投入する。普通列車とは完全に役割を分け、東京―横浜―大船―藤沢―平塚―小田原。 そんな停車駅で走る“湘南快速”。これ、かなり似合ったと思うんです。 しかも塗装は関西と同じクリーム+ぶどう色ではなく、 「湘南色の117系」転換クロスシートに腰掛け、MT54を唸らせて湘南へ向かう。後の快速アクティーを、国鉄時代に先取りしたような存在です。個人的には、かなり見てみたかった世界です。 「でも2扉は絶対に揉める」 ただし、ここで現実に戻ります。117系最大の弱点。 ”2扉” これは首都圏ではかなり厳しい。 朝の横浜、川崎、品川。そこに2扉転換クロスの117系が突っ込んできたら、乗降時間はかなり延びたはずです。なので、マイミーの妄想関東仕様では、 3扉化。ロングシート併設。さらに10両基本+5両付属。……いやもう、それ117系じゃないやん。となるわけですが、首都圏に本気で入れるなら、そこまで変えないと厳しかったでしょう。 「そして昨日の主役、185系」 ここで再び登場するのが、昨日の記事の主役だった”185系”です。 185系は1981年登場。特急にも普通列車にも使えるという、これまた国鉄らしい万能型でした。 関西の117系は、「快速を豪華にする車両」。...
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昨日の185系の記事では、「特急にも普通にもなる、国鉄が生んだ万能電車」として、その少し変わった立ち位置をご紹介しました。 そこで記事を書きながら、ふとマイミーは思ったのです。 「じゃあ、同じ時代に関西で活躍していた117系が、もし関東に来ていたらどうなっていたんだろう?」 今回は、そんな昨日の記事から思いついたもしも話。 もちろん史実では、117系が関東圏で営業運転に就いた事実はありません。もし117系が関西だけでなく、関東にも投入されていたら?185系、113系、そして117系。東京駅にこの3形式が並ぶ世界は、果たしてあり得たのでしょうか。 ということで今回は、昨日の185系から少し話を広げて、“もしもシリーズ”。 ここから先は史実を土台にしつつ、かなりの部分を私の独断と偏見で考えていきます。 「いや、それはないだろ」というツッコミも大歓迎。 それではもし、117系が関東に本格投入されていた世界を覗いてみましょう。 「117系が“東”に来ていたら」 1979年、京阪神の新快速用として登場した117系。片側2扉、転換クロスシート、空気ばね台車。主電動機は「MT54D」、最高速度110km/h。 阪急や京阪と真正面から「豪華な料金不要特急同士で真正面から殴り合う」ために生まれた、国鉄近郊形としてはかなり異色の存在でした。そんな117系ですが、実は東京と完全に無縁だったわけではありません。 1986年、東急車輛で製造された117系100番台6両編成が公式試運転で横須賀線を走り、品川まで入線しています。つまり117系は、ほんの一瞬だけですが“東の線路”を走っているのです。 ここでマイミーは考えます。 もし、このまま関東向けの117系まで造られていたら? 「最有力はやっぱり東海道線?」 これはもう、独断と偏見で言えば”東海道線一択”です。東京―横浜―大船―藤沢―平塚―小田原。長距離利用が多く、113系が大量に走っていた幹線。ここに117系を快速専用で投入する。普通列車とは完全に役割を分け、東京―横浜―大船―藤沢―平塚―小田原。 そんな停車駅で走る“湘南快速”。これ、かなり似合ったと思うんです。 しかも塗装は関西と同じクリーム+ぶどう色ではなく、 「湘南色の117系」転換クロスシートに腰掛け、MT54を唸らせて湘南へ向かう。後の快速アクティーを、国鉄時代に先取りしたような存在です。個人的には、かなり見てみたかった世界です。 「でも2扉は絶対に揉める」 ただし、ここで現実に戻ります。117系最大の弱点。 ”2扉” これは首都圏ではかなり厳しい。 朝の横浜、川崎、品川。そこに2扉転換クロスの117系が突っ込んできたら、乗降時間はかなり延びたはずです。なので、マイミーの妄想関東仕様では、 3扉化。ロングシート併設。さらに10両基本+5両付属。……いやもう、それ117系じゃないやん。となるわけですが、首都圏に本気で入れるなら、そこまで変えないと厳しかったでしょう。 「そして昨日の主役、185系」 ここで再び登場するのが、昨日の記事の主役だった”185系”です。 185系は1981年登場。特急にも普通列車にも使えるという、これまた国鉄らしい万能型でした。 関西の117系は、「快速を豪華にする車両」。...
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【元祖、青い京急】千葉急行の初代1000形
<ブルースカイトレインより13年前、 「赤い電車」は、すでに青くなっていた> 京浜急行といえば、赤い電車。 赤い車体に白い帯という姿は、同社の代名詞といってもよいほどカラーイメージとして定着しています。 そんな京急における「紅一点」ならぬ「碧一点」といえば、 青い車体をまとった「KEIKYU BLUE SKY TRAIN」を思い浮かべる方も多いでしょう。 600形によるブルースカイトレインが運行を開始したのは2005年3月14日。 ところが―― それより13年も前の1992年、すでに「青い京急」が存在していたことをご存知でしょうか。 千葉急行電鉄1000形。 ■第三セクターへ渡った京急1000形千葉急行電鉄は、現在の京成千原線の前身にあたる鉄道会社です。 京成電鉄や小湊鉄道のほか、千葉県、千葉市、市原市などが出資して設立された第三セクターで、 1992年4月1日、千葉中央―大森台間を開業しました。 そして、この新しい鉄道会社に用意された車両のひとつが、 京急の初代1000形、となるわけです。 対象となったのは1029~1032の4両編成。 もともとは京急から京成側へ貸し出され、京成線で使用されていた車両でしたが、千葉急行の開業に合わせて同社用の車両として使用されることとなります。 ■赤から、青へ何より目を引くのが、その塗装です。 京急時代の赤い車体に白帯という姿から一転。 青い車体に白帯。 車体そのものは、紛れもなく京急1000形でありながら、色だけを見ればまったく別の電車です。 前面の造形も、側面の窓配置も、そして白帯の入れ方も京急1000形そのもの。 それだけに、 「京急の電車が青くなった(顔面真っ青的なニュアンス)」 という表現が、これほど似合う車両もありません。 しかも、この姿が登場したのは1992年。 後に京急自身が「羽田空港の空」と「三浦半島の海」をイメージしてブルースカイトレインを登場させる、実に13年前のことでした。...
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<ブルースカイトレインより13年前、 「赤い電車」は、すでに青くなっていた> 京浜急行といえば、赤い電車。 赤い車体に白い帯という姿は、同社の代名詞といってもよいほどカラーイメージとして定着しています。 そんな京急における「紅一点」ならぬ「碧一点」といえば、 青い車体をまとった「KEIKYU BLUE SKY TRAIN」を思い浮かべる方も多いでしょう。 600形によるブルースカイトレインが運行を開始したのは2005年3月14日。 ところが―― それより13年も前の1992年、すでに「青い京急」が存在していたことをご存知でしょうか。 千葉急行電鉄1000形。 ■第三セクターへ渡った京急1000形千葉急行電鉄は、現在の京成千原線の前身にあたる鉄道会社です。 京成電鉄や小湊鉄道のほか、千葉県、千葉市、市原市などが出資して設立された第三セクターで、 1992年4月1日、千葉中央―大森台間を開業しました。 そして、この新しい鉄道会社に用意された車両のひとつが、 京急の初代1000形、となるわけです。 対象となったのは1029~1032の4両編成。 もともとは京急から京成側へ貸し出され、京成線で使用されていた車両でしたが、千葉急行の開業に合わせて同社用の車両として使用されることとなります。 ■赤から、青へ何より目を引くのが、その塗装です。 京急時代の赤い車体に白帯という姿から一転。 青い車体に白帯。 車体そのものは、紛れもなく京急1000形でありながら、色だけを見ればまったく別の電車です。 前面の造形も、側面の窓配置も、そして白帯の入れ方も京急1000形そのもの。 それだけに、 「京急の電車が青くなった(顔面真っ青的なニュアンス)」 という表現が、これほど似合う車両もありません。 しかも、この姿が登場したのは1992年。 後に京急自身が「羽田空港の空」と「三浦半島の海」をイメージしてブルースカイトレインを登場させる、実に13年前のことでした。...
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【国鉄名車列伝】185系・特急にも普通にもなる、国鉄が生んだ万能電車
<特急にも普通にも。国鉄が生んだ実用本位の名車> 1981年。国鉄は東海道本線に、それまでの特急形電車とは少し違う車両を送り込みました。 "185系" 白い車体に、緑の斜めストライプ。 見た目こそ鮮烈でしたが、本当に特徴的だったのは、その設計思想です。 この電車、特急形でありながら "普通列車で使うことまで考えて造られていました。" 153系の仕事を丸ごと引き継ぐ 185系誕生の背景には、東海道本線で急行「伊豆」や普通列車に使われていた153系の老朽化がありました。国鉄が必要としていたのは、単純な特急専用車ではありません。 急行にも普通列車にも使え、さらに特急運用にも対応できる車両。いわば153系が担っていた仕事を幅広く引き継ぐ、「実用本位の万能車」でした。 特急形なのに“普通列車にも使える” 185系の客用扉は片側2か所、幅1,000mmの片開き扉。従来の特急形より乗降性を高めながら、車内にはデッキを設置。普通列車としての使いやすさと、特急としての居住性を両立させました。 さらに登場時の普通車は"転換クロスシート"窓も固定式ではなく開閉可能。183系や485系と比べれば、かなり異質な特急形です。 しかし、これは決して中途半端なのではありません。 185系は最初から、「特急だけを走る電車」ではなかったのです。 本当に普通列車として走った。 1981年3月、185系は急行「伊豆」などで営業運転を開始。同年10月には特急「踊り子」が誕生し、185系は伊豆特急の顔となっていきます。 その一方、間合い運用では東海道本線の普通列車にも投入されました。特急として走る同じ車両に、今度は普通乗車券だけで乗れる。現在では珍しい使い方ですが、これこそ185系の本領でした。 新時代なのに、あえて「抵抗制御」 185系が登場した1981年には、鉄道車両の制御方式も次の時代へ進み始めていました。 国鉄では同年、電機子チョッパ制御を採用した201系の量産が開始。 私鉄でも”界磁チョッパ制御”など、省エネルギー型の方式が広がっていました。 そんな時代に185系は、実績ある「抵抗制御」を採用します。 最新技術よりも、普通列車から特急まで毎日確実に走れること。整備しやすく、安定して使えること。国鉄は185系に、新しさより実用性と信頼性を求めたのです。 200番台と「新幹線リレー号」 東海道・伊豆方面向けの0番台に続き、耐寒耐雪構造を強化した「200番台」も登場。 1982年の東北新幹線開業後には、上野―大宮間を結んだ「新幹線リレー号」でも活躍しました。 その後は「草津」「谷川」「あかぎ」などにも充当され、185系の活躍範囲は関東一円へ広がっていきます。 JR東日本最後の「絵幕特急」 185系の魅力を語るうえで忘れられないのが、前面中央の”幕式ヘッドマーク”です。「踊り子」「草津」「あかぎ」など、列車ごとに異なる愛称と図柄を掲げて走りました。...
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<特急にも普通にも。国鉄が生んだ実用本位の名車> 1981年。国鉄は東海道本線に、それまでの特急形電車とは少し違う車両を送り込みました。 "185系" 白い車体に、緑の斜めストライプ。 見た目こそ鮮烈でしたが、本当に特徴的だったのは、その設計思想です。 この電車、特急形でありながら "普通列車で使うことまで考えて造られていました。" 153系の仕事を丸ごと引き継ぐ 185系誕生の背景には、東海道本線で急行「伊豆」や普通列車に使われていた153系の老朽化がありました。国鉄が必要としていたのは、単純な特急専用車ではありません。 急行にも普通列車にも使え、さらに特急運用にも対応できる車両。いわば153系が担っていた仕事を幅広く引き継ぐ、「実用本位の万能車」でした。 特急形なのに“普通列車にも使える” 185系の客用扉は片側2か所、幅1,000mmの片開き扉。従来の特急形より乗降性を高めながら、車内にはデッキを設置。普通列車としての使いやすさと、特急としての居住性を両立させました。 さらに登場時の普通車は"転換クロスシート"窓も固定式ではなく開閉可能。183系や485系と比べれば、かなり異質な特急形です。 しかし、これは決して中途半端なのではありません。 185系は最初から、「特急だけを走る電車」ではなかったのです。 本当に普通列車として走った。 1981年3月、185系は急行「伊豆」などで営業運転を開始。同年10月には特急「踊り子」が誕生し、185系は伊豆特急の顔となっていきます。 その一方、間合い運用では東海道本線の普通列車にも投入されました。特急として走る同じ車両に、今度は普通乗車券だけで乗れる。現在では珍しい使い方ですが、これこそ185系の本領でした。 新時代なのに、あえて「抵抗制御」 185系が登場した1981年には、鉄道車両の制御方式も次の時代へ進み始めていました。 国鉄では同年、電機子チョッパ制御を採用した201系の量産が開始。 私鉄でも”界磁チョッパ制御”など、省エネルギー型の方式が広がっていました。 そんな時代に185系は、実績ある「抵抗制御」を採用します。 最新技術よりも、普通列車から特急まで毎日確実に走れること。整備しやすく、安定して使えること。国鉄は185系に、新しさより実用性と信頼性を求めたのです。 200番台と「新幹線リレー号」 東海道・伊豆方面向けの0番台に続き、耐寒耐雪構造を強化した「200番台」も登場。 1982年の東北新幹線開業後には、上野―大宮間を結んだ「新幹線リレー号」でも活躍しました。 その後は「草津」「谷川」「あかぎ」などにも充当され、185系の活躍範囲は関東一円へ広がっていきます。 JR東日本最後の「絵幕特急」 185系の魅力を語るうえで忘れられないのが、前面中央の”幕式ヘッドマーク”です。「踊り子」「草津」「あかぎ」など、列車ごとに異なる愛称と図柄を掲げて走りました。...
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