Mr.DIMER Journal
【Insta Thanks 7000 follow】「小田急7000形『LSE』」(Vol.6)
<"Luxury Super Express"、伝統の連接ロマンスカー> 1980年に登場した、小田急ロマンスカー7000形「LSE」。 愛称の由来は、"Luxury Super Express"の頭文字より。 初代3000形SE車の置き換えを目的に、3100形NSE車以来18年ぶりの新型特急車両として開発され、1981年には鉄道友の会よりブルーリボン賞を受賞しています。 SE・NSEから受け継いだ、小田急伝統の"連接構造"を採用した11両編成。 先頭部は、運転室を2階に上げ、最前部まで客室とした前面展望構造。前面窓の傾斜角はNSE車の60度から48度へと強められ、よりシャープなスタイルとなりました。 特筆すべきは、1982年、国鉄の申し入れにより、東海道本線でボギー車と連接車の比較試験に供されたこと。 私鉄の特急形車両が国鉄線上で走行試験を行ったのは、SE車とこのLSE車だけです。 2018年7月10日に定期運行を終了し、同年10月13日のさよならツアーをもって引退。38年の長きにわたって"箱根路"を駆け抜けました。 現在は、7003号車がロマンスカーミュージアムにて保存されています。 <車両データ>運用開始:1980年運用終了:2018年製造両数:44両(11両編成×4本) *************************************************Instagramのフォロワー数が7,500名を超えました。ありがとうございます。今後ともよろしくお願い致します。Mr.DIMER*************************************************
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<"Luxury Super Express"、伝統の連接ロマンスカー> 1980年に登場した、小田急ロマンスカー7000形「LSE」。 愛称の由来は、"Luxury Super Express"の頭文字より。 初代3000形SE車の置き換えを目的に、3100形NSE車以来18年ぶりの新型特急車両として開発され、1981年には鉄道友の会よりブルーリボン賞を受賞しています。 SE・NSEから受け継いだ、小田急伝統の"連接構造"を採用した11両編成。 先頭部は、運転室を2階に上げ、最前部まで客室とした前面展望構造。前面窓の傾斜角はNSE車の60度から48度へと強められ、よりシャープなスタイルとなりました。 特筆すべきは、1982年、国鉄の申し入れにより、東海道本線でボギー車と連接車の比較試験に供されたこと。 私鉄の特急形車両が国鉄線上で走行試験を行ったのは、SE車とこのLSE車だけです。 2018年7月10日に定期運行を終了し、同年10月13日のさよならツアーをもって引退。38年の長きにわたって"箱根路"を駆け抜けました。 現在は、7003号車がロマンスカーミュージアムにて保存されています。 <車両データ>運用開始:1980年運用終了:2018年製造両数:44両(11両編成×4本) *************************************************Instagramのフォロワー数が7,500名を超えました。ありがとうございます。今後ともよろしくお願い致します。Mr.DIMER*************************************************
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【国鉄型魔改造列車特集Vol.1】14系・サロンエクスプレス東京
1983年。国鉄の14系客車から、それまでの「団体列車」の常識を大きく変える車両が誕生しました。 その名は、「サロンエクスプレス東京」 東京南鉄道管理局が14系座席客車を改造して登場させた、7両編成の欧風客車です。 最大の特徴は、その姿。両端のスハフ14を改造した展望車には、大きな窓に囲まれた展望室を設置。 中間車も一般的な座席車とは大きく異なり、個室を主体とした豪華な客室へと改造されました。 「目的地へ運ぶための客車」だった14系が、「列車に乗ることそのものを楽しむ車両」へ生まれ変わったのです。 それまで国鉄の団体用車両といえば、お座敷客車が代表的な存在でした。そこへ登場したサロンエクスプレス東京は、「展望室」・「個室」・「ラウンジ」といった欧風の設備を前面に押し出し、後に全国へ広がっていく「ジョイフルトレイン」の先駆けとなりました。 そして、この列車の物語は一度では終わりません。 JR東日本へ継承された後の1997年、サロンエクスプレス東京は再び大改造。欧風客車だった車内はお座敷主体へ変更され、列車名も「ゆとり」へ。 14系座席客車↓欧風ジョイフルトレイン↓お座敷ジョイフルトレイン 実に二度の大変身を遂げることになります。国鉄型車両を活用し、新しい鉄道旅行を作り出す。その後、日本各地に現れる個性豊かなジョイフルトレインたち。 サロンエクスプレス東京は、ジョイフルトレイン時代の幕を開けた一編成でした。 (マイミー)
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1983年。国鉄の14系客車から、それまでの「団体列車」の常識を大きく変える車両が誕生しました。 その名は、「サロンエクスプレス東京」 東京南鉄道管理局が14系座席客車を改造して登場させた、7両編成の欧風客車です。 最大の特徴は、その姿。両端のスハフ14を改造した展望車には、大きな窓に囲まれた展望室を設置。 中間車も一般的な座席車とは大きく異なり、個室を主体とした豪華な客室へと改造されました。 「目的地へ運ぶための客車」だった14系が、「列車に乗ることそのものを楽しむ車両」へ生まれ変わったのです。 それまで国鉄の団体用車両といえば、お座敷客車が代表的な存在でした。そこへ登場したサロンエクスプレス東京は、「展望室」・「個室」・「ラウンジ」といった欧風の設備を前面に押し出し、後に全国へ広がっていく「ジョイフルトレイン」の先駆けとなりました。 そして、この列車の物語は一度では終わりません。 JR東日本へ継承された後の1997年、サロンエクスプレス東京は再び大改造。欧風客車だった車内はお座敷主体へ変更され、列車名も「ゆとり」へ。 14系座席客車↓欧風ジョイフルトレイン↓お座敷ジョイフルトレイン 実に二度の大変身を遂げることになります。国鉄型車両を活用し、新しい鉄道旅行を作り出す。その後、日本各地に現れる個性豊かなジョイフルトレインたち。 サロンエクスプレス東京は、ジョイフルトレイン時代の幕を開けた一編成でした。 (マイミー)
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【編集長コラム】買って後悔・買わずに後悔。未だに欲しい憧れの模型
「鉄道模型」。1両何千円、HOに至っては何万、何十万もする高価な大人の嗜好品。 近年では、余程メジャーな車両や塗装でなければ再生産を望めない車種もあり、最早おもちゃどころか、芸術品、骨とう品の域に片足を踏み入れている感があります。 さて、"未だに欲しい憧れの模型"。 編集長コラムなので、私が憧れていた車両だけ書き連ねると... ・伊豆急200系 青塗装・小田急5000形・169系みすず色・485系ハウステンボス色・485系かがやき・きらめき・715系 など 最近の新規金型での実質再生産されている車種とは程遠い車両に憧れている… 引退して大分経つ車両たちばかりで、かつ、しっかり売れる見込みがないと、模型メーカーも金型保有、再生産の体制はなかなか整えにくい。と、これが実情かと推察します。 故に、"欲しい模型は出た時に買う"。 買って後悔、買わずに後悔。 買わなかった後悔のほうが、心の未練として長く残りやすい、と言われています…都合の良い言い訳。 (Mr.DIMER編集長)
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「鉄道模型」。1両何千円、HOに至っては何万、何十万もする高価な大人の嗜好品。 近年では、余程メジャーな車両や塗装でなければ再生産を望めない車種もあり、最早おもちゃどころか、芸術品、骨とう品の域に片足を踏み入れている感があります。 さて、"未だに欲しい憧れの模型"。 編集長コラムなので、私が憧れていた車両だけ書き連ねると... ・伊豆急200系 青塗装・小田急5000形・169系みすず色・485系ハウステンボス色・485系かがやき・きらめき・715系 など 最近の新規金型での実質再生産されている車種とは程遠い車両に憧れている… 引退して大分経つ車両たちばかりで、かつ、しっかり売れる見込みがないと、模型メーカーも金型保有、再生産の体制はなかなか整えにくい。と、これが実情かと推察します。 故に、"欲しい模型は出た時に買う"。 買って後悔、買わずに後悔。 買わなかった後悔のほうが、心の未練として長く残りやすい、と言われています…都合の良い言い訳。 (Mr.DIMER編集長)
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【国鉄型魔改造列車特集】連載お知らせ
かつて日本各地の鉄路を彩った、「ジョイフルトレイン」。 展望室を備えた豪華列車。畳敷きのお座敷電車。そして、元の形式が分からないほど大胆に姿を変えた車両たち。 その始まりには、国鉄が模索した「新しい鉄道旅行」への理想がありました。団体旅行が盛んだった時代、従来のお座敷客車だけではなく、"列車に乗ること自体を楽しむ"特別な車両が求められるようになります。 そこで国鉄は、14系客車や165系電車など既存車両を活用しながら、展望室やサロン、個室などを備えた個性豊かなジョイフルトレインを次々と誕生させました。 そして、その思想はJR各社へ受け継がれ、485系など国鉄型車両のさらなる"魔改造"へと発展していきます。 今回から始まる、【国鉄型魔改造列車特集】 華やかなジョイフルトレインたちに隠された、驚きの改造と第二の人生を紹介して参ります。どうか、ご期待下さい。 (マイミー)
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かつて日本各地の鉄路を彩った、「ジョイフルトレイン」。 展望室を備えた豪華列車。畳敷きのお座敷電車。そして、元の形式が分からないほど大胆に姿を変えた車両たち。 その始まりには、国鉄が模索した「新しい鉄道旅行」への理想がありました。団体旅行が盛んだった時代、従来のお座敷客車だけではなく、"列車に乗ること自体を楽しむ"特別な車両が求められるようになります。 そこで国鉄は、14系客車や165系電車など既存車両を活用しながら、展望室やサロン、個室などを備えた個性豊かなジョイフルトレインを次々と誕生させました。 そして、その思想はJR各社へ受け継がれ、485系など国鉄型車両のさらなる"魔改造"へと発展していきます。 今回から始まる、【国鉄型魔改造列車特集】 華やかなジョイフルトレインたちに隠された、驚きの改造と第二の人生を紹介して参ります。どうか、ご期待下さい。 (マイミー)
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【特集、お召し列車Vol.6】D51 838号機<鳳凰を纏う堂々たるお召機>
昭和46年、1971年4月21日。中国山地を越える伯備線に、ひと目で「普通のデゴイチではない」と分かる一両がいました。 煙突の上を覆う、大きな集煙装置。巨大な除煙板。磨き上げられた漆黒の車体。 そして、その除煙板には金色に輝く「鳳凰」。 その機関車こそ、昭和天皇・皇后両陛下のお召列車を牽引した、伯備線屈指の名機「D51形838号機」です。 D51形は昭和11年(1936年)に登場した、国鉄を代表する貨物用蒸気機関車。 国鉄の前身である鉄道省だけでも1,115両が製造されました。以前、498号機の記事でも触れましたが、すべてのD51が同じ姿をしていたわけではありません。 製造時期による違い。配置された地域による改造。使用線区に合わせた装備。 長い年月の中で、それぞれのD51に「個性」が生まれていきました。そして838号機は、その個性が非常に分かりやすい一両でした。 1943年、鷹取工場で製造。戦時設計へ移行していく時期に誕生した、いわゆる”準戦時形"にあたる一両です。 1955年には新見機関区へ。ここから838号機は、伯備線の機関車として独特の姿へ変わっていきます。その象徴ともいえるのが、集煙装置です。 838号機には新見機関区時代、煙突上に大型の集煙装置が取り付けられました。記録では1960年に集煙装置を装備し、翌1961年には通票受取装置も追加されています。集煙装置とは、その名の通り蒸気機関車から吐き出される煙を集め、煙の流れを制御するための装置。 特にトンネルの多い山岳線区では、煙が機関室へ巻き込めば乗務員の視界を奪い、乗務環境を著しく悪化させます。そこで煙突の上を大きく覆う装置によって、煙をできるだけ後方へ流す工夫が施されました。通常の丸い煙突だけを載せたD51と比較すると、その違いは一目瞭然。 まるで煙突に巨大な「帽子」を被せたような姿です。この集煙装置こそ、伯備線を走った838号機のシルエットを決定づける装備のひとつでした。 さらに838号機には"タブレットキャッチャー"も装備。単線区間で使用される通票を、走行中に受け渡すための装置です。つまり838号機は、ただの「標準形D51」ではありません。巨大な集煙装置に、通票受取装置。新見機関区で過ごすなか、838号機は伯備線の厳しい運用を物語る、重厚な姿へと変わっていったのです。 そして1971年。 島根県で開催された第22回全国植樹祭への行幸啓に伴い、4月21日、米子―岡山間にお召列車が運転されました。その本務機として選ばれたのが、 D51 838号機。 普段は煤と煙にまみれ、重量貨物を牽いて中国山地を越えていた機関車が、この日だけは徹底的に磨き上げられました。そして838号機最大の特徴が加わります。除煙板に取り付けられた、 "金色の鳳凰"黒いデフレクターの中央で翼を広げる鳳凰。 車体には白い装飾が施され、前面もお召機として美しく整えられました。838号機のお召し仕様では、鳳凰のレリーフや白線など特徴的な装飾が確認されています。 ここが838号機の面白いところです。 華麗な鳳凰。重厚な集煙装置。山岳線用の実用装備。 「美しさ」と「無骨な装備」が、一つの機関車の中に同居し、D51の深みを増してる気がするんです。もちろん、お召列車だからといって、838号機の本質が変わったわけではありません。 その本分は貨物機。中国山地の勾配に挑み、重量列車を引き上げ、ときには布原で有名な「D51三重連」の一員として走った機関車でした。そんな日常の積み重ねがあったからこそ、お召列車という最高峰の任務を任されたのでしょう。 鳳凰を纏っても、やることは一つ。列車を、安全に。そして確実に目的地へ送り届ける。 お召列車牽引から約2年。 ”1973年4月1日” 伯備線から蒸気機関車が姿を消すにあたり運転された、SLさよなら列車。その先頭にも838号機が立ちました。 お召列車を牽いた機関車が、今度は伯備線SL時代の最後を飾る。838号機らしい、劇的な幕引きでした。...
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昭和46年、1971年4月21日。中国山地を越える伯備線に、ひと目で「普通のデゴイチではない」と分かる一両がいました。 煙突の上を覆う、大きな集煙装置。巨大な除煙板。磨き上げられた漆黒の車体。 そして、その除煙板には金色に輝く「鳳凰」。 その機関車こそ、昭和天皇・皇后両陛下のお召列車を牽引した、伯備線屈指の名機「D51形838号機」です。 D51形は昭和11年(1936年)に登場した、国鉄を代表する貨物用蒸気機関車。 国鉄の前身である鉄道省だけでも1,115両が製造されました。以前、498号機の記事でも触れましたが、すべてのD51が同じ姿をしていたわけではありません。 製造時期による違い。配置された地域による改造。使用線区に合わせた装備。 長い年月の中で、それぞれのD51に「個性」が生まれていきました。そして838号機は、その個性が非常に分かりやすい一両でした。 1943年、鷹取工場で製造。戦時設計へ移行していく時期に誕生した、いわゆる”準戦時形"にあたる一両です。 1955年には新見機関区へ。ここから838号機は、伯備線の機関車として独特の姿へ変わっていきます。その象徴ともいえるのが、集煙装置です。 838号機には新見機関区時代、煙突上に大型の集煙装置が取り付けられました。記録では1960年に集煙装置を装備し、翌1961年には通票受取装置も追加されています。集煙装置とは、その名の通り蒸気機関車から吐き出される煙を集め、煙の流れを制御するための装置。 特にトンネルの多い山岳線区では、煙が機関室へ巻き込めば乗務員の視界を奪い、乗務環境を著しく悪化させます。そこで煙突の上を大きく覆う装置によって、煙をできるだけ後方へ流す工夫が施されました。通常の丸い煙突だけを載せたD51と比較すると、その違いは一目瞭然。 まるで煙突に巨大な「帽子」を被せたような姿です。この集煙装置こそ、伯備線を走った838号機のシルエットを決定づける装備のひとつでした。 さらに838号機には"タブレットキャッチャー"も装備。単線区間で使用される通票を、走行中に受け渡すための装置です。つまり838号機は、ただの「標準形D51」ではありません。巨大な集煙装置に、通票受取装置。新見機関区で過ごすなか、838号機は伯備線の厳しい運用を物語る、重厚な姿へと変わっていったのです。 そして1971年。 島根県で開催された第22回全国植樹祭への行幸啓に伴い、4月21日、米子―岡山間にお召列車が運転されました。その本務機として選ばれたのが、 D51 838号機。 普段は煤と煙にまみれ、重量貨物を牽いて中国山地を越えていた機関車が、この日だけは徹底的に磨き上げられました。そして838号機最大の特徴が加わります。除煙板に取り付けられた、 "金色の鳳凰"黒いデフレクターの中央で翼を広げる鳳凰。 車体には白い装飾が施され、前面もお召機として美しく整えられました。838号機のお召し仕様では、鳳凰のレリーフや白線など特徴的な装飾が確認されています。 ここが838号機の面白いところです。 華麗な鳳凰。重厚な集煙装置。山岳線用の実用装備。 「美しさ」と「無骨な装備」が、一つの機関車の中に同居し、D51の深みを増してる気がするんです。もちろん、お召列車だからといって、838号機の本質が変わったわけではありません。 その本分は貨物機。中国山地の勾配に挑み、重量列車を引き上げ、ときには布原で有名な「D51三重連」の一員として走った機関車でした。そんな日常の積み重ねがあったからこそ、お召列車という最高峰の任務を任されたのでしょう。 鳳凰を纏っても、やることは一つ。列車を、安全に。そして確実に目的地へ送り届ける。 お召列車牽引から約2年。 ”1973年4月1日” 伯備線から蒸気機関車が姿を消すにあたり運転された、SLさよなら列車。その先頭にも838号機が立ちました。 お召列車を牽いた機関車が、今度は伯備線SL時代の最後を飾る。838号機らしい、劇的な幕引きでした。...
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【特集、去り行く東海顔 vol.20】"東海顔、最後の新製車"713系
東海顔にして、九州のローカル線を走る、真っ赤な電車。 国鉄末期、1983年に登場した交流専用近郊形電車、713系です。 ■量産計画は最大80両当初、713系は80両を新製する計画でした。 しかしながら、デビュー直前となる1982年11月のダイヤ改正において交直両用特急形電車581・583系が余剰となったことから、これら車両を活用する方針へと方向転換。結果として、713系は"試作車"の位置づけに留まることとなり、2両編成4本、都合8両のみで製造を打ち切られました。 ■東海顔、最後の新製車さて、本特集も重ねること20回の連載となりました。形式順で言うと、あと、ご紹介する東海顔は、413/717系を残すのみとなりました。 もっとも、これらはいずれも国鉄交直両用急行形電車からの"改造車"。 対して713系は、153系以来の前面形状・断面(形状)を基本として一から造られた、最後の新製車でした。性能面では、交流回生ブレーキを国鉄の電車として初採用するなど、のちの783系にも通じる新機軸を備えていたものの、財政難の国鉄が、最後に「新しく造った」東海顔だった訳です。 ■クリームから、真紅へ長崎・佐世保エリアで活躍えをスタートした713系は、登場時の塗装を、クリーム色に緑帯という、国鉄末期に見られた、シンプルながらも爽やかな、新生JRを意識したカラーリングに。 JR化後は九州標準のアイボリーに青帯へ。 そして1996年、宮崎空港線の開業に伴い、座席の一部を485系のリクライニングシートに替え、外装を真紅に一新。 「サンシャイン」として、第二の人生を歩み始めます。 ■完全引退の時営業運転から40年超。 2026年3月のダイヤ改正を以て定期運用を終えたものの、後継車両817系故障の代走車として未だ走っているとの情報も得ます。 量産されなかった悲運の車体は、東海顔という系譜の最後の新製車として、それよりも先輩の113系や115系を残し、過去帳入りとなる予定です。 (Mr.DIMER編集長)
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東海顔にして、九州のローカル線を走る、真っ赤な電車。 国鉄末期、1983年に登場した交流専用近郊形電車、713系です。 ■量産計画は最大80両当初、713系は80両を新製する計画でした。 しかしながら、デビュー直前となる1982年11月のダイヤ改正において交直両用特急形電車581・583系が余剰となったことから、これら車両を活用する方針へと方向転換。結果として、713系は"試作車"の位置づけに留まることとなり、2両編成4本、都合8両のみで製造を打ち切られました。 ■東海顔、最後の新製車さて、本特集も重ねること20回の連載となりました。形式順で言うと、あと、ご紹介する東海顔は、413/717系を残すのみとなりました。 もっとも、これらはいずれも国鉄交直両用急行形電車からの"改造車"。 対して713系は、153系以来の前面形状・断面(形状)を基本として一から造られた、最後の新製車でした。性能面では、交流回生ブレーキを国鉄の電車として初採用するなど、のちの783系にも通じる新機軸を備えていたものの、財政難の国鉄が、最後に「新しく造った」東海顔だった訳です。 ■クリームから、真紅へ長崎・佐世保エリアで活躍えをスタートした713系は、登場時の塗装を、クリーム色に緑帯という、国鉄末期に見られた、シンプルながらも爽やかな、新生JRを意識したカラーリングに。 JR化後は九州標準のアイボリーに青帯へ。 そして1996年、宮崎空港線の開業に伴い、座席の一部を485系のリクライニングシートに替え、外装を真紅に一新。 「サンシャイン」として、第二の人生を歩み始めます。 ■完全引退の時営業運転から40年超。 2026年3月のダイヤ改正を以て定期運用を終えたものの、後継車両817系故障の代走車として未だ走っているとの情報も得ます。 量産されなかった悲運の車体は、東海顔という系譜の最後の新製車として、それよりも先輩の113系や115系を残し、過去帳入りとなる予定です。 (Mr.DIMER編集長)
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