Mr.DIMER Journal
【国鉄型魔改造列車特集Vol.3】165系・パノラマエクスプレスアルプス
<急行形165系を切り刻み、“前面展望電車”へ。国鉄末期に生まれ、最後は富士山の麓まで走り抜いた魔改造車> 国鉄分割民営化を目前に控えた1987年3月。東京西鉄道管理局から、とんでもない165系が姿を現します。 その名は、「パノラマエクスプレスアルプス」 中央本線や大糸線を走るなら、雄大な山岳風景そのものを列車の魅力にしてしまおう。そんな発想から生まれた、国鉄最後期を代表するジョイフルトレインです。 種車は、急行形電車165系。しかし完成した姿を見れば、「165系はどこへ行った?」と言いたくなるほどの大改造でした。 最大の特徴は、両端のクロ165形。 クハ165形の前頭部を大胆に作り替え、運転台を客室より後方の高い位置へ移設。その前に展望室を設けるという、小田急ロマンスカーや名鉄パノラマカーを思わせる構造となりました。 これは国鉄の電車として初めて本格的な前面展望構造を採用した車両でした。 編成は、クロ165+モロ164+クモロ165+クモロ165+モロ164+クロ165の6両。 3両単位でも使用できる構成で、6両編成時には両端に展望車が来るよう組まれていました。そして車内も、もはや急行形165系ではありません。展望室、ラウンジ、大型窓、リクライニングシート。 さらにモロ164形のパンタグラフ下には「6人用個室」まで用意されました。 形式記号も「ハ」ではなく「ロ」。 つまり全車グリーン車。 外観も湘南色とは似ても似つかない、白を基調に赤と青を配した大胆なデザインとなりました。それでも床下では、MT54形主電動機を搭載する165系の足回りが生きています。 豪華な展望車の姿でありながら、走れば聞こえてくるのは国鉄急行形の音。まさに“魔改造”です。 しかも改造されたのは、まだ国鉄が存在していた最後の時期。新車を一から造るのではなく、長年酷使されてきた急行形電車を徹底的に造り替え、新しい観光需要へ対応させる。 そこには、限られた予算と車両を最大限に活用しようとした、国鉄末期ならではの発想が色濃く表れていました。そんなパノラマエクスプレスアルプスには、珍しい逸話も残されています。 1987年8月25日。テレビ番組の収録で、なんと”山手線を一周”しました。 ところが当時の山手線はATC区間。パノラマエクスプレスアルプス自身は対応していません。そこで先頭にATC対応のクモヤ143形を連結して走行。 つまりせっかくの展望室なのに、”真正面にはクモヤ143”。 「パノラマなのに前が見えない」という、なんとも国鉄末期らしい豪快な運転となりました。 民営化後はJR東日本へ継承。中央本線を中心に団体・臨時列車として活躍し、1990年代には同系統の塗装を施した167系4両を挟み、臨時急行「しんせん・やまなし」で10両編成を組んだことさえありました。 そして2001年、JR東日本での運用を終了。しかし、この165系の物語はここでは終わりません。 6両すべてが富士急行へ譲渡され、3両編成2本の2000系へ。 2002年2月から、「フジサン特急」として第二の人生を始めます。パノラマエクスプレス時代の展望室やラウンジ、個室を活かし、富士山を眺めながら走る観光特急へ転身。車体には富士山をキャラクター化した大量の「フジサン君」が描かれました。 国鉄時代の上品な欧風デザインから一転、かなりポップな姿。ところが中身は、紛れもなく165系です。しかもこの2000系は、やがて「営業運転を続ける最後の国鉄165系一族」となりました。 そして2013年には、引退を控えた2002号編成が、なんと往年のパノラマエクスプレスアルプス時代を思わせる塗装へ復刻。富士山の麓に、かつて中央本線を駆けた白・赤・青の姿が帰ってきました。 「フジサン特急」として生まれ変わった車両が、最後にもう一度“パノラマエクスプレスアルプス”へ戻る。長年この車両を追い続けたファンにとっては、まさに粋な餞別でした。老朽化のため順次引退が進み、最後まで残った2001号編成も、”2016年2月7日”にラストラン。直前には車両故障で約3週間運休するという出来事もありました。満身創痍の中、懸命な復旧作業によって再び営業運転へ復帰。そして予定通り雪の降る中多くのファンに見守られながら、最後の日を迎えています。 1960年代に急行形電車として生まれ、国鉄末期に展望ジョイフルトレインへ魔改造され、最後は富士山の麓を走る観光特急へ。 約半世紀にわたり、姿も役目も変えながら走り続けた165系。...
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<急行形165系を切り刻み、“前面展望電車”へ。国鉄末期に生まれ、最後は富士山の麓まで走り抜いた魔改造車> 国鉄分割民営化を目前に控えた1987年3月。東京西鉄道管理局から、とんでもない165系が姿を現します。 その名は、「パノラマエクスプレスアルプス」 中央本線や大糸線を走るなら、雄大な山岳風景そのものを列車の魅力にしてしまおう。そんな発想から生まれた、国鉄最後期を代表するジョイフルトレインです。 種車は、急行形電車165系。しかし完成した姿を見れば、「165系はどこへ行った?」と言いたくなるほどの大改造でした。 最大の特徴は、両端のクロ165形。 クハ165形の前頭部を大胆に作り替え、運転台を客室より後方の高い位置へ移設。その前に展望室を設けるという、小田急ロマンスカーや名鉄パノラマカーを思わせる構造となりました。 これは国鉄の電車として初めて本格的な前面展望構造を採用した車両でした。 編成は、クロ165+モロ164+クモロ165+クモロ165+モロ164+クロ165の6両。 3両単位でも使用できる構成で、6両編成時には両端に展望車が来るよう組まれていました。そして車内も、もはや急行形165系ではありません。展望室、ラウンジ、大型窓、リクライニングシート。 さらにモロ164形のパンタグラフ下には「6人用個室」まで用意されました。 形式記号も「ハ」ではなく「ロ」。 つまり全車グリーン車。 外観も湘南色とは似ても似つかない、白を基調に赤と青を配した大胆なデザインとなりました。それでも床下では、MT54形主電動機を搭載する165系の足回りが生きています。 豪華な展望車の姿でありながら、走れば聞こえてくるのは国鉄急行形の音。まさに“魔改造”です。 しかも改造されたのは、まだ国鉄が存在していた最後の時期。新車を一から造るのではなく、長年酷使されてきた急行形電車を徹底的に造り替え、新しい観光需要へ対応させる。 そこには、限られた予算と車両を最大限に活用しようとした、国鉄末期ならではの発想が色濃く表れていました。そんなパノラマエクスプレスアルプスには、珍しい逸話も残されています。 1987年8月25日。テレビ番組の収録で、なんと”山手線を一周”しました。 ところが当時の山手線はATC区間。パノラマエクスプレスアルプス自身は対応していません。そこで先頭にATC対応のクモヤ143形を連結して走行。 つまりせっかくの展望室なのに、”真正面にはクモヤ143”。 「パノラマなのに前が見えない」という、なんとも国鉄末期らしい豪快な運転となりました。 民営化後はJR東日本へ継承。中央本線を中心に団体・臨時列車として活躍し、1990年代には同系統の塗装を施した167系4両を挟み、臨時急行「しんせん・やまなし」で10両編成を組んだことさえありました。 そして2001年、JR東日本での運用を終了。しかし、この165系の物語はここでは終わりません。 6両すべてが富士急行へ譲渡され、3両編成2本の2000系へ。 2002年2月から、「フジサン特急」として第二の人生を始めます。パノラマエクスプレス時代の展望室やラウンジ、個室を活かし、富士山を眺めながら走る観光特急へ転身。車体には富士山をキャラクター化した大量の「フジサン君」が描かれました。 国鉄時代の上品な欧風デザインから一転、かなりポップな姿。ところが中身は、紛れもなく165系です。しかもこの2000系は、やがて「営業運転を続ける最後の国鉄165系一族」となりました。 そして2013年には、引退を控えた2002号編成が、なんと往年のパノラマエクスプレスアルプス時代を思わせる塗装へ復刻。富士山の麓に、かつて中央本線を駆けた白・赤・青の姿が帰ってきました。 「フジサン特急」として生まれ変わった車両が、最後にもう一度“パノラマエクスプレスアルプス”へ戻る。長年この車両を追い続けたファンにとっては、まさに粋な餞別でした。老朽化のため順次引退が進み、最後まで残った2001号編成も、”2016年2月7日”にラストラン。直前には車両故障で約3週間運休するという出来事もありました。満身創痍の中、懸命な復旧作業によって再び営業運転へ復帰。そして予定通り雪の降る中多くのファンに見守られながら、最後の日を迎えています。 1960年代に急行形電車として生まれ、国鉄末期に展望ジョイフルトレインへ魔改造され、最後は富士山の麓を走る観光特急へ。 約半世紀にわたり、姿も役目も変えながら走り続けた165系。...
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最近流行りのクルマに見られるアレ...もしや0系がハシリ?!
<"元々は光っていた0系の"鼻"、光前頭。> 近年、自動車のデザインは より複雑化し、 凝った造形になりつつあります。 と同時に ライト類とは別に LEDを多く採用、活用しており、 グリルの外周や エンブレムが光るというギミックも見られます。 なんでも光らせれば いいと思うな! と怒られそうなところ、 前照灯、尾灯をさて置き、 "連結器カバーの光る新幹線"があったことを 覚えていますでしょうか。 0系新幹線電車です。 ■「団子鼻」の正体0系を象徴する、 丸みを帯びた先頭形状。 なかでも先端に取り付けられた 半球状の"団子鼻"は、 単なるデザインではありません。 この内部には、 故障した車両を救援する際などに使用する 非常用の連結器が収められており、 鼻そのものは、 それを覆うための "連結器カバー"になっています。 そして東海道新幹線開業当初、 このカバーはそののち標準となった 不透明のFRP製ではなく、...
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<"元々は光っていた0系の"鼻"、光前頭。> 近年、自動車のデザインは より複雑化し、 凝った造形になりつつあります。 と同時に ライト類とは別に LEDを多く採用、活用しており、 グリルの外周や エンブレムが光るというギミックも見られます。 なんでも光らせれば いいと思うな! と怒られそうなところ、 前照灯、尾灯をさて置き、 "連結器カバーの光る新幹線"があったことを 覚えていますでしょうか。 0系新幹線電車です。 ■「団子鼻」の正体0系を象徴する、 丸みを帯びた先頭形状。 なかでも先端に取り付けられた 半球状の"団子鼻"は、 単なるデザインではありません。 この内部には、 故障した車両を救援する際などに使用する 非常用の連結器が収められており、 鼻そのものは、 それを覆うための "連結器カバー"になっています。 そして東海道新幹線開業当初、 このカバーはそののち標準となった 不透明のFRP製ではなく、...
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【国鉄型魔改造列車特集Vol.2】165系・なのはな
1986年。国鉄千葉鉄道管理局に、それまでのお座敷列車とは少し違う車両が誕生しました。 その名は、「なのはな」 種車となったのは、かつて急行列車として活躍した「165系電車」 全国では客車を改造したお座敷列車が主流だった時代に、国鉄は165系を大胆に改造し、国鉄初の本格的な「お座敷電車」を誕生させました。 最大の特徴は、客車ではなく”電車”であること。 機関車を必要とせず、自ら走ることができるため、団体列車として機動的な運用が可能でした。 編成は3両編成を2本用意し、基本的には6両で運転。全車がお座敷仕様となり、形式も普通車のクハ・モハ・クモハから、グリーン車を示すクロ165・モロ164・クモロ165へ変更されました。 外観には165系らしい“東海顔”を残しながら、房総半島と千葉県の県花「菜の花」をイメージした鮮やかな塗装へ変身。 つまり「なのはな」は、見た目を完全に作り替えた魔改造ではありません。しかし中身は、 急行形電車↓全車グリーン車↓畳敷きのお座敷電車 という大胆な転身でした。さらに各車には「すみれ」「あやめ」「きんせんか」「すいせん」「あじさい」「ゆり」と、花にちなんだ愛称まで与えられています。 「なのはな」の登場以降、電車をベースとしたジョイフルトレインはさらに進化。 翌1987年には同じ165系から、原形をほとんど感じさせない「パノラマエクスプレスアルプス」も登場します。 客車中心だったジョイフルトレインの世界に、「電車を丸ごと観光列車にする」 という新しい道を開いた165系「なのはな」。 国鉄型車両の第二の人生は、ここからさらに大胆になっていきます。 (マイミー)
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1986年。国鉄千葉鉄道管理局に、それまでのお座敷列車とは少し違う車両が誕生しました。 その名は、「なのはな」 種車となったのは、かつて急行列車として活躍した「165系電車」 全国では客車を改造したお座敷列車が主流だった時代に、国鉄は165系を大胆に改造し、国鉄初の本格的な「お座敷電車」を誕生させました。 最大の特徴は、客車ではなく”電車”であること。 機関車を必要とせず、自ら走ることができるため、団体列車として機動的な運用が可能でした。 編成は3両編成を2本用意し、基本的には6両で運転。全車がお座敷仕様となり、形式も普通車のクハ・モハ・クモハから、グリーン車を示すクロ165・モロ164・クモロ165へ変更されました。 外観には165系らしい“東海顔”を残しながら、房総半島と千葉県の県花「菜の花」をイメージした鮮やかな塗装へ変身。 つまり「なのはな」は、見た目を完全に作り替えた魔改造ではありません。しかし中身は、 急行形電車↓全車グリーン車↓畳敷きのお座敷電車 という大胆な転身でした。さらに各車には「すみれ」「あやめ」「きんせんか」「すいせん」「あじさい」「ゆり」と、花にちなんだ愛称まで与えられています。 「なのはな」の登場以降、電車をベースとしたジョイフルトレインはさらに進化。 翌1987年には同じ165系から、原形をほとんど感じさせない「パノラマエクスプレスアルプス」も登場します。 客車中心だったジョイフルトレインの世界に、「電車を丸ごと観光列車にする」 という新しい道を開いた165系「なのはな」。 国鉄型車両の第二の人生は、ここからさらに大胆になっていきます。 (マイミー)
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【JRが発足した"その時"】100系はなぜJR西日本に継承されなかったのか(後編)
<JR西日本が造った「自社仕様の100系」> 1987(昭和62)年。JR西日本は、国鉄から100系を1両も承継することなく発足しました。 ところが、その僅か2年後となる1989(平成元)年。同社は自ら100系を新製し、「グランドひかり」として営業運転を開始します。 100系3000番台、いわゆる100N系・V編成です。 国鉄時代の100系X編成が2階建て車両を2両連結していたのに対し、V編成ではこれを4両へ拡大。 さらに山陽新幹線内では最高230km/h運転を行うなど、JR西日本独自の仕様が盛り込まれることとなります。 "この独自仕様"は車両構成にも大きな相違点をもたらせます。 国鉄時代のX編成や、JR東海が増備したG編成では、両端の先頭車はモーターを持たない付随車。 対してV編成では、先頭車を電動車としています。 2階建て車両4両を付随車とし、それ以外の平屋車を電動車とする構成でした。 なお、国鉄・JR東海において製造、保有された100系とJR西日本が製造した100系は、書類上は別形式とされています。 そして、この違いは、後年の山陽新幹線を取り巻く輸送環境に功を奏することとなります。 300系、500系、700系と後継車両が相次いで登場すると、100系は次第に第一線から退くようになります。 そこでJR西日本は、V編成の2階建て車両を外し、平屋車を4両・6両へ組み替えて、山陽新幹線「こだま」へと転用。P編成、K編成として第2の人生(車生)を歩みます。 V編成は先頭車を含む平屋車が電動車であったため、2階建ての付随車を取り除くと、短編成は全車電動車となりました。 もっとも、これをもって「将来の短編成化まで見越してV編成を設計した」と断じることはできませんが、しかし結果として、JR西日本独自の車両構成が、100系の第二の活躍を支えることとなったのは確かです。 1987年。JR西日本は、経営上の事情から国鉄100系を持たずに船出しました。 そして1989年には、自らの輸送施策に即した100系を造り、さらに2000年代には、その車両を山陽「こだま」へ転用することで使途を広げた。 同じ「100系」でありながら、国鉄からJRへ。 そしてJR東海とJR西日本へ。置かれた環境によって、その歩みは大きく枝分かれしていったのです。 (Mr.DIMER編集長)
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<JR西日本が造った「自社仕様の100系」> 1987(昭和62)年。JR西日本は、国鉄から100系を1両も承継することなく発足しました。 ところが、その僅か2年後となる1989(平成元)年。同社は自ら100系を新製し、「グランドひかり」として営業運転を開始します。 100系3000番台、いわゆる100N系・V編成です。 国鉄時代の100系X編成が2階建て車両を2両連結していたのに対し、V編成ではこれを4両へ拡大。 さらに山陽新幹線内では最高230km/h運転を行うなど、JR西日本独自の仕様が盛り込まれることとなります。 "この独自仕様"は車両構成にも大きな相違点をもたらせます。 国鉄時代のX編成や、JR東海が増備したG編成では、両端の先頭車はモーターを持たない付随車。 対してV編成では、先頭車を電動車としています。 2階建て車両4両を付随車とし、それ以外の平屋車を電動車とする構成でした。 なお、国鉄・JR東海において製造、保有された100系とJR西日本が製造した100系は、書類上は別形式とされています。 そして、この違いは、後年の山陽新幹線を取り巻く輸送環境に功を奏することとなります。 300系、500系、700系と後継車両が相次いで登場すると、100系は次第に第一線から退くようになります。 そこでJR西日本は、V編成の2階建て車両を外し、平屋車を4両・6両へ組み替えて、山陽新幹線「こだま」へと転用。P編成、K編成として第2の人生(車生)を歩みます。 V編成は先頭車を含む平屋車が電動車であったため、2階建ての付随車を取り除くと、短編成は全車電動車となりました。 もっとも、これをもって「将来の短編成化まで見越してV編成を設計した」と断じることはできませんが、しかし結果として、JR西日本独自の車両構成が、100系の第二の活躍を支えることとなったのは確かです。 1987年。JR西日本は、経営上の事情から国鉄100系を持たずに船出しました。 そして1989年には、自らの輸送施策に即した100系を造り、さらに2000年代には、その車両を山陽「こだま」へ転用することで使途を広げた。 同じ「100系」でありながら、国鉄からJRへ。 そしてJR東海とJR西日本へ。置かれた環境によって、その歩みは大きく枝分かれしていったのです。 (Mr.DIMER編集長)
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【安全に対する心得】鉄道員が先ず一番に覚えるもの。
日本の鉄道には、皆さんも一度は目にしたことがあるであろう「安全綱領」というものがあります。 鉄道員として現場に出る前に、まず最初に叩き込まれる言葉です。 1. 安全の確保は、輸送の生命である。2. 規程の遵守は、安全の基礎である。3. 執務の厳正は、安全の要件である。 ※表現や内容は鉄道会社によって異なる場合があります。 この三つの言葉を見たり聞いたりしたことのある方は、多いのではないでしょうか。 しかし、鉄道員が身につける安全への心得は、これだけではありません。 さらに細かく定められた「一般準則」があります。 1. 規程の携帯2. 規程の理解3. 規程の遵守4. 作業の確実5. 連絡の徹底6. 確認の励行7. 運転状況の熟知8. 時計の整正9. 事故の防止10. 事故の処置 鉄道員であれば、誰もが繰り返し教えられてきた内容だと思います。 そして私は、鉄道員の持つ使命感や責任感というものは、こうした教えから始まっているように感じています。 これは何も、運転士や車掌といった乗務員だけの話ではありません。 駅員、指令員、保線、電気、信号、車両整備。列車を安全に走らせるために関わる、すべての鉄道員に共通するものです。 一本の列車が何事もなく目的地へ到着する。利用する側から見れば、それは「当たり前」のことかもしれません。 しかし、その当たり前の裏側には、数え切れないほどの確認と作業、そして多くの鉄道員の責任があります。近年、鉄道を巡るネガティブな話題を目にする機会が増えました。 そして近々でも関東の私鉄で、痛ましい事故が発生してしまいました。 ファンとして。そして、かつて乗務員としてハンドルを握っていた人間として。こうした出来事を見るたびに、非常に胸が痛みます。 「どうにかならないものか」...
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日本の鉄道には、皆さんも一度は目にしたことがあるであろう「安全綱領」というものがあります。 鉄道員として現場に出る前に、まず最初に叩き込まれる言葉です。 1. 安全の確保は、輸送の生命である。2. 規程の遵守は、安全の基礎である。3. 執務の厳正は、安全の要件である。 ※表現や内容は鉄道会社によって異なる場合があります。 この三つの言葉を見たり聞いたりしたことのある方は、多いのではないでしょうか。 しかし、鉄道員が身につける安全への心得は、これだけではありません。 さらに細かく定められた「一般準則」があります。 1. 規程の携帯2. 規程の理解3. 規程の遵守4. 作業の確実5. 連絡の徹底6. 確認の励行7. 運転状況の熟知8. 時計の整正9. 事故の防止10. 事故の処置 鉄道員であれば、誰もが繰り返し教えられてきた内容だと思います。 そして私は、鉄道員の持つ使命感や責任感というものは、こうした教えから始まっているように感じています。 これは何も、運転士や車掌といった乗務員だけの話ではありません。 駅員、指令員、保線、電気、信号、車両整備。列車を安全に走らせるために関わる、すべての鉄道員に共通するものです。 一本の列車が何事もなく目的地へ到着する。利用する側から見れば、それは「当たり前」のことかもしれません。 しかし、その当たり前の裏側には、数え切れないほどの確認と作業、そして多くの鉄道員の責任があります。近年、鉄道を巡るネガティブな話題を目にする機会が増えました。 そして近々でも関東の私鉄で、痛ましい事故が発生してしまいました。 ファンとして。そして、かつて乗務員としてハンドルを握っていた人間として。こうした出来事を見るたびに、非常に胸が痛みます。 「どうにかならないものか」...
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【JRが発足した"その時"】100系はなぜJR西日本に継承されなかったのか(前編)
1987(昭和62)年4月1日。 国鉄分割民営化によりJR各社が発足し、東海道・山陽新幹線も新大阪を境に、JR東海とJR西日本へと分割されます。 この際、車両はどのように分配されたのでしょうか。 当時の最新鋭車両は、1985(昭和60)年に営業運転を開始した100系。 東京~博多間の「ひかり」に充当され、東海道のみならず、山陽新幹線においても日常的にその姿を見ることができました。 ところがJR発足時、国鉄が製造した100系は全車がJR東海へ。 JR西日本が承継した100系は、1両もありません。 対して同社へ渡ったのは、製造から相当年数を経た0系だけ、でした。 最新型は東海へ。旧型は西日本へ。 一見すれば、いささか偏った分配にも映ります。 しかし、その背景を辿ると、単なる車両配置の都合ではなく、国鉄分割民営化そのものが抱えていた「会社間の収益力の差」が見えてくるのです。 ■東海と西日本では、出発点が違ったJR東海が受け持つこととなった東海道新幹線は、東京・名古屋・大阪という三大都市圏を結ぶ、日本有数の高収益路線です。 対してJR西日本は、山陽新幹線を有する一方、京阪神の都市圏輸送に加え、中国地方をはじめとする広大な在来線網も抱えることとなりました。 したがって、分割民営化の時点から、JR東海とJR西日本とでは将来的な収益力に差が生じることが見込まれていたのです。 国鉄分割民営化に際しては、各社が独立した企業として成り立つよう、長期債務や新幹線施設に係る費用など、さまざまな調整が行われました。 しかし、それでもJR西日本の収支は、JR東海ほど余裕のあるものではないと考えられていました。 そこで、さらに焦点となったのが、「減価償却費」です。 ■100系を持つということ新製間もない100系は、当然ながら帳簿上の資産価値も高く、保有すれば毎期計上される減価償却費も大きくなります。 もっとも、減価償却費とは、車両を保有することで毎年その金額だけ現金が流出する、というものではありません。 車両などの高額な資産について、その取得価額を使用期間に応じて各年度の費用として配分していく、会計上の経費です。 したがって、100系を多く承継すれば直ちに現金が失われるわけではありません。 しかし、毎期の費用計上額は大きくなり、会社の帳簿上の損益を圧迫します。 分割民営化に際しては、JR西日本の発足後の収支を成立させるため、この減価償却費についても調整が図られました。 そこで、 新製間もない100系はJR東海へ。 既に減価償却の進んでいた0系はJR西日本へ。 新幹線車両についても、こうした整理が行われることとなったのです。 ■新型車を持つことが、必ずしも有利とは限らない鉄道趣味の目線では、「新型車を多く持つ会社ほど恵まれている」と捉えがちです。 しかし、会社経営の観点から眺めれば、新しい車両は同時に「高価な資産」でもあります。 JR東海は、東海道新幹線という極めて強力な収益基盤を有する会社として発足しました。...
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1987(昭和62)年4月1日。 国鉄分割民営化によりJR各社が発足し、東海道・山陽新幹線も新大阪を境に、JR東海とJR西日本へと分割されます。 この際、車両はどのように分配されたのでしょうか。 当時の最新鋭車両は、1985(昭和60)年に営業運転を開始した100系。 東京~博多間の「ひかり」に充当され、東海道のみならず、山陽新幹線においても日常的にその姿を見ることができました。 ところがJR発足時、国鉄が製造した100系は全車がJR東海へ。 JR西日本が承継した100系は、1両もありません。 対して同社へ渡ったのは、製造から相当年数を経た0系だけ、でした。 最新型は東海へ。旧型は西日本へ。 一見すれば、いささか偏った分配にも映ります。 しかし、その背景を辿ると、単なる車両配置の都合ではなく、国鉄分割民営化そのものが抱えていた「会社間の収益力の差」が見えてくるのです。 ■東海と西日本では、出発点が違ったJR東海が受け持つこととなった東海道新幹線は、東京・名古屋・大阪という三大都市圏を結ぶ、日本有数の高収益路線です。 対してJR西日本は、山陽新幹線を有する一方、京阪神の都市圏輸送に加え、中国地方をはじめとする広大な在来線網も抱えることとなりました。 したがって、分割民営化の時点から、JR東海とJR西日本とでは将来的な収益力に差が生じることが見込まれていたのです。 国鉄分割民営化に際しては、各社が独立した企業として成り立つよう、長期債務や新幹線施設に係る費用など、さまざまな調整が行われました。 しかし、それでもJR西日本の収支は、JR東海ほど余裕のあるものではないと考えられていました。 そこで、さらに焦点となったのが、「減価償却費」です。 ■100系を持つということ新製間もない100系は、当然ながら帳簿上の資産価値も高く、保有すれば毎期計上される減価償却費も大きくなります。 もっとも、減価償却費とは、車両を保有することで毎年その金額だけ現金が流出する、というものではありません。 車両などの高額な資産について、その取得価額を使用期間に応じて各年度の費用として配分していく、会計上の経費です。 したがって、100系を多く承継すれば直ちに現金が失われるわけではありません。 しかし、毎期の費用計上額は大きくなり、会社の帳簿上の損益を圧迫します。 分割民営化に際しては、JR西日本の発足後の収支を成立させるため、この減価償却費についても調整が図られました。 そこで、 新製間もない100系はJR東海へ。 既に減価償却の進んでいた0系はJR西日本へ。 新幹線車両についても、こうした整理が行われることとなったのです。 ■新型車を持つことが、必ずしも有利とは限らない鉄道趣味の目線では、「新型車を多く持つ会社ほど恵まれている」と捉えがちです。 しかし、会社経営の観点から眺めれば、新しい車両は同時に「高価な資産」でもあります。 JR東海は、東海道新幹線という極めて強力な収益基盤を有する会社として発足しました。...
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